第8話 疑似感畜の調査 ②
「それで、実際の病性鑑定のための確認です。件のクアールはこの辺りの山――正確にはそのふもとにある盆地に生息していて、今回は何頭も痙攣や嘔吐、めまい、失禁、異常行動などが見られたと。今までにそういうことはありましたか?」
ひとまず聞いた情報と含めて問いかけると、役人と猟師は顔を見合せた。
実際にこの地域については猟師の方が詳しいのだろう。視線でやり取りをすると、猟師の方が口を開く。
「いんや、一度もなかった。見たことがない事態だもんで驚いてよぉ」
「ふむ、なるほど。それなら段々と的が絞れてきそうです。ちなみにここに出入りするのは猟師以外にいませんか?」
「いや。最初に言ったようにクアールの毛皮は貴重な品だ。優秀な兵士や狩人に依頼をして定期的に狩ってもらっている」
今度は役人の領分らしい。話題が出ると、この場に出入りした人間のリストを差し出してくる。
「おっ、これはありがたい。こういう情報がないと原因を遡ることも、追って調査することもできませんからね」
浅間は称賛の気持ちで受け取り、目を通す。
どうやらこの場には近隣集落の猟師のほか、件の人間も出入りしているようだ。ギルドで斡旋された魔物の討伐依頼をこなし、素材を持ち帰る。そんな流れと同じだろう。
日本での定期検査では出入りのある餌会社、幼畜の販売業者などの情報を集め、それをもとにその関連先の安全も確かめるものだ。
浅間がうむうむと頷いていると、ノトラもこのリストを覗き込んで訳知り顔を見せる。
「毛皮も剥製も骨格標本も、上手く狩らないと価値が下がるからね。顔を狙うなんて論外。四足歩行の剥製なら首を掴まえて胸をぶち抜くし、熊みたく直立をお望みなら延髄を一撃だよ。聞いたことがある名前もあるし、希少種族まで混ざっているね」
首を掴む動作を見せるノトラの足元からは、にゅっと巨大な獣の手が伸び、貫き手の形を取る。それで突くということなのだろうが、これは初見だ。もしかすると彼女の能力は単なる身体強化じゃなかったかもしれない。
彼女らがもつ固有魔法はある程度は血脈に受け継がれるものらしい。希少な種族であればそれだけ魔法も特殊性が極まるということだ。
見ればエルフやドリアード、ダムピールなんてのもいる。吸血鬼に属する血脈で血も操れるとなれば解体業者としては非常に優秀かもしれない。
残る確認事項は地図上のどの辺りがクアールの縄張りかなどだ。
木に尿をかけるだけでなく、爪を研いだりもするので生活圏はよくわかるらしい。猟師はビーグル山が囲う盆地一帯を示してくれた。
これにて前準備は終了である。浅間は資料を閉じ、スクナとノトラに目を向けた。
「二人とも、現地確認の準備をするぞ」
「はーい。コトミチ、ウチはこの大荷物を運べばいい?」
浅間が声をかけるとノトラは空鯨から荷を下ろして獣耳と尻尾を生やし、担ぐ準備をした。働き者はいいことなのだが、まだ準備ができていないので呼び止める。
「いや、その前に防護服に着替えるぞ。仮にも危険な病気が蔓延している疑惑の地に踏み込むんだからな」
「ぼーごふく?」
女子二人は揃って首を傾げる。
RPGであれば問題解決のために向かえばいいだろうが、そうはいかない。もしクアールが感染力の強い人獣共通感染症で倒れていたとなれば大事である。
荷物を下ろさせた浅間は全身タイツのような真っ白いツナギ――防護服を手に取った。
それを押し付けると、ノトラは苦い顔を浮かべる。
「この前はそんなの着なかったのに?」
「そうそう人に伝染しないものだったからな。前例がない症状って話だし、恐らく今回は必要ないと思うんだけど念のためだ」
「必要がなさそうに、ですか……」
「二人だって空鯨を低空飛行させなかった癖に何を言ってるんだ」
ノトラに続いてスクナまで嫌そうな顔をする。
だが、先刻は二人の安全対策に乗ったのだ。今度はこちらの番である。
浅間はお手本を見せるように防護服を着込む。
巫女装束やエスニック装束という見栄えのする衣装の二人だ。この優美さの欠片もない装い抵抗感があるのも無理はない。
