ショタコンの弱音


 ぎゅーい、ぎゅーい、と。鳥の鳴く声が聞こえてきて、目が覚める。目覚め一発目に聞くには少し耳触りが悪い声だ。もっと可憐な感じのがいい。ぴちちちち……みたいな。贅沢か?

 目を開けると、遠くで青い色の鳥が飛び立つのが見えた。あんなに綺麗な青い鳥なのに、あんな出来損ないの歯車みたいな声してたのかよ。びっくりだわ。


 ……なーんて。取り留めのない思考は、夢の中の声を掻き消してはくれなかった。あの人はきっと、私が死んで、いなくなって。泣きはしなかっただろうけど、苦しんだんだろう。


「……ひどい夢を見た……おでこ痛い」


 夢の中でされたデコピンが現実にまで尾を引いている気がして、額を擦る。神父様。ああ、神父様。説教が下手で直ぐに手が出るところ、直したほうがいいですよ。あとカルシウム摂って。牛乳を飲ませることはもう諦めるから、煮干し食べて。

 変な体制で寝たせいでバッキバキな体を解していると、寝る前には抱え込んでいたナハトがいないことに気がついた。えっ私寝過ごした!? いなくなっても気づかないくらい寢こけてたの!?

 そんなことよ、り。


「――ナハト!?」


 ぐるりと辺りを見回す。いない。私の悲鳴じみた呼び声にも、返事はない。

 顔が青ざめているのが、自分でも分かった。自分の体温しか残っていない毛布を中途半端にかけたまま、ふらつくように立ち上がる。


 寒い。いや、今の季節は暖かい方だけど。そうじゃなくて。心が。心臓が。脳味噌から脊椎に繋がる神経が血管が、音を立てて温度を下げている実感がある。この世界に来てからずっと傍らにあったあの温度が、黒が、どこにもない。

 自分が震えている、と気がついたのは、そう。足がうまく動かなかったからで。ああそうだ。立つのも歩くのも、難しいくらいに。だって。


「ナハト、どこ、ナハト」


 一人じゃ、うまく、歩けない。

 この世界では縋るものなんて一つしかなくて。その一つがなくなったら、本当に何もかもがなくなってしまうのに。ナハトがいない。ひ、と小さく悲鳴が漏れた。やっぱり、見捨てられてしまったのだろうか。

 だって、誰かの役に立つ私じゃないと価値がない。だから、ああ、また駄目だった? 何か間違えた? 全部やっぱり無駄だった?

 引き留める、ために、何が足りなかった?


「ひとり、にしな……い、で」


 寂しい、悲しい、と。声がする。うるさい。死ね。お前は死ね。いや、死んだはずだ。だって、親に愛されたくて泣いていた子供は殺したんだ。

 お姉さんにならなくちゃいけなかった。歳上なんだから、ちゃんと、強くないといけないと思った。守らないといけないと、そう決めた。だから、愛されるんじゃなくて愛する人に。手を引かれるんじゃなく抱き締める人に。そのために私は、愛されなかったお前を殺さなきゃいけなかった。


 なのに、寒くて動けない。

 一人では一歩前に進むことさえできない弱さを、ああ、あなたの前では見せたくなくて隠していたのに。


「ひとりは、やだぁ……っ」


 こんなにもこんなにも、私には、何もない。何も、ない。世界がない。

 ナハトの前ではどうにか隠せていたのに、一人放り出されただけでグズグズだ。だって、本当は寂しいの。本当は苦しいの。刺された腹がまだ痛い気がする。流れる血の嫌な感覚も、身体が私のものじゃないみたいに冷えていく感覚も。二度と感じたくないと思うくらいには、辛かった。死にたくなかったよ、死にたくなんてない。引き剥がされたあの世界は、それでも、私にとって居場所だったから。だから、本当は、守れてよかったなんて優しい感情だけで終わらせられなくて。


