第13話 恐らく治療に風呂が必要です

 この世界の家畜保健衛生所――家保がある場所は領域の中心地にある魔獣の住処だ。草原と湖があり、丘に家保と施設内に日本と繋がる門が設置されている。

 ギルドを始めとした施設の多くはそこから西に十キロほど離れた街にあった。

 人口は三千人程度ではあるが、この領域では最大の街である。


「コトミチ、歩けるー?」

「ちょっと待った。一度くらい吐けば、まだ……」


 途中でノトラが影から引っ張り出した飛竜に騎乗して飛行したのはほんの十分程度の話だ。船の揺れに慣れていればそこまででもないのだろうが、そういった経験の少ない浅間としてはダメージが大きかった。

 街の外の目立たないところでしばらくしゃがみ込んでいると、ノトラは背を撫でてくれる。


 しかしこうして時間を浪費していては別行動をした意味がない。そこそこに切り上げ、件のギルドに向かった。

 そこは割と巨大な施設だ。

 見かけのイメージとしては宿と酒場の合同施設である。


 並んだテーブルでは刃物の手入れをしつつ会話をしている男女や単に食事をしている者など様々だった。斡旋場という名に相応しく、不動産屋の壁のように張り出された依頼書を見ている人も幾人かいる。


「宿を出入りしているのも狩人や戦士っぽい人が多いな?」

「そうだね。ここには領内に生息するクアールみたいな幻想種の討伐や、領域外で暴れる魔物の討伐が依頼される。強ければ防壁の衛兵として雇われるより、フリーランスで働いた方が稼ぎもいいんだよ。だから厄介な魔物が出た時は衛兵が補足、時間稼ぎをしてこちらから人が派遣されていくのがいつもの流れになってる」

「なるほど。わからんでもないな」


 この領域は魔獣が作り出したという岩壁に囲まれており、東西南北に出入り口となる切れ目がある。そこには要塞が作られており、兵士や役人が勤めているらしい。


 ともあれ、そんな雑談よりは目的が優先だ。

 元よりそのつもりで動いてくれているのだろう。ノトラは真っ直ぐに受付に進んでいく。

 そこでは受付嬢と猫耳の女性が談笑していた。


「あら、ノトラさん。いらっしゃいませ。また依頼を受けに来てくれたのですか?」

「今回は別件だよ」


 彼女も四六時中、事務所にいるわけではない。スクナが魔法で全方位を囲ってしまえば外部から何かをされる心配もなくなるので、ちょくちょく暇をもらっていたようだ。

 その時に何をしていたかといえば、ここで小銭稼ぎだったのだろう。道理で周囲から視線が集まり、猫耳の女性も目を見開いているわけだ。


「ほら、コトミチ。例のやつもいないようだから、今のうちに早く」

「おっと、そうだな。受付嬢さん、実は聞きたいことがありまして。自分は北壁の役人からクアールが不調になっているという知らせを聞いて、調査と解決を依頼された者です。こちらでクアールの討伐を引き受けた人は今どこにいますか?」


 ノトラの顔だけが身分証明と言い張るには押しが弱いだろう。浅間は役人からもらったクアール討伐の担当者リストを手渡す。

 これはこのギルドの資料であり、役人に提供したもののはずだ。

 それを目にすると受付嬢も状況を察して頷く。


「それでしたら、ちょうど横にいる彼女がその一人ですね」

「あ、どうも……。確かに狩りましたけど、え。まだ何か聞かれることが?」


 女性は受付嬢とこちらを交互に見ている。

 一応、身内に不手際がなかったかどうか内部での調査はしたのだろう。


「彼女から聞いた話も含めてお話するのであれば一度、ギルド長に話を通してきますのでお待ちを――」

「ああ、待ってください。まだそんな大仰に話をする段階ではないんです。ただ、討伐した人たちの体調が心配で見にきただけですから。話については結果が出てから改めて申し込ませてもらうと思います」


