【19】雷神 対 風神愚島3
その後、一時は何の音沙汰もなくなった火山の噴火活動は三日三晩続いたという。
後に山は休火山となり人も立ち入るようになる。そして、人々からは《雷神山》などと名付けられるようになったのは――遠い未来の話である。
噴火活動が収まりかけた頃、愚島は再び火山へと赴いた。
目的はない。ただ、愚島は自分が関与した山の行く末が気になっただけだった。そして、未だ雷神が居なくなったことへの気持ちの整理がつかなかった。
「…………」
愚島が再び一人で戻ってきたときは、さみしい凱旋になった。
大地の口腔から放たれた溶岩は冷えて固まり、周辺の地形を大きく変化させていた。
「ん……?」
何も無いまばらな草原の荒野に、愚島は環境に似つかわしくない小さな光る物体を見つけた。
それは小さな腰飾りだった。なにやら見に覚えがある。それは、雷神が身に付けていた腰飾りだったのだ。
「――――!」
愚島はその腰飾りを見るや否や、目を見張った。ところが、聞きなれない甲高い神経質そうな声がどこからか聞こえてくる。
「見ろっ!あれは雷神の肌身離さず身につけていた腰飾りではないか!」
見れば、それは都で流行の服を着込んだ貴族の男だった。数人の取り巻きを引き連れて高笑いを浮かべている。都から雷神の訃報を聞きつけて人間界から仙人界へ向けて遠路はるばる物見遊山にやってきたようだ。
「ふっはっはっは!兵士達よ、あの腰飾りを持ち帰ろう!これで雷神の……いや、人類の脅威は絶たれたのだ!」
「待て……」
「なに!?」
愚島は思わず一向に声をかけた。それは彼らの身を案じた老婆心からだった。
「貴様なにやつ……なぜこのような場所をうろついている?」
「まさか……貴様が雷神!?」
ところが、彼らは物怖じしてたじろぐ。
「ふっ……」
愚島は拍子抜けして、思わずほくそ笑んでしまった。貴族の男が吼える。
「な……何がおかしい!?」
「失礼……都の人間を見るのも久しいものでな……」
「そうであったか――ご老人。この地には雷神が出没する。危険だ、ただちに立ち去るがよい」
「……」
愚島が横目で彼らの方を一瞥すると、そこには《千拾郎》の姿があった。愚島は目を見張る。
「……!」
しかし、よくよく考えてみれば辻褄のあうことだった。
腹に大きな風穴が開き、尚且つ致命傷を負った千拾郎は深い谷底へと落ちたはずだ。
そんな彼が自力で生き延びて谷の底から生還するとは考えがたい。愚島の思考は鮮明になる。
恐らく千拾郎は本来彼が思っていたよりもずっと狡猾で抜け目のない男であり、武の道に一途で生真面目な性格を演じていたのだろう。
そして裏では闘技試合に負けことを装い、都の知人に救出してもらう手はずになっていたのだ。
「……――」
愚島には、それが炎魔七人衆に顔向けできないような恥ずべき行為かどうかはわからない。今彼が問うたとて、千拾郎がまともに答えてくれる保証もなかった。
しかし、千拾郎にも思うところがあるのは事実のようだ。彼はうつむき気味にして、決して愚島と視線を合わせようとしない。都の貴族は続けて思わせぶりな口調で息巻く。
「《千住朗》殿。まさかあの炎魔さえ倒せなかった雷神を、一番弟子の貴方が仕留めてしまうとは……!」
「――――!」
愚島は絶句して息を飲んだ。千住郎はうつむいたまま答えない。貴族はいう。
『まあ無理もないか……そもそも雷神は炎魔と七人衆との戦いで弱りきっていたのだ……名うての異能者の千住郎殿なら止めを刺すことも容易』
貴族は続けて息巻く。
「我ら都人の上で胡坐をかきつづける厄介者の炎魔も死んだ。これぞ一石二鳥でござる!はっはっは――――」
そこまで言ったとき、千拾郎は刃を貴族の首元に突き立てた。
「ひっ――――!」
