第16話 できる限りの懐柔をします
話を終えた後、浅間はアックスから採血をするとノトラに血を預けた。
それは彼女が影から出した鳥によって事務所まで運んでもらい、スクナによって追加検査をしてもらうのが目的だ。
その間に調理場からもらってきた湯と石鹸でアックスの素肌にべたべたと残る樹精香を洗い落とし、吸血して大きくなっているダニを見つけた時は浅間がピンセットで除去していく。
(森を歩けばダニが付く。数日の行軍をするギルド関係者なら犬猫みたいなダニ駆除用のスポット剤も需要がありそうだよな)
それも今後の検討課題だ。
彼の体調不良が単なる風邪やダニ媒介性の病気という線もなくはないわけだが、ひとまずの処置をしているうちにスクナから血液検査の結果が返ってきた。
『コトミチさん。結果が出ました』
「ありがとう。……ほう。軽度だけど、やっぱり同じ傾向だな」
『血液を預けたディートリヒさん側からも連絡がありました。がすくろまとぐらふぃー……ですか? その検査で過去に中毒例のある成分と似たものが出たそうです。お医者様もゆえきとやらをする方向でいいと言ってきているそうです』
「やたら協力が早いな。連絡ありがとう。それなら後はこっちでできそうだ」
生物が門を使うと再起動には何倍もの時間を要するらしいので、人やクアールの移送はできない。
人間相手の処置なので一応指示を仰いでみたが、こちらは日本ではないのだ。医師法、獣医師法なんて考えるだけ無駄だろう。
後の流れは予定通りだ。
アックスの腕に留置針を刺し、そこから採血を手早く済ませると輸液に繋ぐ。犬猫や鶏に比べれば人間の血管は非常に大きいため、単にこなすだけなら訳はない。
「もし体調が悪化するようでしたら、魔獣のオベリスク近くの事務所にすぐに連絡をください。じゃあ、スクナも待っているだろうから俺はこれにて」
「おっと、待ってくれ」
ダニの除去と体拭きを終える頃には輸液も終わっていた。
さして顔色も悪くないし、血液成分的にも目が離せないほどではないので安心だろう――そう思って離れようとしたところ、呼び止められた。
彼はベッドに座ったままであるが胸に手を当て、目を伏せる。
「お偉方が関係している以上、あんたは本物なんだろう。大将、よくはわからねえが治療に感謝する」
そういえばノトラがよく向けてくる目のように、処置の間は値踏みの視線に晒されていただろうか。
彼らにとって採血や点滴は未知の処置だっただろうが、誤解を受けなかったようで何よりである。
「どういたしまして。こちらから何かを依頼する時はよろしくお願いします」
「それに関しちゃギルド長次第だろうが、個人としては今回のことを覚えておきやすよ」
義理一つくらいの勘定だろうか。ドリィも見送りにはぺこりとお辞儀してくれた。
彼らの部屋を出た浅間はノトラと共に廊下を歩く。
幾人かのギルド関係者とすれ違うと、彼女はその度に「うおっ……!?」と何故こんなところにいるのかと驚きの目を向けられていた。
女子高生くらいの年齢だが、大人にも一目置かれるほどの存在ということなのだろう。それが雇われ、自分の護衛につけられているわけだ。
浅間はふむと顎を揉む。
するとセンサーでも持っているかのように彼女から視線が返ってきた。
「コトミチ、ウチに何か言いたいことでもある?」
「ん? ああ、そうだなぁ。俺は今回、ノトラの目からするとどんな風に映った? 役に立ちそうな人間だったか?」
「やたら気にした様子だったもんね。ウチから言わせれば、期待は大きいかな。口ばかりの商人と違って物言いが現実に沿っていたし、嘘をついている様子もなかった」
「それはつまり、お前の眼鏡にも適ったか?」
問いかけてみると、ほんの一瞬だけ空気が張り詰めた。ノトラは敵か味方か、つい咄嗟に判断を迷ったのかもしれない。
彼女はそれを誤魔化すように破顔し、肩を竦めた。
全く同じように周囲を警戒して観察していたからこそ言ってみたのだが、少し配慮がなかっただろうか。
確かに忠臣を求める雇い主がこんなことをいきなり言ったらドキッとするかもしれない。少しだけ反省しよう。
