下っ端魔族と死神の心霊トラブル相談録
いぐあな
名残の桜
名残の桜・前
ひらり……ひらり……ひらり……。
朝、まだしっとりと朝露に濡れた公園の桜が、露の重みで音もなく舞い散る。水気を含んだ花びらが、佇んでいた少女の黒い髪にひとひら落ちた。
白い丸襟にくるみボタン。タックをとった濃紺のシンプルなワンピース。脇の髪を頭頂で纏め白いリボンを着けた、古風な出で立ちの少女は髪についた花びらを取ると、ふっと息を吹きかけて飛ばした。朝の風がそれをくるみ込み、くるくると回しながら、ゆっくりと芝生の上に運ぶ。小さく笑む。今が盛りと咲き誇る満開の桜を、そのまま少女にしたような、ふっくらとした頬の愛らしい少女の視線が、もう一度、桜のたわわに咲いた枝を見上げたとき
「あっ、ここにいたんだ」
少年の明るい声が白い朝日の中に響いた。
少女がぎくりと顔をこわばらす。恐る恐る後ろを振り返る。そこには、大きな瞳にサラサラとした茶髪の小柄な少年が立っていた。
恐れていた彼とは似ても似つかない美少年に、彼女がほっと安堵の息をつく。少年は少女に歩み寄った。
「ボクの名前はシオン。君は
「……はい」
突然、名乗り、自分の名前を言い当てた少年に少女が戸惑いながらも答える。
「良かった。無事見つかった」
少年はパーカーのポケットから、スマホを出すと電話を掛けた。
「もしもし……あっ、ポン太?」
コールの後、相手が出たらしく、静かな朝の空気の中に少年の賑やかな声が流れる。
「ポン太じゃないって? い~じゃん、ポン太で。静香ちゃん、見つかったよ。うん、……良いの? へ~、規律に厳しい冥界が珍しい。えっ、そっちほどじゃないって? うちはさ、班長が特に厳しいってだけだよ。うん、うん、解った。今日一日だね。うん、じゃあ、そっちから班長に話しておいてくれる? はい、了解しました」
最後の『了解しました』を楽しげに弾んだ声で言うと、少年が通話を切る。彼はスマホをしまい、くるりと静香の方に向いた。
「ポン太が、ボクに今日一日、
馴れ馴れしく少女を『静ちゃん』と呼んで、少年はにっこりと笑った。
「私の相手?」
「うん」
少年が頷く。
「ポン太がボクが付き添うなら、今日一日は静ちゃんの思うように過ごして良いって言ってる。どうする?」
その言葉に静香の頭に数日前に出会った、とある少年の姿が浮かぶ。
「あの子がポン太……くん?」
あの少年は『
「ポン太ってのは、ボクが勝手に付けたあだ名。そう呼ぶといつも『法稔だ!』って怒るんだけどね」
少年がおかしげに肩を揺らしながら答える。
ふっくらとした体躯に、人の良さそうな丸顔の彼の姿を思い描き、余りにそのあだ名が似合うので、静香は思わず吹き出した。
「貴方はあの子の……」
「友達。仕事は全然違うけど協力関係にあって、時々、あいつの仕事を手伝うこともあるんだ。で、どうする?」
少年の再度の問い掛けに静香は「一日お願いします」即答して頭を下げた。首を傾げ、さらりと背中まである黒髪をなびかせて、嬉しそうに笑む。
「了解。じゃあ、何がしたい?」
「……こうして桜が見たいです」
ずっと長い間、自分の足で立って好きなだけ桜が見られなかったから、今日は思いっきり桜が見たい。静香の嘆きを朝風がそっと天空に運んでいく。
「つまり、一日桜が見たいってことか」
シオンが呟く。ポケットから軽い着信音が鳴る。「ポン太からメッセージだ」呟いてメッセージアプリを開く。その内容を読んで、タップして連係アプリで市内の地図を開くと、彼の腹がぐうとなった。
「……そういえば朝ご飯、まだだったんだ」
腹を押さえて、桜を見上げている静香の手を引く。
「なんですか?」
「近くにカフェがあるんだ。そこで桜を見ながらご飯にしよう!!」
