クアールの痙攣

第1話 スクナの始まり

 

 時は遡り、約一年前のこと。スクナはある神殿に足を踏み入れた。


 硬い岩盤を掘って作られたというのに多少風化の痕跡が見えることからして相当に古いだろう。

 深みに進むと岩盤の道は岩とも金属とも判別がつかない妙な素材へと移り変わり、開けた空間に出た。そこには幾枚もの通信鏡が配置されている。

 それらはぽつぽつと起動を始めたが、全てに光が灯ることはない。参列は徐々に減っていくばかりで、新たな顔ぶれが加わることもまれだ。


「そろそろ集まったでしょうか。皆さん、お久しぶりです」


 この会合に並ぶのは各地の魔獣に仕える一族、民主的に選ばれた賢王、武力でのし上がった覇王など様々だ。うら若き乙女が参列したところで浮くことはない。

 けれども腕を組む人物がいる。参列者の中でも最大級の領域を統治する覇王だ。


『余の玉音を待たぬとは慣習を忘れたか、魔狼の巫女よ』

「忘れてはいません。私からお耳に入れ、願い出なければならないことがあったので口を開かせてもらいました」

『ほう?』


 スクナが伝えようとする内容は自然と伝わった。聴衆が動揺を示しているのが何よりの証拠である。


「お察しの通り、私が仕える魔狼は死病を患った可能性が高いです。症状は水に関するもの。外を歩くだけで水に取り巻かれたり、自身の腹にも水が溜まったりと食事も喉を通らず、見ていて痛ましくて堪りません。今は私の能力で固定して現状維持をしていますが、それは対外的に死と変わりません。魔物の抑制もいずれ効果を失います」


 死病とは人も含めて多くの生物が発症する奇病だ。

 症状的には魔法の暴走とでも言えばいいだろうか。力を徐々に制御できなくなり、最終的には火に巻かれたり、爆散したり、石化したりと様々な末路を辿る。


 体が弱った時、幼い時や年老いた時に発症しやすいなどと言われているがどれだけ定かかもわからない。

 現状、確かなのは領域を守護する魔獣がその病で死んだ場合、荒野に蔓延る魔物の領域侵入が活発化して住民は滅亡するしかないというだけだ。

 形を問わず、死を呼ぶ病。故に死病と呼び称されている。


 また一つ領域が消えるのか。移住は困る。自分のところもいつか……と、ざわめきが広がるばかり。世界はこうしてゆるりと滅亡に向かっていく。それが近年になってまことしやかに呟かれていることだ。

 しかし、それを甘んじて受け入れるつもりはない。ここで死を待てば数万の領民も死ぬこととなるのだ。スクナは毅然として声を発する。


「そこで皆さんに提案があります。魔狼は私に門を開くようにと命じられました。異論がなければ、是非に許可をください」


 問いかけると様々な呟きが漏れたものの、結局は一つの場所に視線が集まる。それは覇王の元だ。


『我が領域の魔獣による異世界の門か。気分屋故、応えるかは知らぬが呼びかけるだけであれば問題はない』


 この力こそ、彼の領域が最も栄えている理由だ。

 魔獣の守護が届く領域でしか生きられない関係上、動植物が死に絶えることは多い。

 そんな時は異世界の門を開いて新たな動植物を呼び込み、種を広げたという歴史がある。もちろん良い影響ばかりではなく、異世界の病を呼び込むというギャンブル的な側面もあるが、緩やかな死を待つ土地なら今さら恐れる事態でもない。


 奇跡的な引きがあれば他の領域にも利する可能性があるだけに反論は薄かった。


『して、巫女よ。伝えるには伝えるが、何を喚ぶ? 知っての通り、門は制約が多い。知性を持つ命ならばひとたび通れば数日は門が開かない。物体でも巨木を運べば同様だ』


 無限に物を通す門を創造できるのなら、それによって異世界に移住する手段も考えられただろうが話はそこまで簡単ではない。

 異世界の門では何かを手に入れられても、それで自ら状況を変えるしかないのだ。

 スクナは答えとして、懐からくすんだ色の水晶を取り出す。


「それについては魔狼から〈天命の輝石〉を託されました」

『あの死を奪う石とやらか。実在するものとは思わなんだ』


 覇王は鏡の向こうで唸る。

 この石に適合した者の血を含ませておくと、不慮の事故があったとしても適合者を蘇らせる力があったと聞く。そうして何度でも蘇る勇者が凶悪な魔物を倒すという御伽噺は誰しもが聞いたものだった。


『それに選ばれし勇者をけしかけて物事を解決させたとの話であったか。それこそ信用ならぬな。その石が何の輝きも持たぬのが証拠だ。力のみではもうどうしようもない事態に陥っていると伝説が語ってくるようではないか。我が魔獣が繋ぐ世界は豊かだが、貧弱。この世界以上の勇士が存在するとは思えぬ』

「だからこそ、力とは別の可能性を外に求めよ。魔狼はそういった意味を込めて私にこれを託したと考えます」

『……ふむ。まあ、よかろう。これ以上は大いなる獣共が決めることだ』


 覇王とはいえ、魔獣を手懐けているわけではない。信仰の対象として崇める者が多く、最も軽い態度でも友人レベルだ。

 ここに並んでいるのも魔獣という土地の守護者の代理という側面が強い。


『他に貴様が求めることはあるか?』

「はい。護衛と見張りのため、流浪の民より手練れを一人雇いたいと考えます。あとは皆さんが求める限りの監視には応じたいと思うので仰ってください」


 魔獣の病の真偽や異世界の門の不正利用など、他の領域からしても疑いたくなることではあろう。調べられて困ることもないのでスクナは正直に受け入れる構えだ。

 そこで議論は途絶えた。鎮まったところで覇王が最後の決を採る。


『皆の者、異論はないか?』


 どこの誰もがいつ自分に病魔が忍び寄るとも分からない恐怖と戦っている状況だ。反対意見が噴き出すことは終ぞなかった。

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