第7話 疑似感畜の調査 ①


 空鯨の飛行は本当に穏やかなもので、空を泳ぐかのようだった。風も吹き付けることはないので、慣れてさえいれば心地いいのだろう。

 実際、御者として先頭で風を受けるノトラは気持ちよさげにその髪をなびかせている。ひらひらと動きやすさが際立ったエスニック装束も相まって、踊り子が舞っている時のような優美さを感じさせた。


 一方、浅間は絵にならない現代人だ。

 飛行機の移動時間と同様に読書を――この世界の民族についてまとめたものでも見て時間を潰そうとしか考えていない。

 けれども、そんな思惑も叶わなかった。何故なら、ちょっと怪しい気配がしてきたのだ。


 最初の気付きは、この鯨は一体、どれくらいの高度まで登るのだろう? ということである。

 飛行機は無論、高さを売りにしたジェットコースターやゴンドラも覚えはあるが、そのレベルを超えて地表から離れていきつつある。

 馬やバイクへの搭乗と同じく股で挟むくらいがせいぜいの固定なので、脂汗を禁じえない。浅間はいつの間にかノトラの肩を掴んで身を縮めていた。


 それを知ってか知らずか、後列のスクナは身を揺らしてくる。


「コトミチさん、こういうことなら私にも考えがあります。あなたが喜びそうなことを日々探してくるので、それをですね――」

「待った。待ってくれ、スクナ。揺らすな……!」

「へ……?」


 浅間が青ざめて訴えるのに、スクナはピンと来ていない。

 彼女は魔獣を封じ込める魔法を使えるし、ノトラもかわいい顔をして湖の脅威なる大蛇ラーガルフリョゥツオルムルなる百メートル級かつ魔法を使う大蛇と殴り合える規格外らしく、地球人の感覚で話しても意味が通じないことがしばしばあるのだ。


 浅間は地面を指差して言う。


「落ちたらシャレにならないだろう」

「そういうことでしたか」


 間を置いて手を叩いた彼女は頷く。

「低空を飛行すると地上の幻想種が攻撃してくることがあるので、ある程度の高さを保ちます。ですがご心配には及びません。この領域の空は基本的に安全ですし、もし何かあっても私の力で受け止めますので!」


 彼女は自信満々に胸を張る。

 確かに魔獣をあのオベリスクにするほどの力だ。それを発生させれば人間一人くらいは軽く受け止められるのだろう。


 とはいえ怖いものは怖い。

 例えば乱気流で揺れる飛行機だって、車で言う砂利道程度だから心配する必要なんてないと言われても一般人は恐怖を感じる。自分で動かすものと、他人に任せるものでは心理状況が変わってこよう。人間、そんなもんだろう。


 するとスクナはパッと表情を煌めかせる。


「不肖、このスクナはお役目を見つけました。つまり今はコトミチさんをしかと支えればいいのですね!」

「……ああ、頼む」

「はい、ぎゅっといきます!」


 背中にひしと抱き着いてくるだけではない。例の漆黒がスクナから広がったかと思うと、下半身と空鯨の体が腹巻のように固定された。


 まあ、これで良しとしよう。

 ぐらつきが減ったし、密かにノトラが高度に配慮してくれたこともあって、浅間はようやくぱらぱらと本をめくる余裕ができるのだった。





 

