ショタに利用される
大きな木に背を預けて、薄暗い空を二人で見上げていた。穏やかな時間だった。ここで生き物は生きていけないとかいう現実が遠いことのように思える。なんでここにいるのかとかもはやどうでもいいわ。
……と、思っていたのは私だけらしい。おもむろに、彼は真剣な表情で私を見つめだした。やだ、ショタの真剣な眼差しとか好きになるしかない。
「ところで、アンタの種族は何だ? 耳や尾は無いから、蛇とかか? ……それにしては綺麗な髪と目の色をしてるけど」
……? しゅぞく。意味が理解できなくて視線が揺らぐ。その先には、彼の耳があった。髪と同じ漆黒の、猫耳が。あー、この猫耳って本物なのね。オッケー理解した。
「……ああ、オレは見てわかる通りの猫種だよ。純猫種。人間の血は一滴も入っていない」
人間の血が入ってないの? それはもう人間ではないね。……って、人間じゃないの? え?
だったら天使かな? とかいう思考はもう捨て置くことにした。そろそろ現実と向き合おう。多分ここは天国ではないのだろう。そして、彼も天使じゃない。私にとっては天使だけど。
思考を切り替える。現時点でわかっていることはほとんどない。ただ、彼の口ぶりから察するに、猫種はそこまで珍しくないと思われる。そして、人間の血に関して言及したところを考えると、人間という種は特別扱いだと考えられる。それが良い意味か悪い意味かはわからないけれど。
――一瞬、考えた。嘘をつくか否かを。彼に、嘘をつくか。思考は本当に一瞬だったけれど。
「私は、人間だよ」
ショタに嘘をつくとか無理です。だって彼はショタだよ? 天使と見紛うレベルのショタだよ。もう打算とか考えるべきじゃないよねだって彼はショタだから。理屈とか理論とか理性とかそういうのは捨てる。ショタより優先すべき事項なんてこの世界には何もない。
馬鹿なことを考えながら吐き出した私の言葉を聞いて、彼は明らかに表情を変えた。
最初は、理解できていないようなきょとんとした顔。次に、驚愕。そして戸惑い。
くるくると変わった表情は、私の目を見つめて止まる。苦虫を噛み潰したような、どこか不愉快そうな表情だ。しっぽもこころなしか膨らんでいる。
「……だから、女神の色を持っていたのか」
吐き捨てられた言葉は理解できなかった。首を傾げる。彼は、そんな私を見て、ただ困ったように微笑んだ。どうやら、彼の不愉快は私に向けられたものではなかったらしい。よかった。ショタに嫌われたら軽率に死にたくなるから。
「アンタは、何も知らないんだよなぁ……」
私に向ける瞳は、変わらず穏やかだった。彼はため息を吐いて、頭を抱える。どうしてしまったんだろう。唐突に重い責任を負わされたような顔をしている。
「……人間って、駄目なんですか?」
「逆だ。……純血の人間なんて、国を上げて保護されてもおかしくない」
……レッドデータブックにでも載ってるのかな。それはやだな。彼は何事か呟きながら、思考を巡らせている様子だ。ショタなのに賢くて優しくて思慮深いなんて、もうこの子こそ国を上げて保護されるべきだと思う。
そして、そんなショタを悩ませている私は罪深い。
「――なあ」
彼は、私に声をかけながら立ち上がった。その表情は影になっていて見えない。
「アンタ、オレに利用されてくれるか?」
「喜んで」
……あ。思い詰めたような声色だったとかそういうの気にせずに、ショタの役に立てるというだけで判断してしまった。失敗、失敗。彼の方から呆れたような雰囲気が漂ってくる。
「もう少し考えろよ」
「……今、改めて考えますね」
利用。利用、かぁ。彼が私に何かを求めてるなら対価とか何もなしで叶えるけども。ただより高いものはないっていうからね。警戒されるのも無理はない。でも。
「利用だと、何だか聞こえが悪いですね」
「いや、そこはどうでもいい。問題はそこじゃない。頼むから落ち着いてくれ」
「なので、助け合いということで!」
風が吹いて、彼の表情が顕になる。不思議そうな、理解できないものを見るような、あどけない顔をしていた。
私は満面の笑みを向ける。彼に利用されるなら大歓迎だ。だからこそ、彼には思い悩んでほしくない。ショタだし。
「オレは、アンタを助けていない」
「助けてもらっていますよ。目を覚ましてからずっと」
「アンタは、何も知らないから」
「あなたは、私を見捨てなかった」
眠っていた私を起こしてくれた。この森のことを教えてくれた。理不尽に対して怒ってくれた。きっとそれは全部、優しさからきたものだ。
だから、私は別に利用されてもいい。ショタのため、だけではなく。彼の助けになってあげたい。優しい人は幸せになるべきだというのが信条だ。なお、それがショタだったらなおさらである。
「馬鹿だろ、アンタ」
「先程も言いましたが、馬鹿だとはよく言われるんですよ」
彼は、ぐしゃりと顔を歪めた。笑っているようにも嘆いているようにも見える、ひどく曖昧な表情だった。掠れた声がもう一度だけ「馬鹿だ」と呟く。
でも、もう思い詰めたような様子はなかったので、良しとしよう。
「で、あなたは私に何をして欲しいんですか?」
躊躇うように彼の視線が揺れる。
「……アンタが純血の人間ならさ、この森から出られるんだよ」
「え、なにそれチートですか」
「ちぃと?」
「すみません口が滑りました何でもないです」
早口で誤魔化しながら、嫌な方向に進んでいく思考を押し留めようと首を横に振った。
ここで生き物は生きていけない。人間以外はここから出られない。だったら、彼は。
大罪人の処刑場。そう言われたことを思い出した。彼はここで死ぬところだったのか。それは、なんて。何で、彼は、なんの罪を。
「でも、アンタにとっては違う。アンタが純血の人間なら。女神が何よりも寵愛した種であるならば、この森さえもアンタのために動くはずだ」
言われた意味は理解できない。でも、それが事実だと、なぜか本能的な部分で納得した。女神の寵愛とか知らないけど。
……すみません、うちの教会一神教なんで。ちなみに、他のどこかでうちの教会と同じ宗教を聞いたことはない。どういうことだろうね。シスターは笑顔で誤魔化すし、神父様は真正面から説明を拒絶したし。傍から見たら完全に怪しい宗教でした。はい。怪しい宗教の教会に住んでいる私には友達が一人しかいなかったことをここに宣言しておく。大体神父様のせい。シスターと子供たちには罪なんてない。多分、神父様が悪い。
「人間って、何なの?」
「女神が己を模倣して造った生き物だ。この世界で唯一女神の力を借りることができる」
「どうすれば、借りられるんですか」
「願えばいい」
願う。どこか切羽詰まったような言葉に押し切られるように、思考が揺らぐ。願う。なにを。
(……彼と一緒に、ここから出して。とか?)
『それが貴女の願いなら』
なんて、と苦笑した瞬間、鈴を鳴らすような儚い声が耳元で響いた。思わず瞬く。
「……え?」
そして、目の前の景色が歪んだ。一瞬の出来事。瞬きの間に、景色が切り替わる。光が、目に差し込んだ。
鬱蒼とした森とは違う、そのままの日差しに照らされ、目を押さえる。ぴちちち。と、鳥の声も聞こえてくる。虫の羽音も。
明らかに森の中じゃない。外だ。彼も隣にいる。どうやら、願った通りになったみたいだ。って。
――願うの基準、ちょっとガバガバすぎない?
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