【2】雷神 対 風神愚島1

「お父様!お父様ぁ――!」


 竜神の実子、三上宗次が死んだ竜神の遺体を見つけて駆けつけてくる。

 竜神は死んだ――雷神との激闘の末に――。

「うぐぅ……えぐっ……えぐっ……」

 野晒しの荒野に一人、死んだ父親に追いすがり泣きじゃくる、幼き竜神の子。その子もまた、天才竜神の力の片鱗を宿していた。

「……」

 しばらくして泣き止むと、三上宗次はグッと視線を空へと向ける。雲間に突き抜ける高い山の上空。長年雷神がねぐらとして居座っている居城だった。


 三上宗次が睨むのもやむなく、ポンと、彼の頭に優しげな手が覆いかぶさる。

「……!」

 三上は驚いて振り返った。どんな天才であろうとも、まだ幼子、その佇まいは隙だらけだ。

 彼の頭上から野太く枯れ果てた声が聞こえる。


「やめておけ……復讐を考えているのでござろう」

「そなたは?」

「……竜神の、古い古い友にござる……」


 そうして、そのみすぼらしい風体の老人は、老いた眼を優しげに瞬かせた。


「そなたは――何者?」

「風神愚島にござる……雷神を倒しにはるばる遠くの地よりはせ参じた」

「危険だ!……見れば、ご老体――あなたのような御仁が戦って勝てるような相手ではない!」

「ほっほっほ、幼子に説教されたとあっては立つ瀬がないのう……案ずるな、私は強い」

「――――!」

「この世の……誰よりもな――」


 そう言って、一人、山に向かって歩き出す老人の背中を見たとき、再び三上宗次は絶句する。

 老人は上半身裸の裸体を惜しげもなく晒していた。彼の背には痛々しげな古傷が幾つも刻まれている。

 それは、まるで、彼の言葉を裏付けるが如き、生きた証のようにも見えたのだった。




 風神愚島は弓を構えた。彼が50年もの歳月使い続けている、先代から伝わる強弓だ。

 名を《ついばみの弓》と言う。由来はとうの昔に忘れた。愚島の死したあと使い手なき弓の名前など覚えておく価値はない。


 愚島は矢筒から一本、木製の荒削りな矢を取り出す。弓に携えて弦を引き絞る。50メートル向こう矢尻の先には雷神、浅間勘句郎を見据えていた。

 山の上に設けた簡素な家屋にて、寛いでいる、相手はまだ愚島の存在に気づいていない。

 矢はピュイ、と放たれた。初速は遅かったものの、矢は見る見るジェットエンジンを搭載しているかのごとく加速していく。回転力も加わり取り巻く風が矢の尾のように不規則に蠢いた。すると、矢は速度を上昇させるほど取り巻く風が視認できる。次第に風の竜のような姿になって、家屋に直撃する。


 竜は家屋を丸ごと大破させ、はるか地平線に消し飛ばした。肝心の雷神は矢の存在に気づき、右手でもってその矢を腹を握り締める。彼は家の残骸を尻目に、その場に一人佇んでいた。

 雷神は矢を受け止めたとき、家屋が消し飛んだことなど気が回らなかった。自分の命を狙う矢が、あまりにも脆弱なことに興ざめしていた。


「誰だ――俺の命を狙うのは……?」

 雷神が意識を矢の放たれた先に向けたとき、既に二匹目の竜が差し迫ってくる。

「埒があかんな……」

 彼は攻撃をまともに食らってやる必要はないと判断する。


 雷神は背後に跳躍し、風の竜を交わそうと試みた。ところが、竜は距離を経るごとに加速を続け、巨大に成長した。

 雷神は矢の直撃は免れたものの、竜巻に巻き込まれ山の上から荒野に投げ出された。高さは四千メートルあまり。


「くっ――――」


 仕方がなく、雷神は肉体を《電撃化》し、投げ出された山の上への復帰を図る。ところが雷神が座標を定めた場所――――そこには雷神の行動を見越したが如く一人の男が立っていた。


「――――!?」


 思わず息を飲んだ。人物はみすぼらしい老人だ。

 しかし雷神が驚嘆したのは敵が老人だからではない、その老人に見覚えがあったからだ。


「あ……あんたはっ!」

「久しいな――、再会ついでにとりあえず、死んでもらうぞ」


 風神愚島は冷淡に言い放つと、懐から鉄の棒を取り出す。雷神と戦うために愚島が用意した武器のひとつ《征雷棒》という代物だ。

 磁場に干渉することで《電撃化》中の活動を妨害し、使いこなせたならコントロールすることさえできる。世界の片隅で雷系異能者と戦うために開発されたものだった。

「くっ――――」

 まさか、最強の防御手段だった《電撃化》がウィークポイントに変わり果てているとは思わない雷神は、警戒中には意図せずに《電撃化》をキープする。


「むんっ――!」

 それを好機と考えた愚島は、《征雷棒》を振りかざし雷神を更に遠くへと吹き飛ばした。

 雷神は遠くへ投げ出された体勢のまま、うめき声をあげる。


「く――小癪なまねをっ」

 なんとしても地に足付けたい雷神は焦る。前の戦闘の教訓から長時間電撃化をキープすることは命取りになると考えた。

 しかし雷神は、愚島の携えた《征雷棒》の存在を見つける。その道具が《電撃化》状態の雷神に干渉してくるのだ。このままでは永遠に跳ね返されるのがオチだと悟ると、雷神は途端に戦う意欲が失せる。


