13号室―死神病
「君は、神を信じるかい?」
私の問いに、少女は満面の笑みで首を縦に振った。
いつも、私が上半身だけ起き上がらせる形で寝ているベッドの傍らで、幼いその少女ルーシーは楽しそうに話を聞いてくれる。
私はさる事情から部屋に閉じこもりがちで、薄い布で両目を隠して生活している。
私のような不自由な老人にとって、こうした訪問者の存在は少々わずらわしくもあり、同時に嬉しくもあった。
「神様はね、いつもわたしたちを助けてくれるんだよ」
「君は自分の腕を見ても、そう思うのかい?」
少しいじわるな質問をしてみる。
ルーシーの片腕は確かに人間の腕だが、もう片腕はつた状の植物と化していた。
これが彼女の奇病らしい。
ルーシーは、それでも迷いなく頷いた。
「うん。神様は、いるよ」
私は思わず苦笑する。
子どもというのは、なんと強いものか。
暁病棟の子どもたちは、皆並外れて打たれ強く、諦めが悪い。
奇病のせいでそうなってしまったのだろうか。
否、悲観することではあるまいが。
「では、君の中の神様は、まだ生きておられるのだな」
「わたしの、神様?」
「そうだ。君の神様」
「神様は、一人ではないの?」
「ああ、一人ではない、と、私は思っているよ」
「でも、みんな同じ神様に向かって祈ってる」
空に浮かんでいる白い雲が、青の色を含みつつゆったりと流れていく。
ここに来る患者たちに、よく『この病室は時の流れがおかしい』と言われることがある。
他よりゆっくりとしていて、この病棟のどの場所よりも静かなのだそうだ。
私は軽く首を振って、答えた。
「いいや、私の言う神様は、はるか遠く雲の上からこちらを見下ろす存在ではないよ。自分の心の中に、ひっそりと棲むものだ」
「こころの、中?」
「そう。心の中にひっそりと棲む神様は、誰の心の中にもいる。生まれた時から、平等にね。でも、それを生かすのも殺すのも人自身だ。病棟の外では、その神様を殺した者が率先して『大人』と呼ばれるらしい」
ルーシーが首を曲げて唸るのを見て、私ははたまた苦笑した。
少々この幼く賢い少女には難しかったようだ。
よく考えると、病棟の外より病棟の中にいるほうが、生きた神様を持つ『大人』を見る。この病棟は『神』を生かす場所とでもいうのだろうか。
証拠にとでもいうべきか、病棟の外からより、中から見た空のほうがよっぽど綺麗に見える。
ただ、綺麗になればなるだけ、青という色が残酷に見えてくるのはなぜだろう。
「じゃあ、おじいちゃんは神様を殺して、『大人』になったっていうの?」
「それは違う。私の神様は確かに既に死んでしまったが、私はまだ子供だ」
「何言ってるの。おじいちゃんはもう、おじいちゃんじゃない」
「実年齢は、人の年齢と比例しないものだよ」
「ふーん……?」
ルーシーは足をぱたぱたと揺らしながら、座っている椅子の背もたれにぐっと体重を寄せた。
その様子が私の記憶の中の風景と一瞬だけかぶったが、すぐに首を振ってかき消した。
そう。ルーシーは、あの子ではないのだから。
「……私は、昔からずっと子供だったよ。この奇病が発生して、妻と娘を殺してからも、ずっと」
私がぽつりと言葉を漏らすと、ルーシーはこちらをじっと見つめた。
布で遮られて見えないはずの、見てはいけないはずの私の目を、見透かしているかのように。
私の奇病は『見るだけで人を殺してしまう』病気。
実際には、目を見るだけでその人の自殺願望を肥大化させ、自ら死を選ばせてしまう。
私の家族は、遥か昔に私が奇病を用いて殺してしまった。
最愛の妻も、娘も。
思えば私は幼かった。
ただ自分の幸せを追求するだけで精一杯で、妻を娶り、子を産んで、三人でささやかな日常を送れるだけで幸せで。
その幸福にずっと浸っていたくて。
その瞬間に放たれた悲劇に、私の神様は絶えられなかった。
「奥さんと子どものこと、好きだった?」
唐突に、ルーシーから放たれた疑問だった。
否、疑問というより、確認というようなニュアンスだ。
私は少しだけ迷った。
もうずっと、家族をそういう目で見ていなかった。
ただ自分が「殺した」存在として頭にあった。
私は時間をかけて、ようやく頷いた。
「ああ」
声を発した瞬間、私の中の何かが壊れるのを感じた。
おそらくそれは、存外脆いものだったのだろう。
私の心を覆っていた脆いガラスのようなものが、パリンと音を立てて割れた。
「ああ」
いろんな事が蘇る。
愛しい妻の手料理と、朝起こしてくれる甘い声。
最愛の娘のおかえりという声と、クレヨンで描かれた私の似顔絵。
幸福な時間と、――それを壊したときの記憶。
「……っ」
涙は出なかった。
枯れてしまったのだろうか。
それもそうだ。長い間目をそらし続けたせいで、もう泣き方すら忘れてしまった。
こんなにも自分は、歳をとってしまったのだ。
自らの家族を20年前のあの家に残したまま。
ルーシーは黙り込む私に、そっと言った。
「おじいちゃんは、優しいのね。みんなのことを、愛してたんだね」
ああ。
この子は、大人なのだ。
私の悲しみ――そう表現しても足りないだろうが、一番的確だろう――を見抜き、私の『人間』であった部分を見つけ出した。
いい老人が、幼い少女に助けられていたら、世話がないな。
私は自分に向けて嘲笑した。
「君の神様は、やはり生きているんだな。強い神様だ」
私が言うと、ルーシーは自慢をするように胸を張った。
「そうよ、おじいちゃん! 神様は、いつでも私たちを守ってくださるわ」
『頑張れば報われる』
そういう支えを、人々は神様と呼ぶ。
「おじいちゃんの神様も、生き返るといいね」
ルーシーの言葉に私は若干目を見開いてから、つい「はは」と笑い声をあげた。
「そうだな。いつかな――」
いつか空に昇れば、私はおそらく地獄行きだろうが、運よくあの子たちと会えたなら。
あの子たちは、私を許してくれるだろうか。
否、許しはしないだろう。
それでもいいのだ。
「いつか、また会いたいよ」
私の神様たちに。
――――――
氏名:ジェームズ・リード
病名:死神病
症状:目を合わせただけで人を死に追いやってしまう。布などの障害物を挟めば問題がないことが証明されている。
患者について:20年前に死神病を発症したことで最愛の娘と妻を亡くしており、今は独り身。内気で優しい老爺だが、今は病室に閉じこもりがち。014号室の患者を気に入っている。
(シラシラ様からのリクエスト)
リクエストは近況ノートからお願いします⇩
https://kakuyomu.jp/users/suisen-sakura/news/1177354054894552342
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