第4話 ピエロ

 魔導士の中でも、最高ランク・マスターでなければ扱えないとされる、移動術。

 それを、リードは、初級魔導士の頃から軽々と使って周囲を驚かせていた。

 本当は、魔導士スクールに通っていた頃から使うことができ、得意を通り越して、もはや、魔導という意識はない。

 仕事の時はもちろん、遠くへの移動は、術を使うのが当たり前だった。

 公共の交通機関を使うなんて、一体、どれくらいぶりだろう。

 ユキは、くつを脱いで座席の上に立ち、窓の外を流れる景色を面白そうに眺めていて、自分はそれを観察中。

 向かい合うように作られた席の反対側では、レタールが、ユキの相手をしている。

 規則正しいリズムで揺れる列車の中は、自分たちと同様に、この連休を利用して、祭と旅行とを楽しもうという客で、なんだか浮き足立つ雰囲気だ。

 のまれちゃいけないとクールを装うリードの心も、どこか、はしゃぎだしていた。

 ビガラスの中央駅から、そんなに離れていないはずなのに、もう、ずいぶんと乗っているような気もする。

 窓の外は、青と緑が目に付く田舎の風景だ。

「ねぇ、れたてんて~、もうちょっとぉ~?」

「うん、あと十分くらいかなぁ?」

「れたてんてぇ、ぞうさんもある?ぞうさんもある?」

「あるといいねぇ、ぞうさん」

 テンションが鰻上り状態のユキにため息をついて、リードは、行き先の見当をつけてみる。

 実はまだ、何も知らされてない。

 切符は、レタールが数日前に予約して買っていたらしく、改札でもユキを抱えていたせいで見ていない。

 ビガラスの中央駅から、この方向の列車で、あと十分足らずで到着する観光地。


―あったか?そんなとこ―


 魔導士という仕事柄、訪ねる町は数多く、ライトレーク国内の地理は、大体把握しているつもりだ。

 特に、観光地として有名な場所には詳しい。

 一歩間違えれば、死が待っているこの仕事。楽しみといえば、ナンパと観光。

 一体、どこへ連れて行くつもりだろうか。

 楽しげに話す窓側の二人をちらりと見てから、リードは、反対側の窓へと目を移した。

 右を見ても左を見ても、流れ行く景色は同じ、緑と空の青だ。

「りーど、じゅーちゅ!」

 弾んだような声をあげ、ユキが、袖を引っ張った。

「はいはい……」

 少し腰をあげ、リードは、レタールの横でくたりとしているお泊まり用サルカバンに手を伸ばした。

 ユキのものは、全部、サルカバンとぞうカバンに入っている。

 水筒は、サルカバン。ポケットティッシュとハンカチは、上着のポケット。ユキのお弁当は、ぞうカバン。

 どこに何が入れたか、把握している自分に気がついて、リードは、きちんと座って待っているユキへ、飲み口がストローになった水筒を、ため息といっしょに手渡した。

「ホラよ……」

「あ~っと」

 ずいぶんと略された礼の言葉を返すと、ユキはさっそくストローを咥えた。

 スィーっと、一口飲んで、ホッと息を吐く。

「ジュース、おいしい人~?」

 レタールは、すっかり、ユキのこの習性を面白がっているようだ。

「あーいっ」

 そして、ユキはユキで、期待を裏切ることなく返事をして手を挙げてくれる。

「レタール、お前、ユキで遊ぶなよ……」

 幼児とはいえ、ユキは一応妖魔だ。

 それも、魔導士の中では、伝説となっている妖魔。

 軽く忠告してやると、レタールは、全く悪びれる様子もなく、ユキを見て楽しげに笑っている。

「いーじゃない。楽しい人~?」

「あ~いっ」

 リードは、完全に呆れた顔で、ユキを見つめた。

「お前、なんか、別の意味で伝説になりそうだな……」

 目的地まで、あと少し。

 窓の外に、少しずつ、町並みらしきものが流れていく。

 車内は、相変わらず、騒がしいおしゃべりがあちこちで続いていた。

 もう五分足らずで降りようという客は、とてもじゃないが見当たらない。

 少なくとも、この車両では。

 やがて、列車がスピードを落とし、鉄の擦れる音を辺りに響かせて止まったのは、小さな小さな駅だった。

 木造の駅舎は、白いペンキが、塗りたてのようにきれいにかけられていて、ガラス窓もぴかぴかに磨かれている。

 三人だけが降り立ったホームも、これから向かう駅舎の中にも、ゴミは一つも落ちてないように見える。

 改札に、窓口から顔を出した駅員さんも、とても親しみやすい人で、陽気な笑顔を浮かべて、ユキの頭を撫でると、駅舎の小さな売店からアメを一つ、プレゼントしてくれた。陽気で、ずいぶんと、幸せそうな顔をした駅員さんだった。

