ショタと歩き出した


 さて。これからの方針をふんわりと決めた私達は、そこで一番最初の壁にぶち当たってしまった。それは――。


「結局、街ってどっちなんでしょうね!?」


 私(異世界出身)と、ナハト(土地勘なし)の二人では街に辿り着けないという事実。圧倒的現実の前に、私は打ちひしがれるしかなかった。人っ子一人見つからないし。どうしよう。

 地面に手をついて項垂れる私から少しだけ距離を取り、ナハトはそっと首を横に振る。それ、もしかして私がもう手遅れだってことかな。まあいいやとにかく仕草が可愛い。天使。


「役立たずで悪い」

「ナハトはそこにいるだけで価千金の価値があるので問題ないです!! だからしょんぼりしないでください、ああその顔も麗しい言い値で支払いたい……っでも今私無一文だ! 貢げない!!」

「レイは落ち込んでても元気だな」


 私の言動をその一言で流してくれるあたり中身も天使……っ。ああ、信仰心が湧き上がってくる。最早彼を神と崇めた新興宗教を作りたいレベルだしその場合は私が教祖やると決めた。むしろ私一人が崇めればいいんじゃ……? それ今と同じだ。


「でも、街とまでは言いませんが……とりあえず人がいるところに行きたいですよね。このままだと野宿になってしまいますし」

「…………そうだな」


 あっ。今の言動はちょっとデリカシーに欠けていた気がする。もしかして私がナハトを責めたと思われてしまったかな? だとしたら土下座しないと。

 そう意気込む私を他所に、ナハトは何某かを考え込んでいる様子だ。その横顔はどんな芸術品も恥じて自壊し始めるだろうというほどに美しい。凛々しい。可愛い。


「なあ、レイ。これはただの想像なんだが」

「はい?」

「レイは今、少し願っただけで森から脱出できたよな?」

「はい」


 そういえばそうだったっけ。随分と前にも思える出来事を思い出し、頷いた。何も分かっていない様子の私を見て、ナハトは何度か口を開いたり閉じたりを繰り返す。えっ、何怖い。そんなに言い辛いこと言うの?


「あれと同じように、願ったら街の方角が分かったり、しないか?」

「よしやってみますか!」

「オレが言い出したことだ、けどさ。受け入れるのが早すぎないか……? お前からしたら得体のしれない力だろ?」


 なーんだそんなことかやってみよう!

 ……と、意気込んだ私に向けられたのは変なものを見る視線だった。よく向けられるタイプのアレである。まあ、神父様だったら視線だけじゃなくて変だとはっきり言ってくるからまだ傷は浅い。どうも、変な子です。

 確かに、知らない神様から凄く愛されてるって言われても、名前も顔も知らないおっさんが口座に大金振り込んでくるような気分になるのも分かる。だけど。


「まあ、使えるものは何でも使うのが信条でして。普段から穴が空いた靴下だって布当てて使いますし、取っ手の取れた鍋だって工夫して使ってますし、よく分からない神様の寵愛だって使うことに抵抗はないですよ」

「穴が空いた靴下や鍋と一緒にするのは流石に……どうかと思う」

「すみませんこれからは気を付けます」


 神様を嫌ってそうなナハトが顔をしかめるレベルのことを言ってのけたこの私。……これでも、元いた場所では敬虔な信者だったんですよ。信じてくれないでしょうが。毎日寝る前の礼拝を欠かさず、神像は二日に一回は必ず磨き、聖句は一言一句違わずに暗証でき、なおかつ何も見ずとも神話を最初から最後まで語れるんですよ。ほら! 敬虔!! 信者の鑑!!

