第2話 任務
レッドスパングル―――――。
リードの住むライトレークの都・ビガラスの北東に隣接する、賑やかな宿場町。少し町を外れると、畑と森の広がる緑豊かな街でもある。
明後日の昼まで、ここに留まる。
と、いうより、明後日の昼までは帰らない。
足取り軽く、リードは、町の公所を後にした。
今回の依頼はレッドスパングルの領主からだ。事務局の話だと、マスターが出向くまでもない程度の事件で、運がよければ、その日のうちにでも片はつくと思えた。
公的な仕事を行い、領主を頂点に街を運営・管理する公所で詳しい話を聞いたところ、やはり、明日までかからないかもしれなかった。
せっかくの休日に仕事か、と、最初は気が進まなかったが、今は、怪我をして仕事を休んだ中級魔導士に感謝したいくらいだ。あと二日は、ユキから解放される。
――ひとまず、今日はゆっくり調査して、明日中には片をつけて……明後日の昼まで、遊ぶぞっ!!
仕事がややこしいものでないと確信して、リードの表情が緩む。
「調査は、冷静に慎重に的確に、だよな~」
まずは、真面目に被害と妖魔について、町の人たちの話を聞きに回る。公所で聞いた、被害の多い街外れへ。
街外れでは農家を営む家がほとんどで、被害も、そこに集中しているらしかった。
しかし、命を取られた者がいないどころか、怪我人すらいない。
被害のあった家を一つ一つ回り、報告書に記載するため、状況と状態を調べる。
被害が多いとはいえ、その数は、両手で足りるほど。これなら、リードの当初の予定通り、ゆっくり行っても夕方になる前には終えられそうだった。
「さて、と」
街のメインストリートへと戻ったリードは、メモ帳を、ベルトに通したポーチに収めて左右に視線を走らせた。
賑やかな声―――――楽しそうに笑う女たち。
おいしそうな匂い―――――魅力的な香水の香り。
――レッドスパングル、最高~~!!
ビガラスのすぐ隣町とはいえ、今まで、通り過ぎたことはあっても、訪れたことはなかった。忙しさに疲れた体と心を芯から癒してくれそうな、リード好みの女性ばかり。握り締めた拳を緩め、澄ました顔で、目当ての女性を見つけて近づいていく。
「すいません」
リードの声に振り返ったのは、肩までの髪に緩いウエーブをかけた、瞳の大きな細身で小柄な女性。リードを見上げて、ニッコリと明るく笑った。
「ちょっと、話、聞かせてもらっていい?」
彼女に合わせるように、リードも笑顔を作る。
それはもう、人好きのするような、最高の笑顔を。
「あら、魔導士さん」
「へぇ~、よくわかったね。あ、ごめん、買い物の途中?」
腕の中の買い物袋を見やり、リードは申し訳なさそうな顔をした。声をかける前から気づいていたのだが。
「ううん。もう、帰るとこ」
「そう。家、この近く?」
無論、買い物が終っているであろうことも、予想済み。
「街外れのほうだけど?なんで?」
「いや、実は、今日は仕事でこの町に来たんだ。妖魔の被害が出てるんだって?」
「そうなの~。ウチはまだ、こっちに近いから、大丈夫みたいなんだケド……。でも、魔導士さんが来てくれたんなら、もう安心ね~」
リードは、終始笑顔を浮かべる彼女の白くきれいな手をやさしく取った。
「まだ、わからないよ?どんな奴なのか、はっきりしたわけじゃないからね」
手に落としていた青い瞳を、彼女へ戻し、深刻そうな表情を浮かべる。
「もしかしたら……君のような、かわいい女の子を探してるのかもしれない」
「まさかぁ~」
「いや、実際、そういう妖魔だっているからね。キミ、一人暮らし?」
変わらない真剣な眼差しに、彼女は少しおびえ始める。リードの作戦など、気づく風もなく。
「えぇ、一人……」
「心配だな。すぐに駆けつけてくれるような、男のヒト、いるの?」
「いえ、今は……」
真剣な眼差しの裏で、リードはニヤリと笑った。
「なんなら、今夜は、俺が護衛してあげようか?安心して眠れるまで、手を握っててあげるよ?」
