ショタと道中
「……つまり、御使い様は御使い様が何なのかご存知ない、と」
頭でも痛いのか、子供はそっと頭を押さえた。弟くんは、お兄ちゃんのことを心配そうに見ている。ああ、ショタとショタの家族愛……実に麗しい。などと気持ち悪い感じに眺めていた私は、にこにこと笑いながら頷いた。
「はい。全然ちっともこれっぽっちも存じ上げませんね!」
「どうしてそんなに元気一杯に宣言なさるんですかね!?」
叫んでから、彼はハッとしたように自分の口を押さえる。気にしないように、と首を横に振った。いいんだよ。私に対してどんな態度を取っても、ショタならばオールオーケーなのだ。
それにしてもお兄ちゃんツッコミ上手だね。ツッコミが上手なところも可愛い。いいショタだ。
「……とにかく、桶は返してくださいますか? 御使い様が何もご存知でないとしても、こんな場面を誰かに見られてしまうと、ちょっと……大変なので」
「分かりました」
「はぁ、よかった」
ショタを困らせるのは本意ではない。大人しく桶を手渡すことにした。受け取った少年は、少しよろけながらもしっかりと両手で桶を抱えている。……? 重さ、あるんだね? 桶じゃなくて私がおかしかったのかな。分かんないや。ナハトナハト、どういうことだと思う? そろそろ何か言って? ……駄目か。
「それでは、えっと……村にご用事なんです、よね?」
「というか、野宿回避のために一日だけ泊めていただきたくて」
ナハトはいつまで気配を消しているんだろう。初対面のショタと話すのに心拍数が上がりすぎてそろそろ鼻血でも出そうな私は、そっと後ろの様子を伺った。笑顔で前を向くよう促された。ちょっとだけ威圧的な笑顔だった。まーた新しい魅力を再発見できてしまうなんて、ナハトは素敵過ぎて最早罪深いなぁ。
「……ははは。野宿って、御使い様が? しかも御使い様がこんな辺鄙な村に泊まりに来てくださるなんて、何だよ今日は。どうなってるんだ。俺の気が狂ったのか夢か幻かああそうだよなそうだと言ってくれ」
「で、御使い様とは?」
ぶつぶつと呟いている言葉を遮って、再度疑問をぶつける。じっとりとした視線に射抜かれ、……それから盛大に溜め息を吐かれ、兄ショタは口を開いた。
そこでようやく気がつく。彼の口の中に覗く歯が、八重歯よりもずっと鋭い牙を形作っていたことに。
「その瞳の色と髪の色。それから、獣相の欠片もないそのお姿」
獣相。また知らない単語だ。首を傾げる私を他所に、彼はそっと桶を地面に置いた。手を軽くプラプラさせている。やっぱり重かった? なら持つのに。駄目か。
「とはいえ、お伽噺みたいなものですけどね。俺達には希望として言い伝えられてるんです。女神様と同じ色彩を持つ純血の人間は、御使い様――滅びに向かうこの世界を救ってくれる、女神の使いなのだと」
……何その設定。私はそっと空を仰いだ。青い。私の見知ったものと同じ色の空なのに、私につけられた設定がまるで違うのはどうしたことだよ女神様。
「そして、それがあなたです」
「――いや無理」
間髪入れずに呻いた。
無理無理。そんなの無理。私は身近なショタを救い、勝手にショタに救われて、手の届く範囲だけを気にして生きていきたい人種だ。世界を救う? 女神の使い? 顔も名前も知らない誰かのために何かをする?
