第3話 パパ

 思惑はどうであれ、レタールの存在というのは、かなりありがたい。

 魔導士の中でもトップに立つ、最高位魔導士を祖父に持ちながら、妖魔であるユキを、すんなりと受け入れてくれて、預かってくれた。

 自分のことも、ユキのことも、何の疑いも持たずに。

 今では伝説となってしまっている妖魔・シロメの覚醒の時だって、彼は、恐れていなかった。

 ただ冷静に、現実を見つめていた。

 彼がいなければ、シロメと永遠に言い合っていたような気がしてならない。

 仕事だって、ユキを連れて行っていては、労力は倍かかり、おそらく報告書など書けたものではないだろう。

 今だって、風呂上りに、こんなにのんびりしていられないはず。

 夕食をご馳走になり、沸かしてもらった風呂に入り、ユキの頭まで乾かしてもらっている。

 リードは、だらりとソファに寄りかかり、風呂上りの一杯を、ゆっくりと楽しんでいた。

 薄い青のガラスのコップを満たしているのは、輸入ものの透明な水のような酒だ。

 リードが帰ってくるはずの日に、ユキと二人で買い物をしていて見つけたらしい。

 独特の香りも味も、リードは大いに気に入っていた。

 自然と口をついた、独り言のような誉め言葉は、レタールを十分満足させるものだったようで、軽いおつまみまで作って出してくれた。

 酒を買った店で店員が教えてくれたというつまみのおかげで、酒が余計にうまい。


―器用なやつだよな、ホント―


 ユキと手遊び歌を口ずさみながら、髪を拭いてやっているレタールを眺めて、リードは、こっそりとため息をついた。

 料理も掃除も、おまけに裁縫までできて、子どもの面倒も上手に見ることができる。

 ついでに、簡単な魔導の術も扱える。

レベルで言えば、初級魔導士程度。

 さほど強力な妖魔でなければ、追い払うことも可能だ。

 加えて、明るいし面白いやつで、何だかかんだ言っても優しい。

 これで、今まで誰とも付き合ったことがなく、好きになった人もいないということが、リードには、全く信じられなかった。

 白い半透明なガラス瓶に入った異国の酒は、残り半分になっていた。

「おい、レタール。これ、もう半分になってるぞ?」

 いつまでもユキの相手をしてないで、呑んだらどうだというつもりで言ったのに。

「あ、まだ呑む?相変わらず強いねェ?持ってくるから、ちょ~っと待っててくれる?」

 見当違いの答えを返された。

「ハイ、おしまい。パパんとこ、行ってていいよ」

 ユキの肩にバスタオルをかけて、レタールが立ち上がる。

「パパって言うな!」

 お決まりのセリフを、台所へ向かうレタールへ吐いてから、リードは、酒を注ぎ足す。

 ビンをテーブルに置いたところで。

「パパぁ~!」

 ユキが、勢いよく抱きついてきた。

「元気だな、お前……」

 呆れ顔で見下ろせば、胸に顔をくっつけていたユキは、元気のいい笑顔でリードを見上げてきた。

「ねぇ、りーどっ。パパってなぁに?」

 無邪気な問いに、リードは、後ろのソファへと倒れこんだ。

「なにぃ?ねぇ、なにぃ?」

 ぐいぐいと、借り物のパジャマを引っ張って、ユキは答えをせがんでくる。

 テーブルの向こうで、レタールが、胡座をかきながら、心底楽しげに笑っていた。

「ねぇ、りーど、なにぃ?」

「お前、知らないで言ってたのか……」

「だって、れたてんてぇ、りーどのこと『パパ』っていうもん」

 ユキの瞳が、期待にキラキラ輝いている。

 レタールも、リードが、一体どう答えるのか、楽しみにしているようだった。

 堪えるような笑いが、さっきから聞こえている。

 リードは、盛大にため息をついてから、口を開いた。

「パパっていうのはなぁ……」

 そこまで言って、リードは、言葉を飲み込んだ。

 正しい知識を付けて、今後、パパなんて呼ばないようにさせようと、さっきまで確かに考えていたのに。

 否定しようとしていたのに。

 説明しようとして、リードは、思い出した。

 自分の膝の上にちょこんと座り、期待を込めて見上げてくる、この青目で黒髪の子どもが「何」なのか。

 そして、「何」を待っていたのか。

 九十年の孤独を、どうして耐えることができたのか。


―そうじゃないなんて、家族じゃないって言ってもいいのか……?―


 確かに、ユキとリード=シークは、血の繋がる家族ではないし、正確に言えば、魔導士とそれに従う者という関係のはずだった。

 しかし――――。



『そん時は、シロメ、家族になろうな』



 初代とシロメの約束を、二人の願いを知ってしまった自分が、それを、こんなどさくさ紛れに否定なんてできない。

「ねぇ、りーどぉ~!」

 ユキが、答えをせがんでくる。

 説明をして、違うとは言えない。

