4. 執着の闇
春は桜が有名な藩主の庭園だったという公園は見事な紅葉に覆われている。ここなら人目につかないからと法稔が二人を救うのに選んだのは噴水が側にある広い芝生広場だった。
広場のシンボルタワーの時計の針が夜十時を指す。淡いライトに照らされた水の飛沫がキラキラと冷たい光を放っている。広場を囲むレトロな造りの外灯が夏より精彩を欠いた芝生を照らしていた。
「来たよ」
外灯の下に立つ法稔とシオンに向かい三人……二人には四人見える……の人影が公園の駐車場から歩いてくる。
礼子と姉の美菜と友人の篤志。そして……。
「もうここまで……」
礼子の後ろの博人は真っ黒に邪気に染まり、夏の日差しに地面に落ちる影法師のようになっていた。
「二日前まではまだ顔が見えていたのに……」
「それだけ苦しみが深いのだろう……」
礼子も塾で見たときより、あきらかに顔色が悪い。
「このままだと……」
「双方ともおかしくなってしまう……」
二人を無傷で救うには時間的にも今夜が最後のチャンスだ。
「やっと博人を祓ってくれるのね!?」
シオンと法稔の前まで来た美菜の言葉に、隣の礼子が弾かれたように顔を上げて姉を見る。
「博くん、やっぱりいるの!?」
礼子が自分の周囲を探す。確証に変わった推測に法稔はシオンと視線を交わし頷き合った。
「そうよ。私見たの。礼子の後ろにいた博人の霊」
「博人の奴……礼子を恨んでいるのか……」
怖げに身を震わせた篤志に「博くんはそんな子じゃない!!」礼子は叫んだ。
「博くん! 博くん! どこっ!? 私にも姿を見せてっ!!」
必死に見回す礼子に法稔は美菜と篤志を呼んだ。
「今から祓います。美菜さんと篤志さんは広場から出て下さい」
二人が芝生を囲む通路に出る。
「シオン」
「うん」
シオンが両手を差し出した。『真水』召還。魔界の深海から水の力を呼ぶ。外灯の光の中、シオンの両手の間にぽつりと小さな水の玉が生まれる。それは揺らめきながら大きくなる。シオンが静かに息を吐き出し、更に力を込めた。水玉は拳大からどんどん大きくなり、人の頭ほどになる。
「よし」
次に水玉に力を込める。『真水』を粒にして両手にまとわり着かせる。法稔は懐から愛用の数珠を出し、呪文を唱え始めた。呪文により生み出された浄化の力が水粒に溶け込む。水の力、そのものが具現化し可視化した『真水』は普通では不可能な様々な術力を溶かし込むことが出来る。
「行くよ!」
まずシオンが右手を振る。冥界の浄化の力を帯びた水粒が礼子と博人に降り注いだ。
サー。水粒が二人に注がれる。それは二人の染まった邪気を溶かし、シオンの元に戻ってくる。
法稔が浄化の呪文を唱える。水粒に溶け込んだ邪気を消し、新たな浄化の力を再び溶け込ませる。次に左手の水粒。そしてまた右手。続けざまにシオンは水粒を二人に浴びせ続ける。礼子と博人の身体に水粒があたって弾ける。だが、水の力そのもの故に濡れはしない。呆然と芝生の上に立ち竦む礼子に美菜が喚いた。
「なんで礼子も!?」
「礼子さんが今回の原因だからです」
数珠を鳴らしながら法稔は答えた。
「美菜さんは博人さんが礼子さんに憑いていると言っていました。確かに夏休みが終わるまでは、その状態だったんです」
シオンが水粒を浴びせる度に二人が洗われ邪気が失せていく。博人の姿がほぼ見える状態になったとき、法稔はシオンを止めて、呪文を唱えた。霊を普通の人間にも可視化させる術。眼前に現れた博人に美菜が息を飲み、篤志が「う……」呻いて通路に尻餅をつく。
「しかし、新学期が始まり、学校に通い、事故前の生活に礼子さんが戻って二人の関係は変わりました。もう自分がいなくても大丈夫だと薄れていく博人さんの気配に礼子さんがすがりつき始め……礼子さんの方が博人さんと別れまいと彼にとり憑いてしまったのです」
並んだ二人のうち礼子の影が芝生の上で蠢いている。それは途中から黒い糸のように分かれ……博人の身体にしっかりと幾重にも絡みついていた。
「博くん!!」
見えるようになった博人に礼子が抱きつく。
「博くん! 本当にいたんだ! 会いたかった!」
博人が戸惑った顔で法稔とシオンを見る。法稔が小さく頷くと彼は幼い子供のようにしがみつく礼子の肩をそっと抱いた。