「カフェ……」
静香の顔がぱぁっと輝いた。
「そういうハイカラなところ行ってみたかったんです!」
言ってしまって、今の自分の姿に気付き、しまったっと口を押さえる。
「でしょ!」
シオンが楽しげに笑んだ。
「あっ、それとこれポン太から預かっていたんだ」
筆で小さな文字が書かれた白い短冊に、紐を通したものをシオンが出す。
「これは?」
「お
シオンはそれを静香の首に掛けた。静香が紐ごと服の中に入れる。
「じゃあ、行こう!」
シオンが静香の手を引いて歩く。
朝の桜の下を少年と少女の足音が駆け抜けて行った。
シュワー。空気の漏れる軽い音がして、バスのドアが開く。二段のステップを先に降りたシオンの手を借りて降りると、目の前には桜色の小さな山が二つ道路を挟んで並んでいた。
「……綺麗……」
この土地を治めていた藩主の別邸の裏にあった、小振りな山。藩主によって庭園として整えられた面影の残る道に沿って桜の木が植えられている。所々にセンシュやコブシの花も見える。レンギョと雪ヤナギが黄色と白の小さな滝を作る中、中央の芝生広場には、朝から大勢の家族連れがレジャーシートを広げていた。シートに座る、大人達の周りをボールを持った子供達が駆けていく。
幸せそうな親子の光景に、ふいに静香の眉が曇った。小さな溜息が楽しげな歓声の間に漏れる。ゆるゆると首を横に振る静香の背に「カフェのご飯って、値段の割に量が少ないよね~」屋台の団子を手にシオンが声を掛けた。
「静ちゃんも、食べる?」
「あ、はい」
先ほど、カフェのテラスで桜を見ながら、おしゃれなプレートの朝ご飯をお腹いっぱい食べたのに、つい香ばしい焼き団子の醤油の匂いに一本手に取る。口に入れるとそれはあっけなく、するすると腹に入っていった。
「あれ?」
「あ~、静ちゃんはもうなんでも食べられるし、お腹いっぱいになることはないよ」
逆にお腹がすくってこともないんだけど。静香の思案顔を察してか、こっちは単なる大食いのシオンが早くも二本目の団子に取り掛かりながら答える。
「……そうなんですか……」
串に残った五つ目の団子を口にして咀嚼した後、飲み込み、にっこりと笑う。ずっと歯ごたえのない薄味のモノしか食べられなかったが、今なら食べたいものが食べられるのだ。静香は小さく肩を揺らすと、シオンの手のみたらし団子のパックを指した。
「それも一本貰ってもいいですか?」
「勿論!」
シオンが大きく頷いた。
「あれ? シオン」
二人で競うように団子を食べていると、春休みらしい高校生くらいの女の子の一団がやってくる。
「どうしたの? まさかデート?」
集団のリーダーらしい女の子が仲良く団子を貪る二人に、からかうような笑みを浮かべる。え~!! そんなぁ~!! 後ろの女の子達が次々と抗議の声を上げるところをみると、シオンはそうとうモテる男の子らしい。無理もない、大きな瞳がくるくると動く、所謂可愛い系の美少年だ。騒ぐ女の子達の様子から街のアイドルといったところだろうか。シオンは細い眉をひそめた。
「ダメだよ、
シオンの言葉に静香が微かに頬を染め、恥ずかしげに頷く。
「あ……ごめん」
香奈芽は素直に謝った。
「知り合いの女の子で、今日一日、桜の名所を案内するように頼まれたんだ」
それを聞いて女の子達が、あそこの桜が満開だとか、どこそこはもう散り始めて葉桜になりかけているとか、口々に親身に教えてくれる。
今時、こんな素直で親切な子達もいるんだ。
静香は嬉しくなって微笑みながら、シオンと彼女達のやりとりを聞いていた。
その目が彼女達の服にいく。春らしいパステル調の色合いの服や、鮮やかな青のマリンボーダの服。華やかな服装の少女達に、つい自分の地味な服を見下ろすと、それに気付いたのかシオンが「モールの開店、十時からだっけ」女の子達に尋ねた。
