第9話 疑似感畜の調査 ③

 目的の山に向かうための道は普段から猟師や冒険者が通っているらしく、草や枝葉も邪魔にならない道が出来上がっていた。

 防護服は一枚布のようなものなので枝に引っ掛ければすぐに穴が開いてしまうこともあって浅間たちが歩くにも非常に都合がいい。


「はぁはぁ。自分の吐息が換気されきらないというのも苦しいですね……」


 全身白装束が喋る。この声色と仕草はスクナだ。

 ノトラに関しては未だにテンションが低いまま、とぼとぼと付いてきていた。南国系の装いの癖に暑いのは苦手なんだろうか。


「それにしても、どうして二重なんですか? こんなことなら丈夫な一枚でもいい気がします」

「別に機能を信じていないわけじゃない。一枚でも事足りるんだが、現地で作業をすれば体が汚染されるだろう? その汚れを体につけたまま歩けば他の場所も汚染してしまう。だから汚れた一枚目は現地で脱いで、二枚目は戻ってから脱ぐって形なんだ。泥だらけの衣装で動き回ると家が汚れるのと一緒だ」


 細菌やウイルスに汚染されたというイメージはまだ彼女らには定着していなくとも、その考えならば通じる。

 これを行うためにも実際の防疫作業では中継基地と現地基地の二種を設営するわけだが――その説明まではいいだろう。

 スクナはため息がちに頷いた。


「安全対策を徹底しているわけですね……」

「防疫はいかに感染を防ぎつつ、原因を根絶していくかの勝負だからな」


 そんなことを話しているうちに第一発見の場についた。

 そこはビーグル山ふもとに広がる盆地まであと一キロという距離の路傍だ。猟師道を外れた斜面には例のクアールが倒れていた。


 ジャガーのような豹紋の毛皮と、長く太い髭を持つのが特徴と聞いた通りだ。

 恐らくは息も絶え絶えで移動していたが、足を踏み外したのだろう。斜面にはずり落ちた形跡があった。


「もう痙攣はないようですね」

「ああ。でも治ったわけじゃない。死んでもいないけど、かなり弱っているみたいだな」


 動物の聴覚ならばこちらに気付かないはずはない。こちらに警戒して目を向ける体力もないということだろう。

 浅間は担いでいた荷物から真空採血管と針を用意し、その他の採材道具も用意する。


「スクナは例の魔法でクアールの動きを止めておいてくれ。その間に観察と採血を済ませる。ノトラは周囲の様子を見ておいて欲しい」

「わかりました」

「はぁい、やりますよぅ……」


 ここは頑張りどころだと、少女二人も気張ってくれる。

 スクナが手を掲げると、クアールの四肢や首などをあの漆黒が塗り固めてくれた。ひとまずはこの横臥の態勢で検査ができる。


 一方、ノトラは座り込もうとしていたところ、立ち上がって周辺を見回すと斜面を下ろうとする浅間の補助をしつつ同行してくれる。

 スクナの魔法は強力とはいえ、一応警戒してくれるらしい。


「さてさて。猛獣の検査なんてしたことがないんだけど、ひとまずは情報を集めるか」


 浅間はざっと体表を見回す。

 毛皮が調度品とされるようにクアールの毛並みは非常にいい。猫科は毛繕いをよくするので、そのおかげでもあるだろうか。

 触ってみた感じもふさふさと柔らかく、とても猛獣の体表という感じではない。頭から腰までさらりと撫でつけ――浅間は首を傾げた。


「ん? 顔面の方はべたついているか?」


 触ってみた感じ、若干そんな気配を感じるのだが使い捨てのラテックスゴムの上に厚手のゴム手袋までしているので触覚はほとんど頼りにならない。

 例えば下痢や体臭などに関してもその臭いから得られる情報もあるのだが、ウイルスも遮断する高性能マスクをしているので臭いを感じることはなかった。


「重装備も重装備で問題だな」


 ふむと考え込む。

 この手では通常のシリンジでの採血なんて無理なので真空採血管を持ってきている。だが、小さかったり、幼かったりする動物相手では吸引力が強すぎて溶血させてしまい、データ不足になる可能性もあるだろう。

 これは改善案の検討も必要になるかもしれない。


 そんなことを考えつつ、クアールの直腸に体温計を差した。あとは目や口の粘膜、その他部位の確認をしていく。

 最後に各用途に合わせた採血管で採血をしてしまえば採材は終了だ。それを見計らったスクナは近寄ってくる。


「あとは治療になるんですね!?」


 ゴーグル越しに見える目だけでもその期待が窺える。

 彼女は魔狼をいつか浅間に治してもらうことを目標としているのだ。当然、そこが最も気になるだろう。


「そうしたいのは山々だ。だが、最低限、この血を持ち帰って成分検査をして、体のどこが異常を起こしてこの状態になったのか調べる必要がある。じゃないと対症療法すらできないからな」

「つまりそのためにも今は魔狼と同じく止めればいいんですね」

「そういうこと。よろしく頼む」

「お任せください!」


 開口呼吸をして辛そうなクアールにスクナが手をかざすと、その身は漆黒に飲まれた。彼女がその手を空に掲げると漆黒は空へと伸びる。

 この先端にフックでもかければ空鯨によって回収できることだろう。


 一分一秒を争うトリアージの場面でも、彼女の力があればしっかりと検査をした上で順に対処できる。患者から採取し、培養した細菌にどの抗生物質が効くか試した後に治療に入るという裏技も取れるのだ。

 対象の時間停止なんてもとよりとんでもない能力だろうが、医療的にも活用の幅が広い。


 採取した材料の劣化を防ぐため、こちらもスクナの能力によって封じてもらった後、一行はさらに進んでいくのだった。

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