第2話 ノトラの始まり
この世界には、魔獣という強大な力を持つ生物が点在している。その力は天変地異にも匹敵し、一瞬で山を崩し、地形を変え、奇跡さえ起こすとの話だ。というか実際、そのレベルで暴れる様を見た人間もちらほらいる。
だが彼らは力を持っていても暴君ではない。
人以上に賢く、そして長寿なために共に生きる者や環境の大切さを理解してくれているようだ。
そうしてかの魔獣の領域に住まうことを許されたのが領域の民。
その環境で罪を犯したり、死病で故郷が滅んだり、口減らしをされたりして領域に住めなくなった者を流浪の民という。
ノトラもその一人だ。
先祖はどこぞの領域の魔獣に仕えていたらしいが、死病で滅んでからは流浪の民に合流して各地を転々としてきた。
主な稼業は傭兵、領域間の物資運搬。本日は覇王と門の魔獣が統治する豊かな領域で鶏を預かった。十二になる弟と自分を含め、六人の隊列で台車を守って歩く。
領域間は
その理由は、魔物だ。
「姉上ぇ、せめて荷台に乗らないでください。重い……」
「んんー? ウチの仕事は戦闘だからね。この程度は修行と思って耐えてもらわないと」
「行軍が遅くなったら余計な負担でしょう!?」
「ふふー。がーんばれ! がーんばれ!」
けたけたと笑いながら台車の手元に近づき、弟の頬を突く。今までは台車の持ち手に少し体重をかければ平行に安定していたが、こうして移動すれば一人分の体重を持ち上げないとならない。
恨みがましい目を向けながらも文句は言わないところを愛らしく見ていたところ――ノトラはつと視線を外した。
「戦闘準備。いつものことだけど、魔石には触れるな!」
了解、おう、うっすなどと短い応答が返ってきた。
にこやかにしていたところ、状況は一転する。
台車の前後に一人ずつ。三人はそれを囲んでフォローできるように。ノトラはその身に獣の外装を展開して待ち構えた。
まず右方にあった斜面に潜伏していたであろう狼が牙を剥いて跳びつかんとしてくる。
これは陽動だ。前方からは狼の群れが走ってきている。こちらにかまけていてはあちらに群がられて食い殺されるだろう。
「手頃な弾をどうもっと」
飛びかかってくる最初の一頭を掴まえると、前方の狼に放る。狭い道なので群れは足止めされ、左右から溢れた僅かな個体が迫ってきた。
だが、雑兵もいいところだ。殴り飛ばしたり、一頭を掴んで複数頭をまとめて地面に叩きつけたりすればあっという間に撃退完了である。
放った狼によって転倒した集団も手隙の仲間が弓や槍、魔法を放ってトドメを刺し終えたところだ。この程度の質と数ならどうということはない。
魔法も用いないし、身体能力も低い。最下級の魔物だろう。
魔物の体はぶしゅうと黒い霧を吐いて崩れる。寄せ集めたかのように汚い肉塊と、その中には結晶体が埋まっているのが見えた。
これが魔石だ。
今現在も触れている肉を脈動させ、元の形を取り戻そうとしている。
「はいはーい、お前たち。土にも触れさせずにさっさと魔石を焼いて処分するように! 炎よ、焼け」
ノトラは自らも手をかざし、前にしていた肉塊に火を放つ。それによって肉と共に魔石が焼け、灰となって消えた。
魔石とは魔物の核だ。これが触れると植物でも、動物でも、土でも浸食して魔物化させる。砕いて散らすと土壌を汚染し、そのうち何らかの形で魔物化する。だからこうして灰にするしかない。
恐らくはこの荒野全てが魔石に汚染された土地で、狼の魔物だった肉塊も元は何らかの生物だったのだろう。希少な野生動物か、荒野で死んだ流浪の民かは知らないが、哀れな末路だ。
「姉上、行きましょう」
自分たちの末路のように思って寂しげに見ていたことを弟は察したのだろうか。
これは愛いやつである。なんとなく喋る気力がまだ湧いて来ないので、猫みたく頬を擦りつけて応答しておいた。
迷惑そうに「ちょっと……」と身を引かれたのは心外である。これでも銀を山と積んでも抱きたい美姫と謳われているというのに。
まあ、容姿だけに惹かれて身請けしようという輩は下心が見え透いているので願い下げなわけだが。
「あ、そうそう。実は今度、魔狼の巫女が関わる大口案件で呼ばれていてね。一つ二つの季節くらい留守にするよ」
「えっ、そうなんですか?」
こくりと頷いて返すと、弟は眉を寄せた。
複雑そうな顔だ。これは不安と心配だろうか。
「……連絡は寄越すよ。その間は気を付けて」
自分一人が生きるのならば、やりようはある。だが、どうせ身を売るならば弟や血縁くらいは良い暮らしに戻してやれるようになりたいものだ。
特に彼らは自分と違って固有魔法を習得していない。
魔法は呪文を唱えれば誰しもが使える共通魔法もあるが、大抵は低威力で用途も限定的だ。駆使したところで弱い魔物と競い合うのが精々。
一方、固有魔法はピンキリで、ノトラの場合は強力な魔物であろうと大抵は屠れる自信がある。彼らを放って生きるのは、見殺しも同然の気持ちになるのだ。
いや、もしかすればいずれあの狼の魔物みたく自分の手で殺めてしまうことにもなるかもしれない。
だから大口の仕事は歓迎だ。人徳者の目に留まって、自分を高く売れる機会に漕ぎ着けられるならなおのこといい。
ノトラは弟の頭にぽんと手を乗せると、再び荷台に腰を掛けたのだった。
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