ショタコンの怒り


 恰幅のいい中年男性、というのは。私にとって二・三番目くらいに苦手な存在だったりする。一番はそのうち語るとして……とにかく、私は年上の男が苦手だし、横でも縦でも幅が大きいとより一層拒否感が増す。正直、私より体格がいい相手は私の前に現れないでほしいとさえ思う。……あ、神父様? 神父様は神父様だから大丈夫です。今より肥えてしまったら知らないけども。今は太ってないし中年ってほどじゃないし別に。あと神父様だし。もう他の人とは別枠って言うことで。

 なので。つまり。どういうことかと言うと。


「いやぁーはっはっはっ。まさか、このような辺鄙な村に御使い様がいらっしゃるとは夢にも思わず! 出迎えるのが遅くなり申し訳ございません! おおっと、自己紹介が遅れましたな。わたくしはこの村の長をしております、ブブギーニと申す者です! 以後、お見知りおきを!」


 目の前にいる恰幅のいい中年男性が村長なせいで、普通にしんどい。ということです。はい。っていうかブブギーニって濁点多いな。


 私の前に姿を現したのは、彼だけじゃない。眼鏡をかけた若そうな優男とか、メイド服……えっメイド服? メイド服を着た美女とか。なんかいっぱいいる。なんでこんなに総出で迎えに来るの……やだ……やめて。普通に嫌。


(せめて、今すぐこの人が見目愛らしいショタに変わらないかなぁ……見目愛らしくなくていいから、ショタに変わってくれないかなぁ……!!)


 と、いう。正味どうしようもない願望を抱く程度には、今の状況が辛い。辛い。いつもの、幸せすぎて辛いとかじゃなくて、ガチのやつである。

 目の前には太ったおっさん。――あっ駄目だ言葉を濁すの忘れてた! まあ、もういいや! 知るか!! おっさんだおっさん。村長やってるらしいおっさん。村長って言葉からは、腰の曲がった老人を想像していたが。言葉の割に意外と若そうな雰囲気だ。それでも、私くらいの子供がいておかしくない年齢に見えるは見えるけど。まあつまり、中年だ。

 そして、握手を求めるように差し出された手。にやにやと私を値踏みするような、私をどう利用してやろうかと目論んでいるような欲深い瞳。その瞳孔は縦だった。あと舌が二股。あーもう、本当に嫌になる。爬虫類は嫌いだし。それに。


 あの子達が見当たらない。

 顔には笑顔を貼り付けて、悟られないようにそっと視線を巡らせた。やはりいない。大人だけだ。

 心臓が嫌な音を立てている。嫌な、予感がする。ショタコンとして名高いこの私、ショタに関する勘だけはよく当たるのだ。


 とりあえず差し出された手は見なかったことにして、小さく頭を下げた。


「ブブギーニ様、この度は突然の来訪になり、迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」

「いえいえ! 御使い様がいらっしゃることを迷惑だなんて! さあさあ、こちらへどうぞ。我が屋敷にて、ささやかながら歓迎の宴を催させていただきます」


 うっわマジかよきっつ。一晩だけ布団貸してくれたらそれでいいのに。

 顔を歪めないように必死に笑顔を取り繕う私の手を、ナハトが強く掴む。心臓が大きく音を立てた。今度はときめきで。横を向くと、ひどく冷めた視線をおっさんに向けているナハトがいた。触れたら凍りつきそうな温度だ。


 一瞬。


 顔も名前も知らない誰かが私の手を握っているような。私の生殺与奪を、手と一緒に握られているような。得体の知れない恐怖が背筋を這い上がった。

 手が少し震えたのだろう。ナハトが、そっと私を見る。心配そうな、伺うような視線だった。あっ、しゅきぃ……。恐怖とか気のせいだった!! ナハトはいつでも可愛い私の天使だったね!


 そうして、おっさんからしてみれば不可解な沈黙が流れ、訝しむような視線がこっちに向けられた。その目は、今更にナハトを捉える。やめて。減る。やめろ。


「ん……、そちらの子供は?」


 今まで本気でナハトが視界に入ってなかったの!? こんなに、光り輝くような美しさと存在感を持っている最高のショタが目に入ってなかったなんて!!? 本当に視力があるのか、こいつ?

 呆れながらも、質問に答えようと口を開いた。


「この子は、私の――」


 ――私の。何、だ。

 不意、に。

 疑問が、喉に絡みつく。ナハトは。この世界で一番大切な。可愛い。綺麗な。私の。私の?

