第4話 浅間の始まりから今へ ②

 彼は自分の胸元から手の平に収まる水晶を取り出す。それには光が宿っていた。湛えた光は浅間にかざされると僅かばかりに光を増す。

 その現象をしかと確かめると頷いた。


「健康診断とやらで集めた血の反応とも相違ない。実務もおおむね好評と聞いた。本当はかような人間がもう幾人かいれば良かったが……」


 悩ましそうに彼が天井を仰いだ瞬間、水晶の光のおかげで顔が見えた。銀色の頭髪に長く尖った耳と、まるで物語に語られるエルフだ。

 浅間と目が合ったことを悟ったらしいエルフは天井を仰ぐのをやめ、息を吐く。


「要らぬ痕跡はもとより残す気はないので、どうせ処理はするか。折角なので上司殿に率直な意見を聞こう。もし何らかの重大な疾病が発生した場合、この男で対処可能だと思うか?」

「ううん? 言っているものが何を想定しているのかがよくわからないですね。あなたは農林水産省が実施する防疫プログラムの選抜者の面接担当だとか――」

(農林水産省が実施する防疫プログラム……?)


 随分と大仰な研修でも絡んでいるのだろうか。

 感染症に関する知識を増やすため、県内の研修ではなく、国立の施設――農研機構の動物衛生研究部門という高位の研究機関で二週間という短期、もしくは半年という長期の研修を受ける場合もある。

 そういう類の話だろうかと浅間は首を傾げた。


「通常の病理解剖やその場での採材、基本検査なら彼にもできますし、防疫演習通りの殺処分作業なら獣医師は現場やデスクでの指導員になる。できると言えばできるでしょうが……」

「ある程度は可能であり、指示で人を動かせるか。その辺りが妥協点であろうな」


 そう口にした後、彼はフードを取った。

 やはり透き通るような銀髪のエルフとしか例えようがない。絵画から抜き出したと言ってもおかしくないほど均整の取れた顔立ちの彼は笑みを作る。

 この容姿に驚き、困惑する課長と浅間に対して余裕の顔だ。


「まあまあ、驚くほどのことではない。全ては次に提示する想定のための一要素と考えて頂きたい。その上で私から重ねて質問を」


 全ては盤上の設定。何も驚かなくていいので、まずはシミュレーションをしましょうとでも言うかのようだ。

 何とも胡散臭いというのに、浅間と課長は騙される。

 不思議なことに疑うこともできない。


「私が来た土地に向かうは一瞬でも、帰る時は門が再び開くのを待たねばならない。一人なら数日。複数人ならさらに時を要する」


 まるで行きはよいよい、帰りは怖いの『通りゃんせ』だ。

 男は謎かけの例文のように言葉を続ける。


「その土地に迷い込んだ人がいたが、彼らは再び門が開く前に死病で倒れた。私もこちらで学んでいる最中だが、その知識で言うなら、どうもこの風土病に対する免疫がないらしい。ならば、ごく限られた者を順化させている間に豊富な物資で設備を整え、満を持してから免疫を持つ現地人を指揮させる。そういう動きで疾病を排除したいと考えている」


 その言葉に浅間と課長は顔を見合せた。

 農場での殺処分も県職員に指示を出して動かして対処する。それと似た動きではあるだろう。


「無理ではない、と考えます」

「そうか、なるほど。ご教授痛み入る!」


 応えた課長に向かって、にっと笑顔を見せた男は立ち上がり、浅間の元まで歩いてきた。

 彼は握手とばかりに手を差し出してくる。


「追って通達があると思うが、貴殿にはしばらくの後、ある場所に向かってもらう。まずは三十夜ほど今後に慣らすための“研修”を受けてもらい、本格的に働いてもらうことになるだろう。私はこちらで貴殿の動きを補助することになると思う。名はディートリヒ。よろしく頼む」

「え? は、はあ」


 こちらはまだ何事かも把握していないし、研修に参加希望も出していないのだが、これはどういうことだろう。あまりにも早合点な挨拶なので浅間は合わせるのに時間を要してしまった。

