5. 進むべき道へ
額を切られた男が忌々しげに屋上に立つ法稔と彼をかばうように正面に浮かんだシオンを見る。
魔法陣を基に産院を囲んだ結界は先程までのとは違い一筋縄では破れない。邪霊達も周囲を飛び回るだけで、近づくことすら出来なくなっていた。
男は牙を噛みしめる。彼は腹の底から湧く怒りを自分を二度も傷つけ、この結界を張らす時間を稼いだシオンに向けた。
男が天に手の平を向けた。魔海の海の水を召還する。黒々と大きく渦を巻くそれに、シオンの体に別の寒気が走り、強ばる。
魔王軍全部隊演習の演習場を自分が呼び出した大量の水が渦を巻いて流れていく。それに巻き込まれて、流されていく新兵の仲間達の悲鳴。
「マズイ……。またトラウマを刺激されている……」
法稔は黒い渦潮を前にピクリとも動かないシオンを見上げて、牙を噛んだ。
『シオンの水の力の封印を解放しては?』
ふと、去年の秋の戦いを思い出す。提案する自分に
『アレでは到底無理じゃの』
自分の力に怯えるシオンを見て玄庵は首を振った。
……確か、シオンの水の力は玄さんの水の力を上回っているはず。それをいくらあの玄さんと言えども、封呪だけで押さえきれるだろうか。
先日、公園の東屋で寒がる自分の水気を払ったシオンが浮かぶ。
……そうか、一般的なものなら、シオンは水の力が使えるんだ……。
使えないのは戦いに関する術だけ。法稔の耳とヒゲがピンと立つ。
もしかして、玄さんはシオンの封印にシオン自身の……!
「直樹くん、今から私と一緒にシオンを元気付けてくれ。あんな水の渦なんか怖くないとシオンに教えてあげるんだ」
「うん!」
直樹が大きく頷く。
「シオン! しっかりしろ! そんな水、お前に比べたら、小さな池みたいなものじゃないか!!」
法稔が叫ぶ。
「そうだよ! シオン兄ちゃん、そんなぐるぐる、ちっとも怖くないよ!」
二人の声にシオンの長い第二触角がピクリと動く。
「玄さんの呼び出す水の方が強いぞっ!!」
「洗濯機のぐるぐるの方が強いぞっ!!」
やんややんやと相手の術をけなす。男が青い顔を真っ赤にして牙を向いた。
ぷっ! シオンが吹き出す。
「……洗濯機のぐるぐるって……」
思わずこみ上げる笑いに、頭が冷静さを取り戻す。
そうだ、あの演習場を埋めた水に比べたら……。
渦を見る。魔力の波動、水の流れ、渦の動き、それらが今、全て読み取れる。
「……ボクは玄さんにいつも散々しごかれているんだ」
小さく笑うと青龍刀を掲げた。それに二対の大きなハサミも添える。
四つの先端から封印されているはずの水の力が立ち昇る。
法稔が声が聞こえる。
「シオン! お前の水の力は玄さんの封呪だけじゃなく、お前自身の自分の力への恐怖も使って封印されているんだ!」
ボクの恐怖……。
シオンは渦を睨みつけた。
もう決めたんだ。ボクはこの分岐点を逃げないで前に進むって。
そして、アルベルトのくれたマリンブルーの軍服に相応しい水の兵士になる。シオンが目指す大きな黒い背中が浮かぶ。
「シオン兄ちゃん! 母ちゃんと赤ちゃんを守って!」
直樹の願いが響く。
「クソガキがぁぁ!!」
男が術を放つ。渦巻く黒い水が勢いを付けてシオンに迫る。
「本当にこんなもの、玄さんの水術に比べたらっ!!」
シオンが刀を向ける。水がその刃先の前で止まった。
「なんだとっ!!」
男が驚きの声を上げる。
自分の水の力を、渦の流れに乗せて、相手の魔力を打ち消すように注ぎ込む。水の色が徐々に黒からマリンブルーへと変わる。
「オレの水を支配した!?」
「返すよっ!!」
シオンが刀を振るう。渦がより苛烈に巻き、男を襲う。叫ぶまもなく、身体が飲み込まれる。