「次にいくぞ」
「OK」
法稔が数珠を鳴らし、再び呪文を唱える。シオンは今度は二人を繋ぐ黒い糸に集中して水粒を浴びせ始めた。生者の妄念から死者を解放する呪文が溶け込んだ水粒に糸が一本一本切れていく。
しかし、礼子の影が蠢き、黒い邪気が渦巻き、博人を離すまいと新たな糸を生み絡みつく。ずるずると絡む糸に「……ひっ……」篤志が尻餅をついたまま後ずさり
「どういうことなの……?」
美菜が乾いた声を出した。
「見てのとおりだよ」
次々と生まれる邪気の糸に狙いを定め、断ちながらシオンが答える。
「学校に通い始めて、改めて礼子ちゃんは気付いてしまったんだ。もう自分を本当の意味で支えてくれる人がいないことに。皆、礼子ちゃんが努力を重ね、頑張っている姿を誉め称え、その影にある苦しみには気付いてなかった。いつの間にか、彼女は周囲から『努力すれば夢を叶えられる』象徴になっていたんだ」
更に追い打ちを掛けるような篤志の博人を忘れさせようとする行動。それに博人を亡くした悲しみすら表に出せなくなった礼子は追いつめられ、博人の霊にしがみついてしまった。その妄執が邪気を呼んで、博人を縛り、邪霊化し掛かっていたのだ。
「本当は礼子ちゃんはもっと泣かなきゃいけなかったんだ。博人くんがいないことを泣いて喚いて悲しんで……それを皆に見せなければならなかった」
しかし、死神の術で早くショックから立ち直り掛けた為に、彼女はそれすら『乗り越えた』と周囲に思われてしまった。
「
ベテランの死神故のミス。慚愧の思いに顔が歪む。絡んでも絡んでも断ち切られていく自分の糸に礼子がとうとう泣き出した。
「……ヤダ……いっちゃヤダ……博くん……」
『礼子』
博人がそっと礼子の頭を撫でる。
『本当は一番いけなかったのはオレだったんだ。礼子を苦しみを、おじさんやおばさん、お姉さんに伝えておかなかければいけなかった。なのに……オレはこうしてすがりついてくる礼子の唯一の理解者という立場が心地良かった、独占したかったのかもしれない』
泣きじゃくる彼女に謝りながら博人は美菜に目を向けた。
『お姉さん、礼子は本当はこんなに弱い子なんです。だから、これからはオレの代わりにお姉さん達が彼女を支えてくれますか?』
彼の真摯で優しい、妹を思う言葉に美菜がうなだれる。
「……礼子、今まで本当にごめん。お姉ちゃん、礼子を自分の夢の代わりにしていた」
礼子に比べて、ごくごく普通の子供だった美菜は叶えられず諦めた夢がいくつもあったのだろう。その代償に礼子が夢叶える喜びを、自分の『喜び』にしていた。
「……多分、お父さんもお母さんもそうだ。……博人くん、いろいろ非道いことを言ってごめんなさい」
美菜は深々と彼に頭を下げた。
「礼子が博人くんを選んだのは正しかったんだ……」
目をうるませて頷く。
「博人くん、本当はうちの家族でやらなければなかったことをずっとやってくれて、今まで妹を守ってくれてありがとう」
博人が笑む。すっとその姿が薄くなる。彼の後ろに法稔とシオンの目にだけ、迎えに来た矢太郎の姿が映った。
「博くんの礼子ちゃんへの未練が消えた」
「もう少しだ」
的確に『真水』を操るシオンにぷつん、ぷつんと糸が切れていく。今度は礼子の影にも水粒を浴びせ始めた。影の蠢きが止まる。
最後の糸が切れる。法稔はありったけの気力を集中し、呪文を唱えた。
「浄!!」
二人を浄化の青い光が包む。同時に矢太郎が博人の肩に手を置く。可視化の術が解除され、生者の目から博人の姿が消える。
「博くん!?」
礼子が叫ぶ。彼女をもう一度そっと撫でて、博人が法稔とシオンに頭を下げた。
『助けてくれてありがとうございました。オレ達も君達のようになりたかったな……』
『助かった。ありがとう』
博人と矢太郎が夜闇にふわりと消える。
「礼子!」
美菜が妹に駆け寄る。
「博くん!! 博くんがいっちゃったぁぁ!!」
本当に彼がいなくなったことを感じたのだろう。わぁぁぁと姉にすがりついて泣く礼子の声が夜の公園に響き渡った。
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