 しかし、意味を理解したユキに「そうだ」と言って、今後、呼ばれ続けるのも、それはそれでイヤだ。

 否定も肯定もできないリードが、しつこく答えをせがむユキに返したセリフは。

「……レタール先生に聞いてみろ」

 言っちゃいけないセリフだと気づいた時には、もう遅かった。

 意味ありげな笑顔をリードに送った後で、口を開いたレタールの顔は、優しいパペットランドの園長先生。

 ユキにとって、疑う余地なし。

「なぁに、れたてんてぇ~?」

 リードの膝の上に乗ったまま、ユキが、小さな体をひねって、後ろを振り返る。

「ユキちゃんを、大事にしてくれて傍にいてくれる、大人の男の人のこと。つまり、リードのことだよ」

 彼の声には、悪戯の欠片も見えなかった。

 予想外に穏かで優しい声に、リードは、つっこむことも忘れて、ただ、友人の顔を見つめていた。

「りぃど、つきぃ~!」

「結論、間違ってないか?ユキ」

 ぎゅっと力いっぱい抱きついてくるユキに、思い出したようにつっこんで、リードは、小さく息を吐いた。

 否定も肯定もできないでいた自分の代わりに、最適な答えを出してくれた。



 やはり、レタールの存在は、すごく、ありがたい。



 異国の酒瓶が、二本、空になる頃、中途半端な時間にお昼寝をして、元気のよかったユキも、ようやくウトウトし始めた。

「ユキ、寝るんなら……」

 トイレと歯磨きをさせようと、リードが声をかけると、胸にもたれかかるようにしていたユキは、体を起こし、彼の首にぎゅっとしがみついた。

 肩にコトンと頭を預けて、そのまま、寝息をたて始める。

「……トイレと歯みがき…」

 苛立ちに、半分諦めを混じらせて、リードが呟けば、レタールがクスクスと笑った。

「今日は、大目に見てやったら?リードのこと、二日も余計に待ってたんだからさ」

 帰りが遅れたことを言われると、悔しいが、リードは、何も言えなかった。

「リードが帰ってくるハズだった日なんて、ユキちゃん、帰る準備をして、玄関でずっと待ってたんだよ?赤い帽子をかぶって、紺の上着を着て、ぞうさんカバン斜めにかけて、くつをはいて、戸を開けて、リードが迎えに来てくれるの、ずーっと、待ってたんだから。夕食ができても、じーっと、そこに座って、道の向こう眺めてて、食べようともしなかったんだから。結局その日は、二人して、玄関でご飯して。ユキちゃん、帰るカッコのまま寝たんだよ?もう、二日間、ご機嫌ナナメだし元気もないし。だから、これからは、仕事早めに切り上げてね?おとーさん?」

「お父さんとか言うな。………努力は、するよ……」

 父親の呼称をいつものように否定しながらも、ユキに淋しい思いをさせたことに反省するリードへ、レタールは、四本目の栓をあけた。





 小春日和というに、実にふさわしい秋晴れ。

 年の瀬も、見えるところへ迫っているというのに、本当に、春が来たようないい天気だ。

 こんな日は――――。

「旅行ぉ~?!」

 驚きというより、不快という声をあげて、リードは、眉を寄せてレタールを見た。

「そう。この連休を利用して、三人で旅行しようかなぁーってサ」

「お前が、無理矢理、連休にしたんだろうが」

 テーブルに並ぶ朝食を、リードは、不貞腐れ顔で頬張った。

 中央の大皿には、とても三人分とは思えない量のサンドイッチ。

 三人それぞれのランチョンマットの上には、ガラスのボウルに入ったサラダと、ユキの好きなフルーツヨーグルト。飲み物は、大人二人にコーヒーと、ユキには、オレンジジュース。そして、ハムエッグ。

 のんびりした朝。食事の仕度もしなくていいし、ユキもご機嫌。

 これで、レタールの策略がなければ、すばらしい休日のスタートだったのに。

「いいじゃないの、たまには」

「旅行が、祭よりいいコトか?」

「この時期なら、観光と祭と両方が楽しめてお得だよ?」

「この際、いい機会だから、ゆっくりとビガラスの創国祭を堪能するってのも、悪くないんじゃねェの?」

「じゃあ、多数決取ろっか?」

 レタールが、ニヤリと笑った。

「リードと旅行したい人~!」

「あ~いっ!」

 サンドイッチを口に詰めたまま、ユキが、くぐもった声で手を挙げた。

「レタール、お前、ユキの習性を利用しやがったな?」

 最近のユキのお気に入り。「~する人?」と聞けば、とにかく手を挙げる。

 昨日見た、パペットランドの連絡ノートに書いてあったことを思い出して、リードは、悔しげに呟いていた。

「先に、俺が聞けばよかった……」

 何はともあれ、多数決の結果は「旅行」。

 お弁当は、サンドイッチ。

 水筒に、ジュースを入れて。

 お菓子も持って。

 準備ができたら―――。


 さぁ、出発。

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