ショタと出会う


 夕焼けに染まる町を、知らない誰かと手を繋いで歩いていた。雨上がりの湿った匂いの、澄んだ空気の中を二人で。この、土や草の混ざった匂いが好きだった。外にいると実感できるからかもしれない。

 私の手を引く人に声をかける。


「ねえ、あやまちってなに?」

「間違いってことよ」

「……じゃあ、わたしはまちがいの子だったの?」


 背の高いお婆さんは、悲しそうな顔で私を見下ろした。首を傾げる。なにか間違ってたのかな。お父さんは私のことをあやまちの子だって言っていたのだけれど。

 強く、握られた手に力が入った。まるで、繋ぎ止めるかのような力強さだった。お婆さんは、握っていない方の手で私の頭を撫でる。


「いいえ、……いいえ。あなたは過ちの子などではありませんよ」


 じゃあ、お父さんは嘘をついていたのかな。何度も何度も、まるで刻みつけるみたいに。本当のことを丁寧に埋葬するかのように。お父さんは、嘘を重ねていたのだろうか。


「生まれてきたことが過ちであったなど、そんなはずはありません」


 きっぱりと言い切る声は、どこか震えているようにも聞こえた。ああ、優しい人だ。確信を持って、そう思う。だってこの人はきっと、私の髪や目の色だって気にはしていない。

 きっと私の髪は今、夕陽が透けて赤く染まっているのだろう。今、それを悍ましく思わないことが、奇跡のようにも思えていた。



 ――それは、多分、走馬灯だった。



 ぺちぺち。そんな感じの音を立てて、軽く頬を叩かれる感覚がした。意識が急速に浮上してくる。草と土の匂い。頬に当たる風の感触。瞼越しに届く光。

 それらすべてが、『私が生きていること』を主張してきていた。

 だったら、全部夢だったのかもしれない。私は外で昼寝でもしていて、誕生日はまだ先で、あんな女は来ていない。そうだ、きっとそう。だって、刺されたはずのお腹が全く痛くないんだもの。

 だから、いつもの日常に、かえ――。


「……生きてる、のか?」

「ショタ!?」


 ……ごめん。本当にごめんなさい。あんまりにも素敵なショタボイスが耳に入ったのでもう起きるしかなかったというか。見ず知らずのショタに寝顔を晒していたという事実がちょっと受け入れ難かったというか。

 私に声をかけてくれたショタは、呆気にとられたように目を見開いて固まっていた。私もショタを見て固まった。


 だって、――そこには、天使がいた。


 日本人にありがちな少し茶味がかったそれとは違う、どこまでも純粋に黒い色の髪と瞳。肌は抜けるように白く、その絶妙なコントラストが互いの色彩を引き立てあっている。

 色だけではない。顔立ちは少年らしいあどけなさと大人びた冷たさが同居した、曖昧かつ不思議な雰囲気で、びっくりするほど綺麗だ。綺麗すぎてちょっと寒気がした。


 頭に一対の猫耳がついていることなんて些事だ。


 この子の美しさの前では明らかな違和感を発している耳なんて些事。

 いやほんとに。綺麗すぎるけど大丈夫? この子国を上げて保護しなくて平気?


 いや、多分ここは天国だから平気だろう。だってこんなにも理想的なショタが私を迎えに来てくれたんだから、天国に違いない。だから猫耳が生えてるんだね納得。獣耳は性癖。

 ありがとう神様。ありがとう世界。このショタと出会えただけでもう人生に満足したよ。ここから先地獄に落とされてもいいや。今すごい安らかな気分。


「……しょ、た?」


 いや安らかな気分になってちゃ駄目なやつだわこれ。


「そんな言葉言ってませんよ……っ。空耳じゃないですか?」

「いやでもさっき」

「気のせいです」


 ショタはこんな言葉知らなくていいんです。永遠に清らかなままでいて。

 絶対に引かないという私の意志を察したのか、天使は小さくため息を吐いた。


「……ああうん。もういいや」


 ああ……。憂い顔も美しい。私がうっとりとしていると、天使は胡乱な目で私を見た。


「で。アンタ、なんでこんなところで寝てたんだ?」


 こんなところ。どこか自嘲の色が滲む言い方に首を傾げつつ、問い返す。まあ、普通に考えて外で寝てたら不審だけど。それだけじゃない気がした。私はショタコン。ショタの感情を読むのは得意なのだ。ただしショタに限る。


「ここってどこですか?」

「は? ………………はぁ??」


 天使は混乱していても美しい。ショタはこの世の宝。


「アンタ、何も知らないで連れてこられたのか!?」


 連れてこられたも何も私にはここに来た記憶なんて欠片もない。辺りを見回すと、鬱蒼とした森が広がっていた。あー、これは私の知ってる景色じゃないですわ。すごく森。日の光さえ、木々に遮られてほとんど届いていない。少なくとも、日本ではないな。


「……目が醒めたらここにいたんですよ」

「そんな、……そんなことって」


 音を立てそうなほど勢いよく、天使の顔色が青く染まる。その瞳に滲んだ感情は、哀れみとか悲しみとかではなかった。闇色の中でどろりと渦巻いたそれは、きっと、殺意にも似た怒りだった。思わず身震いする。ショタがしていい目じゃないよそれ。もっと楽しそうに笑ってて……。


