ショタコンは夢を見る


「鈴」


 ステンドグラスを通る光が、その人の着ている簡素な白い服を彩り豊かに染めていく。彼が着ているそれが、世間一般に知られているどの宗教の神父服とも違う構造をしている、と。気がついたのはいつだったろうか。

 気がついた上で、何も言わなかったのは私だ。だけど、きっと、彼も彼女も私の気づきに気がついていた。お互いに、触れないでいただけで。だって本当にどうでもよかった。この教会が私の家で、神父様とシスターが私の家族で、子供達がいるなら。

 隠し事は、隠したままで。だって真実が優しいとは限らない。

 嘘は、暴かれないままで。だって、優しい嘘だってたくさんある。

 そうして生きていこうと決めた。だから。


「……神父様」


 これは夢だ、と理解できる夢ほど虚しいものはない。私はあの教会に帰ることは二度とないのだから。こんな、いつもみたいな、優しい光景なんて見たくなかった。


 私の名前を呼んだその人――神父様が、こちらに歩み寄ってくる。それを見て、ただ。何を言おうとしたのか、自分でも分からないままに口を開いた。

 瞬間。


「……この馬鹿!!」

「――っぃ、ったぁ!」


 思いっ切りデコピンをされた。神父様。おい神父様。聖職者が暴力を振るわないでいただけますかぁ!

 キッと睨みあげて、恨み言をいってやろうとした、が。言えなかった。代わりに、首を傾げて恐る恐る声をかける。なんか、こう……神父様がすごく痛そうな顔してる。


「あ、あの、神父様? どこか痛いんですか? もしかして、指折れちゃいました? ほら、カルシウム摂らないからですよ? だからあんなに牛乳飲めって言ったのにもう……」

「牛の子供から栄養を奪うほど落ちぶれてねぇよ……じゃねぇ馬鹿!」

「馬鹿馬鹿言わないでくださいよ確かに馬鹿ですけど!!」


 っていうか本当に何で怒ってるの怖い……。カルシウム足りてないでしょこれ絶対。牛の子供に慈悲を与えるくらいなら自分の身体に気を遣ってあげてほしいと切に思う。しかもそれただの好き嫌いだって知ってますからね?

 と、考えているうちに。なんだか空気が変わっていることに気がついた。これはまずい。神父様が、真剣に怒っているときの雰囲気だ。


「どうして子供を庇った」


 ……低い声。二年前、私が子供を庇って車に轢かれた時以来の激怒だ。

 思わず正座してしまった。私の脳味噌こんな夢見るほど神父様が恋しかったのか……? こんな神父様は恋しくないぞ……?


「……つい、身体が勝手に?」

「この、馬鹿!!」


 これは弁明できない。間違いなく、私が馬鹿だ。でも、仕方がないとも思う。

 子供が。ふぅくんが。私の弟分が。……目の前で刺されるのを黙って指くわえて見ているくらいなら、私は自分が刺されることを選ぶ。もし過去に戻れても同じことだ。絶対に庇う。庇わなかったら私じゃない。思考よりも先に動くか、思考して動くかの違いしかない。……わぁ、救いがない。あと、それに。


「神父様がいなかったから」


 彼の勢いが止まる。見上げると、神父様ってば怒りのあまりか涙目になっていた。感情が昂ぶりすぎると涙が出るところ、夢の中でも再現されてるのか。

 何だかおかしく思えて、多分、ちょっとだけ笑ってしまった。


「だったら、私が守るしかないじゃないですか」

「……それ、でも」

「はい。馬鹿なことをしました。その上で、ああするしかなかったとも、思うんです」

「……この馬鹿」


 守りたいものが目の前にあって。

 守るために自分を犠牲にするしかない、のなら。

 私は、いくらでも自分を投げ出す。神父様もそういう私のことを理解していたから、いつも、こういうことがあった時に本気で怒っていてくれたんだろうけど。


「ごめんなさい」


 結局、私は彼の献身に報いなかった。


 沈黙が流れる。夢の中なのに、本当の神父様と向き合っているかのように空気が重い。っていうかこれ本当に夢だよね? 額が本気で痛いし、まだじんじんしてるけど夢だよね?


「……鈴」

「はい」

「あまり、自分を疎かにするなよ」


 いつもの声色で。いつもの表情で。いつもと同じことを。彼は口にした。まから、私もいつもみたいに笑って立ち上がる。


「……善処しますね!!」

「やんわりと断るな!!」


 怒鳴られた瞬間、夢が端からゆっくりと崩れ落ち始めた。神父様は舌打ちでもしそうな表情になって、その崩壊した世界を睨みつける。


「……チッ。もう刻限か」


 ……訂正。舌打ちはした。結構力強くした。

 整った顔に苛立ちを乗せて、彼は私の方を向き直す。ステンドグラスが崩れ去り、神父様の服が白一色になった。


「おい、鈴。お前に伝えなきゃいけないことはたくさんあるが、今言えるのは一つだけだ」

「なんですか?」

「死ぬなよ」


 多分、向こうでは死んだのに。変なの。

 なんて思ったけど、神父様がひどく真剣な顔をしていたから、私も真面目に頷く。


「……はい」


 死ねない理由ができてしまったから、きっと、死なない。

 ちゃんと肯定した私に、小さな安堵を見せ、そして――。


 ――夢が。終わりを、告げた。


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