鬼は身のうち・後

「……真里、やめて……」

 震えながらも三人の前に立ちふさがった香奈芽が、うつろな顔の真里に呼び掛ける。

「おや? この子達を庇うのかい?」

 女の問いに香奈芽はふるふると首を横に振った。

「こんな奴等、どうなったって良い。私は真里を守りたいの」

 香奈芽はぶつぶつと呟いている真里に呼び掛けた。

「さっき、この化け物が私を襲ったとき、止めてくれたの真里でしょ。真里は昔から本当に優しい子なんだから、この子達を傷付けたら、絶対、後でおかしくなっちゃうよ」

 香奈芽の声に、真里の口の動きが止まる。

「私、真里を守りたい。こんな奴等のせいで、真里が後でずっと泣いたり、苦しんだりするのは絶対にイヤ。……だから、やめて。もう、こんなバカな子達が真里を傷つけないように、これからは私が側にいるから」

 香奈芽が必死に呼び掛ける。近づいてくる不気味な塊に怯えながらも、動かず声を掛ける香奈芽に

 ……良かったね……。

 先程の別の少女の声が真里の口から洩れた。

 ……あなたにはちゃんとした優しいお友達がいるよ……。

 ぱちりと真里の目が瞬く。

『……香奈芽ちゃん……』

 瞳に光が戻る。

「良い子達だねぇ」

 女が感心して呟いたとき、邪霊の塊の下に青い光の魔法陣が現れた。動きが止まる。

「お玉姐さん、もういいでしょう」

 空き家の前に法稔が立っている。数珠を手にした右手で邪霊の塊を指し、もう片手で印を結んでいる。

「ああ。もうお仕置きは十分だ」

 女……冥界の死神、猫又族の術使い、お玉は後輩に頷いた。

「私が邪霊に雷を打ち込みます。その隙にお玉姐さんは真里さんを引き離して下さい」

「解ったよ、しっかりおやり」

「はい」

 法稔が左手の印を変え、呪文を唱え始める。お玉が手をかざし、五色の糸でかがられた手鞠を出す。両手の中でそれが解けると、糸が寄り合い、極彩色の紐に変わる。

「はぁっ!!」

 法稔が気合いとともに術を放つ。魔法陣の青い光がひときわ輝き、そこから青白い雷光が飛び出ると矢のように表面に浮かんだ邪霊達の顔を打つ。

 ギャアァァァ!! 複数の悲鳴が重なった獣のような叫び声が響き、硬直する。

 その隙にお玉が真里の顔に紐を飛ばし掛ける。手に巻き付け、ぐいと引っ張る。「真里!!」香奈芽が紐に飛び付き、一緒に引っ張った。

 ずるり。真里の身体が邪霊の塊から抜ける。そのまま引き寄せる。魔法陣から出た真里を香奈芽が抱き上げた。

「真里!!」

 真里がうっすらと微笑む。

「……香奈芽ちゃん……止めてくれて……ありがとう……」

「うん!!」

 香奈芽は真里をぎゅっと抱き締めた。

 

 

 コツコツコツ……。二人の前に軽い足音がやってくる。

「シオン……」

 香奈芽が顔を上げると、シオンが二人ににっこりと笑い掛けた。

「香奈芽ちゃん、真里ちゃん、ありがとう」

 礼を言う。

「二人を見ていて、ボクのやっていることは間違い無いって確認出来たよ」

 シオンは空に両の手を翳した。優美な曲線を描く、青龍刀が二本現れる。邪霊の塊をキッと睨み付け、それを両手に握り、法稔に声を掛ける。

「後はボクに任せて」

「解った。術を解くぞ」

 魔法陣が消える。途端に二人に向かって襲ってきた邪霊の塊に、シオンの青龍刀が一閃した。

 ぼとり。切り落とされた邪霊の顔が道路に落ちる。それに向かい、法稔が青い数珠の珠を投げる。珠が当たると顔はその中に吸い込まれた。

「たぁっ!!」

 シオンが刀を翳し、飛び掛かる。右手の刀で上部に浮かんだ顔を切り落とす。返す左の刀でもう一つ、今度は消えようとしていた顔を落とした。

 オオン……。シオンの鋭い太刀に、邪霊の塊が怯えたように空き家に向かって戻り始める。

「家の下の沼の跡に帰るつもりだよ!」

 お玉が叫ぶ。「そうはさせない!」シオンが更に高く飛び、空で身を捻ると刀を横にふるう。浮かび上がった氷の粒が邪霊の塊を襲う。地面に降り立つと、一気に動きを止めた塊に駆け寄り、二刀を振る。ぼとり、ぼとり、次々と顔が落ちた。