少しは納得しながらも浅間はばさりと防護服を広げた。
着衣が進まない二人には幼児の着替えを促すように「はい、足! 腕!」と着付けをさせていく。
役人と猟師の変なものを見る視線など気にしない。
「コトミチィ……あっつい……」
着せ終わってみると、ノトラは胸元をぱかぱかと動かして空気を送り込んでいる。
「そりゃそうだ。この服は病原体を通さない構造だから。でも今はまだ涼しいし、半分も装備を着ていないから序の口だ。はい、二枚目」
「え゛っ!?」
もうすでにギブアップと態度で示すノトラに浅間は二着目を見せびらかす。たじろがれてもダメだ。逃がしはしない。
「こんなに通気性が悪いのに二着も着込むとか、倒れるよ……!?」
「苦しいけど、俺の世界では重大な感染症が畜舎で発生すればこの装備で八時間三交代制の防疫処置を始めて、三日以内には終わらせる計算で動くぞ。真夏なら熱中症を懸念して六時間四交代制だ。ほら、足を通して」
「ちょっと待って。コトミチ、本当に暑い! 熱がこもる!?」
嫌がるノトラが頭を叩いて抗議してくるものの、強引に着させる。
そんな手間をかけているとスクナはぐったりした顔をしながらも自分で着込んでいた。喜びそうなことを率先してすると宣言したのだ。実行に移している点は偉い。
「よし。あとは薄手のゴム手袋の上に厚手のゴム手袋、長靴とそれを包むブーツカバー、マスクとゴーグルをして接続部分はガムテープで覆って隙間をなくしていく」
「うあっ、待ってコトミチ。多すぎる! 本当にこれは蒸れて……。あっ、だめっ。塞がな――あああ~っ!」
「ジタバタするな。フードとゴーグルやマスクの隙間もテープを貼ってハイ、完成」
涼しい外気が入り込む余地をとことん潰されていき、ノトラは呻いた。
至る部位を二重に着込んだ結果、出来上がったのは個性もへったくれもない白装束である。見分けがつくよう、背中にマジックで『のとら』と書き殴って終了だ。
彼女はずーんと立ち尽くしていた。風呂に入れられて鬱になる動物のようだが、仕方ない。不可抗力だ。
じり、とスクナが後ずさった音が聞こえたので浅間はガムテープを手に近づく。
「ひっ。やっぱり私もあそこまでですか!?」
「もちろん。妥協はない」
怯える少女相手では絵面が酷いが、気にしたら負けだ。
確かに熱中症をおこすほど暑い装備になる。眼鏡着用者なんて吐息で眼鏡が曇って仕方なくなるが、飛散するウイルスからも守ろうと思えばこんな装備になるのだ。
けれどまだ完璧というわけでもない。エボラウイルスのような恐ろしいものを相手にするなら、さらに撥水性のバイザーや前掛け辺りも欲しくなる。
「職員を対象とした防疫演習ではこんな着付けをレクチャーしたし、実際に動物を農場で殺処分して消毒するような場合はこんな装備を着込むんだよ。……まあ、今回はその必要性が薄そうなんだけど」
「必要性が薄いんですか!?」
「痙攣や異常行動を示す感染症だったら怖い。それが人間にも感染するならこの装備は必須だ。けど、話を聞くに今までに発生がないらしい。土着の生き物が土着の感染症に今までかかっていないってのも考えにくいんだよ。それに感染症なら徐々に蔓延するものだ。外的な要因での中毒とかが一番疑わしいとは思う」
「そ、それなら……」
少女二人は息苦しさに耐えかねて防護服に手をかける。
止められるだろうなとは察しているのだろう。叱られることがわかっている犬猫みたく、その手の動きはおどおどとしていた。
もちろん、ご期待には沿えないので浅間は二人の手を引っ掴む。
「そう。暑くて苦しいので効率的に動いてさっさと終わらそう。三十歳間近のおじさん予備軍にもきついんだ。直射日光は辛いからできるだけ木陰を通っていくぞ。では、お二人。しばらく現地の確認をしてきます」
必要な情報はすでに聞いている。
浅間は必要な道具と少女二人を引っ掴むと、山の中にずんずんと歩を進めていくのだった。
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