 浅間は席を立とうとする受付嬢を呼び止め、ウェアキャットの女性を見つめた。

 人間の女性に猫の耳と尾が生えた容姿というだけで、体毛などはほぼ人間だ。ということは生態的な特徴もほぼ人間と同じなのかもしれない。

 装備に関しては身軽なものを着ているものの、周囲の戦士ほど鎧で固めていないし、剣も帯びていない。短刀や杖を所持しているだけだった。

 そんなところをまじまじと見つめていると、彼女は困惑して身を抱く。


「あ、あの、私に何か?」

「体調は別に悪くなさそうだなと見ていました。もしかしてあなたは魔法使い……後衛なんですか?」


 漫画での典型的な魔法使いしか思い浮かばない浅間としてはそういう戦闘スタイルもあるのだろうかと不安混じりに問いかける。

 その判断は間違いなかったのだろう。ノトラは頷いてくれているし、女性も首を縦に振った。


「少し違うけど、似たようなものですね。私は魔法があまり強くないから敵の発見や拘束中心で働いていますし、臨機応変な立ち位置です」

「ありがとうございます。ちなみに人とドリアードの同僚さんはどちらにいますか? 猫っぽいあなたが一番心配だったんですけど、そっちも確かめておきたいです」

「それについて今愚痴っていたところなんですよー。いつもなら仕事が終わってお金が入ったらパァッと飲むのに、リーダーは疲れたから寝るとか言うし、ドリィの方はあいつとデキてるからそっちに付き合うって言うし! ……あ。この際、お兄さんでもいいや。ねえ、これから暇はない?」


 ドリィというのがドリアードの方なのだろう。リスト的には人間の男性と、ドリアードの女性だったはずだ。

 少し見つめ返されたと思ったら、ウェアキャットの女性はにっと笑って寄り付いてきた。一杯の酒付き合いとしてお眼鏡に適ったのだろうか。


 残念ながらそっちに構っている暇はない。

 『いつもは飲む。疲れたから寝る』なんて気になる発言を聞けば、ますます放っておけなかった。


「すみません、その男性の方から案内をしてもらえますか? できるだけ早めでお願いします」

「は、はい。体調の確認程度でしたら問題はありません」

「ちょっとぉー、聞いてないのぉー!?」


 ここでもすげなくフラれるのは嫌なのか、ウェアキャットの女性は浅間の腕を掴むと自分の胸にぐいぐいと押し当ててきた。ほら。ほら、これならどう? と顔が挑戦的な女の顔になっている。


 なるほど。大変魅力的な誘惑だ。

 だが、こんな一時の誘惑と今後の評価に関わる案件ならば判断に迷うことはない。自分の身の安全確保が第一である。


「すみません、また今度で」

「あぁーん、もうっ!」

「は、はい。ご案内しますね」


 腕をするりと抜いて受付嬢に頷きかけて案内を促すと、彼女は先導して歩き始めた。併設されている宿の一室に向かっているらしい。

 それと同時、持たされている通信鏡から『コトミチさん』と呼び声が漏れた。

 これは携帯電話よろしく持たされた道具だ。事務所に設置された役人との直接通信と同じようなものである。


『言われた通り、検査室で機械を動かしました』

「ありがとう。そしたら血球計数装置とドライケムの数値を見せてくれ」

『ええと、この数字でよろしいでしょうか』


 スクナにはここまでくる間に指示をして血球の数と血液成分を調べる機械を動かしてもらっていた。

 それぞれ体調が違うクアールの数値を比べてみると、やはり体調が悪かったものだけ肝臓の数値が悪化しているようだ。それ以外には白血球などの数値に関してもあまり大きな差はない。


 これはなおのこと疑いが強まった。

 ならば対応の準備も必要だろう。


「スクナはこっちに来てくれ。あと、受付嬢さんとノトラに聞きたいことがある」

「ん。まだ何か?」

「はい、なんでしょうか?」


 一応、クアールの生息地という危険地帯に踏み込む予定だったので応急処置セットや採材道具の予備は持ってきている。このほかに必要そうなものはと思考を巡らせた。


「この近くにすぐに入れる風呂はありますか? なければ調理場の湯でも確保できるといいんですけど」

「――はい?」


 体調の確認などから何故そんな話に飛ぶのかと、ノトラと受付嬢からは疑問声を返されるのだった。

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