名残の桜・後
ざわざわと空気が揺れる。今度は足下の砂利の敷かれた地面を鳴らすことなく彼等は現れた。漂うようにこちらに向かってくる。一人……二人……三人…………五人。青白い顔の男に、顔が半分闇に消えている男。黒い影だけになっている者もいれば、かろうじて人らしき姿を保っている者もいる。ただ彼等に共通するのは濃い邪気。
「夜桜に誘われて来たか……」
闇の中、ひらりひらりと妖しく桜の花びらが舞い落ちる。
「その娘を渡せ……」
一番前に立つ青白い顔の男が言う。死霊……邪霊と呼ばれるモノ達だ。漂う瘴気にシオンが露骨に顔をしかめる。静香が身を堅くした。
「断る。それに静ちゃんのような邪気の無いモノを狙ったってしょうがないだろう?」
こういう邪霊は同じ、恨み辛みを持つ霊を喰って力を付ける。肩を竦めるシオンに「この街は優秀な破防班がいるせいで、すぐに邪霊は始末されてしまう。俺達は飢えているのだ」青白い顔の男が歯を剥いた。
「そう……」
おかしそうにシオンが笑う。同時に身体から鮮烈な水気がほとばしり、鮮やかなマリンブルーの軍服を着た、巨大な直立するザリガニが現れる。左胸には銀糸の刺繍でコウモリのような羽を持つ瞳が描かれていた。
「お前は……!?」
「魔王軍特別部隊破壊活動防止班、ハーモン班の捜査官、シオン・ウォルトン」
大きな二つのハサミを構え、細いもう一対の手にそれぞれ刃が優雅な曲線を描く青竜刀を持ったシオンは、ざっと砂利を鳴らして構えた。
「貴様が……!!」
シオンが、いつも自分達を追う破防班の一員と知り、邪霊達が怒りを剥き出しにして睨む。
そのとき、彼等の後ろで「おいおい、シオン、こんなところで本性を晒すなよ」シオンのものより、幾分低い張りのある少年の声が響いた。
その声に静香がびくりと身体を震わす。
「よっ! ポン太!」
シオンが呑気な声を掛けると
「法稔だ」
苦り切った声が答えた。人の良さそうな丸顔、丸い体躯の少年が闇の中、真っ直ぐに歩いてくる。
「貴様も破防班の者か!?」
怒鳴る邪霊に「いいや」と法稔は首を横に振った。
少年が焦茶色の毛並みに黒い僧衣と袈裟を着けた狸型の獣人に変わる。
「
じゃらり、茶色の手が懐から大粒の青い丸い玉を繋いだ数珠を取り出す。
「……死神……」
邪霊達がおののいた。一人が逃げようと夜空に飛び立つ。が、バチッっと弾けるような音がして小さな悲鳴が上がった。
「悪いな。既にこの庭園の一角は囲ってある」
法稔が数珠を鳴らす。
「ポン太が結界を張ったのが解ったから、この姿に戻ったんだ」
おかしそうに第一、第二触覚を揺らすシオンに「だから、法稔だと言っているだろうが」むっとした声が返る。
「手伝う?」
「いや、お前は静香さんを守っていてくれ」
法稔は数珠を構えると口の中で呪を唱え始めた。
茶狸族は白狐族や猫又族等と並んで冥界の獣人族の中でも強い魔力を持ち、魔術を使うことが出来る。そして、他界から冥界に魂を運ぶ死神のもう一つの役目が回収し損ねた魂の回収。それが邪霊と化しているのなら尚更だ。邪霊達の間に動揺が走る。ここまで邪に染まってしまえば、逝き先は冥界に七つある浄化地のうち、最も厳しい浄化地である『懺悔の岬』か『贖罪の森』。自分達の逝く末を悟り
「冗談じゃねぇ!!」
邪霊達が散り散りに飛んで、何とか法稔の結界から逃れようとする。しかし、一族の若手の中でも随一の法力を持ち、更に定期的に玄庵の教えを受け、メキメキと腕を上げている法稔の結界だ。たかが邪霊ごときでどうにかなるものではない。
「ちくしょう! だったら、あの小娘を!!」
邪気の薄いものでも良いから喰って力にしようと邪霊達が一斉に静香に向かう。迫る恐怖に静香が悲鳴を上げて、両腕で顔を覆った。
「残念」
ひんやりとした冷気が漂い、池から水気が立ち上るとそれが小さな細かい氷の粒に変わる。シオンが大きなハサミを振る。氷の粒は更に苛烈な冷気をまとい、襲ってくる邪霊を弾き飛ばした。
「魔界の兵士に邪霊ごときがかなうわけないだろ」
シオンが更に大量の氷の粒を空中に漂わし、静香の周りを囲う。法稔が何か言いたげに目元を震わせたとき、邪霊達が今度は彼を襲った。
「やぶれかぶれだ!!」
次々と飛び掛かる。が、丸い体躯に関わらず、法稔は軽く身を捻り、彼等の攻撃をかわす。開いている手で拳を握り、正面から襲ってくる邪霊に打ち付ける。
「ぐあっ!!」
