【5】リハビリと経緯
風神愚島はいつの頃か気を失っていた。
気づくと山小屋で横になっていた。愚島の隣にはみすぼらしい服を着た青年が座っている。
「……ここは?」
「気がつかれましたか?」
「……君は?」
「俺は与太郎と言いますよ――このあたりの沼地で細々と暮らしている……いわば土着民かな?」
「さようか……それは感謝の仕様もない――ううっ」
「ああ!動かないほうが良いですよ!――その肩の……傷!」
与太郎は愚島の怪我を見て今しがたのことのように、驚きうわずった声をあげた。
愚島の左肩から先の腕は存在しなかった。傷口の断面は電撃によって焼き塞がれて奇跡的に大事には至らなかったが、与太郎は生まれてこの方、ここまで酷い怪我を見たことがなかったのだ。
さすがの愚島も容態の悪さを裏付けるように、うめき声を隠せなかった。
「ううっ――問題ない、この程度の傷で……」
「――どの程度ですか! そんな傷を負ってる人なんて見たことないですよ!」
「ワシには……やらねばならないことが――」
「雷神に――戦いを挑むことですか?」
「……知っていたか」
「よく逃げ延びたものです――先の戦いでは、竜神殿も返り討ちにあったというのに……」
竜神という言葉に血相を変えた愚島は、傷だらけの上体を持ち上げて尋ねた。
「!! ――与太郎殿、《風亭山》付近で幼子は見なかったか?」
「竜神様のお子ですか……遣いのものが来て都に連れ帰られましたよ」
「そうか――――それは良かった」
「何も良くありませんよ。竜神は死に、三上殿はこれから一人で生きて行かねばならぬのです」
「…………」
「お子の気持ちを考えたら、不憫でなりませんよ――――時に」
与太郎は続けて言う。
「あなたたち異能者がどんな精神構造になっているのか、中身を覗いてみたいものですね」
「……戦うことは異能の者の宿命なのだ」
「それが、部外者の私にはわからないと言っているのです」
「…………」
「都は異能の力に飢えています、あなたなら大勢の人々を救うことができるはずだ」
「そんなものは所詮――数百年前に端を発することだ」
「世のため人のため役に立つことは異能の者の仕事にあらずと?」
「――我々はこの数奇な力を持つがために、長年人々から忌み嫌われてきた」
「それは、……それこそ人々の理解が及ばなかったからです」
「同じことだ。虐げられる宿命は変わらん、いつの世もな」
「だから戦い続けると?」
「……雷神も、都の人々には受け入れられなかった」
「世にも恐ろしい力を持つからです。あのようなもの、虐げられて当然です」
愚島は逡巡してから答えた。
「……私は雷神を倒さなくてはならん」
「――その、体でですか?」
「…………」
「正直、あなたはボロボロですよ、幾ら異能者と言えども、もはや快復は難しいでしょう」
「くっく――言ってくれる、小童の分際で――ううっ」
「ご老人。今こそ身の程を弁えて、祖国に帰るべきでは。見たところあなたでは雷神には太刀打ちできませんよ」
「――――貴様、戦いを見ていたな?」
「あなたも雷神も、歯牙にもかけないような脆弱な凡人なものですから」
「ふっふ……凡人にしては肝が据わっておる」
考えてみれば仙人界は異能者を危険視した無能力者の人間達が彼らを囲った世界。そこに意図して住み着く無能力者など物好きもいいところだった。与太郎はいう。
「虎の威を借る狐が、なぜ虎を恐れましょう?」
「貴殿の目にはどう映った?」
愚島は目をビー玉のように丸くして尋ねた。与太郎はたじろぎつつも答える。
「確かに《征雷棒》を持ち出したのは賢い選択ですよ。しかし、雷神の能力は雷属性そのものを封じるだけでは意味がない」
与太郎は続けて言う。
「例えば、雷神はまだ力の半分も見せていない。たまたま竜神戦のあとで消耗していたため、無駄な消耗を抑えたのです」
「ふむ……」
「私が知る限りでは……奴は時間を止める能力まで使います――この異能を突破した挑戦者は未だかつて存在しません」
「《征雷棒》では干渉できないと?」
「無論です。死屍累々の中には雷属性の能力者も居られますから」
「ならば……その異能が効力を及ぼす根源を絶てば良いのではないか?」
「それこそ机上の空論だと思いますが……第一、どういう原理で雷神が時間を止めるのか、あなたはご存知なのですか?」
「それを、これから突き止めるのだ」
「ほらこれだ……確かにあなたは今までの挑戦者とは違って少しばかり知恵が回るご様子。しかし次にあなたが雷神の異能を見るとき、それは命を落すときです」
「なるほど。はっはっは。それは傑作ではないかっ……――いてて」
「私は冗談で言っているのではないのですよ?」
「与太郎殿。つかのことをお尋ねするが……そういう貴殿はこうして何度も雷神と異能者の戦いを見てきたのでござろう?」
「そうですが……」