ジッと見つめていると、彼女は、恥ずかしそうに視線をそらした。
「あの、でも、迷惑じゃ……」
「これも、仕事の一つだから。何も、君が遠慮することはないんだよ?」
あと、もう一押し――――リードは、早くも心の中で拳を握り締めていた。
「この、若草色の衿に水色の留め石、なんだか知ってる?」
「えぇ、確か、高等魔導士の……」
「そう。俺が来てるってことは、少し、厄介な事件なのかもしれない。キミのことが、心配なんだ」
ウソのように真剣な眼差しに、心配の色が混じる。
彼女は、すっかりリードに見とれていた。
「私の家、一人暮らしだから狭いし……お客様用のベッドとか、ないケド」
「かまわないよ。俺は、床でも」
「でも、ホントに……迷惑かからない?」
彼女の言わんとするところに気がついて、リードは、小さく声をあげた。
「あぁ、心配しなくても、俺はフリーだよ?結婚もしてないし、家族もいない」
「じゃあ、」
彼女が、承諾の返事を――――しようとした、そのときだった。
「ぱぱぁ~~~~~!!みぃ~~っけ!!」
ポフンッと、リードは足に軽い衝撃を感じて、重みのかかる左足を見下ろした。
同じ黒髪、今朝かぶせた赤い帽子。肩から斜めにかけた、ぞうさんカバン。そして、見上げてくる、大きな青い瞳。
「ユキぃ?!!」
突然の事態に、思わず声をあげてしまったリードは、慌てて口を抑えた。
――しまった!知らないふりだって出来たのに!
恐る恐る彼女を見やると、最初の明るい笑みで、ユキを見下ろしている。
「パパそっくりねェ。かわいい」
「アハハ……」
リードの口から乾いた笑いが漏れる。
どうやら、作戦はバレてしまったらしい。
何も知らない(であろう)ユキは、リードを見上げてニコニコ笑っていた。
「ぱぱぁ~」
「何だよ……」
リードは、投げやりに返した。
「また、なんぱなのぉ?」
「なっ?!」
思いもしなかったユキのセリフに、リードは、言葉に詰まる。反論のしようがない。
「あんまり子どもを哀しませちゃダメよ?魔導士さん。じゃあね」
からかうような笑顔を残し、ユキの頭をひと撫ですると、彼女は足取り軽く去っていってしまった。
「あ、いや……ちが、わ、ナイ、ケド……」
引きとめようと伸ばされた手が宙を掴み、むなしく下ろされた。
せっかくもう少しで口説き落とせたのに、と、落胆のため息をついて、リードはその場にしゃがみこんだ。
「……ユキ、お前なんでここにいるんだ?」
額に手をやり、がっくりと肩を落とす。
「エヘヘ~。『にっこりわらって、おでかけ』なんだよ~」
体中から喜びあふれるユキを横目に、リードは、豪快にため息をついた。
「あと、少しだったのに……」
悔しさを噛みしめていて、リードは、ハタと気がついた。ユキがここにいる、と、いうことは――――。当然のように辿り着く結論に、リードは、ユキの肩をガシッと掴む。
「ユキ!レタールはどこだ?!」
「れたてんて~?」
ずいぶんと必死な様子のリードを、ユキは、不思議そうに見つめた。
「そう!レタ先生!」
絶対に、近くにいるハズ――――確信をもって、ユキの答えを待つ。
「あっちぃ~」
ユキの小さな指の示す先を追っていけば、確かにいた。果物屋の店先、路地へと入るその角で、壁に手をつき、肩を震わせてこちらに背を向けて笑っている、レタール=オーランドの姿。
片手には、ユキのお泊り用のサルカバン。
「あのヤロォ~!!」
怒りのままに立ち上がり、リードは、レタールへと足を向けた。
しかし、左足が動かない。
振り返り、下を見れば、ユキが両手でリードのズボンをしっかりと握り締めている。眉尻を下げ、泣きそうな顔で見上げてくる、自分と同じ青い瞳。
「りーど、だっこぉ~」
「歩けよ。すぐそこだろ!」
「いやぁ~ん。だっこぉ~!」
こんな人の多い大通りで、泣き喚かれてグズられても面倒だ。リードは、イラつく己をグッと抑え、仕方なくユキを抱き上げた。リードに抱っこされてご機嫌なユキを連れ、まだ笑いの収まらないらしいレタールに歩み寄る。
