【6】炎魔七人衆
深夜。愚島や与太郎たちも寝静まった頃、彼らの居る仙人界の沼地から遠くはなれた南の地。
人間界の大きな山に取り囲まれた平野に無能力者の人間達によって築かれた都があった。都は明るく光が灯っている。真夜中にも関わらず通りは人でごった返し、活気に溢れていた。そんな場景をはるか上空から見下ろす山の上に建てられた、絢爛豪華な御殿がある。《炎魔》の大御殿である。
炎魔は異能者でありながら人と異能者の共存を掲げ、人からも分け隔てなく尊敬の念を集めていた。そんな彼をよく思わない人間たちの権力者も多い中で、彼は一際目立つ御殿を建造し、《炎魔七人衆》たちと共に、日々都の人々の暮らしを守るために活動していた。
その頃、炎魔七人衆は大きな丸テーブルを囲み決戦前の最後の晩餐に臨んでいた。
炎魔の建てた大御殿の最上階にそびえる広く荘厳な応接間だ。窓の外には美しいふもとの都の町並みを見下ろすことができる。炎魔を除く七人衆はそれぞれフードを被っており、個人個人の識別は難しい状態にあった。七人衆のうちの一人の大男が料理を口に頬張ると言い放った。
「はぁ、明日はついに雷神との戦いの火蓋が切って落とされるのか、楽しみで仕方ないぜ」
「獄焔焦、口を慎め」
一人が叱咤すると、大男は身をすくめてまだ懲りない様子で続ける。
「悪い悪い、気持ちが高ぶって、無意識に口を突いて出ちまいやがった」
「まったく。お前のような単細胞はお気楽でいいな」
「なんだと!?」
獄焔焦と名指しされた大柄なフードの男は怒りに息巻き、すっくと立ち上がった。
「……場をわきまえるのだ、獄焔焦、ここは炎魔様の御前だぞ」
そういって、彼の服の裾を引っ張るのは、隣席に座る枯れた声音の長身のフードの男だった。
「……」
頭を冷やしたのか、獄焔焦はすっくと椅子に座りなおした。長身の男は音頭を取るように続けていう。
「戦う意味か……久しく口にしていない言葉だ。我ら炎魔七人衆は特にな」
男は赤茶色の円卓を囲む炎魔七人衆の同志達を見回した。一人が答える。
「私は武の道に生きると誓いました、それ以外ほかには何も無い」
すると他のものからも、ポツリポツリと声があがる。
「雷神が人間の敵である以上、人々の暮らしを守るためにも戦わざるを得まい?」
「私は炎魔七人衆に誇りを持っている。組織のためなら我が身を惜しむ気は無い」
「むぅ……それぞれもっともらしい理由はもっているようじゃな……」
長身のフードの男は、右手で興味深そうに顎を撫で付けた。その様子に見かねたようにして獄焔焦が再び口を開く。
「おいおいおい、鬼火。あんただって炎魔七人衆の一人なんだぜ?」
「はて?」
「人に聞いてばかりいないで、自分の心根も話したらどうなんだ?」
「私……私の思いか……」
彼にとって個人の意志を尋ねられることは久しく縁遠いことだ。鬼火と名指された長身のフードの男は肩を震わせしばらく逡巡し、そのまま押し黙ってしまった。
その時、大きな身体を震わせて、突然笑い出したのは当の炎魔だった。
「はっはっはっは……」
思わず、七人衆の誰かが驚いたように声をあげる。
「え……炎魔さま?」
「ふふ……戦うことの意味か……そんなもの、ワシにもようわからぬわ」
「え……炎魔様も……」
「流砂丸よ……貴殿の気持ちもわかる、武の道を志した以上は、戦いに意味を見い出そう事など愚かしいこと」
炎魔がいうと、流砂丸と呼ばれた小柄なフードの男は俯いて押し黙った。炎魔は続けていう。
「千拾郎よ、貴殿の気持ちもわかる、都の人を守るためとは律儀な貴様らしいもっともらしい口実……そして風月火鉢よ、貴様の組織への忠義、貴様の異能と同じくして美しいものではないか」
「炎魔様……何を?」
「全てが正しいとも言えるし、そうでないとも言える。理由などと言うものは――――いくさ場の勝者が後から拵えるもの、その程度の価値しかないのだ」
「…………」