声を上げて邪霊が吹っ飛んだ。
「オン!!」
法稔が両手で印を組む。数珠から青い玉が四方に飛び出す。それは次々と邪霊を追って飛ぶと、彼等にぶち当たり、中に吸収して法稔の手元に戻った。
「回収完了」
法稔が邪霊の入った玉を数珠に戻す。
「……しかし、いつの間に、まともに術が扱えるようになったんだ?」
シオンの術に関するノーコンぶりをよく知る法稔が問うと、シオンが不快そうに長い第二触覚を大きなハサミでしごいた。
「玄さんにあれだけシゴかれれば、少しは使えるようになるよ。……まあ、まともにコントロール出来るようになったのはさっきの術だけだけど」
「お前も大変だなぁ~」
同情と呆れの混じった息を吐く。シオンが術のコントロールが不得意なのは、身の内に彼の種族、レッドグローブではあり得ない、大き過ぎる水の力を秘めているからだ。その力が邪魔をして、他の攻撃術のコントロールを狂わせている。
「まあね」
やれやれとシオンが肩を竦める。背中から静香が法稔の前に出てきた。
「……本当に申し訳ありませんでした」
今朝、肉体から出てから、彼が先輩の死神に連絡を取っている隙に逃げてしまったことを謝ると
「いや、無事でなにより」
法稔がにっこりと笑う。
「シオンにも礼を言って下さい。早朝から私の頼みを受けて、静香さんを探してくれたのですから」
「はい。本当に今日一日、ありがとうございました」
静香は改めてシオンに頭を下げた。
「それに、貴女が逃げ出したことが結果的には良かったのです。……あんな光景、貴女が見なくて良かった」
夫が亡くなった後、豹変した息子夫婦に静香は足の怪我を理由に養護ホームに逃げ込んだ。そこまで追いやった母の遺産を巡って皮算用する姿を。
「……はい」
それを察したのだろう。静香が頷く。するりと姿が変わる。白髪頭の痩せた老女。白いパジャマ姿の老女はもう一度二人に頭を下げた。彼女も死霊だったのだ。ホームで一人孤独に死んだ老女。それが冥界に逝く前に思い出の桜を求め、彼女の幸せだった頃の姿でさまよっていた。
「そうだ、シオンに渡していた霊符を持っていますか?」
「はい」
霊である彼女を普通の人間にも見せる為の霊符。パジャマの首元から静香がそれを出すと法稔は小さく呪を唱えた。ふわり、霊符が柔らかな光を放つ。光が収まると白髪頭をきちんと整えた、病で痩せる前のふっくらとした頬の、桜の柄の着物を着た静香がいた。
「うちのお玉姐さんからの
法稔が微笑む。
「静ちゃん、綺麗だよ」
老女姿に戻っても、『静ちゃん』と呼んでくれるシオンに静香は嬉しそうに笑んだ。
「それとこれも」
法稔が袖から小さな巾着を出して渡す。
「
巾着の中には化粧品と道具が入っている。それを取り出して静香は淡く頬を染めた。
「出血大サービスだね」
お堂の縁に腰を下ろして、化粧をする静香を見ながらシオンが囁く。
「静香さんの旦那さんには死神になったばかりのときに散々世話になったからな」
法稔が茶色の頭を掻いた。
「それに旦那さんは今『回顧の草原』にいるんだ。出来れば彼女をそこに連れていってあげたくてな」
冥界の浄化地の一つ『回顧の草原』は穏やかな死を迎えた者が逝く浄化地。孤独な死を迎えた静香はあのままなら、不条理な死を迎えた者の逝く『嘆きの谷』か、この世に未練の残る者の逝く『追憶の海』逝きだっただろう。
「長にも言われているんだ。『回顧の草原』に逝けそうな魂だったら、出来るだけ、未練を断ち切ってやって欲しいってな」
出来れば自分達が送る魂を全てあの穏やかな浄化地へ。死神達共通の願いにシオンが頷く。
「うん、解るよ」
出来れば自分達が守る世界が少しでも長く存在しているように。『破壊』の種族故の願いを思い返し、若い魔界の兵士は舞い散る桜に目を向けた。
パチッ、軽く指を鳴らすとチカチカと数秒瞬いて、水銀灯の明かりがつく。
軽く手を振り、砂利の上に転がった三人の少年を天守閣の下の広場の隅に飛ばすと、シオンは白い光の中に佇む桜を見上げた。
今日一日、付き合った桜の化身のような少女の笑顔を浮かべる。
「バイバイ、静ちゃん。あっちで旦那さんとお幸せに」
彼女が法稔と共に消えた夜空に向かい呟く。
魔族の少年の肩に、風も無く散る桜の花びらがひらりひらりと降り掛かった。
名残の桜 END
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