「おい、コラッ!」
怒り露わに声をかけられ、振り返るレタールの顔には、それでも、しっかり笑いが残っていた。
「残念だったねェ、パーパ?」
いつの間にか、すりかわっていた、からかうような笑み。
自由を満喫できると思っていたおかげで、その顔が、余計にムカついた。
「何で、お前がここにいるんだよ?!預けてる意味ねーだろ!」
怒りの矛先をレタールに向けて、ユキを抱いたままキレるリードの姿。幸せそうに笑うユキが、なんとも今のリードに不釣合いで、レタールの笑いはおさまらない。
「えー?ユキちゃん、ちゃんと言ったでしょ?『おでかけ』だよ、おでかけ」
「だからって、わざわざレッドスパングルまで来んな!」
「ちょうどいいじゃん。親の働く姿ってのは、いいお手本なんだよ?」
「親じゃねぇー……」
ユキの喜びあふれる笑顔と、レタールの心の底からおもしろがっている顔が、リードは憎たらしくて仕方なかった。
しかし、ここは街のメインストリート。
おまけに、リードは、今、魔導士の正装をしていて目立つことこの上ない。言いたいことは胸の奥にグッとしまいこんで、まだ笑っているレタールを睨みつけた。
「場所変えるぞ。来い」
西の空が黄昏に染まり、人もまばらな、静かな喫茶店。店の奥のテーブルに、リードら三人は座っていた。
リードの隣、壁側に座るユキが、さっきからずっと、クリームソーダのアイスと格闘している。
二人の正面に座り、レタールは、ニコニコと笑っていた。この事態が楽しくて仕方ないのと、スプーンでつつかれて、浮んだり沈んだりするアイスに、眉を寄せて完全に振り回されているユキが、かわいいのとおもしろいのと。
「ほんっと、最悪!」
すっかり不貞腐れたリードが、片肘付いて、そっぽを向いている。それが、またおかしい。もうすこし、この不機嫌を煽ってみたい。
「なぁに言ってんの?よく晴れた昼下がり。休日(の予定だった日)に、かわいい息子とのんびり過ごすこの時の、どこが最悪?」
「ニヤけた面して、言ってんじゃねェ!」
不機嫌な顔で睨んだところで、レタールには、効き目ゼロ。むしろ、余計楽しそうだ。
「あれぇ~?今度は否定しないんだ?」
リードは眉を寄せ、片肘をついた形で、再度、顔だけ振り向いて問い返す。
「あ?」
レタールは、また一つ、からかうネタを見つけていた。
「ついに認める気になった?」
「だから、何がだよ?!」
怒りを露わに、再び訊き返す。
すると、レタールは、アイスティーを口へと運びながら、リードの隣に座るユキを指差した。
「かわいい息子?」
「何度も否定させんな!」
何度からかっても、同じように反応するリードをおもしろく眺めていたレタールの視界の片隅に、ユキの姿が移った。アイスを食べようと、大口を開けるユキの姿。普段なら、「かわいい」で終るところなのだが、今回は、ちょっと違った。持ち手の長いスプーンの先に、クリームソーダに浮いているアイスが、まるごと乗せられている。
見事に―――――不安定。
「ユキちゃん、ちょっ……」
レタールが止めようと声をかけ――――。
「あ?」
そっぽを向いていたリードが、ユキを振り返った、まさにその時。
―――――バシャンッ。
飛沫を上げて、アイスは、ソーダの中へと帰っていった。
ソーダの飛沫は、テーブルと、ユキの手や服、顔、そして―――――。
「ユキ……お前、何やってんだよ……」
静かな怒りのオーラを出す、リードの服にもしっかりかかっていた。
「あいす、たべれれないぃ~」
リードが怒っていようと、お構いなし。眉尻を下げて、ユキは、悔しげに二人の大人に助けを求めていた。
「……ホントに従魔か?お前」
服の汚れを拭きながら、リードが、呆れ顔でユキを見下ろす。
ソーダまみれのユキは、まだ、アイスに悪戦苦闘していた。
「従魔の世話する魔導士なんて、聞いたことねーよ」
疲れたように、漏れる言葉。
