2. 恐怖
「妊娠されているんですよねっ! 具合が悪いのですか!?」
駆け寄ってきた足音に彼女が顔を上げる。女性の涙に濡れた頬に、シオンは更に慌てた。
「びっ、病院!! えっと救急車っ!!」
ダッフルコートのポケットから、スマホをわたわたと取り出す彼を女性は大きく首を振って止めた。
「いえ、大丈夫です」
シオンは彼女の後ろにあるブロック塀や電柱に立て掛けるように置かれた花々に気付いた。お菓子にジュースの缶。そして、そこだけ真新しいブロックが積まれた塀の一部と電柱に何かが擦ったような跡。
「あ……」
そう言えば、秋の事件が終わって一息ついた十二月の上旬。遊ぼうかと声を掛けた法稔が忙しそうに
『すまん。ちょっと事故が起こってな、その処理に追われているんだ』
断ったことがあった。
……確か、小学生の集団登校の列に自動車が突っ込んだんだっけ……。
年に何回か起こってしまう悲しい事故。自分が通う高校のある市の出来事だったこともあって
『もう少しで冬休みだったのに……』
軽傷者数名に、重傷者が二名。そして車と電柱、ブロック塀に挟まれて、小学二年生の男の子が一名、即死した事故だ。
……もしかして……。
濡れた頬をハンカチで拭いて、ゆっくりと女性が立ち上がる。
……ここで泣いていたということは、事故死した男の子のお母さんかも……。
お腹が重いせいか、少しふらついた彼女にシオンは手を貸した。
「ありがとうございます」
女性がぺこりと頭を下げる。
……あれ?
彼女から、先程感じた闇の気配はしていた。
お腹の辺りから感じるけど、何かワケありなのかな?
まだ身体との結びつきの緩い胎児の魂は、理由によっては冥界の死神の保護下に置かれることがある。
「……あの、もし良かったら、お家まで送りましょうか?」
気になって申し出るシオンに女性はびっくりしたように目を見張り
「あなたみたいな若い男の子が気を使ってくれるなんて……」
嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。でも、お気持ちだけ頂いておきます」
さっきより少し明るい声で断って、また一つ礼をして背を向ける。
ゆっくりと女性が歩く。シオンは穏形の術を使って姿を消して、彼女を追い始めた。
……もう直ぐ、雨が降るんだけど……。
女性はファミリー層向けの四棟並んだマンションの敷地の隣にある、小さな公園のベンチに座っていた。
緑の垣根に、ところどころ植えられた低木の植え込み、小さい子供向けの砂場にブランコにスベリ台。その周りに不格好なコンクリート製の動物達の置物、隅には土台と柱と屋根だけの東屋が置かれた、どこにでもあるような公園だ。
冷たい風と雨の気配に、彼女以外に人影はない。
女性はただ鉛色の空の下の遊具達を眺めていた。つうとその目から涙が溢れる。
……もしかして、亡くなった子が遊んでいた公園なのかな……。
シオンは姿を消したまま、スベリ台の下から彼女を見ていた。
……そっとしておいてあげよう。もし、雨が降ってきたら術で濡れないようにしてあげれば良いし。
憔悴しきった顔からも、元の優しい穏やかな人相が見てとれる。きっと愛情深い母親だったのだろう。もし、シオンの推測が間違ってなければ、そんな母親にまだ二ヶ月も経ってない、子を亡くした悲しみから立ち直れというのが無理だ。
そのとき、シオンの身体がびくりと震えた。闇の気配がする。彼女から漂う冥界のモノではなく、ねっとりとした邪気を伴う気配だ。
邪霊!? こんな時間に!?
素早く周囲を見回して、シオンは舌打ちをした。雲が更に低くなり、辺りは夕刻のように暗くなっている。邪霊は昼の陽気を嫌うが、このように陽気の薄い日だと昼間でも出てくることがあった。
公園の周囲を囲むイヌツゲとキンモクセイの垣根。その根本の暗がりから一つ、また一つと邪霊が湧いてくる。全部で四体。つうと垣根の影を辿って飛び、真っ直ぐにベンチの女性に向かっていった。
危ない!!