『ただ、異能の者としてこの世に生を受けたのならば、より強い異能者と戦うという純粋無垢な欲求、ただそれのみに従って生きればよい』
「――たとえ、雷神が人間に虐げられてきた、哀れな若人であってもですか?」
「…………」
炎魔は無言で力強くにっこりと笑いかけた。すると、七人衆の一人が、またポツリと声を漏らした。ひどくか細く頼りない声だ。
「炎魔様……私は、戦いたくありません」
それはうら若い女性の声音だった。一斉に他の七人衆の視線が集中する。顔色は窺い知れない。小柄なフードの女性は逡巡した挙句に言う。
「私はまだ死にたくありません」
遠い過去の話だ。
辺りは見渡す限りに青々とした草原が生い茂っていた。
幼い浅間勘句郎は膝をつき伏していた。
そのすぐそばには肩を落として佇む、若き風神愚島の姿があった。
『勘句郎、そなたはなぜそうまでして戦うことにこだわるのだ?』
『…………』
『異能者の持って生まれたサガか……聞こえは良いが、しかし勘句郎そなたは才能に溢れておる。時が来ればそなたが望まずともいくさの方から擦り寄ってくる』
『それではダメなんですよ、じいさま』
『理由を聞こう』
『俺には力が必要なんです、俺には……』
『異能者の――例えば隣町の風使いの宗吾と喧嘩でもしたか?』
『――――!』
『図星か……異能を使って喧嘩はするなとあれほど言ったであろう?』
『向こうも異能者だ!』
『――尚更だ。異能者同士が異能で争ったところで得るものは何も無い、後に残るのは憎しみと後悔だけだ』
『じいさまだって異能と戦うでしょう? あなたは俗に異能殺しの異名を持つほど戦いに明け暮れた歴戦の猛者だ!』
『その言葉にはちっとばかし弱いのう……』
風神愚島は苦しげに頭を掻いた、そして続けて言う。
『じゃあこうしよう、この、ワシのかぶった帽子を取り上げられれば勘句郎の勝ち、30分間守りきれればワシの勝ちだ』
『そんなの楽勝だ!』
『そうかのぅ? ――それでは立会いを始めようかの、定位置につけ』
風神流異能武術は礼に始まり礼に終わる――これはどんな相手に対しても等しく敬意を払うためだ。幼い浅間勘句郎にも既に礼節が備わっている。お互い恭しく一礼すると、すぐに戦闘の構えに移った。
『はっ――』
浅間勘句郎は幼くして《雷撃化》の異能を完璧に体得していた。勢いそのままに愚島に接近して実体化すると右足の甲にだけ《電気鍍金》を施し強力な空中旋風脚を繰り出す。
『――!』
愚島は一瞬早く、その動きに反応し背後に後ずさりする。
かつての勘句郎は体術寄りの異能者だ。幼く身軽なこともあったが、聡い彼は異能の持つ無差別な殺傷能力を毛嫌いしていた。心優しい少年だった。
空中旋風脚を切欠に、連続した打撃技を繰り出しながら的確に愚島との距離を詰めていく、愚島も《電気鍍金》で強化された強力な打撃技を手でガードしながら受け流していく。
『むむっ――』
この頃の体力のある愚島は肉弾戦にも対応できた――いや、愚島本人が肉弾戦を所望していたところさえある。当時の愚島もまた、老いる以前は肉体強化系の異能を行使できたのだから――――雷神の鋭い蹴りを手のひらで掴むとぐるりと振り回し投げ捨てた。
『わぁっ――!』
幼い雷神は吹き飛ばされた、が――《電撃化》を挟んで体勢を立て直すと、岩山に激突した衝撃を利用し両足をスプリングのように使って跳躍し、再び愚島に襲い掛かる。
『見事――異能をとことん使いこなしておるな――だが』
雷神が高速度で近づくと、愚島はひゅるりと交わしてしまった。思わず雷神は言う。
『きたねぇぞっ――異能を使ったな!?』
『ほっほ――重力干渉を極限まで減らすことで風圧にも受け流される身軽な体にござる――』
愚島は続けて言う。
『勘句郎がもっと早く飛び掛ってくれば、ワシは自動的にそれよりも早く身を交わすことができる』
『じゃあ――俺に勝ち目なんかないじゃねぇか!』
『だからこそ、良く考えるのじゃ。どんな異能にも必ず弱点がある。力押しだけでは何事も上手くわけなかろう?』
