3. 染まる邪気

 十月に入り、夜は一枚羽織るものがないと、肌寒くていられない気温になっている。今夜は駅前の雑居ビルの二階に入っている個別指導で有名な学習塾で勉強している礼子を、隣のビルの屋上から二人は見張っていた。

 遊園地での出来事から十日。撮った画像から辿りついた推測を報告して、長と矢太郎に相談した後、法稔は二人を救う術を探しに冥界に行った。そのとき魂魄管理局の職員が勧めてくれた古書に目を落とす。何度も読んだ、強力な浄化を施すことの出来る術の術式を再度読み込む。

 一人一人区切られたブースに座る礼子はテキストに向かい、問題集にペンを走らせている。その後ろでは更に黒く濁った博人が困った顔で彼女を見守っていた。

「……どうして、あんなに邪気に染められているのに優しい顔をしているのだろう……」

 眺めるシオンの彼を気遣う声を冷たい夜風がさらっていく。

「……それに礼子ちゃんも、全部が全部、以前の自分に戻さなくても良いのに……」

 両親や美菜がやれと勧めたわけでもないのに、彼女が自主的に全部やり始めたらしい。

「……礼子ちゃんってポン太にそっくりだ……」

 耳が小さなぼやきを拾い、思わず口元に苦笑が浮かぶ。お玉にも散々言われていることだ。

『アンタは真面目で努力家なのは良いけど……なまじ努力が実ってしまうせいで、頑張ることをやめることが出来ず、ついつい無理をしてしまうんだ。もう少し、あたし達先輩にも甘えな』

「……ボクは博くんかな……?」

 次いで流れてきた自嘲の声に、出してない頭頂の耳が傾ぐのを感じながら、やれやれと法稔は肩をすくめた。

 シオンは大きな力を秘めているが、今、使えるのは、それのほんの一部だ。当然ながら同じ班の戦闘兵の班長のモウンや副長のアッシュにはまるで及ばない。

 そのうえ、今年の春のディギオン・ベイリアルの捕縛の後、彼等のハーモン班の任務は他世界の破防班のサポートとなった。派遣先はどうしても高位の魔族や担当班もお手上げの難しい事件ばかりになる。そのせいで経験不足から足を引っ張ることがあるらしく、最近の彼はちょっと自信喪失気味だった。

「……いや、博くんみたいにはとてもなれないや……」

「お前は時々自分を過小し過ぎるな」

 聞いていられなくて、古書から顔を上げる。

「お前の四刀流はかなりのレベルだ。それにエルゼさんからも、班長とアッシュさんは比べる対象ではないと散々言われているだろう? あそこまでの兵士は冥界でも滅多にいない」

 実際に二人と互角に戦えるのは『冥王の側近』と呼ばれる、トップクラスの兵士だけだろう。法稔の言葉にシオンが唇をとがらせる。

「……本当にそう思ってる?」

「私は攻撃が苦手だ。そんな私が慰めで嘘をつくと思うか?」

 死神も冥界に運ぶ魂を守る王府軍所属のエリート兵士の内に入る。法稔も専修学校や研修生時代、様々な攻撃術や体術を学んだ。しかし、防御、浄化、探索・解析の術に関しては一流と呼べるレベルに達したが、攻撃術に関しては並みの兵士レベルしかない。玄庵やエルゼと同じで資質、性格、共に攻撃術には向いてないのだ。

 自分の苦い表情に気がついたのか

「ゴメン」

 シオンが素直に謝る。法稔は彼の前に立つと古書を閉じ、大きく息をついた。

「やはり、今の私では二人を同時に傷つけずに救うのは無理だ。そこで、お前の力を貸して欲しい」

 二人同時に救う為にこの強力な浄化術を使うとなると、かなり集中しなければならない。それのみで手いっぱいになるだろうから、もう一つ、サポートとなる手が欲しい。

 ……『解呪』の勉強をしておくべきだったな……。

『解呪』が使えれば、それを使った後に普通の浄化術で、どうにかなっただろうが、ついつい忙しさにかまけて学ぶのを躊躇していた自分を嘆きつつ頼む。

「えっ!? ポン太がボクに『術』で助けてって?」

「法稔だ。お前の『真水しんすい』召還。その力で私を助けて欲しい」

「本気で言ってるの?」

「もう一度言うが、術士を名乗る者が慰めでこんな情けないことは頼まない」

 自分の不甲斐なさに顔をしかめて、つい、そっぽを向く。

「わ……解った! ゴメン! じゃあ、どうすれば良い?」

「もうすぐ、矢太郎さんが来るから、見張りを交代して皐月家に行こう。玄さんに監修して貰いながら、術を二人で使うように組み換える」

「うん!!」

 シオンの顔が明るくなる。その彼の肩をつつく。窓の向こうから博人が二人を見ていた。

『良い関係ですね』

 やはり邪霊になりかけているとは思えない顔で少し羨ましげに微笑み掛けられる。

「ありがとう。必ずボク達で君達を助けるから」

 シオンが彼に解るように大きく口を動かして答えた。

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