ショタに語る


「しかし、純粋な人間ってのは凄いんだな」


 ふよふよと浮いている光に導かれながら進んでいると、ナハトは感心したようにそう零した。歩いていると分かるけれど、彼の頭の位置は私の肩あたりにある。上目遣いだーやったー可愛いー! でも首に負担にならないように前向いてていいからね。


「そう、みたいですねぇ。私は人間じゃない方を知らないので何とも言えないんですが」

「人間しかいない世界ってのが、オレには想像つかないけどな」


 『世界』って言われると、やっぱり決定的な断絶を感じる、というか。ついうっかり刺殺されちゃっただけで随分遠くに来たなぁって気持ちになる。ついうっかり刺殺ってなんだよ。


「私も、ここが違う世界だろうとは思ってもまだ実感湧きませんけどね」


 指先で光を突く。逃げられた。実体あるのかよ、というか、触られたくないの? 私のこと嫌い? それとも触られたら消える系?


「そういえば、レイが産まれたところでは、その目と髪の色が当たり前だったのか?」


 あっ、痛いところ突いてくるなぁ。ちょっとだけ苦笑して、倒れた時のせいで少しばかりぼさついている髪を弄った。


「いいえ、黒髪黒目が大半でしたよ」


 穏やかに、何も感じていないと思われるように、……だから何も滲むな。傷なんてない。ただ普通の声色に聞こえるように、努めて平坦な声を出した。


「オレと同じ?」

「同じじゃありません。ナハトの髪と瞳が一番綺麗です。同じにしたら美への冒涜に当たります」

「……ああ、うん。そっか」

「なので、同じだと言ってのけることは非常に業腹ではあるのですが」


 黒は、黒だ。

 一歩、彼よりも前に出る。振り向いた先の、きょとんとしたあどけない顔を見て、でき得る限りの愛しさを込めて微笑んだ。


「きっと、ナハトも私の故郷なら……人の群れの中に埋没して生きていけたのでしょうね」


 ……。反応がない。足も止めてしまった。おーい、どうしたの? 目の前で手をひらひらさせる。やはり反応がない。

 あっ、群れとか言ってしまったのが悪いのかな。口が悪いぞ私。更に言えば、神父様の教育が悪い。

 そうしてたっぷり数分間ほど沈黙を保ってから――ナハトは小さく嘆息した。


「…………群れ、はないだろ」

「私も言ってから思いました。聞かなかったことにしてください」

「いや、口に出した言葉は取り消せないからな?」

「ごもっともで!」


 失言が多いことは大分前から注意されてたんだけどね。まあ、治せないままここまで来てしまったあたりもう駄目だ。


「……でも、そっか。普通なのか」

「はい」


 なお、この会話では猫耳としっぽの存在を気にしていないこととする。正直、髪や目が何色だろうと気にされないだろうけれど、その猫耳は気にする。ごめん、ナハト。帽子で隠すしかないわ、その耳……。

 内心で苦いものを噛み殺していると、ナハトがちょっと悪戯っぽく笑った。えっ、ちょっ、待って。今の表情写真に残させて。貴重な顔してた! 可愛いの権化!! 好き!!

 心の中が荒ぶっている私とは反対に、静かな声が耳に届く。


「だから、レイはオレに優しいんだな」

「いえ? そういう理由ではありませんよ」


 首を横に振る。ナハトがショタじゃなかったら、黒髪だろうがどうだろうが、ここまででろんでろんに甘ったるく接していたかは疑問だ。まあそれだけじゃなくて。

 と、言葉を探す私に、ナハトはそっと生温い視線を送ってきた。


「……ああ、やっぱり、オレがとやらだからか?」

「その言葉は忘れてくださいお願いします!」

「いや、頻繁に口から漏れてたからな? もう忘れられないくらいには聞いたからな?」


 やだぁ! 私のお口ってばセキュリティがばがば!! もう縫い付けるか。縫い付けてもうっかり色々漏れる未来しか見えない。


「で、ショタって何だ?」


 ショタにショタの意味を聞かれるショタコン。教えても教えなくても信頼関係にひびが入るやつじゃないかなこれ。お巡りさん私です。間違いなく私です。でもこの世界ってお巡りさんいるのかな、いたら来て。

 いないならもう駄目だ神に懺悔してそのまま死ぬしかない。罪が重い。

 