 下僕。従僕。……奴隷? 何。何と答えるのが正解だ? 正解は、何だっけ。分からない。分からなくなった。いや、最初から分かっていなかった。


 おっさんの後ろで、他の人達もざわついている。薄汚い。黒。獣。災禍の獣。みすぼらしい。

 小さく聞こえる声は、悪意に満ちていた。気づかれないように、視界を巡らせる。顔を脳に焼き付けた。全員。ナハトを罵った奴は全員。覚えて、落とし込んで、焼き付ける。

 あれは、**だ。


「ああ、奴隷か何かでございますか? しかし、薄汚い上に嫌な色の子供ですね。このような子供にまで慈悲を与えるとは、流石御使い様」

「いえ、違います。この子は、この子は、私の」


 冷えた思考の片隅で、意識を隣に向けた。ナハトが、私を見ている。困ったみたいに笑うあの、いつもと同じ表情で。


「ですが、御使い様のお側に在るのに、このような獣は相応しくありません」


 諦めみたいな色を、奥に隠して。私を見ている。

 どうしよう。どうしたらいい? 私はどうしたらいいんだっけ。正解はどれ。っていうか、腹立つな。さっきからずっと、このおっさんはナハトに無礼なことばかり――。


「見れば見るほどみすぼらしく、しかも! 目や髪も、獣の証の耳や尾も――悍ましい闇の色! ……気持ち悪い」


 ――ぷつん、と。

 脳内で、何かが切れる音がしたような気がした。気のせいかな? うん、気のせいだろうね。冷静冷静。私は、平静を保ってる。いつもと同じ。思考は冷静。視界は明瞭。大丈夫。大丈夫だから。ナハトはそんなに心配そうな顔しなくていいよ。大丈夫。


「御使い様、是非ともその獣は手放して、……そうですね。この村にも、御使い様のお側に在りたい者が大勢おります。もしよろしければ」

「黙りなさい、無礼者」


 一歩、前に出た。強く握られていたはずのナハトの手が、自然に離れる。視界の端で、いつもならば気にならないはずの銀髪が揺れた。目障り。やっぱり私は、黒が好きだ。銀色では夜に溶けない。溶けないから、浮き続ける。ずっと。ここでも。私は集団に埋没できない。

 ここにいる全員。そう、全員だ。私と同じ色の人なんていない。ああ。そうだよね。そういうものだよね。きっと。一番の願い事はいつだって叶わない。


「先程から、黙って聞いていたら……随分とまあよく回る口ね? まるで生ゴミに群がる虫の羽音みたい。ああ、これでは虫に失礼かしら。だってあなたの声ったら、あまりにも耳障りで。……耳が腐り落ちるかと思ったわ」


 村長と名乗る男は、顔を大袈裟に引きつらせた。ざわつきが大きくなる。

 蹲って、耳を塞ぎたかった。耳を塞いであげたかった。こんな言葉さえも当然のように受け止めるあなたに――何も聞かなくていいと伝えたかったのに。


「み、御使い様……わたくしはどのような無礼を……」

「自覚がないの? 愚かね。この子を侮辱する言葉を吐いたじゃない」


 怯えたように、男が一歩下がった。見ると、背後の奴等も距離を取っていた。何それ。私は冷静なんだから、手なんて出さないし、急に刃物取り出したりもしない。


「この子は私のものなのよ。誰が何と言おうと、私の所有物。愛しい、私のもの。私のものを侮辱するのは、私を侮辱するのと同等よね? つまり」


 声を低くして、吐き捨てる。


「ここにいる全員が、私を侮辱した」


 違う。私は別に、私自身への侮辱なんて気にしない。私は自分がどうしようもないほど馬鹿で気持ち悪い存在だと理解している。でも。ナハトを罵ったことだけは許せない。こんなに優しくて可愛くて綺麗な子を侮辱する輩なんて、百回くらい地獄に落ちろ。お前らはきっと、軽い気持ちで吐いた言葉が一生残る棘になるなんて、知らないんだろ。

 ナハトの視線を背中に感じる。振り返りはしなかった。ごめんね。本当は、あなたのために怒りたかった。あなたを罵ったことを怒りたかった。私への侮辱なんかじゃなくて、あなたのために。そう言いたかった。そう叫びたかった。世界全部に。あなたは綺麗なんだと、叫んでやりたかった。