「ノトラは俺の面倒を見るための雇われだ。俺が役に立たない場合だって、この仕事がなくなってしまう。そんな時のために小金稼ぎをしているんだろう?」
「そりゃあ、お金があって困るものじゃないし。この世界は定員が決まっているんだよ。行商で方々を巡っている時も、どれだけお金を積んだって、宿も必需品すら手に入らないことがある。だから気休めでも備えておかないとね?」
浅間としてはその厳しさが想像しきれない。
単に部外者を警戒するレベルか、それともゾンビ映画で同じことをしようとするレベルだろうか。魔物溢れる荒野に追い出されてしまった人間が生きるのに苦しんでいるのは確かだろう。
安い同情はできない。彼女は他人から評価された立派な仕事人だ。
自分もどういう選抜かは知らないが、日本とこの世界に選抜されて放り込まれた人間である。付き合うならお互いに評価し合えなければ安心はできない。
「そんなノトラが家族の元を離れて受けるくらいに俺の護衛は割のいい仕事だったわけか」
「んー。その辺りはヒミツ」
わかりきったことだろうに、彼女は唇の前で人差し指を交差して×字を作った。
正直に話し合えるくらいの信用は得ていないということだろう。答えは聞かなくても問題ないので、浅間は話を続ける。
「俺も俺で、ここに送った人間にとって使える駒じゃないとどうなるかわかったもんじゃない。だからそのためにできるところは助けてくれ。その代わり、俺も他の誰かじゃなくてノトラがこの仕事を続けられるように推していく」
同じく誰かに使われている身の上だ。協力関係を結ぶとすれば、まずは彼女で間違いない。
そう思って口に出してみると彼女は素知らぬ顔で聞いていた。
何も考えていないような顔をして、けれども最後には口元を少しばかり緩めて見つめてくる。
「あはっ。――コトミチ、それは頼もしい言葉だね?」
少女然とした顔ではない。厳しい世界でもしたたかに生きる狼のように、ぞくりとする何かを感じさせる顔だ。
この顔で成し遂げるものこそ、本来の彼女の格なのだろう。
道理で周囲の人間が目を見張っていたはずだ。浅間としてはまだとても頼りになるらしい少女というおぼろげな姿しか知らない。
手を取り合えるというなら、さぞ頼もしいことだろう。
浅間は緊張で忘れていた呼吸を思い出し、息を吐いた。
「まあ、そのためにも早く帰ってスクナにクアールを解凍してもらって、治療を始めないと。それが終わったら今回の病性鑑定結果をまとめて、後日ギルドに提示するための案もまとめて上と相談する必要もある」
「うわぁ、大変そうだね。コトミチ?」
「そうだな。事務作業をしてくれる現地協力者も募らないと俺が過労死する」
「ふーん。まだ死なないでね?」
自分にできる範疇を超えると思ったのか、ノトラは興味もなげに呟く。
これは少々失敗だ。婉曲すぎる説明だったかもしれない。これは単なる愚痴でもないのはわかってもらうべきだろう。
「ノトラ。信頼のおける人脈が俺にはない。そういう点も手助けがあると助かるんだ。頼りにしているぞ」
「うーん? ……――あっ」
ようやく彼女は気付いたらしい。
これは金払いのいいお偉いさんからの下請けだ。場合によってはノトラが大切にしている家族だってそこに滑り込ませることはできるだろう。
それをわかりやすく伝えてみるとどうだ。彼女は散歩用のリードを見せた犬のように反応し――いや、本当に獣の耳と尾を魔法で生やして腕に深々と抱き着いてきた。
「ふふっ、なるほどなるほど! コトミチは商売上手だ! そういうことなら尻尾を振って歓迎するよ? ほら、例えばどんな獣の姿がいい? できることなら多少は融通を利かせるよ?」
心配をしていた家族を近くに置けるというのは、こうして上機嫌になるくらいのものらしい。腕を抱き締めたままはしゃぐ彼女に振り回されながらも、浅間は早速一つのお願いを思いつく。
「そうか。なら手始めにお願いしたいことがある」
「うん、なにかな?」
「帰り道は乗り心地がいいやつにしてくれ」
正直な要請をしてみるとどうだ。
一瞬呆けた彼女は腹がよじれるほど笑い転げたのだった。
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