第10話 見えない違い
ノトラがこの仕事に就いてから、はや四十夜を近い。
魔狼の巫女は
クアールは少々危険とはいえ、武芸に秀でた人間なら打倒可能だ。
その時点で討伐難易度はB。魔法がなければ太刀打ちできないA級や、人間では勝機がないS級でこそ自分が呼ばれるものなので、内容としては肩透かしもいいところだった。
いっそ棒立ちしていてもスクナ一人で何とか出来るに違いない。
(いや、それでも万が一に備えてのウチなんだろうけどさ)
結局のところ、雇い主もその方が安くつくと思ってのことだろう。
それを考えるとコトミチには同情する。
死なない程度の配慮がされた環境とはいえ、随分と都合よく使われているものだ。
ただし彼は煽てで乗せられている馬鹿ではない。これ以上、危うい状況にならないように警戒しているのか、心を許していない節がある。
こんな状況に陥る時点で平和ボケはしていたのだろう。それは間違いなさそうなのだが、自分が彼に出会ってからは流浪の民とどこか似た――身の振り方を常に模索しているような強かさが感じられた。
この仕事は美味しい。そして彼が有能である限りはこの仕事は続く。
打算的に考えるなら自分は単に護衛として終始するより、彼が有能であり続けられるようにサポートするべきなのかもしれない。
まだコトミチの技能の全貌を理解したわけではないので、何をどうサポートしたらいいのかもさっぱりだが――いや、それ以前に今は思考を巡らせるには環境が非常に悪い。
(いくら木陰でも動き続けだと蒸れるよ……)
前を行くコトミチとスクナに遅れて息を吐いていると、彼はすぐに気付いて振り返ってきた。
「休憩か水分補給が必要か? くらくらしたり、頭が痛かったりしたらすぐに言ってくれ」
コトミチは一頭目のクアールを見つけてからというもの、何かを探している様子で周囲に気を配っていた。それもあってか、こちらの変化に気付くのも非常に早い。
面白いものだ。
彼が見ているものは自分と違うし、見えている範囲も違うらしい。
ともあれ、そちらはともかく自分の領分で働くとしよう。
「この程度ならまだ平気だよ。それよりコトミチ。もうここは盆地に近いから、そろそろ安易に背を見せるのはやめた方がいいよ?」
「……?」
藪や岩陰に隠れてこちらに視線をくれる獣には気付いていないらしい。
視野に収めていればまだともかく、それに背を向けた上にこちらの視野まで隠してしまうと野生動物としては絶好の機会となる。
がさりと枝葉が鳴った瞬間、コトミチに向けて大きな影が飛び掛かった。
まったく、言わんことではない。察していたノトラは彼とすれ違い、片腕に外装をまとって迎撃する。横っ面をはたくようにして地面に叩きつけ、さらに自分の影から獣の腕を呼び出して襲撃犯のクアールを戒めておいた。
この固有魔法は自分の影に沈めた獣の力を限定的に使用できるものだ。死体処理もできるし、戦えば戦うだけ能力を強化していくこともできるので非常に使い勝手がいい。
こうして一頭を捻じ伏せたことは周囲に潜むクアールも見たことだろう。先程から身に絡みついていた鋭い視線はなりを潜めた。
「おわっ、こんな近くに隠れていたのか!?」
「うん、他にも何頭かいる。暢気なお散歩とはいかなくなってくるし、そろそろ潮時だと思うよ?」
「ふぅむ、そうか」
コトミチは熟考した様子で顎を揉む。
拘束をしているクアールを真剣に見つめた彼は何かを決めた様子で振り返ってきた。
「そうだな。発症したクアールはここに来るまでに三頭見た。こいつは健康そうだし、もうそういう姿も見えない。だから――」
「撤退ということですね。正直、助かります……」
ここまで付き合っていたスクナも流石に堪えていたようだ。防護服のせいで顔色は窺えないが、声と仕草が疲労を表している。
それに対してコトミチは首を横に振った。
「いや。俺はそもそも健康体のクアールの状態がわからない。比較検討をするためにも健康そうなやつらも捕まえて採材させて欲しい」
そんなことを言われる先はもちろんスクナではなく自分だ。けれどもあんまりな提案に思わず問い返してしまう。
「えっ、本気で……?」
「本気で」
ようやく終わりかと思いきや、コトミチは断言してくる。
勘弁してほしい。迎撃するならともかく、元気なクアールを掴まえるなら追いかけっこになる。
だが、護衛対象たっての依頼とあっては断れるはずもない。
「はぁい、わかりましたよぅ。頑張ります……」
げんなりしつつも呟き、スクナに目を向ける。
「私の魔法は適応範囲が短いんだ。こっちの拘束を頼めるかな?」
「ええ、任せてください」
スクナの漆黒がクアールの四肢を戒めるのを認め、自分の魔法を解除する。
この邪魔くさい防護服姿で動くのはひと苦労だろう。そんなことをため息がちに思いやりながら、ふと気づいた。
捕獲を依頼したコトミチは真剣な顔でクアールに向かい合い、またやたらと念入りに毛皮を触って質感を確かめている。体温測定や採血などもあるだろうに、そちらは後回しに考え込んでいる様子だ。
さらにノトラが隠れているクアールとの追いかけっこを始めてからは周囲の枝葉の質感を確かめ、帰り道でも同じようなことをおこなっていた。
本当に彼と自分では見えているものが違うらしい。
そんなことを思いながら、ノトラは防護服の中で汗だくになっていたのだった。
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