ボクのヒーロー
1. 異変
こちらの話は本編「魔王軍特別部隊破壊活動防止班」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054887275861
のFile.4後の話になります。
ただし読まなくても大体解る話にはなっているとは思います。
正月四日。穏やかな明るい冬の午後の日差しがファミリー向けのマンションの一室の大きな窓から部屋にそそぎ込んでいる。
喪中ハガキを送った、夫婦二人……になってしまった部屋には訪れる年始の客も無く、彼女はぽつんと真新しい仏壇の前に座っていた。
仏壇には去年の小学校の運動会で撮った赤白帽に体操服姿の男の子の写真が置かれ、好物のリンゴとチョコレートと彼がクリスマスプレゼントに欲しがっていた、ヒーローのおもちゃの剣が供えられている。
「
彼女の声が一人きりの部屋にこぼれる。明日の仕事始めを前に、家からなかなか出られない自分の代わりに、夫は買い出しを引き受けて年賀の街に出掛けていった。随分前に家を出たのに、まだ帰っては来ていない。彼もまた、一人で悲しみを癒す時間が必要なのだろう。
ふっくらと膨れた腹を内側から蹴る感触がする。来月頭が夫婦にとって二番目の子になるはずだった子の出産予定日。しかし、去年の夏の始め、妊娠に気付いてから、ずっと一緒にこの子の誕生を楽しみに待っていてくれていたお兄ちゃんになる予定だった子は、今はいない。
生まれてくる赤ちゃんの為にもしっかりしないといけないのは解っているけど……。
まだあの子がいなくなって一ヶ月も経ってないのだ。
「直樹……」
ポロリと涙がこぼれ落ちる。仏壇の笑顔の写真を見上げて、彼女はまたぼろぼろと泣き出した。
『母ちゃん……』
彼女の隣に写真の男の子そっくりの半透明の男の子が現れる。
『泣かないでくれよ……』
彼女には見えない男の子は、心配げに彼女の腹を抱き締めた。
一月も終わりに近づくと、街もすっかり新年気分が抜け、次の一大イベント、バレンタインデーの赤やピンクに染まってくる。
今日もショッピングモールの特設売場は女の子であふれ返っている。そんな休日の昼下がり、冥界の死神である、
「呼び出してゴメンね」
前に座った、溌剌とした面持ちの、気が強そうな少女、
「シオンくんから、法稔くんはお寺のお手伝いで忙しいから、出来るだけボクを通して呼び出してね、って言われているのに……」
隣の席の、彼女の幼馴染の友人である、大人しい顔立ちにピンクの枠の眼鏡を掛けた少女、
「アイツ、私のことをそんなふうに言っているんですか……」
いつも二人で行動しているときは、何度訂正してもアダ名で自分を呼んだり、あれやこれやと勝手な行動で振り回してくれたりする友人の意外な一面に感心していると
『何? 兄ちゃん、この子達、兄ちゃんの彼女? 二人もいるなんてスゲーなぁ』
好奇心満々のボーイソプラノの声が隣から聞こえ、法稔は思わず眉を潜めた。
それを自分達に向けてと思ったのか、バレンタイン限定のホットショコラを前に、香奈芽が首を縮める。
「……違う……友人の友人、つまりは知り合いだ……」
慌てて、普通の人には空席に見える隣の席に小さな声で訂正して、法稔は「いや、ちょっと、こっちのことで……すみません」と手を振った。
二人とはシオンを通して、去年の夏に知り合った。香奈芽が元々顔の広いシオンの友人だったのだ。
当時、真里はイジメられていた。そのイジメっ子に彼女は無理矢理『出る』と噂される無人の廃屋で肝試しをさせられそうになっていた。それを心配して、香奈芽がシオンに相談し、シオンが除霊が出来る法稔を肝試しの付き添いに呼んだのだ。
実際に廃屋は『正真正銘』のお化け屋敷で、そこで真里は五年前に亡くなった少女の霊と共鳴して、邪霊に飲み込まれた。
一度そういった体験をすると、霊感に目覚めたり、悪い霊を引き寄せやすくなったりする。事件解決後、彼女の記憶を消す際に、しっかり浄化したものの、万が一を心配して法稔は香奈芽と真里に自分のスマホの電話番号とメアドを教えていた。そのメアドに香奈芽からシオンについて相談があるとメールが来たのだ。
自分の席の前に置いたコーヒーにミルクを落とし
「で、話って何ですか?」
遠慮している二人を促す。
二人は顔を見合わせた後「気のせいかもしれないけど……」と話し出した。
「実は新年が終わった頃から、シオンの様子がおかしいの」