「コラ、ユキ。ソーダまみれのままアイス食おうとすんな」
リードは、ユキのおてふきを手に取った。今度は、ユキのかぶったソーダを拭いてやらなければならない。
スプーンを握ったまま、顔だけリードに向けて大人しくしているユキ。
不機嫌を顔中に表して、それでも、自ら丁寧に、ユキの顔やら服やらにかかったソーダを拭いているリード。
――ホント、親子だねぇ。からかうのはこのくらいにしとくか。
彼らを正面から見つめるレタールの口から、やさしい笑みが零れた。
「さっきのあの様子じゃ、調査は終了?」
笑った理由に気づかれないように、レタールは、話題を変えた。
「お~。何で休みのハズの俺が引っ張り出されたのか、わかんねーくらいに、あっさりとな~。ユキ、スプーン置けよ、とりあえず」
ユキの手を拭きながら、リードは答えた。
この仕事に、特に疑問を抱いてはいないらしい。
「ふ~ん。で?何の罰で、休日に仕事してるわけ?」
「何で、罰なんだよ?!」
用の済んだおてふきを、軽くテーブルに投げつけるようにして、リードは、不機嫌に返した。
やはり、リードはからかい甲斐がある。
さっき、からかうのはこのくらいにしておこう、と思っていたことも忘れ、レタールは、リードを煽る言葉を口にのせた。
「あぁ、もしかして、仕事に行く先々で女引っ掛けてんのがバレた?」
「バレてねェよ!」
「や~っぱり、してたんだぁ?」
レタールの誘導尋問に見事に引っかかり、リードは言葉を詰まらせた。
「ちっ…ちがう!そこじゃねェ!」
「じゃあ、必ず、一日多く仕事先に泊まってくるほう?」
「ちがうっつってんだろ!」
「あれぇ~?まだ、何かあったっけ?」
「じゃ、なくて!これ、担当するはずだった中級魔導士の奴が、前の仕事で怪我したんだよ。全治一週間。だからだろ?」
「へぇ、じゃ、ミドルの仕事やってんだぁ?マスターなのに?」
ストローで、アイスティーをクルクルかき混ぜながら、レタールは問いを続けた。
リードは、再びソーダをぶちまけられないように、ユキに、アイスを食べさせている。リード本人は、全くの不本意だが。
なんとも、ほほえましい姿だ。十中八九、親子に見える。
「別に。マスターになっちゃえば、仕事の危険度やレベルなんて、関係ねェケドな~。俺がムカツクのは、休みに仕事させる事務局と、それを許可した最高位魔導士だよ」
「マスターも大変だねぇ。仕事の幅、広がっちゃうと」
ちっとも、心配なんてしてない明るい笑みを浮べ、レタールは店を見渡した。
「まぁな。それより、レタール。お前、今夜、どこ泊まる気だ?もう、帰れる時間じゃないケド?」
太陽は西に傾き、窓からオレンジの光が差している。
「リードは?そこ泊まるよ」
何やら楽しげに答えたレタールに、リードは、アイスを食べさせる手を止めて、少しだけ彼のほうを向いた。宿にまで来られてたまるか、と、言う前から顔が語っている。
「ナイショ」
「けーちぃー。じゃあさ、当ててあげよっか?」
レタールの挑戦を、リードは、鼻で笑い飛ばした。
「当てられるモンなら、当ててみな」
そう、ここは宿場町。宿なら、山ほどある。
「へぇ~。余裕じゃないの。なら、俺が当てたら、俺たちも同じとこ泊めてもらおっかなぁ~」
ユキにアイスを食べさせているリードは、レタールの妙に自信ありげな表情に、まだ、気づいてない。
「当るかよ」
「もちろん、宿代、リード持ちだからね?」
「あぁ。当ったらな」
村に一つや二つというわけじゃない。だから、当るわけがない。リードは、完全に油断していた。
レタールが、勝ち誇ったように口の端を上げた。
「リード、今夜は、ここに泊まるでしょ?」
アイスを食べさせていたリードが、ピクッと反応した。そのまま手が止まる。
「……何で分かった?」
レタールに視線をやって、リードはようやく、自信満々のニヤけた顔に気がついた。
ここは静かな喫茶店だが、確かに、二階と三階にはいくつかの客室がある。メインは喫茶店だから、知る人ぞ知る宿屋だった。