「ならば、貴殿こそ秘策を見抜いておられるのでは?」
「買いかぶっておられるようですが、私は異能の者ではありません……異能者の弱点を見破るなどと、とてもじゃないが不可能です」
「ふぅむ……これは困ったのう……」
愚島が与太郎の山小屋に厄介になってから早ひと月の歳月が経過していた。
愚島の怪我の療養は芳しくはなかった。当然だ。老いていく身の上で、負荷のかかる激闘の後、そう都合よく快復するわけない。
皮肉なことに全ては与太郎の言うとおりだったのである。それでも、苦痛に耐える愚島の心配の種は怪我の容態ではなく筋力の衰えにあった。療養のために寝たきりの時間が多くなると必然的に筋肉量も維持できなくなる。蝕む老いに抗うようにして取り組むリハビリほど過酷なものはない。
また異能を失ったことによる被害も甚大だ。《ついばみの弓》を失ったことにより竜の矢を、両手の必要なトルネードも失ってしまったのだ。毎日身体を引き摺るようにして屋外に駆り出しては過酷な筋力トレーニングを行う。そんな寿命を縮めるほど過酷なリハビリの痛々しい様に見かねて与太郎はついに愚島に尋ねる。
「なぜ――――なぜ風神様はそこまでして雷神を倒そうとなされるのですか?」
「…………」
風神愚島は答えない。沈黙したまま古傷の痛みに耐えながら修練に励むばかりだ。
「答えたくないんですね。それなら結構ですよ――俺は無頼の老人に慈悲をかけてあげたつもりだったんですがね」
「雷神は……ワシの孫なのだ」
「――――!」
「どうじゃ、それを聞かされたからといって、貴様の理解に及ぶまい……」
「あなたは――自分の孫を手に掛けるつもりなのですか!?」
「これは宿命なのだ――私の孫である以上に、奴はあまりに危険すぎる――その身に宿した能力に反して精神は幼子そのもの――未熟すぎる」
「それは――」
「この世が弱肉強食なら尚のこと――肉親などという安易な言葉で容易く片付けられないほどの隔たりが、奴とワシの間にはある――」
「それはあまりに悲しすぎる――――悲しすぎます!」
「……小童、ワシにはもう幾ばくの余命も残されてはおらんのだ」
「――――!」
「ワシは、ワシが残した今生の置き土産に、あのような者を残していくことはできない」
「あなたの言葉は――――もう、雷神には届かないんですね」
「――――」
翌日、与太郎は再び風神の元へとやって来た。風神愚島は飽きることもなく過酷なリハビリの最中だ。見かねて与太郎は言う。
「老い先短いなどと言っておきながら――体に鞭打つようことはやめないんですね」
「貴様にはわかるまいて――老いがゆえの焦りと――そして、自らがしでかしてしまった大事への後悔に――――」
「そんなあなたには朗報がありますよ――あの炎魔が雷神に果たし状を送ったらしいです」
「――それはまことか!?」
「ぐっ――信用してませんね――それなら良いですよ……教えて差し上げます」
炎魔、相良剛毅は現世の覇権を雷神と東西で二分すると言われた、最強の能力者の筆頭候補だった。雷神と比べ生来のカリスマ性と、人望によって多くの能力者を従える本物の王者だ。無頼の一匹狼の雷神とは名実共に一線を画す存在だった。
「こうなると――いよいよ、お孫さんを心配しますか?」
「――逆だ……相良は殺されるぞ!?」
「またまた――あの相良剛毅がそう容易く倒されるわけが――」
「ワシにはわかるのだ――あの天下の竜神でも力が一歩及ばなかった……その雷神にだ」
「当然、竜神の訃報は炎魔も聞き及んでいると言います。彼は恥も外聞もなく雷神討伐に挑むつもりとか」
「炎魔七人衆を動員するのか?」
「そうです――あの不滅と揶揄された、炎魔七人衆ですよ……」
《炎魔七人衆》は、七人揃えば炎魔本人さえも凌駕すると言わしめる、炎魔選りすぐりの七人の異能者集団だった。老後、自らの力の成長性を見限った炎魔は、後継者にと世界を行脚し才能の持ち主をスカウトしていった。言わば七人衆こそが炎魔のもうひとつの集大成なのだ。
「七人衆はリーダー格の炎熱千拾郎を筆頭とし、獄焔焦、風月火鉢、鬼火、流砂丸、灼熱君子、氷菓の七名。名前こそ広く知られていますが、それぞれの異能者の能力、そして姿かたちは一切が秘匿されています」
「全員が火属性の異能者で構成されている……」
「いえ、そのうち《氷菓》だけは氷属性の異能者だと噂されています……炎魔がなぜあえて弱点にも相当する氷属性の異能者をスカウトしたのか、真意は定かではありませんが……」
愚島は立ち上がった。そのままどこへともなく歩き出す。
「どうするつもりですか!?」
「炎魔に会う」
「彼らを止めるつもりですか?」
「……まさか」
「じゃあ何をしに?」
「……炎魔が本当に戦うというならば、それを見学に行くのだ」
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