新年は親戚のおじさん家族がやってきて、その家族の小さな女の子の世話をするからと年始の遊びの約束を断っていたシオンが、年始が終わり三学期が始まり、そろそろ二月にもなろうというのに相変わらず女の子達の誘いを断り続けているという。
「始めは『バイトが忙しいのかなぁ~』って、皆で言っていたけど……」
魔族で特別部隊破壊活動防止班の捜査官であるシオンは、表向きは、とある事情でバイトをしながら通信学校に通う高校生、ということにしている。ちなみに法稔も家の寺で修行している同級生という触れ込みになっているらしい。
その為、割と自由に時間がある……実際、破防班は事件が無いときは任務はほとんどない……シオンは直ぐに遊べる友達として重宝されているのだが……。
「シオンがぶらぶらと商店街やショッピングモールを歩いているのを見た子がいて、それで『私達、何か
その子達に相談されて、世話好きの香奈芽が連絡の取れないシオンの代わりに、友人である法稔に事の次第を聞きにきたのだ。申し訳なさそうに話す二人に
「……アイツも罪なヤツですね……」
法稔は苦笑を浮かべて、コーヒーを啜った。
本来の姿は直立するザリガニのシオンは、人間になるとさらさらの茶髪の瞳の大きな美少年になる。その為、ここ
『なぁ~んだ。兄ちゃんじゃないのかよ』
また隣でボーイソプラノの声が茶々を入れる。空席を軽く睨んで法稔は
「気を使わせてしまってすみません」
二人に謝った。
「えっ……そんな……私達も連絡の取れないシオンに、何かあったのかと気になったものだから……」
恐縮する二人に躊躇うふりをして、頭の中で理由を組み立てる。
「実は去年の暮れ、彼が普通の高校にいかない『とある事情』に変化があったのです」
これは伏せてはいるが嘘ではない。去年の大晦日、除夜の鐘が鳴る中、シオンとエルゼは自分の所属する破防班の班長、モウンから自分達の班が結成された本当の理由と、今対峙している敵について教えられた。
……あれは衝撃だったな……。
法稔も年明け、自分の上司である死神の長からそれを知らされた。そして、彼等のサポートに当たるように冥界王府から自分達にも命が下されたことも。
……冥界でも有名な『狂気の貴公子』相手とは……。
思わずぶるりと震える。そんな彼の様子に二人の少女も『事情』が大変なことだと察知したようだ。
「新年の親戚のおじさんの訪問もそれがらみで……。ああ、彼がそれでこの街からいなくなる、というようなことは無いですよ」
暗い顔になった二人にフォローを入れる。
「でも、そのせいで、今はちょっと女の子と遊ぶような気分にはなれないようです」
法稔が年始明け、破防班に協力を仰ぎたいことがあって
……班長にはシオンの為にも協力させてくれって言われたけど、とても話が出来る状態じゃなかったからな……。
思わず溜息をつく。
「そうですか……」
「だから、香奈芽さん達の方から、気にするようなことはないと女の子達に伝えて貰えますか?」
「はい」
二人が頷いた。
「でも、もし私達で出来ることがあったら相談に乗るよ、とシオンに伝えて下さい」
真剣な面持ちで法稔に頼む。
この二人のシオンを思う気持ちがアイツに伝われば良いのに……。
だが、多分、今のシオンには受け入れる余裕が無い。
「ありがとうございます」
法稔は友人の代わりに、優しい少女達に頭を下げた。
「あの……法稔くん?」
二人をこの後、彼女達が行くというショッピングモールまで送り、別れの挨拶をして背を向けた法稔に真里が声を掛けた。
「はい?」
振り返った彼の隣に彼女の視線が注ぐ。くすりと笑って彼女は首を横に振った。
「すみません、何でもありません」
法稔が自分の何もない隣の空間を指でつつくような動作をして、彼女に苦笑を返す。
「じゃあ、このことについてはシオンが落ち着いたら、相談に上がります」
彼は撫でるように動かした手を挙げて、もう一度二人に向かって振ると歩き出した。
ひゅう。
透き通るような色合いの青い空から注ぐ午後の日差しは暖かいが、風はまだまだ氷のように冷たい。
「この身体は冬には向いてないな」
本来の姿は茶色の毛に覆われた狸型獣人である法稔は、首筋に吹き込む風に身体を震わせた。
「……直樹くん。人と話しているときには話掛けないでくれって頼んでいただろう?」
普通の人には見えない、隣で飛び跳ねながら歩く半透明の男の子に声を掛ける。
『い~じゃん。それにあの眼鏡のお姉ちゃん、オレのこと見えてたし』