「何でって、リード、俺と何年友だちやってんの?性格なんて、把握済み。それに、この店に来るまでに何件かお店はあったのに、迷わずここを選んだでしょ?ってことは、ここを一度訪れていて、気に入ってる訳がある。つまり、それが……あの子たち」
レタールが視線を投げたのは、ここで働く女の子たち。
黄色いエプロンのよく似合う、かわいらしい女の子だった。
「宿屋だって、いつ分かった?」
レタールの勝ち誇った笑みが、リードの目に憎らしく映る。
「もちろん、ここに入ったときから。ちょうど、お客さんが一人、チェックインしてたからね~」
この男は、いつだってそうだった。何かと、おかしなところで勘が働く。頭もいいが、要領もいい。
「最後の砦が……」
「れたてんて~、きょうはおとまりぃ?」
がっくりと肩を落とす保護者とは対照的に、ユキの目が、期待にキラキラ輝いている。
レタールは、リードにはイヤミなくらい愛想のいい笑顔を浮べた。
「そうだよぉ。リードが泊まってっていいってさ」
「わーい。おでかけでおとまりぃ~!」
「よかったねぇ、ユキちゃん。リードと一緒だよぉ?あ、リード、部屋の変更、俺がしてくるから」
いやに楽しげな口調で、レタールが、カウンターへと去っていった。
残されたのは、嬉しそうにソーダをすするユキと、片肘付いて、現実から目をそむける不貞腐れたリード。
「休みに働きゃなんないうえに、手のかかる奴らはついて来るし……おまけに、邪魔ばっかしてくれるし……ここ一ヶ月、ホンット、最悪」
「……あい」
ユキの、少し控えめな声に、リードが振り向けば、心配そうな顔でソーダをこちらに差し出している。
「のんでもいいよぉ?」
幼児に気を遣われる、いい大人――――情けなさに拍車がかかった。
リードは、再び、顔をそむけながら、ユキの小さな頭に手をのせる。
「気にせず、全部飲め……」
「あまりのショックに、さっき、つっこむの忘れてたケド」
シンプルながら、なかなかセンスの良い部屋で、リードは眉間にしわを寄せていた。
泊まる予定の部屋を見渡して、目に入るものは――――オフホワイトのフローリング、濃い茶色のペンキが塗られた、四角いテーブルと、同色のイス、両開きの窓に、ベッドサイドのテーブル、その上に置かれた、しゃれたランプ。
そして、ベッドが、窓から少し離れて平行に――――二つ。
「何で、同じ部屋なんだよっ!」
「リードのお財布の中身、心配してあげたのに。俺だけ別に部屋取るより、三人まとめてのほうが、安いでしょ?」
ベッドに荷物を置きながら、レタールは、さも当たり前のように答えた。
「って……ユキは、問答無用で俺のほうかよ」
「リードがいるのに、俺と寝ると思う?」
「無理だよナ……」
甘ったれだから、と付け加えて、リードは、下の店に預けていた手荷物を窓側のベッドに放り投げた。
ユキは、さっきからイスの上に立ち、何がおもしろいのか、窓の外をマジマジと見つめている。
報告書の用紙をはさんだ、半透明の白いバインダー片手に、リードも窓際に置かれたテーブルの、もう片方のイスへ腰をおろした。
「今晩、出かけるんだろ?夕飯どうする?」
リードの荷物が置かれた窓側のベッドに座り、レタールが尋ねた。ユキのお泊まりセットに入れてきた絵本を探りながら、答えを待つ。
「出かけねーケド?何で?」
「あれ?妖魔退治は?」
絵本を持って、レタールもテーブルへと歩み寄る。
リードは、メモを見ながら、報告書を作成中だ。
「来てそう都合よく出てくれるわけないことくらい、お前だって知ってるだろ?」
顔は上げずに、リードは答えた。
「だから、おびき出すんでしょ?」
「明日な。今日は、ムリだ」
確信ある言い方に疑問を覚え、問い返そうとした、ちょうどそこへ。
「ねぇ、りーど」
窓の外を見つめたままのユキが、口をはさんだ。
「ん~?」
「りーどがやっつける、よおまって、あれぇ?」