 でも、目覚めた世界にはあなたがいた。


 あなたがいたから、私は立てた。あなたが縋ってくれたから、私はお姉さんのふりができた。必要だと言ってくれたから、生きていい理由を見つけられた。

 利用されてもいいよ、私も利用してる。本当は優しくなんてしなくていいよ、私も本当は優しくなんてない女だ。だけど、側にはいて。置いていかないで。一人には、しないで。


「――何があった!?」


 あなたがいないと、自分の立っている場所がどこなのかさえ分からないの。


 両手に果物――やっぱり鮮やかな青だ――を抱えたナハトが視界の中に入って、私は地面に崩れ落ちた。安堵で。ただ、安心して、何か糸がぷっつりと切れたみたいに、身体に力が入らなくなる。


「……っ、な、なは、と」


 息が苦しい。過呼吸……ではないと思う。けど、息を吸って、吐くことに集中しないと溺れそうだ。何に、って。……世界に。世界に、溺れそう。


「どうして泣いてるんだ? 何があったんだ? 怖い夢でも見たのか? 何か怖い目にあったのか?」


 心配そうな顔が滲んだ。地面に、果物が散らばっている。あれ、なんて名前だったっけ。昨日聞いたけどよく覚えてない。せっかくの食料なのに、雑に扱っちゃ駄目だよ、と。伝えようとしてまた世界に溺れそうになる。息が苦しい。ああ、こんなんじゃ駄目なのに。ナハトが心配しているのに。


「ひと、り、だったぁ……」


 口から出たのは、食べ物を大切にするべきだなんてちゃんとした言葉じゃなかった。


「……れ、い?」

「ひとりだった。おきたらいなかった。さむかった。つめたかった。……さみしかった」


 ナハトの戸惑いを他所に、思考の隅に残った冷静な部分の嘲りも捨て置いて。私は喚く。泣きじゃくる。八つ当たりだよ分かってるよでもいま混乱してるのごめんね!! 許して!!


「え、ぁ、あぁ……ごめん。よく寝てたから、起こしちゃ悪いと思って――」

「――置いていかれたかと、思った」


 息を呑む、音がした。


「置いていかないで。一人は嫌なの、怖いの、寂しいの」


 ナハトは何も言わない。それをいいことに、私はみっともない弱音を重ねていく。


「……ごめん。ごめんなさい。今だけ、私は、ひどいことをあなたに言う。許さなくていい。すぐに忘れてくれていい。今だけ。今だけ、だから。約束するから。許して。……私はね」


 私の肩を抱こうとしていたのか、空を彷徨っていた手のひらを握る。私の怯えが伝染したのか、彼の手も震えていた。それに気がついて、少し笑う。笑う、ことができた……はずだ。


「きっと。ナハトがいないと、死んでしまう」


 彼の手が大きく震えたのが、触れている私にははっきりと分かった。

 涙が頬を滑り落ちて、視界が鮮明になる。ナハトは、得体の知れない化け物でも見るような視線を私に向けていた。

 ……うん。それでいい。愛されなくていい。必要とだけしてくれればいい。利用してくれればそれでいい。生きるために私を使って、未来のために私を食い潰してくれればいい。

 だって、どんな形でも、一緒にいてくれれば安心できるから。

 あなたが子供でよかった。大人は嫌い。すぐに置いていくから。あなたがショタでよかった。女の子は怖い。愛されなかった子供を、思い出すから。


 ひと呼吸分、強く強く手を握り締めた。それだけ。

 思考を切り替える。意識を引き戻す。さあ、いつまでもショタの手にベタベタ触るもんじゃないよ私の馬鹿! せっかくショタが自ら! 早起きして! 食べ物を取ってきてくれたんだ。早く顔を洗ってご飯にしなきゃ。


「――さて。朝ご飯にしますか。私が眠ってる間に取ってきてくれたんですね! ありがとう! 流石ナハト! 素敵! 」


 近くの水辺に向かって歩く。後ろから、何か声をかけられたような気がするけど――多分気のせいだろう。

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