やれやれと法稔は丸い肩を落した。
「去年の事件の影響で霊視能力を持ってしまったらしいな……」
さっき真里が笑ったのは、振り返った彼の隣で直樹がふざけて、両手をぶらぶらさせてお化けのマネをしたからだ。
「……まあ、これから先のことを考えると、そのままにして置いた方が彼女や周りの人達の為になるかもしれんが……」
秋の女性達の精神破壊事件の犯人に仕えていた、エルゼの元恋人バッドが土の総統家ベイリアル家に命じられて何をしていたかは調べ上げてある。
「……あれだけの仕掛けをしても
いくら土の第一種族の総統家、次期『土の王』候補であろうとも、今持っているだけの力では到底足りない。その補完を、あの『狂気の貴公子』は自身のおぞましい性癖を満たす『島の別荘』で行っているらしい。
「魔王陛下と『あの方』が、それを、彼の『土の王』就任阻止に使えないか、秘密裏に調べているらしいが……」
過去、ベイリアル家が『土の老王』の権威と大金を使ってもみ消した、魔王軍防衛部隊第一隊の悲劇。彼の性癖が高位貴族や土の一族に広まった事件以降、奴等は慎重になり、なかなか尻尾を掴ませないという。
今、正に魔界の断崖絶壁の孤島で行われていることを想像して、背筋に寒気が走る。
「アレと対峙するんだ。シオンの気持ちも解るな」
「兄ちゃん?」
きょとんと自分を見上げる直樹の無邪気な顔に小さく息をついて、頭を撫でる。
「さて、行くか」
法稔は彼を連れて、ファミリー層の多く住むマンション群のある街へと足を向けた。
今日から二月。ここ数日の青空が嘘のようにどんよりと曇った昼下がり。シオンは重い足取りで、自分達が住む山根市と隣市の関山市を回っていた。
「……異常は無し……と」
エルゼよりは遙かに格下とはいえ、魔界でも有名な術士に師事していただけあって、二つの市を治める土地神、麿様のおわす土童神社を中心に巧妙に仕掛けられたバッドの術は静かに、だが確かに力を放ちつつ眠っていた。
湿った空気に混じる土の魔力に、ぶるりと身体を震わせる。
「……麿様は何を考えているのだろう……」
解除しようと思えば、麿様によって二つの市の地精を配下に置くことを許されたモウンと玄庵、エルゼ、死神の術士達で術を解除することは可能だ。
だが明らかに自分に向けられた、この術に対して麿様は『捨て置け』と命じているという。
麿様曰くこれは『起こるべくして起きる災い』らしい。
……ということは……。
すっと目の前が暗くなり、雨の降りしきる中、迫る土砂と、運動場のグラウンドを走る白い炎が映る。
シオンは年始明け以来、度々起こる全身の血の気が引くような寒気に歩みを止めた。
ガクガクと走る震えに叫び出しそうになるのを必死で堪える。ぐっと両手を握っているとようやく震えが収まり、大きく息をついた。
まだ微かに震える手を見下ろし、奥歯を噛みしめる。
大晦日の晩、モウンに自分達の班の真の目的と、真の敵の正体を告げられてから起こるようになった寒気。それを払拭する為に年始明け、皐月家に訪れていたエドワード一家が帰ってからシオンはがむしゃらにモウンや玄庵に稽古をつけて貰っていた。
『気持ちは解るがな、これ以上はお前が消耗するだけだ』
しかし、今日も稽古を、と望んだ彼にモウンはそう言って、バッドの仕掛けの見回りを命じた。
出掛ける彼に向けられた他の班員の宥めるような慰めるような視線。
それすら、今は辛い。
ようやく手の震えも止まり、全身の力を抜く。シオンは軽く首を振ると更に鉛色の濃くなった空を見上げた。
「……もう直ぐ、雨が降るな……」
水の魔族としての感覚が、小一時間もすると雨が落ちてくることを告げる。帰ろうと踵を返したとき
「……ん?」
ブロック塀の角の左辺りから、昼間なのに闇の気配を感じた。この柔らかな安らぎと清らかさを併せ持つ気配は冥界の者の闇の力だ。
「ポン太かな?」
にしては小さすぎるけど……。
シオンは塀の角を曲がった。ブロック塀は内側の家の敷地に沿って、路地の中央にある電柱まで延びている。その下に一人の女性がうずくまっていた。
「あ……! あのっ! 大丈夫ですか!?」
微かに全身を震わせている彼女から目には見えないが、もう一人小さな、しかし確かな命の波動を感じて、シオンは慌てて彼女に駆け寄った。
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