シオンは右手を挙げると揺らめかせた。湿気に満ちた空気から、細かい氷の粒を作る。術のコントロールの苦手なシオンが唯一確かに使える氷の術で、女性の周囲を囲う。
ギャッ!! 悲鳴を上げて邪霊が氷の粒にぶつかり、おののく。
その苦痛の声に、シオンの全身にまた寒気が走った。
――氷の粒をぶつけられ、潰れた左目から血を流しながら、吠える竜人。
術が緩む。隙間を抜いて、邪霊が女性に襲いかかる。
「しまったっ!!」
シオンは慌てて駆け寄った。走りながら愛用の青龍刀を呼び出す。それを構え、邪霊に向かい振るおうとしたところで、重く垂れ込めた雲からぽつりと雨粒が一粒、シオンの顔に落ちた。
――薄闇の中、紫色の光をまとった少年。降りしきる雨。緊張から外れた太刀筋。迫る土砂。
動きが止まり、手から刀が落ちる。
邪霊が棒立ちになった彼の脇を抜け、女性へ飛び掛かる。
『母ちゃんっ!!』
湿った空気に、ボーイソプラノの声が響く。
「オン!!」
聞き覚えのある裂帛の気合いを込めた声と同時に、青い魔法陣がシオンと彼女の足下に広がった。立ち昇る光が邪霊を打ち祓う。
『母ちゃん! 母ちゃん、大丈夫!?』
半透明の男の子がベンチの女性の膝にすがりつく。
「……シオン」
背後から近づいてきた冥界の友人の声にシオンの身体がびくりと震えた。
「……お前、そこまで……」
驚きを隠せない声が続く。シオンは振り返ることすら出来ず、黙ってうなだれた。
ざぁぁぁぁ……。
冬の冷たい雨が音を立てて、降りしきる。女性が自分の部屋に帰ったのを見届けると、法稔はシオンを促して、東屋に置かれた木の椅子に座らせた。
「ほら」
近くの自動販売機から買ってきたホットのカフェオレを渡す。自分は玄米茶のペットボトルの蓋を開けると隣の椅子に腰掛けた。
「……しかし、冷えるな」
一口飲んで、雨のせいで更に冷えた空気に、ぶるりと震える。シオンが顔を上げて、軽く指を振る。ふわりと魔力の波動を感じると寒さが少し遠のいた。
「水気を払ってくれたのか。ありがとう。力はちゃんと使えるんだな」
「うん。戦闘も班長やアッシュさんとの訓練なら出来るんだ。……ただ、実戦になると身体が急に動かなくなって……」
暖かなペットボトルを両手に包むようにして持ちながら、打ちっ放しのコンクリートの床を見る。
「いつから?」
「エドワード様が魔界に帰ってから。正月明けからかな……?」
もう一口、お茶を飲んで法稔は頷いた。
大晦日、正月と衝撃の真相を知らされた後、それが落ち着き現実味を帯びてかららしい。
「戦おうとすると、前のベイリアル家の傍系の少年との戦いや、バーン家の跡継ぎとの戦いが浮かんで寒気が走るんだ」
「二つとも、お前、ヒドイ目にあったからなぁ……」
思わず息をつく。
一昨年の春の終わりの魔族の少年にそそのかされた少女の少女襲撃事件で、シオンはその少年から右ハサミと左腕を折る大怪我をさせられている。そして去年の秋の事件では、自分が放った氷の粒によりバーン家の跡取りの左目を潰してしまい、本性を現した彼に襲われていた。
冥界でも戦闘のトラウマから戦えなくなる死神や戦士は多くいる。身の危険を感じることのない訓練は受けられても、実際に命をやりとりする戦闘となると動けなくなるのは、間違いなくそのときの恐怖からくるものだろう。
『なるほどなぁ……。シャインと同じだな。シャインもグラドーナとの戦いで大怪我をして、その後、しばらく戦えなくなったんだ』
雨の中流れてきた声にシオンが顔を上げる。自分の向かい側の席に座り、腕を組んでうんうんと頷いている半透明の男の子に気が付いたのだろう。唖然とした顔で目をしばたいた。
「直樹くん、特撮ヒーローと一緒にしないでくれ……」
法稔が眉をしかめる。
「ポン太。この子、誰?」
落ち込んでいても、しっかりアダ名で自分を呼ぶシオンに「法稔だ」いつものように言い返して、法稔は雨の向こうにけぶるマンションを指した。
「さっきの女性のお子さんで、直樹くんだ」
「この子、幽霊だよね。え……じゃあ、例の事故で?」