 ちなみに、うちの女神様の名前を他のどこかで聞いたことはないので、私の敬虔っぷりはほとんど誰も知らないことでもあったりする。友達に、なんかよく分かんない宗教の教会だよね――とか言われた気持ちを誰か分かってほしい。悲しかった。


 そもそも礼拝は子供達の手本になるためにやってたとか神像を磨いていたのは子供達にさせる訳にはいかなかったからとか聖句と神話は子供達に語って聞かせるために暗記したとかは黙っておこう。これじゃどっちかというと敬虔なショタ信者かもしれない。なお、本望である。


「じゃあ、ちょっとやってみますねー」

「ああ、うん。お願い」


 お願いされてしまっては気合を入れるしかない。

 お願いです神様。名前も顔も知らない神様! 私に街の場所と方向と一番行きやすいルートとかかる時間を教えてください。やだ……私ってば神様のことを完全にスマホのナビ扱いしてる――


『……願いは聞き届けるわ。だけれどもね、聞いて。ねえちゃんと聞いて? ナビよりもスマホよりもずっと、わたくしの方が有能なのよ? ね? そうよね?』


 ――あっ、ごめんなさい。


 閉じた瞼の裏側に、見たことのない少女の姿が浮かんでいる。腰よりも長い銀色の髪と、青と呼ばれている色彩すべてを混ぜてから一番綺麗な割合になるように微調整して宝石に溶かし込んだような瞳。私とよく似た色をしているんだな、のちょっとだけ親近感を抱く。私の心の動きを察知したように、少女は小さく微笑んだ。

 違和感も覚えず。

 なんの疑いも持たず。

 ただ、私はそこにいるのが『女神』だと理解する。彼女の吸い込まれそうに青い瞳が、ただ慈愛だけを映し出していたからかもしれない。


『いいわ。貴女はわたくしにとって、最後の希望。無礼極まりない言動も愛らしいの』


 ――優しいですね。これでショタだったら惚れてました。


 だからこそ惜しい。彼女は少女とは呼べそうな見た目をしているけれど、どれだけ低く見積もっても私と同じくらいの年齢だ。あと、女の子。だから、ショタではない。

 ああごめんなさい異世界の女神様。私は、あなたを崇められないようです。ショタじゃないから。


『…………ええ。そう。本当にジルから聞いていた通りの性格なのね、貴女ってば』


 ――ジル、って。


 聞き慣れない名前だ。でも、知っているような気もする。聞き返す私に、女神様はただ苦笑した。これは答える気がない反応だ。


『ああ、ごめんなさいね。わたくしとのお喋りはもうおしまい。貴女の愛し子が心配しているわ。現実にお戻りなさい、わたくしの可愛い娘』


 ――あっ、えっ、さっき気付いたけどこれどういうこと。


『わたくしは、いつでも貴女を見守っているからね』


 知らない温度の愛が、私の心の裏側を撫でて、その刹那。

 母の腕の中のような羊水のような揺り籠のような、そんな、穏やかな時間を切り裂くように――


「――レイ!!!」


 ナハトの声が、した。

 いつの間に意識を失っていたんだろう。地面に倒れたのか、私の服は汚れていた。身体を起こそうとすると、ナハトに強く制される。ショタの膝枕だぁ……とか言ってる場合じゃないなこれ。頭が痛いし、ふらつくし、何よりも。

 だって、ナハトが、泣きそうな顔をしている。


「え、えっと、あれ? わたし、どうして」

「起きるな、喋るな、落ち着け。……ゆっくりを息をするんだ、いいな?」


 初めてされる命令口調に、少しだけ目を瞠りながらも頷く。動くなと怒られた。ええ……? どうしろと。

 なんて、言えない。前触れもなく倒れたらしい私を見て、ナハトはまるで、自分の方が倒れてしまいそうなひどい顔色をしていた。


「……どうしたんだ? 具合が悪いのか? 怪我でもしてたのか? ああ、駄目だ。無理に起きなくていい。動くな。呼吸はゆっくりでいい、から。話すのも、落ち着いてからで、いい。だから」

「…………え、っと。はなしを、した……んです」

「話さなくていい」

「……へいき、です。それに、わたし、さっき」


 多分、あの声は、森を抜けた時に聞いたのと同じだ。今更そんなことに気がつく。どうしてさっきは対面して会話できたのか、よく分からないけど。

 愛しい、と。それだけを伝えるような柔らかな瞳。声。態度。あれはきっと。人間を寵愛している、という。


「めがみ、だと、おもうんですけど」


 それにしては気さくだった。私のあの言動にもちょっと呆れるだけで終わってくれたし。信仰される女神様というよりも、そう。私はよく知らないけれど、多分。……母親みたいな少女だった。ような、気が、する?


