第17話 調査結果が返ってきます

 異世界に配置された家保は中身だけなら非常に質が高い。

 病原体の扱いや解剖まで請け負うこともある施設ということで高圧蒸気滅菌機オートクレーブはもちろんのこと、現代では置かれなくなった焼却炉もある。

 また、この世界を汚染しないようにと排水の浄化装置のほか、自家発電装置についても備えられているために日本と何ら変わらない仕事ができていた。


 違いがあるとすればデスクに備えられた電話で内線通話するのではなく、パソコンを介してヘッドセットで連絡を取ることだろうか。

 門をできるだけ使わないようにするなら、いちいち回線を引っ張るのではなく電波でやり取りした方が情報を圧縮できるのでは? という考えらしい。

 実のところ、それは大正解だったようだ。


『いやはや、貴殿の働きには感銘を受けた。こちらの研究員も貴殿の指摘があって気付かされた様子だ。上司殿の指摘通り、優秀なのだな』

「評価されるのはありがたいですが、それは買い被りです。偶然、友人から猫やフェレットの精油中毒の話を聞いたことがあるだけで、動衛研の研究者や一般の公務員獣医師と同じく専門外です。あくまで公的機関で固めるなら、大学教授もチームに入れた方がいいと意見書を送りたいレベルです」


 通信相手は諸悪の根源、ディートリヒだ。浅間はため息を堪えて意見を述べる。

 この世界ではダチョウのような巨大鳥の飼育が割と盛んと聞いた。

 鳥インフルエンザ関連の延長でダチョウを相手にするようなものだ。それならまだこじつけとして納得できるが、どうなのだろう。

 カピバラのような食用巨大ネズミの扱いを求められたらかなり困る。


『動物の医療の専門家とは聞くが、そうなのか。これ以上、同志の仕事を増やすのも何だ。聞きはしたので、こちらで課長殿や主幹殿に要請の仕事を投げておこう』


 志を同じくしたつもりなんてないのだが、彼はやたらと同志と呼びたがる。

 生命線である日本側にいる上、得体の知れないディートリヒに下手を言う気はない。仕事遂行の上で邪魔にならないのなら喜んで応じるだけだ。


『ところで、コトミチ。私は貴殿の同志であり、同僚だ。おもねる態度は必要ないのだが?』


 画面越しの彼はそう言って胸に下げた社員証を持ち上げる。

 そこに記されているのは技師――家保における平社員の役職だ。

 それを目にしてもこちらの表情が変わらないのを認めると、ディートリヒは息を吐いた。


『いいだろう。では黙して語らぬ貴殿相手にひとりごとを聞かせよう』

「この門、浪費は避けるべきなんじゃないんですか?」

『いや、なに。酒類のような貴殿への嗜好品を削れば余裕――あ、待て待て。麦酒ほんの一本分程度の話だ』


 当初こそ日本から飲食物を供給されていたが、こちらの世界に体を順応させるためという名目で配給は徐々に減っている。

 今や酒類や調味料程度が送られてくるくらいで、あとは仕事道具やこちらからのサンプルや献体の送付をしているだけだ。


 こちらの世界に余計な影響を与えることは日本としても避けたいらしく、基本は滅菌した物品しか送られないし、酒も量を減らせるようにと蒸留酒くらいしか候補に挙げられない。

 炭酸ガスの配給による自作ハイボールが関の山だ。酵母入りの生ビールなんて許されない嗜好品なのだが、それでストレス管理をしているつもりなのだろうか。


『説明や人員不足から来る貴殿の不信も理解できる。情報をあまり与えずに貴殿をそちらに送ったのは我が術に抵抗されるのを恐れたが故だ。知られれば知られるほど効きにくくなるのだよ。こちらとしても事態が切迫していて、余裕がなかったのだ。そちらの施設建設、備品の拡充。そして貴殿。少なくとも魔狼を治療できるまでは余裕がない』


 この施設はところどころが木造だったり、鉄筋コンクリートではなくモルタルだったりする。全ての物資を日本から輸送しては施設を完成するのに時間がかかりすぎるので、必要最低限に留めたのだろう。


 魔獣が死病を患えば、領域外から魔物が進出してくる。

 その魔物がどれだけ活性化し、防備がどれだけ疲弊しているのかはわからない。そんな背景なので急ぐ必要がある上、失敗するわけにもいかなかったのは理解できる。


(失敗か。俺が聞き分けなかったらどうするつもりだったのやら)


 ここまで法外なことをしているので人間一人の命なんて安かろうと、従ってきたわけだがどうだったのやら。

 小さく息を吐いていると、ディートリヒはじっとこちらの顔色を見ていた。


『そちらに送ればどうとでもなるという考えでもないのだ。貴殿は三十夜ほどこちらの軍隊で訓練をしたが、内容はおぼろげにしか覚えていないだろう? それと同じだ。術で操っても経験は活かしきれない。だから自分の意思で協力をしてもらう必要はあった』


 流石はエルフ。長命故の経験則で感情を読んだのだろうか。

 下手にだんまりも心証が悪かろう。浅間は口を開く。


「ええ。仕事はちゃんとするので適切に援助はお願いします」

『もちろんだとも。その領域を守るため、貴殿には無理をさせた。心地よく働くために必要なものは公私問わず巫女にでも伝えるといい。手始めに今回の穴埋めとしてはそちらの良い酒でも紹介しよう』

「それはありがたく受け取ります」


 いろいろと悩ましくはあったが、設備は適切に揃えられている。

 彼らとしてもこれが苦肉の策だったのだろう。それについてはもう、致し方ない。今後の扱いで返してもらうとしよう。

 そのためにもギルドの件などは早めに通してもらえると助かる。


「では、こちらがもらったクアールと魔狼のデータを見て治療にかかろうと思うので切ります」

『待ちたまえ。最後に伝えるべきことがある』

「何か?」

『同じく選ばれた者として断言しよう。何があろうと、貴殿の命は保証する。そして、無理を強いたのは私や君の国の権力者だ。周囲の者は関係ないと思ってほしい』

「選ばれた……?」

『その話は追々語るとしよう。こうして話していても門は空気の流入を起こす。仕事道具まで削る事態は避けたいところだ』


 今はまだ語るべきではない。そんな空気を漂わせる顔だ。

 通信が終わったところ、浅間はぼやく。


「絶対に裏があるな。調べて保険をかけておかないと」


 危険なお役目に選ばれるというだけなら意欲のある優秀な人間でも選ぶことだろう。一体何がどんな基準で選んだのやら。生贄や人柱的な意味合いがあっても困るところだ。

 送ってもらったクアールや魔狼の分析結果をまとめた浅間は頭を掻きながら立ち上がる。


「ひとまずはクアールの治療だな。反応を見つつ朝まで経過観察して、展望が見えてくれば各所に報告しないと」


 交通がほとんどない一部地域とはいえ、封鎖していることには変わりない。治療が功を奏し、中毒であると確定すれば狩人などにそれとなくクアールの様子を見てもらうことも可能だろう。

 午前中に検査し、現在は夜。これは夜通しの作業となる。

 浅間はため息を吐きつつ、スクナの姿を探すのだった。

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異世界獣医の治療記録 ~魔獣保健衛生所のお仕事~ 蒼空チョコ @choco-aozora

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