「はぁっ!!」

 縦に顔を叩き切る。苦痛の雄叫びを上げた顔を法稔の珠が回収する。浮かび上がる顔を一つも見逃さず、一刀で切る的確な動きに

「さすが、ハーモン班の兵士」

 お玉が笑んだ。最後に大きく横に振るった太刀に一番大きな顔が飛び、道路に落ちる。青い珠の中に消える。

「浄!!」

 法稔が両手で印を組み、唱える。青い光に包まれ、顔が切り落とされた後に残ったコールタールのような身体が浄化される。邪霊の気配が完全に消え、むっと暑い夏の熱帯夜の空気と空き家の草むらで鳴く虫の声が戻ってきた。

 


「終わりましたね」

 法稔がほっと息をついて、シオンと共に香奈芽と真里の元にやってくる。

「まだだよ」

 あんたもまだまだ未熟だねぇ。からかうように笑うとお玉は、香奈芽の腕に抱かれた真里の隣に膝をついた。

「その子をこちらに渡してくれるかい?」

「はい」

 真里が頷く。「その子?」首を傾げる香奈芽に真里は自分の胸に手を置いた。

「私と同じようにイジメられていた女の子」

 お玉が赤い染料で亀と鶴を描いた産着を広げる。そっと白い手を真里の手の上に翳すと、淡い光の玉が彼女の胸から浮いてきた。

「五年前の夏、あたし達の動きに気が付いた邪霊達が、ちょうど、そのとき空き家で肝試しをやらされた少女の魂を抜き取り、抱え込んで、地下の沼の跡に隠れたんだ」

 そして少女の魂の悲しみや苦しみを餌に五年間潜伏していた。

「可哀想に……喰われ続けて、こんなに小さくなってしまった」

 お玉がそっと弱々しく光る玉を産着で包む。

 しかし、それも限界が近づいていた。弱りきった彼女の魂の代わりになる、次の犠牲者を欲しがっていた邪霊達が、ちょうど同じ境遇、同じ思いを抱えてやってきた真里に姿を現し、取り込んだのだ。

「まあ、あたしも、ここまでは読んでいたんだけどね」

 五年前の少女によく似た真里をおとりに邪霊の塊を呼び出し、倒す。

「倒した後、この子の魂は欠片でも取り戻せれば良いと思っていたんだけど、うまく真里さんとこの子が共鳴してくれたんだ」

 真里が飲み込まれた瞬間、同じ傷、同じ境遇から共鳴をしていた真里に少女の魂が乗り移った。結果として彼女の魂をこれ以上、傷付けることなく救い出せたのだ。

「この子はどうなるのですか?」

 産着に包まれた魂を抱いたお玉に真里が訊く。

「浄化して、また新しい魂に生まれ変わらせるのさ」

「……そうですか」

 二人の少女が微笑む。二人は顔を見合わせるとお玉の腕の中の魂に呼び掛けた。

「助けてくれてありがとう。次は幸せになってね」

 二人の声に産着の中で少女の魂が『こちらこそありがとう』とでも言うかのように、ゆるりと光った。

 

 

 今日も殺人的に気温が上がりまくる、山根市の郊外のショッピングモール。お盆も終わり、混雑も一段落した二階のフードコーナーで、シオンと法稔が飲み物を前に小さなプラスチックのテーブルに着いていた。