 目的地はクアールの生息地らしいビーグル山――その近隣にある猟師小屋だ。

 人の生活圏から一山ほど離れたこの場までは荷車が通れる道が敷いてある。山で狩った獲物をそのまま持ち帰るのは大変なので、ここで解体して軽くした上で運搬するらしい。

 第一発見者も猟師だったようだ。


 現地ではこの地区を管轄している北方防壁の役人のほか、毛皮を着た猟師が待っていたので近くに降り立つ。

 ノトラは空鯨のご褒美を用意し始め、スクナは浅間の後についてこようとしていた。


 その時、浅間はふと逡巡して振り返る。

 向き合うこととなったスクナはきょとんとこちらを見つめてきた。


「何かありましたか?」

「さっさと事を進めるためにお願いしたいことがある。実は――」


 できるかどうかも含めて彼女の意見を聞いてみると、答えは可能らしい。

 喜び勇んだ彼女はノトラから空鯨を受け取ると一人で空に上がった。残ったノトラは代わりに護衛として後ろをついてくる。


「貴殿が魔狼に選ばれた噂の技師か。クアールの毛皮は輸出品としても貴重な上、生息地を流れる川は下流で人里に繋がる。どうかよろしく頼む」

「すでにいろいろと頼んでしまいましたが、こちらこそよろしくお願いします」


 軽く挨拶を交わしたらお仕事モードだ。浅間は襟を正す。

 その仕草を見て役人は早速切り出してきた。


「以前は牛の下痢や山羊の乳の出をたちどころに改善したとか。今回は如何にされる?」

「それらは基本的な業務で、見知った病気でもありました。今回はまた違う事態なので、一から説明をします」


 一ヶ月の“研修”が終わった後は、慣らし運転程度に家畜の様子を見て改善してきた。

 その噂もあって今回はすぐに呼ばれたのだろうが、正しく捉えてもらわないと何でも屋にされて効率が悪くなる。

 情報を役人仲間に持って帰ってもらうためにも必要な説明だ。


「まず、この世界に開かれた家畜保健衛生所ですが、本来の業務対象は“畜産動物”です。牛、豚、鶏、馬、山羊、羊、蜜蜂といったところですね。要するに、産業としてよく飼われる重要な動物だけ公的に検査をして流行り病を未然に防ごうってわけです」


 この通りの範疇なので、農場の畜産動物はもちろん、動物園の馬も検査に回る。

 だが、動物園のシマウマはウマと名前がついているが動物種的にはロバに分類される動物なので業務の範囲内ではない。

 無論、クアールに近そうなライオンやトラも範囲外だ。


 類似のマニュアルも存在しない動物種、危険な病気の対処は慎重になる必要がある。


「直近で依頼された牛の下痢や山羊の乳房炎はまさによくやる業務。危険度が低い病気とわかっているので、糞便や乳汁を採取して原因を特定し、治療をしたわけです。また同じなら簡単なんですが、今回は話が違います。俺にとって未知だし、危険もありそうなので重大な病気と同様に手を打たせてもらいました」

「うむ。街道封鎖だったか」


 役人の言葉に浅間は頷きを返しながら用意していた現地地図を取り出す。

 浅間は事件現場を中心に半径三キロ、十キロの円を描いて現場に至る道路に×印を書き込んでいた。


「そうです。例えば危険な病気に近寄れば、感染者を増やしかねません。拡散を防ぐために発生地点への出入りを禁止したり、出荷を制限したりします。この場所は基本、出入りがないのでこの小屋への一本道を封鎖すれば人の往来は防げますし――」


 口蹄疫や豚コレラなど法律で定めた感染症と確定したり、強く疑われたりした際はこうして流通を止め、防疫活動を始める。

 だがこの世界は人口も少なければ商業活動も少ない。都市部での発生でない限りは大した意味もないだろう。むしろ本当にしたかったのはこれから起こることだ。


 浅間が見上げると、この土地をぐるりと囲うように黒い壁が出現する。

 スクナの魔法による山域の封鎖だ。

 現実ではこうして封じ込めができないので野生動物にまで病気が蔓延すると防疫活動の終わりが見えなくなるものなのだが、異世界にはこんな裏技があるらしい。


「本当にとんでもないなぁ……」

「……?」

「ああ、すみません。ただの独り言でした」


 こんな能力を使えたらさぞ便利なことだろうと、気持ちが漏れてしまった。

 役人たちには首を傾げられたので浅間は軽く誤魔化して話を元に戻す。


「とにかく、何かしらの厄介な病でもこの範囲内でどうにか処理していく方針です」

「流石は魔狼の巫女の力ですな!」


 やはり彼女の力はこの世界でも有数のものなのだろう。役人も猟師も揃って大きく目を見開いている。

 そんな話をしているうちにスクナは仕事を終えて戻ってきた。


「コトミチさん、半径三キロと十キロでしたね。ざっとですが、敷き終わりました」


 撫でてと催促する犬のような彼女には「ありがとう」と返して話を続ける。

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