ショタと水辺
「……ははっ、目が真っ赤だ」
「笑わなくていいじゃないですか……!」
散々泣いた私は、何で泣いていたのか忘れるくらい泣いたあと、からかうように笑ったナハトに膨れ面を見せていた。悪戯っ子みたいな笑顔可愛い……愛しい。とも思うけど普通に気まずいっていうか気恥ずかしいので視線を逸らす。
ショタに抱き締められて泣いちゃったよ私。どうしたんだよ私。ショタは守るもので愛でるもので、決してこんな……こんな無様晒していい相手じゃないんだよ! でも慈母が如き包容力に新しい扉が開きそう。駄目だ。これ以上気持ち悪い人間にはなれない……っ。その扉には鍵かけといて。ついでに鎖も巻こう。封印封印。
膨れ面の私を眺めているナハトは、とても楽しそうだ。っていうか機嫌がいい。すこぶる機嫌がいい。ちょっと理解し難いくらいには機嫌がいい。ナハトが嬉しいなら私も泣いたかいがあるってものだよ。歳上の女の無様な泣き顔はそんなにも愉快かね……?
「とりあえず、顔洗った方がいいんじゃないか?」
「私、そんなにひどい顔してるんですか!?」
涙の跡でも残っていたのか、くすぐったいくらいの力で目元に触れられる。
「いや? ちゃんと綺麗な顔だけど、目を冷やすべきだと思ってさ」
「――は」
綺麗な顔って言った? 綺麗な顔だって言った!? さらっと告げられた褒め言葉に動揺を隠せないまま、勢いで立ち上がる。ショタが! ショタが私を褒めた! これはもう私の人生史における記念日として子々孫々に伝えていくしかない。子孫が残るか知らないけど。
「顔洗ってきます!」
「一人で行こうとしないでくれ。オレも行く」
気遣いありがとう!! 好き!!
心の中だけで叫んだつもりだったけど、ナハトは呆れたように微笑んで、そんなに大きな声で言わなくていいと零していた。やっぱりこの口は私の意思に従わないな。いえーい謀反だ謀反。謀反されてんの私だけど。
相変わらずふわふわと浮いている光は、経由地扱いで水辺の場所も教えてくれる優秀なナビである。女神様ー! 信仰心はまるでないけどありがとー! 女神様のおかげで顔も洗えるし水も飲める。やはり便利道具扱いでは……?
顔を洗ったついでに水を飲んでいると、現代日本人である矜持が死んでいく気がする。そして私は生水の危険性を忘れ過ぎだ。賞味期限が二年前だったわさび食べるのとは訳が違うんだぞ私。液体で例えろ私。
なんて考えながらも、喉の渇きには勝てない。変な細菌に感染しないことを祈りながら、透き通っているように見える水で喉を潤す。
そんな私を眺めていたナハトが、ふと視線を巡らせたのに気がついた。
「……そういえば、そろそろ村か?」
「もう少しのはずですよ」
ねー、謎光。指で突こうとしたら相変わらず逃げ出していく光に問いかけると、肯定するようにピカピカと光っ――何その挙動。えっ、何それ。お前、意識とかあるのか……?
「なら、村の子供か」
光をじっと見つめている私の耳に、ちょっとよく理解できない言葉が入ってきた。村の、子供? ナハトに視線を向ける。彼はそっと、私の後ろを指差した。
そこに、は。――ショタがいた。
「みつかいさま?」
かっわいい!! ショタだショタだ! 大人びたナハトとは違って、素朴で無邪気なタイプのショタだ!! 思わず満面の笑みになって子供を見ると、子供もまたパァっと明るい顔になって私に駆け寄ってきた。
「みつかいさま、だよね? わぁ! すごいすごい! ほんとうにめがみさまとおんなじだ!」
はしゃぐ子供は、私の髪と目を見つめては嬉しそうにきゃらきゃら笑っている。
みつかいさま……女神様の御使い、ってことだろうか。私はそんな偉い存在になった覚えはないぞ。なんかすごく愛されてるのは分かるけど、そんな役目を負った覚えはさらさらない。だからといって否定するのも子供の夢を壊すみたいになるし。
悩みに悩んでいる私と、気配を消しているナハトと、はしゃぐ子供。困った。状況が混沌としている。
とりあえず、どうしてこんなところにいるのかを聞こう、と口を開いた。瞬間。ドタドタと忙しない足音が耳に届く。口を閉じた。
「――おい、先に行くなって言っただ、……ろぉああ!!??」
「あっ、おにーちゃん!」
ショタだ! またショタだ!! どうした世界、今日は大盤振る舞いだな。
おにーちゃん、と呼ばれた赤茶の髪をしたショタ――小生意気そうな雰囲気がとてもグッドである――は、顔を真っ青にして弟らしき子供を私から引き剥がした。動きが早い。そして、手に持っていた……桶? を取り落としたのを見るに、水を汲みに来たんだと推測できる。なるほどね! 水辺だもんね!
「おにーちゃん! みてみて! みつかいさま!」
「おま、っ、ばっ、ば……っ!」
私のことをまるで珍しい生き物(多分それが事実)であるかのように見せびらかす弟を見て、兄っぽい子はますます顔を青褪めさせる。フォロー、を。フォローをしなくては……っ。ショタにこんな顔をさせるなんて斬首ものだ。でも状況が理解できないから正しいフォローが分からない。
ナハト……助けてナハト――駄目だ! なんか木の影と同化してる! しーってされた! 仕草可愛ぃぃ!! でもこういうところで私を見捨てるんだね?!