「アンタは、何も知らないんだな?」

「……は、はい」


 天使は、ショタらしからぬ低い声で私に問いかけた。どうしてこんなにも怒っているのだろうか。死んだと思ったらここにいただけの私にはいまいち理解できない。

 

「――ここは、プーマの森と呼ばれている」

「ぷーま」


 ずいぶんと可愛らしい響きの名前だ。もっとヤバさが前面に出た感じだと想像していたのだけれど。首を傾げる私を尻目に、彼は言葉を早口に重ねていく。猫耳が苛立ちを表すように後ろに反っている。それはまるで、自分の中の苛立ちをどうにかして消化しようとしてでもいるかのような姿だった。


「墓場なんだよ、……ここは。この世界で最も呪わしく穢らわしく悍ましい場所だ」


 天使の白い手が私の頬に触れた。哀れむように、慈しむように。


「今は……大罪を犯した者の、処刑場になっている」

「え?」

「ここには女神様の祝福が届かない。だから、生き物はここでは生きられないんだ。だから、手を汚すことさえ忌むような穢らわしい存在は、ここに放り込んでおけってさ」


 その言葉を聞いて気がついた。私は起きてから一度も、虫や鳥の声を聞いていない。それどころか、彼と私の声とたまに吹く風だけしか音を発するものはない。

 ぞっと、寒気が背筋を這い上がってきた。顔色が悪くなった私に気付いてか、彼は伺うように私の顔を覗き込む。


「……悪い、怖い話をしたな」

「いいえ。えっと、教えてくれてありがとうございます」

「ありがとう、か」


 彼は、どこか辛そうに目を細めた。それは一瞬のことだったけれど、なぜか私の心に小さな棘を残す。ショタは守られるべきなのに、こんなところにいるから。だから、私が悲しい。


「アンタは、なにか罪を犯したか?」

「神に誓って、なにも」


 神父様やシスターに恥じないように。子供たちの手本であるように。私は人として間違ったことはしてこなかった。自信を持ってそう言える。

 いや、大したことをしてきたわけじゃないけど。倫理的に大きく間違ったことはやってないだけだし。小さな嘘ならついたことはあるし、ちょっとした悪戯もある。でも、確かな意思を持って人を傷つけたことはない。それは確かだ。


「……だろうな。アンタは、悪いやつには見えない」

「信じるんですか?」

「プーマの森のことも知らない、オレが声をかけるまで無防備に寝ている、……オレを見たときに、怯えなかった。信じる理由なんてそれだけで十分だ」

「怯える人がいるんですか!?」


 彼は戸惑ったように私を見た。私も混乱して彼の目を見返した。

 怯えるって、なんで。あんまりにも綺麗なショタだから? いや、そんな言い方ではなかった。

 彼は、一度瞬きをした後、泣きそうに顔を歪める。


「オレは、黒い色を持っている。罪咎の獣なんだから、当然だろ」


 血を吐くような声だった。私は、無意識に彼の頭に手を伸ばす。黒が駄目なのか。どうして。そんなに綺麗なのに。こんなにも綺麗なのに。


 私は、ずっとずっと、その色が欲しかったのに。


「――触るな! ……アンタが、汚れる」


 悲鳴のようだ、と思った。ショタにこんな声を上げさせるなんて、私は死ぬべき。いや死んだけど。何度でも苦しんで死ぬべき。そんな空虚な思考は置き去りに、猫耳を避けて彼の髪に触れる。びくり、としっぽが逆立つのが見えた。


「私、黒って好きなんですよ」


 彼が息を呑んだ。でも、これはまごうことなき本音だ。憎んだこともあったかもしれない。ただの憧れだったこともあるかもしれない。

 でも、何もかもを取っ払った瞬間に残ったのは、綺麗だという思いだけだったから。


「何物にも染まらない、一番に目につく色です。強いんですよ、黒っていう色は」


 だから、好き。本当は、理由なんてなかったけれど。綺麗だという想いに、本当は理由なんていらないけれど。

 彼の泣きそうな顔は、見たくないから。理由を作る。語る。教える。


「私は、好き」


 言い聞かせるように繰り返す。彼の口が、戦慄くように震えた。白い頬を一滴の涙が滑り落ちる。彼は気づいていないかもしれない。でも、私の目には焼き付いた。

 ひどく神聖で、美しい光景に見えたからだ。このワンシーンを切り取って宗教画にするべき。なんて、軽口さえ叩けないほど。美しく、綺麗で、清廉で。


「アンタ、馬鹿だろ」

「よく言われます」

「何も知らないんだよな。だから、そんなことが言える。無知にもほどがあるだろ」

「……はい」

「――でも、ありがとう」


 彼は、笑った。どこまでも透明に。

 だから、私も微笑む。彼の涙が、微笑みが、私の心深くに焼き付いていく。


(もしかしたら、神父様もこんな気持ちだったのかな)


 私はこんなに綺麗じゃなかったけど、さ。内心で苦笑を零し、彼の頬に触れる。


「どう、いたしまして」


 子供は宝なんだから。幸せでないと、いけないの。

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