彼はよほど油断していたのだろう。周囲の衛兵達も反応することさえできず、貴族の男は情けない短い悲鳴をあげた。千拾郎はいう。
「――そこまでだ。仮にも炎魔は我が師。たとえ死した後であっても、それ以上愚弄することは許さん」
「ふ……――ふっふっふ。冗談でござるよ、千拾郎殿」
そういう、貴族は口元には笑みを浮かべていたが、瞳の方は冷め切っていた。貴族は続けていう。
「炎魔と、炎魔七人衆のことは、永遠に……いや永久に忘れないでござる――……!」
その時、貴族たちは視界から愚島が消えていたことに絶句した。彼はというと、既に雷神の腰飾りのそばにいて、そっと取り上げている瞬間だった。その光景を見て貴族たちは、再三声をあげた。
「なっ――ご老人、何をしている!」「それは我らのっ!」
「……これは、貰っていく」
貴族たちは、まるで観光客のもの土産のようにあっけらかんと言い放つ愚島の態度に眉を吊り上げた。
「何を言っておるのだ……おいふざけるなよ、それは我々の――」
「あなた方が何者かは知らぬが、私が単なる老人だと思って見くびっているようだ」
「なんだと!?」
「……持っていってください、風神殿」
驚嘆する貴族たちに代わって、千拾郎が踏み出て進言する。
「千拾郎殿!あなたまで何をっ――!」
「……それは、我々よりも貴方が持つにふさわしい」
「千拾郎殿!それでは都に……貴方が雷神を倒したという示しがつかないではないか!――――風神?」
貴族たちが再び愚島の方を向き直ると、そこには愚島の姿はもうなかった。ただ何事もなかったかのような静けさの中で貴族たちが疑問符を浮かべているだけだ。
「…………はて?」
「もう既に立派な墓があるというのに――風神愚島殿。貴殿はまだ墓を作るおつもりか?」
愚島はまだ山の近くに居た。わざわざ石に彫り物まで施した意匠を凝らした墓石まで用意していたのだ。
そんな彼の姿を見かねたように、背後には《三界神》の姿もあった。奇遇にも山に訪れていた《三界神》と偶然居合わせたのだ。愚島は答える。
「……供養していないものがあるのだ」
「くよう?」
「――あの日、恐らく雷神本人が身につけていたに違いない――――何のことはない、つまらんアクセサリーだ」
愚島の手にはくだんの腰飾りが提げられていた。《三界神》が物珍しそうに笑いかける。
「はっはっは――なぁんだそんなことを。風神殿は重く考えすぎではないか?」
「――かもしれんな」
風神愚島は、それを取り出して手のひらを広げた。まじまじと見る。
それは愚島が勘句郎に手渡した腰飾りだった。しかしそれは大昔のこと――まだ風神愚島が雷神を勘句郎などと呼んでいた幼い頃のことだ。愚島は遠い過去の記憶に思いを馳せる。
「勘句郎――もうやめろっ――人間の子らと遊ぶなと何度もいっておるだろうっ」
「じいさまは考えすぎだ! ――――なぜそうまでして人間を毛嫌いする?」
「人との共存は不可能だからだ――先人たちは皆、不遇の末路を辿ってきた――」
「俺は先祖様たちとは違う!」
「勘句郎っ!」
「――――!」
「たのむから――――じじいの言う事を、ひとつだけ聞いておくれ」
「いやだ――俺は。たとえ、じいさまの言いつけでも守ることは出来ないっ」
「勘句郎ぅっ――!」
「…………」
「もしかしたらだが、雷神はまだ愚島殿を尊敬していたのかもしれませぬな」
「――――」
「雷神が未だに、それを身に着けていたと言う事は――」
風神愚島は重い腰を持ち上げた――そして、腰飾りを荷物に仕舞ってからいう。
「わしは……もう戦わん」
火山に背を向けて歩き出した、そして力なく吐き捨てるようにいった。
「異能とも…………人ともな」
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