ショタの慰め


「今日は誰か人に会えるといいですね! 二日連続で野宿も困りますからね!」

「…………ああ、そうだな」

「そ、空も青くて絶好の旅日和ですね!」

「そうだな」

「……えっと、ナハトは今日も素敵ですね?」

「そうか」


 こちら現地より、地獄が如く気まずい空気でお送りします。私の言葉をすべて一言二言で切り捨てていく麗しいショタは、私の方を見てはくれていない。朝ご飯(果物オンリー)の時からそうだ。美味しいねとかこれってなんて名前なんだっけとか言ってもこんな感じでした! 昨日の和気あいあいっぷりがまるで嘘みたい! 心から辛い。しんどい。心臓から血が溢れ出しそう。

 朝のアレが悪かったのかな。まあアレだよね。アレ以外に理由見当たらないし。

 でも、私のメンタルが一度死んで生き返ったように見せかけてHP一ミクロンしか残ってない、みたいな事態なのはもうしょうがないし。はい。常に瀕死の心で生きています人生楽しい。


 でも、ナハトを悩ませるのは本意じゃないからなぁ。朝の私を見てしまったらもう、私のどんな言葉も気持ち悪いだけかもしれないけど。


 表情を、意識を、意図的に切り替える。とん、と一度だけ踵で地面を叩き、口元だけで笑みを描いた。


「朝のことは、気にしないで下さい」


 ひどく静かに。自分の声とは思えないくらい温度のない音が、この口から滑り落ちる。


「……」

「気にしなくて、いいんです」


 ナハトの視線が、ようやくこちらに向いた。それだけで叫びたいくらい嬉しくなる私は何を隠そうショタコンである。知ってた。


「オレは、その。……あのさ」


 今朝の異常事態以降、初めて相槌ではない言葉を紡いでくれた彼の視線が、曖昧に揺らぐ。躊躇うように何度か首を振って、ナハトは苦しそうに顔を歪めた。駄目だなぁ。私は、ナハトのこんな顔見たくなかったのに。


「……いや、何でもない。今は、やめよう。触れられたくない、傷、だって……あるよな」


 それは、自分に言い聞かせるような響きだった。少年の黒い髪が風に揺れる。少年の黒い瞳が真っ直ぐに私を射抜く。その色。愛しくて憎たらしくて美しくて悍ましい、煌めく闇を。ただ綺麗だと褒められないような世界なら、滅べばいいとさえ思う。

 そして、彼の優しさを利用する愚かな人間(わたし)は、いつか罰が当たって死ねばいい。


「ねぇ、ナハト」


 どれだけ罪深くとも、美しい少年の姿をしたこの奇跡をどうしても手放せないのだ。そんな私の弱さは、きっと、誰にも愛などとは呼んでもらえないだろう。だけれども、せめて。


「くだらない話を、しましょう」


 この痛みを、あなたが背負ってしまわないように。

 私の弱さを、あなたが哀れんでしまわないように。


 そう思って吐いた私の唐突な言葉に、ナハトは困ったように目を伏せた。


「くだらない、って。どんな?」

「この世界が天動説を取ってるか地動説を取ってるか、とか?」

「もっと気楽な話題で頼む、っていうか何だそれ――いや説明しなくていい。話が逸れる」


 ごめんね話題選び下手くそで。あとその表情珍しいね、可愛い! 好き! ショタの胡乱な視線に何か目覚めそうになりながら、私は別の話題を探すことにする。あんまり思い浮かばないけどね。ライヴ感で生きているつけがここに回ってきたか。


「じゃあそうですねぇ……好きな食べ物は、何ですか?」

「……シュラーヴィエのパイだな」

「しゅ、……しゅ、らぁびえ?」

「昨日今日と食べた、あの果物だよ」

「随分と複雑な名前してますねあの食欲減退色フルーツもといビビッドブルー色の果物」


 シュラーヴィエ……シュラーヴィエ。の、パイ。今はどうにか覚えたけど、すぐに忘れそう。あと舌噛みそう。


「レイの、好きな食べ物は?」

「えぇっと……、こうして聞かれると難しいですね。最近食べて美味しかったのは、……駄目だ余り物ぶっ込んだカレーしか思い出せない」


 買ったまま放置してたちくわとかカニカマとか間違えて買ったつくねとかをぶっ込んだやつである。練り物しか入ってないとは散々言われたが、文句なら練り物ばっかり余らせる人の方に言ってほしい。具体的には神父様に言ってほしい。何でそんなに練り物買ってくるの? 買い物当番やめろ。

 っていうか、異世界に来てまで私は何の食べ物を教えてるんだ。もっと何があるでしょ……ない? ない!? 何でも美味しく食べてしまうからすごく好きな食べ物もないや! 嘘でしょ私。本当だよ私! この貧乏舌! いや、教会が貧乏だったんだよ。


「かれー……? どんな食べ物なんだ?」

「……大人も子供もほとんどの人が好きで、どんな食材を入れても美味しくなる魔法の料理です」

「それはすごいな」


 素直に感心してくれるナハトの無邪気さで胸が痛い。その魔法は食事当番、すなわち私にとっての魔法でしかないし。好きな人が多いとは言っても、カレーが5日続いた時はブーイングがすごかったし。まあ、ナハトが気になると言うなら。


「似たようなスパイスがあれば、再現できるかもしれませんね」

「レイは料理が得意なのか?」

「まあ、料理は基本的に私の役割でしたし。カレーは特に好きだったので」


 そして私は一時期カレーに凝っていた。凝っては、いたんだけどなぁ。そう、ルーを使わなかった本格カレーは、辛いというシスターの一言により私と神父様が懸命に処理しました。はい。子供には辛かったみたい。……って、ナハトもショタだよ。スパイスがあればとかいう問題じゃなかった。