振り返ったユキの指差す先に、二人は、慌てて視線をやった。が―――――。
「……なんもいねーケド?」
眉を寄せるリードに、ユキは、指をゆっくりと下ろしながら、窓の外を確認した。
「あれ~~??」
さっきまでいたモノが、いなくなっているらしい。窓に顔を張り付けるようにして、凝視している。
「何がいたの?」
すぐ上から聞こえた声にユキが大きな瞳で見上げれば、レタールが、一緒になって外を見ていた。窓の外へ視線を戻し、ユキは、自分の主張を説明し始めた。
「いたんだよぉ、あとこにぃ。くろくてね、ふわふわしてね、いたんだよぉ~?」
口を尖らせたユキが、窓に映っている。
レタールは、窓ガラス越しにやさしく微笑んで、ユキの頭をそっと撫でた。
「そっか~。それじゃ、ユキちゃんに見つかって、逃げちゃったのかもね」
「あみとむちかごもってこればよかったねぇ、てんて~?」
心の底から残念そうなユキを抱っこして、レタールは、ようやくイスに腰掛けた。
ユキにとって、妖魔退治は、虫取りとイコールで繋がるらしい。
「ユキちゃん、虫取りあみじゃ、妖魔は捕まえられないんだよ?」
次の手を考え始めたユキを、テーブルへ向けてひざに座らせ、レタールは、先ほどの疑問をリードに問い掛けた。
「それで?リード。何で、今日はムリなの?」
リードは、まだ、窓の外を気にしていた。
「被害のあった場所だよ。郊外の、畑、果樹園、家の台所。人に危害はないが、建物がめちゃくちゃにされたり、でっかい穴あけられたり。損害がでかいから、俺たちに何とかしろってよ。どう考えたって、目的は、食いモンだろ?被害は、三日に一度。昨日、新しい被害が出たばっかだからな」
「ふーん。何かいるの?リード」
いつまでも窓の外を見つめるリードの視線を追っていくが、レタールの目には何も映らない。変わりない、夕方の町並みだ。
夕日は、西の空を濃いオレンジに染めている。外の大通りは、先ほどよりも更に賑やかさを増していた。
「いや、でも……」
窓枠に手をかけ、身を乗り出すようにして外を凝視しているが、リードの目にも何が映っているわけではなかった。見えるのは、ただの町並み。
「おたんこ、ぞぉたん!」
唯一、窓の外に何かを見つけたユキは、レタールのひざの上で絵本に夢中。『くろくて、ふわふわした』モノは、もう、どうでもいいらしかった。
「ユキ」
「おいちいくうき。なぁに?」
名前を呼ばれても、ユキは、絵本から顔をあげようともしない。
「お前、その本何度目だよ」
「おもちろいねぇ、りーどぉ」
リードの呆れた声にも、ユキはお構いなしだった。
「よく飽きねーな……」
「ぞうさんの絵本が、お気に入りだもんね?ユキちゃん」
「うん!」
レタールとユキのほのぼのとした空気を横に感じながら、リードは、窓を開けた。
何かいた気配がする。
「なぁ、ユキお前、なんでさっき妖魔だってわかったんだ?」
「だって、あれよぉまだもん」
絵本をジッと見つめたまま、ユキは当たり前のように答えた。
「ユキ……黒くて、ふわふわした奴だったな?」
「うん」
自信あるユキの返事を聞いてリードは窓を閉め、身を翻した。
「どこ行くの?」
リードの手が、ドアノブにかかる。レタールの声にも振り返らない。
「ユキのこと、しっかり見てろよ?仕事してくる」
パタン――――。
音を立てて閉まった扉を左に、リードの右の二本の指が、宙に魔法陣を描き出す。
「精霊召喚、ブリーズ」
魔法陣からあふれる青白い光の中から、手のひらほどの大きさの精霊が姿を現わした。
「妖魔の気配を追ってくれ」
リードの言葉に、小さな精霊が、風を纏わせて廊下奥の窓から外へ飛び出していく。追うようにして、リードも窓から外へ飛び降りて駆け出した。
――あいつも魔族だ。間違いなく、見つけたのは妖魔だろう。でもなんか、ひっかかるぞ。
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