7号室ー愛涙病

最愛の弟が死んだ。


最期は、穏やかなものだったように思う。

彼の心臓で回る歯車の音が弱くなっていくのを、深夜の庭園でいつものように二人ベンチに座って聞いていた。

あの濃いバラの香りを忘れる事はない。


私は病室のベッドで数々の点滴に繋がれ、横になっていた。

愛する人の涙を飲まないと数日以内に命を落とす。それが私の奇病だった。

唯一の愛する家族だった弟、セシルの涙。私の延命装置であった彼が死んだ今、私の命は幾ばくも無い。


病室の中には、私のほかに二人の気配があった。

私は、十七年前スラムで生まれ落ちた時から盲目で、光と言う概念を知らない。

しかし、その代わりということなのか、気配を察知する能力が長けていた。


「……ジュリー……」


この声は、リリアかしら。彼女は私の親友。セシルがいなくなって、私がこの状態になってから、ずっと私のそばにいてくれている。

いつもは強気なのに、涙声になってるわ。もしかして、私のために泣いてくれてるのかな。


「泣かないで、リリア」


私が手を伸ばすと、リリアがそれを自分の頬に引き寄せ、ふるふると首を振ったのが分かった。

リリアを安心させたくて、私はカラカラと笑って見せる。


「不思議と、もうどこも苦しくないのよ。体が諦め始めたのかもしれないわね」


言葉を間違えたかも。

リリアがついにすすり泣き始めた。


「ジュリエット」


この声は、レイね。

レイはセシルの良い友達だった。

誰よりもセシルの死を悼んでくれた、優しい子。


「何か、してほしいことはあるかい?」


「うふふ、ありがとう。でも、とくには……」


言いかけて、私は病室の窓際に飾ってある花のことを思いだした。

セシルが盲目の私の為に送ってくれた、甘い香りのする花だ。


「……じゃあ、私がいなくなった後、あの花のお世話をお願いできるかしら。あの子が送ってくれた大切なものなの」


レイがぐっと涙を飲む音が聞こえた。

ああ、やっぱり言うんじゃなかったわ。レイにはレイの奇病があるし、泣かせてはいけないのに。


「……こんなの、あんまりよ……セシルも、あなたも報われないわ」


リリアの頬に添えられた私の手に、涙がぽたりぽたりと滴った。

レイが私のもう片方の手を握っている。


確かに、ここに来るまでの人生にいい思い出はあまりない。

なにせ私は盲目、ついでに奇病持ち。セシルも安易に動き回れない体であったし、この病棟に来るまでの生活は楽なものではなかった。


それでも私は、リリアの頬をゆっくりと撫でて首を振った。


「違うわ、リリア。それは、違う」


悲しみと喜びが半分ずつでないのなんて、当たり前。

それでも――。

報われていないと思ったことは、今の一度もなかった。


「私、私ね、幸せなの。すごく幸せなのよ」


夢のような世界だわ。

最愛の弟を追って逝ける。

私が死ぬことで泣いてくれる人が、二人。

柔らかいベッドの上で、誰かが最期を看取ってくれる安心感。


もう、充分だ。充分すぎるほどに。


幸福感に包まれる。日差しが温かい。眠気が頭を支配していく。

これが死ぬという感覚? 思ったよりも穏やかだわ。

きっと、二人のおかげね。


ああ、幸せだわ。


これが幸せってことなのね。


今やっと分かった。


「ジュリエット……」


レイ。泣いちゃだめじゃない。

病気、進行するわよ。


「ジュリー、いや……いかないで」


ごめんね、リリア。

私、あなたを泣かせてばかりね。


「ありがとう」


愛してるわ、二人とも。

またどこかでね。




さあ、セシルが待ってるわ。



早くいかないと。





――――――



氏名:ジュリエット・クラレンス


病名:愛涙病


症状:愛している人の涙を飲まなければ数日で死んでしまう。彼女の場合は、対象は双子の弟である006号室の患者に当たる。対象が変わることはないので、006号室の患者の死は、すなわち彼女の死を意味する。


患者について:双子の弟と共に、スラム街で産まれた。盲目で、006号室の患者を溺愛しており、短命という運命を共有していることもそんなに悲観していない。006号室の死後、五日目で友人たちに見守られながら静かに息を引き取った。

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