 そもそも大地から投げ出されたことが致命的だった――――このままでは雷神に待ち受けているのは《電撃化》の解除から四千メートル下へ投げ出されての死――――。

「待て――待ってくれ――おい落ち着けよ、なぜ俺を殺す?」

 途端に弱気になった雷神は《電撃化》状態のまま風神愚島に呼びかけた。


「…………」

 物言わぬ干からびた置物のようになった愚島に対しても、絶えず雷神は話しかける。

「参ったよ――降参だ――俺も馬鹿じゃない、ここまで来て勝算があるなんて幾ら俺でも――」

「ふふ――ワシをたぶらかしてみせるか?」

「ん――いいこと考えちゃった」

「――――!?」


 雷神は、突然あさっての方向を見て顔色を変える。屈託ない笑みを浮かべた。

 その直後――――雷神は《電撃化》したまま地上四千メートル下まで自ら突撃する、そこで《電撃化》を解除。《電気鍍金》を纏い強靭な脚力で地面を蹴り上げる――――岩山に追突すると雷神は跡形もなく消えてしまった。

「――――!」

 敵を見失った愚島のこめかみに冷たい汗が流れる。

 彼の老化した脳では、雷神の若いが故の柔軟な発想に追いつけず一瞬、反応が出遅れたのだ。

 だからこそ、愚島は考えることをやめ五感に神経を研ぎ澄まし、その決定的な見逃さなかった――――雷神は跳躍力を利用し硬質化した身体でモグラのように岩山を掘り進んで彼の背後の土中から姿を現した。それこそ絶望的な状況下での雷神の妙手だった。


「――――見事!」


 愚島は振り向き様に思わず目を剥いて感嘆する。そして、地上に現れた雷神は、勢いもそのままに岩山の上にそびえたつ岸壁をリングロープのように利用して蹴り上げた。

「――――!」

 雷神は《電気鍍金》を纏った状態で愚島に空中突進攻撃を仕掛ける。愚島は一瞬の機転で突進攻撃を交わし背後に跳躍する。雷神は愚島の回避行動を予測していたらしく追撃を仕掛ける。


 竜神と対戦したときにも使った5本の指から解き放つ電撃攻撃だった。いずれも絶大な攻撃力を秘めていることは竜神戦にて証明されている。不用意に跳躍し宙に身を投げ出してしまった愚島は、ここに来て最大の危機に立たされていた。彼は咄嗟に懐に忍ばせた《征雷棒》で応戦するが、一瞬判断に遅く一発の電撃が肩をかすめる。


「――――グァアアアアッ!」


 愚島は自らがとった回避行動の跳躍の勢いもそのままに、電流による裂傷の苦痛に顔を歪めた。左肩の傷口からは鮮血が迸る。愚島は異能で風を操り背後に《風の壁》を作り出すと、場外に投げ出される一歩手前で踏みとどまる。そのまま右手で左肩を押さえると、自らの瀕死の状況に青ざめる。


「(しまった――――!)」

「ほぉ――やるじゃねぇかじいさん――――」

 雷神は見事に危機を脱した愚島を褒め称えた。負傷した愚島はやむなく新たな能力を使う。

「…………《オーバードール》!」

 彼が高らかに宣言すると、彼の周囲を取り巻くように疾風が発生する。


 《オーバードール》は肉体を纏う鎧の如き疾風によって体の駆動を補完する能力だ。

 そればかりか、架空の手足を生やして現物の四肢の如く自在に使いこなすこともできる。また打撃攻撃によるダメージも軽減できるなど汎用性に優れた優秀な異能だ。

 愚島は《竜の矢》の多用で丹力を大きく消耗したため無駄な消耗を抑えたかったが、仕方がなかった。


 《オーバードール》は愚島の奥の手だ。丹力の消耗が激しいためだった。

 愚島は疾風の鎧から第三、第四の手を生やすと、これらを利用して実物体の浅間勘句郎を巨大な四の手でもって地面に叩き付けた。

 彼はこのシンプルな物理技を《ジャイアントスタンプ》などと名付けて汎用する。技と呼ぶにふさわしい大ダメージを与えることができるからだ。

 ところが雷神は最強の電気鍍金を着込んでいる。むしろ風化した脆弱な岩山にめり込むことはあっても、本体へのダメージこそ与え損なう。


 かえって、これを好機と捉えた雷神はモグラのように土中を掘り進み、曲がりくねりながら愚島との距離を詰める。

「――――むぅっ!?」

 土中に逃げ込まれるのは、風神愚島としてはお手上げだった。


 風属性の異能者は敵や自身の肌が大気に露出する状況でこそ真価を発揮した。コントロールの及ばない土中の敵には攻撃する術がなかったのである。あるいは、雷神はそれを見越していたのかもしれない。