「え、えっと、えっと、ショタ……と、いうのは、えっとぉ……」

「そんなに言い辛いことなのか……!? オレはそんなに言い辛い存在なのか!?」


 私が気持ち悪い存在なだけです。もう無理だ。白状しよう。これで距離を置かれたら、潔く自害することに決めた。むしろ今から伝える言葉全部が私自身に向ける刃みたいなものだけどね! うわ辛。


「……ショタというのは、この世の宝であり希望であり私の生きる意味です」

「…………………………は?」

「より具体的に言うと、大人にはなっていない、身体的にも精神的にも未成熟な少年のことです。決して幼児ではないけれど大人にもなっていない、あどけなさと色気と小生意気さを兼ね備えたこの世の至宝。人生において一瞬しかない奇跡のような煌めきを持った至高の存在! 十二歳までをショタとするか十五歳までをショタとするか、という議論はかねてよりされておりますが、私としては年齢よりもこの心がショタだと感じるか否かを最も重要な判断材料としています!!」

「…………………………………………そうか」


 言い切った私を見て、ナハトはそっと私から距離を取った。だよね! 分かる! 私も自分が気持ち悪いなって思ったし、以前同じように友達に語った時もドン引きされたし! 具体的には三日くらい余所余所しかった。四日目には普通に戻ってたけど。

 そう考えるとナハトは優しいな。すでに伝説の木で待つレベルの好感度があったけどまだまだ好きだって気持ちが溢れてくる……永遠に幸せにしたい。


「気持ち悪くてすみません! こんな女です!」

「いや、気持ち悪いとは思ってないから安心してくれ。教えてくれてありがとう」


 距離が戻った。服の袖を小さく掴まれたので、むしろ距離が近づいた。わぁい!

 とか馬鹿みたいに喜んでる私とは裏腹に、ナハトは小さく眉をひそめていた。あ、やっぱり気持ち悪い? 離れよっか? ……いや無理だな力強っ。握力あるんだね、そういうところも愛しい。


「……だけど。それ、じゃあ」

「じゃあ?」

「いや、何でもないよ。納得した」


 あの早口語りを聞いてこの反応、人間ができてるってレベルじゃないね。ナハトには人間の血が流れてないらしいけど。そういう問題とは違って。


「つまり、レイは……少年趣味なんだな」

「それとこれとはまた違うので弁明させてください!!!」


 でも何でも受け入れなくていいからね……?

 ショタコンと少年趣味の違いと、私が決してナハトに性的な視線を向けていないという説明をしながら、再び道程を進み始めた。

 



 そして。


「よし! 野宿ですね!!」

「力いっぱい言わなくていいから、落ち着いてくれ。体力を使わなくていいから」


 村には辿り着けませんでした! はい。ちなみに、大体が私のせいだ。本来ならば日が沈む前には辿り着けそうだったのだが……。


 何を隠そう、ここは異世界。目に入るものの大半が物珍しい。道端に咲く花ですら見たことない形状をしていた。具体的に言うと、花弁の一つ一つが異なる色のステンドグラスみたいに煌めいていた花とか。そりゃ興味も惹かれるわ。忘れられがちだけど私も女の子だから、綺麗なものには心惹かれる。

 ナハトは、しかたないなぁ、みたいな顔で笑っていたけど。綺麗だなって言ってくれたし。気に入ったなら摘んでいくか、とも聞かれたっけ。もちろん断ったけども。花は咲いているからこその花だ。そこが野だろうが花壇だろうが温室だろうが地の底だろうがあんまり関係ない。咲いているからこそ美しくて、地に根を張るからこその命だ。だから、じっくり鑑賞してから足を進めて。


 そういうことが、花以外にも……かれこれ八回あった。末広がりである。縁起がいい。とか、言っている場合ではなく。


「……ごめんなさいナハト。私のせいですね」

「いや、気にしないでくれ。オレはまあ……野宿には慣れてるからな」


 完全に年上の矜持が死んでいる気がするが、ナハトはどことなく楽しそう……というか、安心してる? 雰囲気だ。ただ、そこには触れられたくなさそうでもあるので、あまり追求しないでおく。


「そんなことより、道中楽しかったか?」

「はい!」


 ならよかった。そう零して、ナハトは野宿の準備をテキパキと進めていく。どこから出したのその毛布。えっ、道中で果物取ってたの? 食べるものも毛布もあるとか有能に過ぎる。

 ……わぁ、私が手出しできる隙がない! 無論、好きならいっぱいある。ナハトの真剣な顔は凛々しくて素敵だ。ショタが私に気を遣っていることを考えると普通に血を吐きそうだけど、それはさておき。ショタが頑張って準備しているのを見るのは楽しい。好き。


