ショタとの主従関係とは
距離を取ったまま、私は小さく俯いた。ショタにこんなことさせて、何やってるんだ私は。馬鹿。間抜け。我儘女。
「……私だって、これが我儘だなんて分かってるんです」
少し不思議そうな顔をして、ナハトは疑問を口にする。
「でも、さっきの子供の敬語は受け入れてたよな?」
「……あなたは。ナハトは、さっきの子とは違って、私自身を見てくれているじゃありませんか」
あの子が敬っていたのは『私』じゃなくて、『御使い様』だ。そう言い聞かせた。私自身はそう判断を下せる。だから、吐き気も堪えて鳥肌も抑えて受け入れることにした。そうできた。でも。ナハトは私の名前を呼んでくれている。私を通して、御使い様とかいう私以外の何か美しいものを見ているわけじゃない。なら、駄目だ。無理だ。だって、私は敬われるような人間じゃない。
「私自身には、敬われる価値なんてないんです。だから」
だから嫌だ。怖い。子供が、自由なはずの子供が。そんな、私自身に従ってしまうのは、……その自由を奪うのは、怖いことだ。
「……だから、レイは、自分をオレよりも下に置きたがるんだな?」
その根本は何? 脳裏で、幼い少女が問いかける。ショタコンにとってショタは神だから。尊いから。私は自分をショタの信者とか下僕とかそういう位置に置きたくて。ああ、でも。どうしてだっけ。どうして、こんなにも。……怖いんだろう。
フラッシュバックする記憶は、長い長い夜の真ん中。月のない夜。明かり一つ灯っていない部屋。引き裂かれた猫のぬいぐるみ。割れた鏡の破片が、誰からも望まれなかった子供の嘆きを映し出す。
……ああ、そうだ。思い出した。覚えていた。忘れていたかった。
敬語で。話す、ことを。強要する男がいた。いたんだ。あの狭い家に。小さな、何もない、あの場所に。いたの。だから、私は。
そうしないと、私は。……痛い。頭が痛い。お腹が痛い。そんなのは嫌だ。駄目だ、と。彼が言った。男の人が叫んだ。血が舞った。そして声が木霊する。子供は幸せじゃないといけない。
だから。私が上の立場になることがあっても、そんなものは振り翳さないと決めた。決めたのに。
今の、私の体たらくは、なんだ。
「ごめん」
小さな夜が揺らぐ。ナハトは、どうしてかひどく泣きそうな顔をしていた。やっぱり私は駄目だなぁ。ナハトには、こんな顔をさせてばかりだ。もっと幸せだけを。もっと喜びだけを。もっと、楽しいことだけを捧げたいのに。うまくいかないなぁ。
そんなことを考えながら、くしゃりと顔を歪めて下手くそに笑う。呼吸の仕方を忘れてでもいたみたいに、ひどく肺が苦しかった。だけど、伝えなければならない。
「……ねえ、ナハト」
「もういい。そんな顔させるくらいなら、他の方法を考えるよ。ごめんな、ひどいことを言った。今のは、多分、聞いたら駄目なことだったんだな。だから、考えなくていい。思い出さなくていい。……いいんだ。ごめん」
首を横に振る。ナハト。ナハト。ごめんなさい。こんなにもあなたは私に優しいのに、私はもっとあなたに優しくありたいのに。
優しいあなたが愛しい。
愛しいあなたが、苦しい。
喉の奥が苦しくて苦くて、いつか遠い日に飲み込んだはずの感情が臓腑を侵す。そんな錯覚が脳を掠めた。それでもよかった。どうでもいい、と思えるほどに。ただ。
目の前にある、この愛しい夜だけが、鮮明であればいい。
「……敬語、でも。大丈夫ですよ」
「レイ」
また、泣きそうな顔をさせている。分かっている。分かっていた。私は間違っているんだろ。知ってるよ。愚かで情けなくて不器用で馬鹿な私では、何も救えないし何も掬えなかった。
「二人きりの時、とかは今まで通りがいいんですけど。あと、村から出たら戻ってほしいんですけど。……ナハトが、そうしないと、死ぬなら。いえ、いえ……そうですよね。あなたが死ぬくらいなら、こんな心は捨てられる」
それでも。
望まれたなら、私はそれを叶えたい。
「敬語でもいいです。あなたが死ぬくらいならば、私の意地なんて捨ててしまえる。あなたを隣に留める為なら。いっそ私はあなたの主として、あなたを私の所有物として、それ相応に振る舞うことにします」
心臓が軋むような音を立てている。やっぱり血を吐きそう。っていうか普通に吐きそう。やだやだそんなのやだ解釈違い死にたいって心が叫んでる……往生際が悪すぎでは? 吐き気がすごい。今吐いたら、その吐瀉物は多分鮮やかな青色をしているんだろうなぁ、逆にやだなぁ。
現実逃避を挟みながら、彼の右手をこの両手で包み込んだ。
「だけど、約束して」
約束を重ねていく。昨日から、私は彼にどれだけの望みを、願いを押し付けてきたのだろう。分からない。分かりたくもない。ああ、ごめんなさい。だって、これしか知らないの。相手の願いを聞いて、こっちも同じだけの望みを語る。そんな形しか、分からないの。