 やむを得ず、愚島は巨大な風の手で地面を叩きつける。その反動で空高くへ飛び立った。回避行動だった。土中の死角からの攻撃に備えるためだ。


 愚島は足先から《小さな爆風》を生じさせ、その抗力を利用し空高くに留まり続ける。

 《小さな爆風》は能力と呼べるほどものではない。単に、手足や指先から発生させ、空中で体勢の維持や軌道調整のために使う。

 隣接する相手にお見舞いすることで、はるか遠くに吹き飛ばす程度の威力も持つが殺傷能力はもたない。威力はないものの繊細なコントロールが可能で、あらゆる局面で重宝する。


「くっく――――」

「――――!」

 ところが、――どこからともなく土中から、雷神の笑い声が聞こえてくる。


 雷神は土中でほくそ笑んでいた。敵が雷神を警戒し、天高くに逃げ場を求めたこの局面――――敵を空高くに見据える状況こそ彼が待ち望んだシチュエーションだったのである。

 この立ち位置でなければ、――――繰り出せない必殺技を持っていたのだ。


「くたばれ!」


 雷神が叫ぶと、雷が土中から上空に向かって不規則に、そして幾本にも枝分かれして空へと伸びてくる。

「うっ――――!?」

 それを見た愚島は、自然の雷そのものの不規則な動きに翻弄されることになる。また、愚島は思った――これはまるで枯れた樹木のようだと――。


「《雷樹の閃光》――――まさか地上から空へと駆け昇る発電現象が存在するとは思わないだろう?」

 愚島は上空で両手両足から発生させた《小さな爆風》で推進力を稼ぎ、どうにか巨大な雷樹の射程範囲から離脱しようと試みる。ところが、雷樹は空高くに立ち上るほど範囲を拡大する、それこそ愚島自身が放った《竜の矢》の如き様だ。


「がぁっ――――」


 再び、雷撃のひとつが愚島に直撃した、負傷中の左腕が吹き飛ばされ消し炭になった。

「ぐっはは、ざまぁねぇぜぇっ――!」

 その有様を見て、屈託なく雷神が笑った。――――ところが、雷神は眼前の光景に意表を突かれ目を疑うことになる。

 左手を吹き飛ばされるという、身を切る苦痛と衝撃に愚島が身悶えすると思いきや、愚島は冷静にも既に反撃の準備をしていたのだ。

 自身の血で真っ赤に染まった《ついばみの弓》を肩に器用に引っ掛けて、口で弦を引き絞ると、パッと放した。放たれた矢が竜の大気を纏い土中の雷神めがけて飛ぶ。


 なぜ愚島は雷神の居場所がわかったのだろうか――――おそらく立ち上る雷樹の根元から、雷神本人の居場所を予測したのだ。矢は寸分の狂いなく雷神の脳天めがけて飛来する。

 土中が仇となったか、咄嗟に気づいても身動きできない雷神は、致命傷を免れたが右肩を打ち抜かれる。

「ぐぎゃぁあああああああっ――――!」

 雷神は臆面もなく絶叫した。――木製の矢が雷神の肩を貫通している。

「て……てめぇ、やりやがったな――お……俺の肩がっ!」

 愚島は不敵に笑い、苦痛に身悶えする雷神に追撃を浴びせるため、再び体勢を整える。


 《竜の矢》の衝撃によって、雷神周辺の土や岩は吹き飛ばされクレーターを形成した。そのため土の中に潜っていたはずの雷神は丸裸の状態でクレーターの中心に佇んでいる。

 愚島は《小さな爆風》を立て続けに使い、雷神に急接近する。その推進力を利用し、雷神の頭を蹴り上げた――――雷神は二百メートルほども上空に投げ出される。


「むぅん――――ッ!」

 愚島の顔面に無数の青筋が浮かび上がる。強力な必殺技を放つため、体中が力む。

 体に纏う風で作った《オーバードール》の両腕を重ねて、雷神に向けて両手をかざすような構えを作った。

 両手のひらの間に設けられた狭いスペースが、巨大なエネルギーの収縮に化合して突然輝きだす。エネルギー波を雷神に向けて射出するためだった。


「――――――激烈波動鳳凰拳ッ――!!!!!」


 一瞬、――愚島と雷神を繋ぎ合わせる軌道上が真空になった。強威力の波動光線が通過する嵐の前の静けさだった。

 ――――ギュゥゥゥゥゥン!

 その音は、エネルギーが射出される前触れのように、静けさの中に轟いた。


「――――ムゥゥゥウギュアアアアアアァァァアアアアアァアアァアアアアアアアアアアア――ッ!」

 風神愚島の雄たけびと共に――――それは放たれた――――。


 この世界の空間ごと削り取るかのような破滅的な威力、上空、宇宙空間の外れまでも届かんばかりの青い怪光線が解き放たれた。

 膨大な量の丹力を消耗する、風神愚島の最大級の大技だった。――――が、その一撃は雷神に致命的なダメージを与えるまでには及ばなかった。

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