『ああ、去年の十二月初旬の集団登校に車が突っ込んだ事故で即死した小学二年生の男の子だ』
これは声に出すわけにいかず、心語で告げる。
当の直樹は
『ポン太? すげぇ! ぴったりだ! 兄ちゃん、オレもそう呼んで良い?』
はしゃいでいる。「ダメだ」苦い顔で即答した友人に、シオンがプッと吹き出した。
「でも、どうして、その子がポン太と? とっくに冥界に連れて逝ってないといけないんじゃない?」
魂の人は余り現世に留まると、本人も気付いてない未練に捕らわれ、邪霊になってしまうことがある。当然の疑問を口にしたシオンに「法稔だ」また訂正してから、顔をしかめた。
「さっきの直樹くんのお母さんがちょっとワケありでな……」
「そういえば、あの人から冥界の気配がしてたけど……」
直樹くん、ちょっと向こうで遊んでいてくれ、法稔が頼む。直樹は素直に頷いて、東屋から飛び出した。
『いくぜ~!! シャインスパーク!!』
ヒーローの必殺技か、スベリ台から楽しげな声が聞こえる。
「実は直樹くんのお母さんは『
「え!?」
シオンが目を丸くした。
不幸過ぎる人生が続いた魂や、前の人生で悪縁や強い力を負ってしまった魂のことを天界では『忌み子』と呼ぶ。 それはそのまま放置すると冥界でも浄化出来ない『
「じゃあ、直樹くんのお母さんは『忌み子』のお母さんに選ばれたんだ……」
「ああ、直樹くんを見れば解ると思うが、本当に善い女性なんだ」
雨の中、遊ぶ幽霊の男の子には陰の欠片も無い。
「じゃあ、あの冥界の気配は?」
「直樹くんの死のショックで、一度早産しかかってな。今も少し不安定な状態にある。そのせいで調子付いた邪霊が『忌み子』を狙ってきているんだ」
『忌み子』は喰らうと強い邪気を付けることが出来、邪術の媒体にすると、より邪悪な術を使うことが出来る為、邪霊や魔族に狙われることがあった。そこで法稔の先輩である、死神のお
「そっか……」
「早産しかかったときに、直樹くんを夢の中に出してみたら、お母さんの容態が落ち着いたんだ。それで、直樹くん自身の希望もあって、『忌み子』の赤ちゃんが無事産まれるまでは、こっちにいて貰っている」
『母ちゃんと妹はオレが守るんだ!』
産院のベッドで眠る母親の枕元で拳を握っていたことを話す。
直樹が雨の中を駆けてくる。
『ポン太兄ちゃん! 母ちゃんのところ行って良い?』
「法稔だ」
法稔はしっかり訂正すると微笑んだ。
「ああ、身体が冷えてないか、ちゃんと暖かくしているか、確かめてきてくれ」
『うん!』
半透明の小さな背中がマンションに向かって駆けていく。
「赤ちゃん、いつ産まれるの?」
「もうすぐ、七日が出産予定日だ」
「えっ! それなのにこんな寒い中出掛けていたの!?」
シオンの驚きの声に、法稔は渋い顔をした。
「そうなんだ。旦那さんが里帰りを勧めたんだが、直樹くんがいた街を離れたくないって言い張って。それでいて、毎日、直樹くんの面影を探して、あちこち出歩いているんだ。だから、本当はもっと側についていたいんだが……」
冥界の死神は破防班と違い多忙だ。法稔は丸い肩を落とした。その様子に、じっとマンションを見ていたシオンが振り向く。
「だったら、ボクが直樹くんとお母さんについているよ」
「でも、お前……」
「戦えないけど、見張りくらいなら出来る。それに一人のときに産気ついたら大変だし」
自分の原点、この世界の人を身勝手な破壊から守るということに戻ってみたい。『忌み子』の母になる女性と、その母と妹を思う幽霊の男の子に守りたいという思いを抱いたのか、真剣な顔で頼むシオンに法稔は頷いた。
「解った。しかし無理はせず、危ないときはすぐに私に連絡をくれ」
「うん」
「班長には私から話をしておく」
「頼むよ」
シオンが立ち上がり、マンションに向かう。
……班長はこれを見越して手伝わせてくれと頼んでいたんだな……。
まだ陰りのある後ろ姿に、彼が魔界の兵士に誇りを取り戻せるようにと、法稔はそっと祈った。
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