勘句郎は両手を外へ突き出して体内に溜め込んだ電力を一気に開放する。
それは未来の雷神が使う《プラズマ》のプロトタイプだった。威力も弱く範囲も狭い、――ところが範囲電撃攻撃は愚島を巻き込み彼の衣装を丸焦げにする。
『驚いた――たいした威力だ!』
そういう、愚島は目を瞬かせながら直立不動のまま佇んでいた。――暗に電撃の威力を危険視していない気持ちの表れだった。
しかし愚島にダメージを与えたことは、問いに対する正答でもある。――雷神は言う。
『くっそう――怪物かっ』
『わからん奴じゃのう――力押しでは無理と言うておるじゃろうに……――』
今度は愚島の番だ――彼は勘句郎に向かって片手のひらを向けると、強力な風の波動を放出した。
『――わっ』
身軽な勘句郎は、愚島の放った突風に押し負け空高くに吹き飛ばされてしまった。――愚島は続けて変質させた風の波動を送り込む、《エアサイズ》だ。
それは明確な殺傷能力を持った愚島の異能だった。
『――!』
咄嗟に身の危険を感じた勘句郎は《雷撃化》し《エアサイズ》をやり過ごす――――すると、ため息混じりに愚島は言う。
『同じ異能で対処していると――いざというときに後悔するぞ?』
『うるさいっ――俺のとっておきを見せてやるっ』
『まだ奥の手を――!』
愚島が驚く暇もなく、空の曇天から一筋の落雷が二人の近くに落ちる。
すると草原は炎上するが、落下地点には勘句郎と瓜二つの分身が佇んでいた。
『これは驚いた――分身能力か?』
『……《ライトニング》――俺が名付けた』
雷雲の力を借りることで自発的な発電を抑えた異能だ。ところがエネルギーによる制約から解放された分、別の部分に大きく丹力を割いている。
『この分身は俺自身さ――俺と同じ異能、そして感覚器も全て本体である俺と共有している』
『ほぅ――それは恐ろしい完成度だ』
分身は――三体、四体と数を増やした。本体を含めた全員が愚島に一斉に襲い掛かる。
『――!』
必然的に、愚島は多対一の組み手を強いられた、苦戦するかと思われたが――――そもそも愚島はこの異能の弱点を見切っていたのだ。
『ぐふぅっ――!?』
ダメージが蓄積すると分身は肉体を維持できなくなり崩壊した――意外なことに数の暴力は見せかけに過ぎなかったのだ。
『状況を鑑みたところ――やはり未完の異能のようだのぅ』
『そ……そんな!どうして?』
『確かに感覚器を繋げれば情報を多く得られる――、メリット多しと思うもやむなし。ところがこいつの弱点にはその情報量にこそある』
愚島は続けていう。
『勘句郎本人が対処し切れていないのだ――その結果、分身を動かすことも困難になる――全てを自力で扱おうとした結果がこれだ』
『くっ――』
『…………』
しかし、その時、自分の言葉とは裏腹に愚島は危機感を抱いていた。
この熱心な努力家の勘句郎が欠点を克服するのはそう遠くない未来だろう――その時、この異能は恐ろしい脅威になると予感していた。
『あ――――!』
その時、突如緊張が張り詰めていた勘句郎は無防備になって声をあげる。
『戦闘中に気を抜くな! ――――どうした!』
愚島は拍子抜けして勘句郎を一喝した。本人は言う。
『誰かが近づいてくる――異能者だ』
『なんだと?』
しばらくして、二人の間に一人の男が顔を出した。界隈では《三界神》と呼ばれる異能者だった。大仰な名前に反して、その風貌は幼く愚島よりも二回りは若く見える壮年だった。《三界神》は現れるなり二人を見つけて驚いた様子だった。
『これは――噂に聞く風神愚島殿と浅間勘句郎殿でございませんか!?』
『奇遇だな――《三界神》、何ゆえこんなところへ?』
『遠くの山から不審な発電現象が見えたもので何事かと――ここで勘句郎殿のご指南を?』
『…………』
そういって《三界神》が勘句郎を見ると、勘句郎は困惑したように俯いた。
勘句郎自身幼いがために人見知りなのだ。愚島は言う。
『うむ。若人というのは驚くべき早さで成長するものだと身をもって痛感していたところだ』
