episode1 時が止まった少女と花を育てる少女

わたし、アンナは、そっと001号室の扉を叩いた。

腕に抱えているのは、アルベルタからもらった金平糖だ。


「………リリア」


やっぱり、部屋の中から返事はない。

アルベルタに負けず劣らず早起きのリリアのことだ。もう起きていると思うんだけど。


「起きてるんでしょ?」


『………アンナ』


「開けるよ」


リリアの声を半ば無視して、わたしは病室の扉を開いた。


中は暗かった。

カーテンは閉めっぱなしで、雨のせいもあって差し込む光はなく、ぐちゃぐちゃのシーツがぼんやりと輪郭を見せている。

リリアは、ベッドの上で体育座りをして、両膝の間に顔をうずめていた。


「リリア」


「………」


「リリア、許可なく入ってごめんね。でも、ちゃんとノックはしたのよ?」


「……アンナ、帰って」


リリアはくぐもった声でそう言ってから少し間を開けて、ごめん、と付け足した。

わたしは薄く笑って、リリアの隣に金平糖が入った袋をとすんと置く。

綺麗で色とりどりな金平糖が、袋の中で輝いている。


「あのね、今朝、雨が降ってるの。知ってた?」


リリアがふるふると首を振った。

よかった。お話に付き合う気はあるみたい。


「それでね、アルベルタがお母さんの事思い出しちゃったらしくて、泣いちゃったのよ。毎回のことだけど、大変だよね」


「………そうね」


「その金平糖、アルベルタからもらったの。アルベルタの奇病が進行しちゃうのは悲しいけど、金平糖が美味しいのは別問題だよね!」


「………」


「今度、先生に言ってお外から取り寄せてもらおっか。ねぇ、リリア?」


「……許可、もらえるかしらね」


「先生は、わたしに甘いからね!」


うふふ、と一人で笑う。

リリアはなかなか笑わない。

最近、リリアと仲が良かった子が、一人死んじゃったから。


たまにリリアはこうして思いっきり落ち込む。お友達が死んじゃったとき、ここを出ていったとき、家族の事を思い出したとき。

そのたびに思いっきり落ち込んで、思いっきり泣いて、復活する。


でも、こんなに長引くのは、リリアにしては珍しい。


「ごめんね……アンナ」


ふと、リリアが息を吐くようにして言った。

わたしは首を傾げて、聞き返す。


「何が?」


「わたし今、うまく笑えないわ。心配してくれてるのに」


ごめんね、と、またリリアが言った。

今度はわたしが首を振る番だ。


リリアは少し笑って続けた。

でもそれは、自分を嘲るような微笑みだった。


「みんな、みんな死んでいくわ。……わたしを置いて、みんないなくなる」


「リリア……」


「死にたい、って、時々思うのよ」


わたしは反射的に肩を上げてしまう。

リリアはゆっくりと顔を上げた。泣きはらしたのだろう。目元が赤く腫れている。


「わたしは歳をとれない。これから先も、もしかしたらずっと。その間にも、時間は止まらずにみんなをさらっていくの。わたし一人を置いていく」


「………っ」


「これからもそうなら、ずっとそうなら、もういっそ、ここで死んでしまいたい。これ以上苦しいなら、今ここで。そう思うのよ」


そう言うと、リリアはわたしに微笑んだ。

無理やり作ったような笑顔だ。


「……ごめんね、アンナ。忘れて。どうかしてたわ、わたし」


その笑顔が痛いというほど語る。

リリアは、わたしに心配をかけまいと無理をしていた。

また一人の世界に潜るつもりでいるのだろう。


「リリ、ア」


「そんなこと思ってないわ。思ってない。わたしは大丈夫」


次の瞬間。

わたしは、思わずリリアを抱きしめていた。

リリアは驚いたように言った。


「アンナ?」


「いいよ」


リリアが息をのむ気配がした。

わたしは構わずに、叫ぶように言った。


「わたしは止めないよ。それがリリアの決めたことなら、わたしにその資格はないもの。でも、これだけは分かって欲しいの」


「………っ」


「わたしはっ」


残っている左目から、涙が溢れ出してリリアの肩に滴った。


「リリアに………幸せになって、欲しかった」


抱き着いた反動で、わたしの腕に咲いていた花がハラハラと一枚の花弁を散らす。

リリアが目を見開く気配がした。


「生きて……生きて、生きて生きて、それで……っ、普通に生きることを、諦めてほしく、ないよ」


泣きじゃくるようにして言い終えたわたしを、リリアがそっと抱きしめ返す。

戸惑っているような力加減が伝わってくる。

触れた手がじんわりとした彼女の体温を感じ取った。


「馬鹿ねぇ」


涙で震えた声がした。

少し笑っているようでもあった。

光を帯びたような優しい声音に、わたしは安堵で体から力が抜けていくのを感じた。


「約束、したものね」


あの日の、約束。

わたしが死ぬまでそばにいるという、約束。

なんて残酷なことを約束させたのだろうと、今になって思う。


それでも、リリアを守りたかったのだ。

傷つけてでも、生きていて欲しかった。


「ごめんね、リリア」


こんなのはエゴだ。

傲慢で自己中心的な、守り方だ。

分かっている。


「許して……そばにいて」


わたしを抱きしめるリリアの腕に、力がこもった。

おかしそうに笑う声が耳元で鳴った。


「ええ。そばにいるわ。ずっと」



ああ、また。


わたしは彼女を傷つける。

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