「……ナハトが大人になる頃には、作れるようになっているといいんですけど」


 言うて私も大人じゃないけど、流石に子供……ナハトくらいの年齢の舌には刺激が強すぎるし。ナハトが私くらいになったら、二人で食べられるといいな。それまでに米があるかも確認しなきゃ。米、あるといいなぁ。贅沢言うなら、タイ米じゃないといいなぁ。

 思考が一区切りつき、ようやく、隣を歩いていたはずのナハトが着いて来ていないことに気がついた。振り返る。なぜだか、ひどく驚いたようなまんまるの瞳と目があった。


「お、とな、に」


 呼吸よりも微かな声が、ショタに関すると地獄耳を発揮する私の耳に届く。だけど、内容はよく理解できなかった。首を傾げ、一歩近づく。


「大人に?」

「――、いや。何でもない。気にしないでくれ」


 あ、今、距離を置かれた。

 今朝私がした線引きをそのままなぞるみたいに、ナハトは言葉を、あるいは痛みのような何かを飲み込む。その顔がよく知っている誰かのものにそっくりで、笑えてしまった。

 ああ……私達ってば、似たもの同士だね。似たもの同士だったんだね。今、分かったよ。そう、分かるんだよ。血を流したまま放置された傷口は化膿して、もう手当しようとしても痛みに呻くことしかできないの。治るか治らないかじゃなくて、ひたすら痛みに耐えるしかない。傷なんて見なかったことにするしかない。痛い痛いと、悲しい寂しいと、子供が泣く。その子供ごと、悲しかったことを殺した。だから。

 誰にも触らないでほしい。だから、触らないでいてあげる。

 私を必要としてくれたあなたのことは、絶対に、守るから。


「……まあ、今のは一例です。とにかく!」


 ただし私はあんまり賢くないぞ!! うっわ話を変えるの下手くそ過ぎない……? 頭の中に脳味噌入ってる? 代わりに蟹味噌とか入ってない? むしろ蟹味噌の方が食べられる分まだマシとかそんな……。そんな。


「私はナハトと、楽しい話がしたいんです」

「楽しい話……な」

「はい。明日やりたいことを話しましょう。美味しい食べ物のことを話しましょう。綺麗な花のことを、面白い物語のことを、幸せな記憶のことを……話すんです」


 そうしたら、いつか、悲しかったことも忘れてしまえるかもしれない。

 そうしたら、いつか、誰もいない朝に怯えなくて良くなるかもしれない。

 馬鹿みたいな私の言葉に、ナハトは小さく息を吐いた。呆れられてしまったかな。


「そんなふうに、この旅が楽しいものになるように、あなたと二人で歩きたい」


 終わることのない夜の真ん中を閉じ込めたみたいな黒が、ただ私を見つめている。ナハトはそっと、私の震える手を取った。その後の沈黙は長かったような気もするし、短かったような気もする。


「――レイ」


 ナハトは、ひどく静かに私の名前を呼んだ。二度と手に入らない奇跡を讃えるような、声だった。


「オレにはさ、分からないよ。どうしてレイがオレを必要としてくれるのか、どうしてレイがオレに優しいのか、どうしてレイがオレに縋るのか。分からない」


 震えていたのは、私の手だけじゃなかったのかもしれない。ナハトもきっと震えていた。


「……朝、さ。オレがいないと死ぬ、って、言われて。オレは確かに嬉しかったんだ」

「えぇえ……? 引きませんでした?」

「オレも、レイに見捨てられたら死ぬしかないんだよ。知らないだろうけど、まだ解らないだろうけど、そうなんだ。……だから、同じだって分かって、嬉しかった」


 ああ、子供じゃないか。ショタだショタだと言い続けてきたはずの私は、なぜか唐突に彼がまだ子供なのだと理解した。震える肩の小ささと、私の手で包み込めるその手のひらの小ささ。なのに、言葉だけはどうしようもなく重い。


「楽しくない話でごめん。でも、これだけは。……これだけは、伝えさせてくれ」


 ナハト。ナハト。ナハト。私の小さな美しい夜。


「オレは、レイの側にいるよ。いらないって言われても、邪魔だって言われても、殴られても蹴られても刺されても。側にいる。絶対に、ずっと、永遠に、……オレの居場所は、レイの側だ」


 子供の語る、永遠とか絶対とかずっととか、は。頼りない口約束で、大人になったら忘れてしまう一瞬だけの言葉で、簡単に口にできて簡単に破り捨ててしまえる一言だ。そう、知っている。教会の子供達はいつだって、そんなふうに、その言葉を使っていた。

 なのに。

 どうして、ナハトの言葉は、本当だと思えるんだろう。


「……何度でも言う。昨日も言ったけど、信じてないみたいだからな。信じてもらえるまで繰り返すよ。オレは、レイの隣にいるから。絶対に、離れたりなんかしないから」


 だから、と。呟いて、彼は、見慣れた苦笑に変わってしまった。しょうがないなぁ、と許すような顔。大人びた、顔で。


「もう、泣かないでくれ」


 彼の顔が、滲む。言われて初めて、泣いていたことに気がついた。あとからあとから流れ出る涙は、昔、神父様と出会った日とよく似た温度をしている。

 慰めるように、私よりも小さな手が頬に触れた。私の世界は余所余所しいのに、この手の体温だけは優しい。優し過ぎた。昨日から、ずっと。彼は私に優しすぎたのだ。


 しゃがみこんで、泣き顔を隠す。そんな私を世界から隠すみたいに、でも隠し切れない小さな身体で、ナハトは私を抱き締めてくれた。

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