 ……ただ。

 思い出す。座って、落ち着いて、何もしていないと。忘れようと努めていた記憶が、ぼんやりと浮かんでくる。今日は私の誕生日だったこと。十六歳になったこと。誕生日のお祝いを、何も、ちゃんと、受け取れていないこと。それから。


「……神父様、卒倒してないといいけど」


 遠出から帰ったら一番付き合いの長い子供が死んでたなんて、心臓が止まりそうなほどに驚くに違いない。まあ、神父様なら自分の心臓よりも先に私を刺した犯人の息の根を先に止めるだろうけど。……どういう人か、って? そういう人だ。

 いや駄目だ。犯罪者になる。子供達の保護者を犯罪者にちゃ駄目だ。神父様を止めてくださいシスター。あなただけが頼――駄目だ。シスターも手を貸す未来しか見えない。どうしたんだ聖職者。もっと穏やかに生きて。


「神父?」

「ああ、独り言です。気にしないでください」


 火を熾していたナハトが、不思議そうにこっちを見た。邪魔してごめんね、口のセキュリティが緩くて、つい。


「……そういえば、レイは違う世界から来たんだったよな?」

「はい。……そのせいで、本日は本当にたくさん迷惑を」

「いや、それはいい。オレも楽しかったし、レイも楽しかった。それなら十分だ」


 ちょっと、この子いい子過ぎない? 国家を上げて保護しなくて平気? 私が守ればいいか。自己解決しましたベストアンサーはなしです。


「そうじゃなくて、えっと。今まで、どんなふうに生きてきたんだ?」


 今まで、どんなふうに。改めて聞かれると非常に難しい。そこそこ平穏に生きてきたけど、平凡かと聞かれると少し疑問だし。親はいないし家は変な宗教の教会だしショタコンだし。友達は少ないし勉強はそこそこしかできないし趣味はショタを崇めることだし。……さては変人か? そのまま言ったら引かれるんじゃ? もう言ったようなものだけど。

 考え込んでいる私を見て何を思ったか、ナハトは慌てて言葉を続けてきた。


「いや、言いにくいならいいんだ。悪い。話したくないことだってあるよな」

「違います。ただ、あまり面白い人生を歩んでないので」


 んー、と考えながら、ナハトの心配が杞憂だと分かるように情報を出していく。


「えっと。まず、前提ですが……私は自分の両親のことを知りません。どこかで生きているとは思うんですけど、死んでいても情報が入らないと思うのでなんとも言えないんですよね」


 そしてそこそこどうでもいい。冷たい人間だと思われそうな言葉は呑み込んで、つらつらと、他人事のように口を動かしていく。


「十一……二? 年前でしたかね。そのくらいの頃に、教会に引き取られて。それからずっと、神父様とシスターと、同じような境遇の子供達と一緒に暮らしています。なので、結構な大家族なんですよ。賑やかで楽しい毎日を送ってました」

「それで、神父様のことを心配していたのか」

「はい。あの人ってば、私がいなくなったらまた禁煙を破りそうで。それに、教会の中で一人だけ不摂生な生活してるんですよあの人。私や子供達には早く寝ろって言いながら、自分はいっつも日付変わるまで起きてますし。残さず食べろっていう口で、食べ物の好き嫌いは多いし。……服もこっちが言わないと洗濯に出してくれないんですよ、信じられます?」


 しかも、聖職者らしからぬ言動も多々する。嫌いな女性のことをあのアマとか言い出すあたり、結構口も悪いし。聖職者のくせに半径二メートルくらいの範囲しか幸せにしようと思ってないの、大分滲み出てるし。そういうところは一周回って信頼に値するとも思ってるけど。手が届く範囲しか守れないとしても、手が届く範囲は何を犠牲にしてでも守れ、というのは彼の教えだ。聖職者……聖職者?


「……レイ、は」

「それに――、と。どうかしましたか?」

「いや。何でもない。火がついたから夕食にしよう……とは言っても果物だけしかないけどさ」


 もの言いたげな顔をしていたのに、ナハトは何も聞こうとはしなかった。まあ、神父様の神父らしからぬ人間性を聞いたらそうなるのも分かる。頷いて、会話は別の方に流れていく。

 瑞々しい青色をした果物を差し出された私は、それっきりで、この会話のことを忘れてしまった。


 ――青色は食欲減退の色。その理屈は、異世界では通じなかったことをここに記しておく。


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