第11話 原因究明を超えるための布石 ①

 クアールの捕獲は無事に成功した。

 倒れていたり、よろついていたりしたものが計三頭。その後は、健康そうに見える二頭から同じように採材し、現在は最後の一頭から採血をおこなおうとしているところだ。


「グルルルゥ、ガァッ!」

「うおっ!?」


 猛獣らしく大口を開けて威嚇し、低重音の唸りが向けられる。極太の髭が鞭の如くしなり、ばちばちと放電までしている点が浅間としては非常に恐ろしかった。

 本来はこの髭によって半径二メートル程度にスタンガン並みの電撃を見舞えるらしい。尤も、それはノトラとスクナの拘束によってすぐに無力化されたので心配ないが。


 動物園だって吹き矢による麻酔なしには治療も検査もできないのだ。

 ノトラが捕まえ、スクナによる不動の固定ができたからこそ観察と採材ができたものの、それがなければ近づくことさえ避けていただろう。


「よし終わったぞ。そっちのタイミングで拘束を解いてくれ」

「わかりました。では下がってください」


 スクナの言葉に従って浅間は後退する。

 全力の抵抗でも逃げ出せない拘束にかけていたこともあり、クアールに戦意は残らない。少し離れたところで魔法が解かれると一目散に逃げだしたのだった。


 もう必要以上に近づく予定もないので浅間は息を吐く。


「これでクアールとの接触は終わり。防護服を一枚脱いで帰ろうか」

「うぅ、一枚だけぇ?」


 弱音を吐くのはノトラだ。

 ゴーグル越しでも汗で髪が濡れて束になっているのが見える。さっさと脱いで風に吹かれたいのは自分も一緒だ。彼女の気持ちはよくわかった。


「全部脱いだら何が付着するかわからないって考えなもんでな。最後の一枚は猟師小屋まで我慢だぞ?」

「はぁ……」


 最も苦労をする羽目となった彼女は文句を言う元気もなさそうに項垂れる。

 しかしそれでも一枚脱げるだけマシと考えたのだろう。彼女は適当に手をかけ、脱ぎ散らかそうとした。

 浅間はそれを慌てて止める。


「こらこらこら。一番汚れた手で内側を触るのはよくない。こういう時は外側を摘まんで巻き込むようにして脱いでいくんだよ。ゴミはまたスクナに固めてもらって処分をするから!」

「もうコトミチの好きにすればいい……」

「はいはい、するから動くな。スクナの方も補助は必要か?」


 脱力して立ち尽くす彼女の脱衣を手伝っていると、寝ぼけた愛娘を強引に着替えさせているようにも思えてくる。


 ほぼ同年齢に見えるが、優等生じみているスクナにはいらないお世話だろうか。

 彼女はこちらの見様見真似で脱ごうとしていたが、その動きは徐々にぎこちなくなって止まった。


「いえ、適切にできているかは不安です。コトミチさんの言う風邪や病原体、免疫などは私もディートリヒさん経由で聞きました。私たちの世界での病とは、『衰弱によって魔力を制御しきれなくなった状態』で、重度になれば死病になると言われてきました。この悪い魔力は伝播するとも言われていたので、感染症と扱いは似ています。けれど、魔力は空気や水と同じ。塵や粒子とは捉えてこなかったのでどう扱えばいいのか未だに悩みます」

「なるほど。そうだなぁ、例えば細菌やウイルスなら埃と思えばいい。この防護服は埃だらけの部屋で、如何に埃を体に付着させずに作業して出ていけるかっていう趣旨で着ているイメージかな」


 だから汚染がありそうな場所では脱がないし、汚染されていそうな表面には触れないし、そっと裏返して丸めていく。

 本来、ウイルスも通さない防護服なので内側は汚染されていない。外側を脱ぐ際に飛散した病原体も二枚目で防ぎ、安全な場所で脱ぐというわけだ。


 目の前で脱いでいく彼女に指で丸を作って示しつつ、その動きを見守る。

 暑さを耐えての作業で集中力と緊張感が途切れてしまった防疫員は、ノトラと同様にこの辺りが疎かになりがちなので要チェックだ。


 それにしても、思わぬところで『死病』の単語が出たものだ。スクナも脱衣を済ませたので、浅間は帰路がてらに改めて口にする。


「死病か。最終的にはその発症機序を解明した上で、治療法も考えつかないといけないんだよなぁ。まあ、実際に頭を悩ませるのはディートリヒたちの方ではあるんだが」

「あれっ。そうなのですか!?」

「あのな、俺は万能選手じゃない。か弱い一般人だからな?」


 もしや全ての病気を診断、研究、治療する救世主とでも思われていたのだろうか。

 スクナは意外そうに目を見開いているので非常に怪しい。

 誤解を解くためにも断っておく。


「俺が配属された家畜保健衛生所の仕事は主に採材や衛生指導。他に家畜の獣医がいない地域では治療もする。簡単なものなら自分たちでも診断するけど、検査機器が限られるものは病性鑑定室っていう診断専門の施設か、より上位の研究機関の動物衛生研究所っていうところで診断してもらうんだよ」


 そもそも、家畜保健衛生所の運営だって一人で出来るはずはない。

 こちらに来て一ヶ月。自分は現場への出張担当の技師であり、日本には課長や所長に当たる管理職が配されているとの話を聞いた。

 ディートリヒはといえば、病性鑑定室に当たる診断や研究部門ということになっているらしい。


 そんな説明をしているうちに三人は猟師小屋に到着した。


「ねえ、コトミチ。もう脱いでもいいね!?」

「さっきみたいにくるくる折り込んで脱ぐならいいぞ」

「はいはい、こーすればいいんだね!?」


 ようやく許しを得たノトラはあっという間に最後の防護服を脱ぎ捨てた。

 着ぐるみ作業をした中の人を思わせるくらいに汗を掻いており、ひらひらとした衣装は肌に張り付いて艶めかしいことになっている。

 服がびっしょりなら、当然、下着もだ。


 ついでに言えばラテックスグローブをしていた手なんて自分の汗でふやけている。浅間はそんな自分の手を顔に近づけ、匂いを嗅いだ。

 浅間は神妙な顔で頷く。


「ふむ、なるほど。少し読めてきたかもしれないな」


 ぽつりと呟いてみるとどうだ。心外なことに、ノトラからは偏見の目を向けられる。


「一体、何から発想を得ればそうなるのかな。それは汗臭いだけの手だよ?」

「いやいや、割と甘くていい香りがしているぞ? ほら、嗅いでみるといい」

「そんな子供みたいなことを言って臭いものを近づけられても困るよ!」


 考え無しにやっているわけではなかったのだが、ノトラのすげない物言いに浅間は説明の機会を失うのだった。

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