 でもきっと。あなたこそが、それを望んでくれない。

 それはなんて悲しいことだろう。他人事のように、ふと思考した。


「そして、私への侮辱は――女神への侮辱だ」


 腹が立つ。何にだろう。ナハトを罵っても何も感じない奴等に? 私を特別視する視線に? そんなふうに続いてきた、この世界に? 何だろう。何だろうね。知らないよ。分からない。でも。

 頭が痛い。怒りで、思考が鈍る。ごめんなさいね冷静だっていうのは大嘘だよ!! 嫌。こんなのは、駄目だ。怒りで我を忘れては駄目。怒りが大きい時ほど、冷静になれ。神父様はそう言っただろ。なら。

 ……ああ駄目だ! 無理!! ナハトを罵られたことが相当頭にキテる。ごめんなさい神父様。私、ショタに関わるといつも冷静じゃなくて。いやそんなことは知ってただろうけど。理性がギリギリ言ってる。冷静になるためには、そう。何か衝撃的なことでも起きてくれないと。いっそ――。


 


 思考した瞬間。空に影が差す。雨でも降るのか、と空を見上げ――

 ――轟音が、鳴った。


 ひゃっ、と小さく上げた悲鳴は、多分雷に掻き消された。大きく音を立てて、近くの木が倒れていく。耳の奥がぐわんぐわんする。視界もちょっとあんまり利いてない。何も見えないし聞こえない。こっわ。

 えっ、ちょっ、何これ。犯人は女神様かな!? 女神様!! 前触れなしにこういうのはやめてください驚くので!!


「……レイ」


 まだちゃんと働いていない聴覚が、それでも鮮明にナハトの声を拾い上げた。ショタコンの執念のなせる技である。

 振り返る。明滅する視界の真ん中で、鮮明な夜が微笑んだ。その顔が、歪んで見えてしまったのはどうしてだろう。


「あの程度で怒らなくていい。……それに。間違いなく、オレはお前のモノ、だよ」


 それでいいのだと、教えるように。まるで、何も知らない子供に、誰でも知っている事実を伝えるように。穏やかに、優しく、ただ真っ直ぐな声で。

 ナハトは、私に突き付けた。私だけに聞こえるように、そっと、突き付けたのだ。

 二人だけで歩いた時間は、今は、捨ててしまわなければならないと。


「……っ、も、申し訳ございません! 御使い様!」

「謝罪は結構。あなたがどう思っているのかは理解いたしました」


 慌てて土下座――うん、やっぱりこの世界でも最上級の謝罪は土下座なんだね。まあいいや。土下座をする男を見下ろして、私はそっと微笑んだ。


「顔を上げてください」

「おお……御使い様、なんと慈悲深い!」


 もういいや。どうでも。だって、ナハトは苦しんでない。悲しんでない。私が勝手に怒っただけ。この男には私の知らないどこかで苦しんで欲しいとは思うけど、冷静になった今、自分の手で何かをする気にはなれなかった。ナハトも望んでないし。


「宴などは結構です。私、目立つのは好きではないので」


 口調も元に戻しておく。ナハトの前だし。ふ、普段からあんな怖い雰囲気って訳じゃないの……。暴言もいつもは吐かないの。信じて。相手がおっさんじゃなかったらあんなこと言わなかったから……!! 誰に向けてか言い訳を繰り返す思考の裏側で、呆れ顔をした神父様の顔がよぎった。ああ、はい。おっさんに罪はない。おっさんであることは罪ではない。ショタに暴言を吐いたことだけが、罪だ。大罪だ。世が世なら火炙りとか打首獄門だよ!! まったく!!


「一晩ほど、部屋を貸していただければ……先程の無礼も許します」


 歓喜の笑みを浮かべる男に立ち上がるよう告げながら、誰にも気づかれないように息を吐いた。


「一晩などと言わず、いつまででも滞在していただいてよいのですよ」

「いえ。こちらは金銭を持っておりませんし、返せるものが何も――」

「――あなた様は御使い様なのですから、そのようなことお気になさらないでください! 金銭が必要なら差し上げます。無論、他にも必要なものがございましたら、すべてあなた様へ捧げさせていただきます」


 最初と同じように、手を差し伸べられた。

 正直に言おう、気味が悪い。さっきから、御使い様。御使い様って。それって何だよ。私は何なんだ。崇めるな。私を、そんな、素晴らしい存在みたいに称賛するな。怖い。気持ち悪い。


 そんな、醜悪な本音を笑顔の下に隠す私のことも気持ち悪くて、また頭の芯が鈍く痛んだ。

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