「これで終わりだ!!」
シオンが刀を振り下げ、渦ごと男を地面に叩きつける。マリンブルーの水が魔海へと還った後、そこには気絶した男だけが転がっていた。
法稔が結界を解き、魔気を払った後、連絡を受けてやってきた破防班の面々とお玉が、事件の後始末をしている。
完全に気を失っている男の力を玄庵が封印し、アッシュが捕縛用の縄を掛ける。それらを突っ立ったまま呆然と見ていたシオンの肩をモウンが叩いた。
「よくやったな」
憧れの大きな黒い背中を持つ班長の声に、シオンが夢から覚めたような顔で、目をしばたく。
「もう大丈夫だな」
「はい!」
元気な返事にモウンは武骨な顔をほころばせると、後をアッシュに頼み、玄庵と共に男を魔界へと連行して行った。
「シオン」
人型を取った法稔が直樹を連れてやってくる。
「ポン太、もう動けるの?」
「法稔だ」
振り返ったシオンに法稔がいつものように渋い顔で訂正した。
魔気を払った後、残っていた邪霊を回収した時点で、彼は精魂尽き果て、屋上に座り込んでいたはずだ。
「お玉姐さんに動けるようになるまで力を分けて貰った」
恥ずかしそうに頭を掻く。
「どうして、玄さんの結界術の札を回収して来なかったんだって、散々叱られた」
「ボクも」
シオンも苦笑を浮かべ肩を竦めた。
あのとき、マンションの玄庵の札をこちらに運び、それで直樹の母のいる産院の病棟に結界を張り直せば、あのブルーシャークの男も邪霊も手が出せないまま諦めたはずだ。
玄庵はシオンを叱った後『しかし、水の力を使う切っ掛けが掴めたようじゃし、良かったの』最後には誉めてくれた。
やっと、使えた……。
自分の持つ大き過ぎる力に比べれば、ほんの欠片のようなものだが、しっかりコントロール出来たことに、胸が軽くなる。
ふわり、冬の夜気に優しい風が舞った。産院の中を回って、目撃者の記憶を見間違いだと上書きしていたエルゼが二人の側に現れる。
「お母さんと赤ちゃん、無事に出産が終わって、病室に戻ったわ。直樹くんを連れて行ってあげなさい」
母子相部屋を希望した病室には、ベッドに寝ている母親の側に並べて、赤ん坊が小さなベッドに寝かされていた。
「どうしてか産院が見つからなくて、ぐるぐる近所を回っていたよ」
父親が産まれてきた娘にデレデレと顔を崩しながら話している。その横で直樹も同じようにデレた顔で
『可愛いなぁ~、本当に可愛いなぁ~』
半透明の指で眠っている赤ちゃんの頬や小さな手をつついていた。
その様子を窓の外で姿を消して、シオンと法稔が伺う。
赤ん坊が産まれた後、直樹は速やかに法稔が冥界に連れて逝くことになっている。どうしても赤ん坊に湧くだろう妬みに、魂が汚れないうちに運んでしまう為だ。
「じゃあ、また明日来るよ」
父親が病室を出る音がする。
「そろそろだな」
法稔が窓に手を掛けたとき
「直樹」
母の彼を呼ぶ声がした。
「いるんでしょ。ずっと心配掛けてごめんね。お母さん、もっともっと強くなるから」
『母ちゃん……』
直樹が聞こえるはずのない返事を返す。しかし、何故か小さく母は笑った。
「でも、強くなっても、赤ちゃんのお世話で忙しくなっても、お母さん、直樹のこと絶対に忘れないから。直樹のことずっとずっと思っているからね」
『母ちゃん……!!』
「直樹、おいで」
母に腕の中で泣いているのだろう。直樹の泣き声が聞こえる。シオンは法稔を見た。法稔が小さく頷く。
空を飛んで、窓から少し離れる。
「お母さんってすごいね」
「ああ」
二人は小さく笑い合って、天頂に輝く満月を見上げた。