側にいるための、確かな理由はあるはずなのに。本来の形を忘れそうなほどに飾り立て、何かを積み重ねていく。それは、語り慣れた神話の一遍にもよく似ている気がした。記憶を辿る。語る声は、シスターの穏やかなそれだ。
(――ああ、そう。夜の王の話に似てる)
遠い故郷に焦がれる妖精を繋ぎ止めるために、毎夜毎夜約束を増やしていった、愚かな王の話。あの最後は、どうなったのだっけ。殺されたのは、どちらだったっけ。殺したのは、どうしてだっけ。頭が回らない。今は、思い出せない。
違う。どうでもいい。
今大切なのは。今、私が伝えたいのは。たった一つだけ。
「あなたは、私に支配されないでください」
だってきっと、私が一番怖がってるのは、それだ。
ナハトは、真剣な眼差しで私を見つめている。彼の澄んだ夜色の瞳が、私のせいで穢れることなどないといい。彼のその心が、私のせいで縛り付けられることがなければいい。祈るように、心の中で呟いて。言葉を続けていく。
「嫌なことは嫌と言ってください。やりたいことは口に出してください。不満も、喜びも、望みも、何でも。私に伝えてください。だから、えっと――」
強く。離さないように、握る手に力を込めた。
「――支配関係とか主従関係とか、そういうのは表面上だけだって約束してください!! そもそも私はいつだってショタの下僕みたいなものですからね! ナハトが望むなら誇張なしに何でもしますからね!! えっと、靴とかも舐めます!」
「いや、舐めなくていい。それはやめてくれ」
「はい、やめます!」
駄目だ。途中からシリアスが死んだ。シリアスの命も軽い。自分で何を言っているのかが分からなくなっていたことが死因だと思う。何でもするって言われたから、って靴を舐めさせたがる性癖の人はそうそういないだろうになぜあんなことを言い出した私。私も靴を舐められても困るタイプだし。ナハトがそういう性癖なら受け入れますけどね!! もちろん、ナハトが望まないとも分かっている。
しばらく、とはいっても一分にも満たない間、沈黙が流れた。ナハトがそっと空を仰ぐ。同じように空を見上げた。青い。遠い。故郷と同じ温度の太陽が眩しくて、目を細める。
穏やかな時間の流れの中、小さな溜め息が聞こえてきた。視線を横に向ける。ナハトは、空を見たままだ。
「……何でもする、か」
「疑ってますか?」
「いや、疑う余地がなくて困ってる」
まあ、今までの態度が素だと分かってるならそうだろうね。疑う余地とかないよね。この私、ナハトにはだだ甘だからね!! 威張るな。
「その顔を見ると……なぁ」
「はい?」
彼が、私を見た。私の顔がどうしたんだろうか。
一瞬だけ。なぜか途方に暮れたような顔をしたあと、ナハトは小さく微笑む。
可愛い。でも、やっぱり本音は呑み込むんだね。隠したいことは……聞かないでおくけど。基本的に、他人の聞かれたくないこと、暴かれたくないことには踏み入らないと決めているのだ。なぜなら私がして欲しくないからね! 私の心は地雷に満ちているものでね!!
好きな人には、自分がされて嫌なことをしちゃー駄目だ。神父様が言ってた。嫌いな人にはいいのかよ。おい聖職者。当時の私は素直だったからツッコまなかったけど今は言える。神父様はちょくちょくおかしい。
小さく息を吸い込む音が、私の思考を現実に引き戻した。すぐ横にある顔が、ひどく綺麗な笑みを浮かべているのが目に入る。目に焼き付けた。ナハトはふとした瞬間の表情が大人びていて非常に美しい。今すぐ腕のいい画家を呼んで。この美を永遠に残さなきゃ。
「……そうだな。二人きりの時の態度はこのまま。村から出たら、ちゃんと元通り。オレはレイに支配されないし、言いたいことは伝えるし、この関係性を歪めはしない」
約束するよ、と。
音もなく流れる深い川を思わせるような、穏やかな声で述べて――ナハトは私の手を掴んだ。ん? 掴ん、だ?
……えっ。待って待って。
私がナハトの手を強く包み込んでいたはずなのに、どういう力の入れ方したらそんな動きになるの? 怖……。本当に誇張なく一瞬の手さばきだった。プロかな? 何のプロだよ。拘束から逃れるプロ……? よく分からないけど格好いい。好き! 素敵! ナハトの魅力が多すぎて供給過多!! 幸せ!
「では、そのように。よろしくお願い致しますね、ご主人様」
動揺で動けない私の手の甲に唇を落として、ナハトは悪戯っぽく微笑む。鼻血吹くかと思った。
ご主人様はやめてほしい、とか。切り替えの速さがすっごい、とか。この手はしばらく洗わないでおこう、とか。思考は混沌としていたけれど。その中で一つだけ明瞭なことがあった。それは。
「――やっぱり解釈違い甚だしい!! 無理!! しんどい!!」
「頑張ってください」
「頑張ります!!」
想像通り、かなり心が辛いということだ。
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