「うん、そうだよ」
女の子達も気付いたらしい。「でも、その服もレトロっぽくって素敵だよ。すごく似合っている」褒めてくれる。
「ありがとう」
静香は彼女達に礼を言った。
「折角だし、モールで静ちゃんに似合う服を探してこよう」
シオンが立ち上がり、団子の空きパックをくず籠に捨てる。
「じゃあ、また明日にでも遊ぼうね!!」
「桜のお話ありがとうございました」
静香が女の子達にぺこりと頭を下げる。彼女達に手を振ると二人はバス停に向かって歩いて行った。
「ごめん、私、なんかおばあちゃん思い出しちゃった。昼からちょっとおばあちゃん家に行ってくるわ」
バスに乗り込む二人を見送って、香奈芽が皆に謝る。
「私も、今日は昼からおばあちゃんとお花見に行こうかな」
ひらひらと風も無く散る桜の花びらが、彼女達の前をゆっくりと舞って落ちていった。
「綺麗……」
開店と同時に入ったモールの桜のオブジェが飾られたホールで、静香が感嘆の声を上げる。もう何年もこういう賑やかなところに入って買い物をしたことがない。沢山の物であふれかえっている店を眺めながら、静香は目をキラキラと輝かせて、シオンの後を着いて行った。
「素敵……」
また声が漏れる。シオンが彼女を連れていったのは、女性向けの可愛らしいフェミニンな服の並ぶ店だった。
「あんまり、肌を見せるやつとか、派手なやつは好きじゃないと思って」
ボクはそういうのを着ている子も大好きなんだけどね~。結構女の子遊びの派手そうな少年の言い分に苦笑する静香の目が、店のマネキンの一体に釘付けになった。
綺麗なピンクの透かし編みのカーディガンに淡いクリーム色のブラウス。胸には金飾りのついた黒いリボンに、薄いオレンジのふわふわのスカート。
「あの人の好きだった色だわ」
もう恥ずかしいというのに、一緒に出掛けるときは、彼女に何か桜色の物を身に着けさせては、微笑んでいた優しい笑顔を思い出す。
「じゃあ、それにする?」
イタズラっぽくシオンが笑って、試着室を指した。その意味を理解した静香がじっとマネキンの服を見つめ、頭の中に焼き付けると試着室に入る。
しばらくして、シュッとカーテンが開いて、マネキンの服を着た静香が出てきた。
「リボン、桜色にしたんだ」
スカートの裾を翻して歩いてくる静香に、シオンが目を細める。
「ええ」
静香は胸を飾る桜色のリボンにそっと触れた。
「じゃあ、行こう。今、チャペルのあるホテルでお昼のバイキングをやっているんだ」
食べるぞ~!! 広場の屋台であれだけ食べたのに、張り切った声をシオンが上げる。そんな彼に静香が楽しげに笑い出す。
モールを出るカーディガンの裾が春風に柔らかく揺れる。二人はまた並んでバス停に向かった。
「あれ? 代金は?」
店を出ていく少年少女に店員が慌てる。
「大丈夫。何も盗られてないから」
仕入れ帳をつけていた店長がボールペンでマネキンを指した。マネキンはきちんと服を着ている。念のため、店員が側の釣り下げてある同じデザインの服の数を数えたが一つも減ってはなかった。
「たま~にシオンがやるんだよね」
店長がくすりと肩を揺らす。頬杖をつき、懐かしそうな目で通路の飾りの桜を眺める。
「久しぶりに班長達に会いに行こうかな?」
桜餅でも手土産に持って、いつも人には言えない悩みの相談にのってくれた、あの大きくて優しい牛頭の班長のところを訪ねようか。
魔術師になるほど力は無いが、見える『目』を持つ店長は、モールから出て行く二つの背を微笑んで見送った。
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