そんなの、御免だ。
私には、そんな大層な……理想なんてない。
「です、が……一目見れば分かります。俺だって、限りなく薄いとしても人間の血が流れているのですから。分かるんです。あなたが至高の存在であることも、この世界の何より尊い御方であることも!」
目が怖い。そう思った。よく見たら瞳孔縦向きじゃんどうなってんの……とかではなく。ただ、彼の目は、違う。私を見ていない。『私』を見ていない。至高、尊い、人間。何だそれは。私はそんな私なんて知らない。そんなの知らない。だって、皆人間だった。そんな世界で生きていた。
だから、違う。そんなのは嫌だ。勝手に私を定義しないで。怖い。逃げたい。どこに? どこかに逃げる場所がある? ないよ。ないよね? だって、逃げたい先は、この世界じゃない。私の帰るところは、ここにはない。もうない。ない。
何もない、だろ。東雲 鈴。お前には何もない。何もなかった。その小さな手のひらを見ろ。何が救える? 何を掬えた? うるさい。ああくそ、私がうるさい。
頭の中が、うるさい。
頭を軽く押さえる。駄目だ、ちゃんと笑えない。ショタが三人もいるのに。どうしてこんなにも、現実が、こんなにも。
こんな、にも?
「御使い様、大丈夫ですか? お顔の色が……」
「……大丈夫ですよ! なので、そんな心配そうな顔しないでください」
駄目だ。ショタの前なんだから、思考を切り替えろ。意識して笑顔を貼り付けて、沈んでいく感情を頭の奥底に埋め立てる。
「いやぁ! 私ってば実は、常識のない世間知らずですものでね!! 思いの外衝撃の事実が襲ってきてびっくり仰天、鳩が豆鉄砲喰らって心臓止めたみたいな! そんな感じで!」
「は、はぁ」
「だから、気にしないでください」
決して、拒絶に聞こえないように。ただの心遣いだと受け取られるように。柔らかな声を意識して、穏やかな笑みを意識して、そう彼に伝えた。頭が痛い。
やはり、根が素直なのだろう。彼は安心したように微笑んで、頷いてくれた。
「……みつかいさま、むらにくるの?」
話が一段落したのを察したのだろうか。ちょこん、と。小さな手が私の服の袖を引いた。弟ショタが、すぐ横にいる。御使い様。……御使い様。誰が女神様の御使いだ、うるさい。いやうるさくない。
大丈夫、相手はショタだから、平気。可愛い可愛い。手がちっちゃ可愛い。仕草も可愛い。お兄ちゃん絶句してるけど平気? 弟くんってもしかして手のかかる子なのかなそれはそれで愛しいね。
「その、つもりですよ」
「じゃあいっしょにかえろーよ! みつかいさまともっとおはなししたい!」
弟くんが楽しそうな分、お兄ちゃんがもう死にそうな顔色になってるんだけど。まあそれはそうと、相対的に年下に甘くなるのは私の性。弟くん可愛いね、いいよいいよ一緒にお話しよ。
「構いま、――あっ」
普通に快諾しかけてた! 駄目だ! ナハトの意見を聞いてない! さっと振り返った。小さく頷かれた。よし大丈夫そう。
「構いませんよ!」
「弟のわがままに付き合って下さり、ありがとうございます」
「いえいえ! こちらこそ、こんなところで村の方と会えるなんて幸運でした」
しかもショタだ。ショタだ! 素直系ショタと苦労してそうなショタだ! 見た目に蛇感はあるけどそれはそうと可愛い! これはもう数カ月分の幸運を使い果たしたのでは? でもナハトと出会った瞬間に一生分使い果たしてそうだし、そもそも死んだ時点で幸運も何もないわ。私は考えるのをやめた。
そうして三人で歩き出して少ししてから――なぜかナハトは気づかれないようについてきている――私はナハトにどれだけ頼っていたのかを痛感していた。
「御使い様は、どこから来たんですか?」
「ゔぇ!?」
私が怖くないと気づいた兄ショタは、きっと、普通の会話を試みてくれているのだろう。それは分かる。でも、質問のチョイスが悪い。
この世界のどこでもないんですよー! とは、まあ、私的には教えてしまってもいいんだけど。ショタ相手だし。何でも答えてあげたいとは思う、けど。
視線だけでナハトの方を伺う。首を横に振られた。はい。駄目らしいです。ナハトが駄目だと言うのなら仕方がない。誤魔化せ私。無理だ私。相手はショタだぞ……? 誤魔化すとかそんな……! でも、ナハトが、ナハトが!
「秘密、です」
「まあ、そりゃそうですよね」
おっ、誤魔化せたか? 兄ショタは素直ないい子だなぁ!