「……じゃあ、あの子、『贖罪の森』の湖に沈められたんだ」

 シオンがコーラを啜りながら、ウーロン茶を片手に通路を歩く人達を見ている法稔に訊く。

「ああ、五年も邪霊の餌にされて、弱っていたからな。他の浄化地では浄化は無理だと『贖罪の森』に連れて行かれた」

 そして、『贖罪の森』の主に理由を話して、湖の奥深くにぐっすりと眠れるように沈めて貰った。

「自身のせいで穢れたわけではないから、それほど時を経たずして浄化が終わり、転生出来ると思う」

「そっか……。香奈芽ちゃんや真里ちゃんが願ったように今度は幸せに寿命を全う出来ると良いな」

 シオンの笑みに「だな」法稔も頷いた。

「シオン~、ポン太くん~」

 ティーンズ向けの雑貨店で買い物をしていた香奈芽と真里が戻ってくる。

「法稔です」

 法稔が苦り切った顔で訂正する。

「い~じゃん、ポン太の方が絶対似合うって」

 ケラケラ笑うシオンに「お前なぁ~! お前のせいで、最近では死神なかま内でも『ポン太』って呼ばれるんだ!!」法稔が食って掛かった。

 二人のやり取りに真里が笑いながら、自分と香奈芽の分の飲み物を買いに行く。

「そういえば、例の女の子達どうなったの?」

 彼女が店に着いたのを見て、シオンは素早く尋ねた。空き家の事件は、エルゼと玄庵に頼んで、法稔が悪霊を祓った、というふうに香奈芽と真里の記憶を改竄して貰っている。が、三人のイジメっ子には悪夢という形でそのまま残してあった。

「それがね、真里が悪霊に飲み込まれたとか、ヘンなことを言い出して、周りから気味悪がられて孤立しているみたい」

 それに、もう真里には一切関わらなくなったのよ。香奈芽がほっと息を付いた。

 問題集の落書きも肝試しの件も、真里と彼女の両親が直接学校にイジメがあったことを訴え、学校側と三人の少女の親から謝罪されている。

「そう、良かったね」

「うん、真里も元気になったしね」

「なんかお腹すいちゃった」

 真里が二人分の飲み物に、たこやきを二つ買ってきたトレイをテーブルに置く。財布を取り出す皆に「お世話になったからおごらせて」と明るく笑った。

「あの空き家、取り壊されることになったんですよ」

 たこやきをつつきながら法稔が告げる。「今度の騒動で持ち主が重い腰を上げたみたいです」

 二回もイジメの舞台になったことに苦情がきたらしい。実際に一人死んでいるので、取り壊した後、お寺のお坊さんを呼んでお経を上げて貰うようだ。

『その後、沼地の浄化と封印におさが破防班にも協力を仰ぐって言っていた』

 法稔が心語でシオンに呼び掛ける。近いうちに正式に協力要請に訪れるという。

『OK。班長に話しておく』

 シオンが心語で答えた。

「法稔くん、悪いんだけど、今日、この後、あの空き家に行っても良いかな? お花を持って行きたいの」

 真里の言葉に香奈芽も「一階のフラワーショップで買おう」と賛成する。

『おい、二人の記憶から、あの少女のことは消したんじゃなかったか?』

『そのはずだけど……』

 目を丸くする二人に少女達は「入り口に飾ってあった白いユリの花が良いね」と微笑んだ。

「あの……」

「なんとなくね。あそこに悲しい子がいた気がするんだ」

「そして友達になって助けて貰ったような気がするの」

「そうですか」

 法稔が小さく笑った。

「では私もお供えしたいので、どんな花束が女の子に良いかアドバイスを下さい」

「ボクにも頼むよ」

 シオンが最後のたこやきを口に放り込む。 容器と飲み物のカップを片付けて

「こっちが近いよ」

 香奈芽と真里が、先に通路を歩き出す。仲良く歩く二人に、優しい笑顔が弾けた。

「ああいう子達がいるから、この世界も悪くないなと思うんだ」

「そうだな」

 きっと、あの冥界で眠る少女も喜ぶだろう。

 その感謝の声が聞こえてくるようで、魔界の少年兵士と冥界の死神少年は、二人を追いながら、互いに顔を見合わせて笑い合った。


鬼は身のうち END

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