『はっはっは。やはり血は争えぬと言うべきでしょうかな?』
『むぅ――――』
愚島は唸った。《三界神》は続けて言う。
『ここでお二人の立会いをしばらく見学させていただきたい。よろしいか?』
『物好きな――まあ良いだろう。のぅ? 勘句郎?』
『え――あ、ああ――じいさまが言うなら……』
そうして、中断した立会いは再び再開した。愚島の帽子を奪うだけの競技的なルールは続行だった。
《雷撃化》した勘句郎はそのまま愚島の帽子に突進する。
態々生身の肉体になって襲うことに煩わしさを感じた――また、愚島の反応速度に勝るためには光速以上になるしかないと悟った。
ところが愚島には器用に交わされてしまう――速過ぎる身のこなしを制御できないためだ。
『なにっ――』
完全に交わしたと思った電撃だったが、ふわりと帽子が宙に浮く。――確実にかすっていたのだ。
愚島の体から離れた帽子を勘句郎が突進で取りに行く、愚島は手のひらから放つ突風でもって帽子を遠くに突き放った。
『ああっ――!』
思わず雷神から声が漏れる――――寸前のところで雷神の手元から帽子は離れた。
『これは危ない――』
風神愚島は言うと、大気を操作し帽子を手元に引き寄せる――ところが、微細なコントロールが狂って帽子が宙を旋回する。
『なんだと――!?』
その瞬間、折り返してきた《電撃化》した勘句郎が帽子を取って地上に戻ってきた。
『やった――はは!俺の勝ちだ!』
『そんなバカな――ワシがコントロールを誤るとは……――!』
その時、無風の草原になびく草むらを見つけて、愚島は自分の観測が誤りだったと気づく事になる。
異能者は自らの異能を最大限に生かすため環境にも目ざとく気を配る――――特に風属性の異能者は気流の流れが深刻に結果に反映されるため神経質になる。ところが愚島が見て絶句したように、大気の流れは愚島の見えないところで不規則な渦を巻いていた。――これは普通の人間なら気にも留めないほどに細かな変化だ。
変化を起こした張本人は勘句郎としか思えなかった。帽子が不意に宙を舞ったのも彼が起こした電撃が風を帯びていたためではないか。
『――――!』
その時、愚島はふと思った。もしかしてこの勘句郎の異能は発展途上なのではないかと。
例えば愚島の異能に触れるたび彼の異能はそれに呼応するが如く、大気の流れにも影響するようになった。
《プラズマ》が無風のエネルギー体だったことを踏まえると勘句郎自身の裁量でどうにでも調整できるという事だろう。また勘句郎は10メートル先から近づいてくる竜神にも無意識に気づいていた。勘などではない、恐らく新しく目覚めた異能に勘句郎自身が無自覚なのだろう。
それを異能と呼べる段階まで強化できたあかつきには、広範囲索敵の可能な能力になる、もしかしたらそれ以上に強くなるかもしれなかった。
『むぅ――――』
「風神様! ――愚島様! ――こんなところで寝ていらしては風邪を引きますよ!」
「うぅ――」
愚島は起き上がった。気づけば夜更けも良いところ。気持ちの良い草原で昼寝してしまったようだ。
手にたいまつを提げた与太郎が、月明かりを頼りに愚島の身を案じて探しに来たのだ。
「……よく眠れました?」
「無論だ――遠い昔の夢を見た」
「楽しい記憶ですか?」
「いや――戦いだ」
「また……いやいや、愚島様にとってはそれが一番の道楽なのかもしれませんね」
与太郎はうんざりしたように肩を落とした。愚島は言う。
「夢とは恐ろしいものだ――無意識下に眠る、深い記憶さえも掘り起こしてくる」
「俺もそういうことがあります。子供の頃――俺は旅芸人になりたかったんだって――夢の中で思い出すんですよ」
「炎魔と雷神の戦いは明日だったな?」
「観戦に行かれるつもりですか?」
「炎魔がどの程度戦えるか――半信半疑ではあるがな」
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