「ここはエルラ・シェレの支配圏ですし。御使い様も下手なことは言えませんよね」
え……エルラ・シェレ? 何それ知らない。知らない単語を常識のように語るの止めて……! 私が死ぬ。
どう返せばいいのかまごついていると、弟くんが私の手を引いた。歩いているせいで見下ろす形になっているが、そこはもう理性を総動員して堪える。しゃがんで視線を合わせてお話したい。ショタを見下ろすとか胃が痛い。
「みつかいさま、みつかいさま!」
「何ですか?」
「みつかいさまは、めがみさまとおはなしできるってほんとう?」
弟くんは、キラキラした目で問いかけてきた。
無邪気な問いかけ、だと思う。なのに、この世界での常識が分からないせいで、どう答えていいのか分からない。ナハト、ナハト……! どう答えたらいいの!? 私は出会って二日目のショタを信頼し過ぎかもしれない。でもショタだから許して。っていうかナハトだからいいでしょ。
指で小さくバッテンを作られた。なるほど。誤魔化せ、との指示が出されたので誤魔化すことにする。
「……女神様に聞きたいことが、あるのですか?」
「うん! あのね、あのね! おかーさんが――」
「――こら、御使い様に余計なこと言うな」
兄ショタが、そっと弟くんの口を塞いだ。誤魔化すことには成功した、みたいだ。成功した! やったぁ! ショタを誤魔化すのは心臓に負荷がかかるなぁ……!!
「……っと、御使い様。あれが俺達の住んでる村です」
キリキリと痛む心臓だか胃だかを押さえながら歩いていると、明るい声が目的地への到着を知らせてくれた。
なんとなく下を向いていた視線を上げる。
村というからには、小さな集落を予想していたけど……思ったより広いな。というのが、第一印象。次に、広いと思ったのはただ……農地が多いからだということに気がつく。
家自体は、そこまで多くない。本当に小さな集落、といった感じ。一つだけなんか豪華な家があるけど、大半はそう、煤けた煉瓦造りの小さな家ばかりだ。
「えっと、御使い様。申し訳ないんですけど、ちょっとだけここで待っててくれますか?」
「ふ、不審者は勝手に入っちゃ駄目な感じですか……?」
「確かに、他の土地から来たひとは勝手に入らない方がいいんですけど、そうじゃなくて……あの。御使い様をどう扱ったらいいか、俺には全っっ然分からないんですよ」
そこまで強く言い切られてしまっては、私は頷くしかない。客人を入り口……柵に覆われてはいるけど、入り口って言えるほど入り口じゃないのはさておき。入り口に立って待たせるのはいいのかってツッコミは止めておくよ。ショタが自分で考えて行動するのは妨げちゃ駄目だからね。
ただ、村長が男だったら嫌だなぁ。歳上の男だったら最悪だなぁ。でも、十中八九歳上の男だよね。そりゃそうだ。違う方が困惑する。でも。
逃げを打ちたがる思考はさておき、笑顔で承諾する。
「では、ここの木の下で待っていますね」
「はい。で、えっと……こいつは」
「連れて行ってくださって構いませんよ。家族は一緒にいるべきですからね」
あと、そろそろボロが出そう。そんな気持ちを込めたが、弟くんは私の手を引いて嫌そうな顔をした。えっ、その顔可愛い。我儘なショタもいい……。すべてを受け入れたくなる。
「えー? みつかいさまともっとおはなししたい!」
「こら、御使い様がああ言ってるんだ、俺と一緒に行くぞ――それでは、申し訳ないのですが、よろしくお願いします。すぐに呼んできますので」
「いえいえ、急がなくて大丈夫ですよ」
そうは言ったが、彼はすごく急ぐだろう。まあ、偉い人を待たせるのは怖い。相手がどんなに優しそうでも怖い。分かる。私もそうする。私が会ったことある中で一番偉いのって、校長先生なんだけどね……!
村長に対してどんな態度でいればいいのか分かんないし、そもそも今までの態度が正しかったのかも分からない私は、手を振りながら冷や汗を流していた。
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