まあ何か意味があるのかもしれないから、私は小さく頷いて子供達と向き直った。……あぁあ可愛い! 成長をつぶさに見守りたい……。
「服! さわ……っ、汚れ!! 申し訳ございません御使い様!!」
――土下座された!?
異世界でも最上級の謝罪が土下座なのか、という疑問が一瞬だけ浮かんで消えた。ただの現実逃避である。だって、ほら、ね? ショタが、ショタが私に土下座、って……。
「止めてください汚れます!!」
「ひ、っ申し訳ございません!」
本当に駄目無理地雷! そういうの駄目だって何回も言ったでしょ!? ショタが私に敬意を払うのは無理。子供はもっとすくすくと、自由に、のびのびとしててよ。土下座とか無理無理無理心が無理。吐きそう。
「顔を上げてください! ほら、立っていただけますか? ぁああ、ショタの膝に土が……っ。えっと消毒……いや傷はないわ。水、水。洗わなきゃ」
きょとん、とした顔が私を見ている。その視線には気がついていたが、静かにはなったのでこっちのしたいようにすることにした。ショタは確かに元気な方がいい。だけど、私のせいで。私の! せいで! 汚れたり怯えたりするのはただの地雷踏み抜き一本釣りだから。何言ってるのかって? 私も分かんないよ!
「……み、御使い、さま」
「水を汲みに来たのですよね? 驚かせてしまって、申し訳ございません」
歳上のお姉さんの風情でそっと微笑み、ショタと視線を合わせた。焦げ茶の瞳が、本気で理解できない物を見る色で私を見ている。なるほど愛い。
もう取り繕っても無理だろ、と冷静な部分がツッコミを入れた。分かってるよ、と欲望にまみれた本能も言った。でもショタ相手だし……なんかキラキラしい目で見てくるし……だったらできる限りのことはする。それが私のショタコン魂です。
「あの、こいつ、俺の弟で……まだ何も分かってなくて、だから、その」
兄の方のショタは弟を庇うように背中に隠し、しっかりと私を見つめて口を開く。
「御使い様への無礼は全て、俺が責を負います」
「そんなことしなくていいんだよ!!?」
反射的に言い返すと、お兄ちゃんの方の子が眉をひそめた。ごめんね。お姉さん何もわかってないただのショタコンだから……。
なんだか妙な空気になってしまった。そんな沈黙を叩き壊すように、弟の方が私に駆け寄ってくる。うん。いいんだけどさ、お兄ちゃんの勇気を軽率に踏みにじったね。ショタは自由だから、そういうのいいと思う。でも私以外にやったら多分ひどいことになるとも思う。
「おにーちゃんをおこらないで! みつかいさま!」
「大丈夫です、怒ってません。怒りません。怒るようなことは何もされてません」
だから安心してね、と伝えるように微笑みかけた。大丈夫? 私、ちゃんと微笑めてる? 顔面からショタコン滲んでない?
「……ご、ご慈悲に感謝いたします」
「もっと軽く、ありがとうの一言でいいですよー」
「……ありがとう?」
不思議そうに首を傾げ、ショタは小さく呟いた。やだ可愛い。これは国が築けるレベルの愛らしさ。
「水を汲みに来たんですか?」
「え、あ、……はい」
「お手伝いさせていただいても、よろしいですか?」
流石にショタよりは力があるだろ。そう考えて、勝手に桶を拾う。やっぱり、子供は何も理解できていない様子で私を凝視していた。そんなに見ないで、照れちゃう。
「――って、いやいやいや!! 止めてください御使い様! そんな、お手を煩わせるようなこと……っ」
「ああ……やはり、見ず知らずの者がこんなことを言っても不気味ですよね。こんな何の菌を持ってる分からないような相手、手伝いを申し出て何をしようとしているか分かったもんじゃない、と」
「違っ、そのようなことは!」
「では、私が持ちます」
土下座をさせてしまった罪悪感で死にそうな私は、とにかくショタの役に立ちたい一心なのだ。何がしてあげないと心が辛い。桶に水を入れて、持ち上げ――と、そこで気がついた。
全然重くない。手に食い込む重量感が、ほとんど存在しない。何これ魔法の桶が何か? 首を捻り、桶をじっくりと見る。なるほど桶だ。木製の、丸い、ただの桶だ。変な文字も模様も絵も書いてない。なるほど分からん。
「御使い様に、そのようなことをさせるわけには」
「私がやりたくてやってるんですから。……あと」
桶の不思議は、まあいいや。状況を理解できていない様子の弟、未だに顔色の悪い兄、と視線を巡らせる。最後にナハトの方をちらっとだけ見て、それからへらりと笑みを作った。
「その、御使い様って……何ですか?」
風が吹く。私の白い髪が風になびいて視界を覆う。……一瞬だけ、世界から色が消えたような錯覚に陥った。
だから、私は知らない。
ナハトが恨むような視線を子供達に向けていたことも。彼が子供達に話しかけようとしなかった理由も。何も何も。
ただ、脳天気に、未来なんて考えずに笑っていたのだ。
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