バレンタインデーを過ぎると、今度はホワイトデーの飾りが街のあちらこちらで見られるようになる。
「あちち……!」
日曜日の午後、コンビニの前の日溜まりで肉まんを頬張りながら、シオンがペットボトルのカフェオレを飲んでいる。隣では法稔がほうじ茶を手に焼き芋を食べていた。
「えっ!? 直樹くん、そんなに早く生まれ変わるの?」
「ああ、実は『忌み子』が、あの家族の元に産まれる条件の一つに、直樹くんの存在があったんだ。それで彼が亡くなったことを知った天界が直樹くんが浄化された後、弟として生まれ変わらせたいと打診してきた」
そのことを知った直樹は今、幼い子供と子供を亡くした親の為の浄化地『思慕の花園』で、花園を守る戦士達から、母と今度は姉になる赤ん坊を守る為に張り切って武術を習っている。
「赤ちゃんの成長と両親の様子を見て、三、四年後には生まれ変らせる予定らしい」
「そっかぁ……」
シオンはよく晴れた眩しい冬の空を仰いだ。
「きっと、お姉ちゃん思いのカッコイイ、ヒーローになるよ」
彼はボクのヒーローだから。笑うシオンに法稔も笑む。
軽快なヒット曲のサビが流れる。肉まんを飲み込み、ダッフルコートのポケットからスマホを取り出したシオンが画面をタップして耳に当てる。
「もしもし、香奈芽ちゃん? 前は心配掛けてゴメンね~」
いつもの明るい声に戻った彼に、やれやれと法稔が丸い肩を竦め、焼き芋をかじる。
「えっ、真里ちゃんが? うん、今、丁度、ポン太と一緒にいるから聞いてみるよ」
「法稔だ」
訂正する法稔にシオンがスマホを指さす。
「真里ちゃんがポン太に相談があるって」
「だから、法稔だ」
大きく息をつく。
「多分、霊視のことだろう」
法稔がジャケットの内ポケットから、黒い革のカバーが掛かった手帳を出して開く。
「夜まで時間が空いているから……、今から会っても良いか聞いてみてくれ」
「真里ちゃん、霊視が出来るようになったの!?」
「ああ、夏の事件の影響でな」
大変だ……口の中で呟きながら「ポン太が『今から会える?』って言ってる」と告げる。
「法稔だ」
再々度の訂正を軽く聞き流し「じゃあ、お詫びも兼ねてカラオケに行かない?」二人の少女を誘う。
「へっ!?」
そういう場所にはとことん縁が無く、呆気にとられる法稔を尻目に
「うんうん、じゃあ、いつものところにね。ポン太、毎日お経唱えているから、良い声しているんだ。いろいろリクエストしてみていいよ」
勝手に約束する。
「法稔だっ……って私が歌うのか!?」
「うん、お詫びに」
「何でお前のお詫びに私がっ!!」
「いいじゃん。それにこういう賑やかなところで、香奈芽ちゃんもボクもいての相談なら、お玉さんも安心するし」
「……そこで何で、お玉姐さんが出てくるんだ?」
「ポン太は鈍いからなぁ~」
「法稔だっ!!」
二人のやり取りが聞こえたのか、スマホの向こうで少女達の笑い声がする。
「うん、じゃあね~」
通話を切って、シオンはカフェオレを飲み干し、空のボトルをゴミ箱に捨てた。
「ほら、待たせると悪いから行くよ」
すっかり、お調子者に戻ったシオンに法稔がわざとらしく溜息をつき、焼き芋の最後の一口をお茶で飲み込む。
「相談だけだからな。歌わないぞ」
「はいはい」
少し春めいた日差しがうらうらと降り注ぐアスファルトの上を軽い足取りで二つの影が進む。
魔界の少年兵と冥界の死神少年は、互いにこづき合いながら、のんびりとした二月の終わりの午後の街を歩いていった。
ボクのヒーロー END
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