「――女神?」


 氷でできた針を心臓に突き刺されたと思った。それほどに、冷たく、鋭く尖った声だった。ひ、と。悲鳴を上げなかったのは理性のおかげ……というよりもショタの前だという矜持もしくは信仰心だったと宣言しておく。いやそんなことどうでもいい。言い出したのは私だけど。そんなことより。

 ナハトは、多分、怒っている。


「女神、が。レイを傷つけたのか?」

「いえ、……いいえ。たぶん、あれ、は……わたしがねがったから、こたえて、くれたんだと」


 だって、彼女は……しょうがないなぁ、みたいに笑ったのだ。

 スマホ扱いされても、自分の方が有能だと胸を張るだけで。私が信仰していないと知っても、呆れるだけで。それ、から。

 可愛い娘。と、呼んでくれた。


「そうか」

「だから、そんなに、苦しそうな顔をしないでください」


 私は傷ついてなんていないから、そんなにも、泣きそうな顔をしなくていい。苦しまなくていい。私は大丈夫だから。死なないから。ナハトを、一人にはしないから。……あなたが死なないように、ちゃんと、ここにいるから。

 ようやく頭のふらつきが収まったので、身体をゆっくりと起こす。それだけで顔をまた青くするナハトに、大丈夫だと微笑みかける。


「……ごめんなさい、私が気を失ったから、驚かせてしまいましたね」

「謝らないでくれ。オレが、……オレ、が。あんな提案をしたから」

「いえ、ナハトが言い出さなくても、私がそのうち思いついてましたよ。ええ、おそらく、きっと、多分……私でも思いつけたはずです」


 完全に頭から抜けていたけど、まあ多分、きっと、思いついたはずだ。それに、街に向かうためには必要なことだったし。別に気にしてないのに、ナハトは私よりもずっと自分を責めている様子だ。


「けど、オレが――」

「――それよりもナハト、聞いてください。街の方向が分かりますよ、適切なルートと所要時間と経由地、……も?」


 やっぱりナビでは? と思ったから語尾を上げたわけではない。起き上がったから気がつけたのだが、視界の端に何か……蛍よりも大きい光の塊が浮いているのが見えたからだ。そっち側に視線を向けると、うん。やっぱり何か浮いている。

 そして、それは……間違いなく、頭に浮かんだルートの方向にあった。つまり、道標。女神様ありがとー! ナビより有能! 素敵!


「……レイ」

「女神様が情報を頭に直接埋め込んでくれたんですかね? あっ駄目だ想像したら怖い。いやまあ道が分かればいいんですよこんなのは。だから、その……えっと、直近の街まで五日かかるので、合間合間で村に寄って、野宿はなるべく避けて……でもお金がないかな、宿取れるかな、じゃなくて、えっと……」


 どうしてこんなに焦っているのか、自分でも分からない。だけど、ナハトの怒りと嘆きと後悔を直視して混乱した。怒りは。森の中でも彼は私に向けられた理不尽に怒ったけど、それよりもずっと鋭い感情だった。嘆きは。後悔は。知らない。見たくない。だからかな。どうなんだろ。分かんない。


 自分を責めないでくれ、と。もっと上手に伝えたいのに、駄目だなぁ。


「そんなに必死にならなくても、大丈夫だ」

「……ナハト」


 年上のはずの私よりもずっと大人びた顔で、ナハトが微笑む。大分見慣れた、苦笑気味の顔で。でも、とても柔らかく。


「そうだな。何が起こるかの予想なんてつかなかったんだ。だから、……もっと慎重にやればよかった。反省しよう。……二人共、な」


 気を遣わせている、というのは分かった。だけど、それよりも、私はナハトが自分を責める言葉を吐くのが聞きたくなかったのだ。だから。


「そうですね。これからの課題です」


 理解した上で、何もなかったかのように振る舞うと決めた。


「ねえナハト。私、ここの常識何も分からないので、ご教授のほどよろしく頼みますからね!」

「ああ、……待て、これ、責任重大だな? レイの想像以上に重大なことを任されたな?」


 光が指し示す方に、二人で並んで歩き出す。

 足取りは、思ったよりも軽かった。

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