 仲間でも見るかのような彼の明るい表情にはどうもついていけない。

 そう思っていたところ彼は砕けた表情へと変わる。


「ところで貴殿、美女は好きか?」

「まあ、人並みに好きだとは思いますが……?」


 別に美人局にかかったこともないので恨んだ試しもない。

 この質問にどんな意味があるのかはわからないが、とりあえずキャバクラに行こうと引っ張り回してくるおっさん然り、嫌な予感がしてきた。

 表情を引きつらせて答えていると、彼は肩を掴んでくる。


「喜べ、貴殿に付くのは美女だ。役得だぞ。私が仕える王も言っていた。美女は人生を華やかにすると!」


 どこの時代、そしてどこの誰だ、その王とやらは。

 役得に思える要素が一つも感じられないのが不思議だ。

 農林水産省の偉い人疑惑があるのでツッコミを口に出さないが、それでも限界を迎えてしまいそうだ。


「さて、ひとまず貴殿はいずれ“研修”があるとだけ記憶してくれ。あとの者は私のことをいなかったものと忘れて欲しい。では、失礼する」


 ディートリヒと名乗った彼はそう言うとフードを再び被り、指を弾いた。

 記憶はそこで霞んでくる。




 

 ――そんなことがあった気がするのを思い出しながら、浅間は不幸に見舞われた。

 時は二月。“研修”の一ヶ月前に何故か自衛隊の施設に案内され、理由もわからないままに様々な基礎訓練を受けさせられた。


 おかしい。絶対に妙な事態だ。

 けれども何だかよくわからない使命感が後ろ髪を引くせいで逃げることもできず、『新しい防疫演習は一体どんな職員を求めているんだ!?』と混乱で頭がおかしくなりそうだった。


 そして、三月になって例の“研修”とやらがあると農研機構の一室に連れてこられたのだが、目の前の光景はどうだ。


 入れと言われた部屋は真っ暗。

 背を押した銀髪の職員――名前は何故かディートリヒと思い浮かぶ誰かに『ここで合っています?』と問いかけようと振り返ったら、摩訶不思議。ドアが消失した。

 目を疑いながらも視線を前に戻すとパッと照明が灯り、目の前には二人の少女が現れた。


 銀髪をポニーテールに結った少女は一歩前にいる。きりりと凛々しさが灯る瞳をこちらに向け、何かの使命感に燃えた様子で近づいてきた。


「あなたがコトミチさんですね? 私は魔狼の巫女、スクナと申します。誠心誠意お仕えするので、この世界の死病を解決するため、どうぞよろしくお願いします!」

(……ヤバい女一号)


 そういえばここ一ヶ月、嫌なことが絡む案件では銀髪のディートリヒを見たような記憶が走馬灯のようにフィードバックしている。

 偏見ではあろうが、それと同じ銀髪な上に飛び出す単語が理解不能な点が怖い。


 彼女はハッと何かに気付いた様子で振り返り、もう一人の少女に手を向けた。

 褐色の肌にエスニックな装い。陸上やバスケットを嗜む学生のようにスポーティな健康美が溢れる子だ。

 スクナはそんな彼女を元気よく紹介してくれる。


「彼女はノトラと言います。役割は護衛です。細腕ではありますが、強い固有魔法を有していて湖の脅威なる大蛇ラーガルフリョゥツオルムルさえ殴り倒したという腕前なんですよ」

(……ヤバい紹介のされ方をした二号)


 はてさて、どうしたものか。

 ちょっと現実についてこられなくなってきたので、考えている風を装って口元に手を当てた。


 ノトラと呼ばれた少女は愛想よく笑って手を振っている。

 スクナと名乗った少女はこちらがいつまでも答えないので、「あの……?」と首を傾げている。


(研修とやらを拒否して、異動希望についてどうなっているのか確かめたいな……)


 浅間は現実を把握することはひとまず捨て置き、明後日を見つめるのだった。

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