 駅舎を一歩出ると、やはり、創国祭の始まりであるだけに、町には人があふれていた。

 出店と祭の特別セールをする店と、そこを廻る、親子連れ、恋人同士、子どもたち、そして、女性たち。

 自然と目に付く女性たちの品定めをしていたリードは、服を引っ張られて我に返った。

「りーど、あめちゃん」

 包みを開けてくれと、腕の中のユキが、さっき貰った棒付きのアメを差し出している。

「これは、3時のおやつ。ぞうカバンに入れとけよ」

「……あーい」

 心持ち残念そうに返したユキが、レタールにカバンのジッパーを開けてもらっている間、リードは、もう一度、町を眺めた。

 女性の品定めではなく。

 少しだけ眉を寄せ、真剣な面持ちで、ゆっくりと、周囲を見回す。

 何か、おかしい――――。

 町は、先ほどまで乗っていた列車の中と同じ、賑やかで楽しげな声に満ちている。

 しかし、それは、祭のせいだけではないように、リードは感じていた。

 祭の効果というには、不自然なほど、幸せに満ちた空気がこの小さな町全体を包んでいる。

 幸せで、どこか、哀しい空気が。

 そして、何か、危険な空気が。

 これは、魔導士としての直感だった。



 今、リードに分かることは、唯一つ。



「……どこが、観光地だ!レタールっ」

 今、見渡せる範囲で、観光客らしき人間は、自分たち三人だけだということ。

「何言ってんの。目の前に広がる祭の賑わいと、美しい自然の景色。観光するには、十分すぎるでしょ?」

 全く持って、悪びれない笑顔に、薄々分かっていたことだとはいえ、ため息が出た。

「この先にねぇ、きれいな公園があるんだ。そこで、お昼にしよっか?」

「あーいっ」

 リードの腕の中で、ユキが、喜んだのか、返事をしたのか分からない弾んだ声をあげた。





 左右に目を走らせただけで、全体を見渡せる公園の真ん中で、噴水の淵に腰掛けて、リードたち三人は、のんびりお昼を広げていた。

「何だって、休みとってまで旅行なんか……」

 改めて愚痴った後で、リードは、レタールの作ったサンドイッチにかじりついた。

 昼時だというのに、公園には、いやに子どもが多い。

 祭のせいだろうかと考えて、ボンヤリとした思考は、不意に止まった。

―…あれ…?―


 なんでもない休日の公園であるハズなのに、何か引っかかる。

 見たことがある――――デジャヴというより、確かな懐かしさ。

「りーど、あれっ。あれ、ほちい」

 噴水の淵に立ち上がったユキが、リードの服を引っ張った。

 考えにふけるのを止めて、ユキの指差す先に目をやれば、子どもたちに動物の形をした風船を配る、道化師がいた。

 細長い風船が、器用に動物を形作っていく。

「風船、配ってる……」

「ぞうさんできる?ぞうさん!」

 ユキが、目を輝かせて道化師を見つめていた。

 レタールも、少し考えるような仕草で、彼を見つめている。

「んー?どうかなぁ?頼んでみる?」

「みるっ!」

 ユキは、もう行く気満々だ。

「妖魔が分からなくなってきた……」

 額に手をやるリードの服を、ユキが引っ張る。

「おいで、りーど」

「ハイハイ……」

 手の中に残るサンドイッチを口へ放り込み、リードは、サルとぞうのカバンを肩に引っ掛けて立ち上がった。

 ズボンの裾を引っ張り、先を行くユキを、半分呆れて見下ろしながら、渋々付いていく。

 道化師は、最後の一人に風船を渡していた。

 どうやら、こちらにも気づいているようだ。

 うれしそうに走り去る子どもたちに手を振りながらも、体は、二人に向いている。

 道化師の目がこちらに向いて、白や赤や青のカラフルな顔が笑顔を作る。

 途端、ユキの足が止まった。

「ぞうさんは、もう少しだぞ~?ユキぃ」

 やっぱり止まったか、と、リードは、ため息をついた。

 人見知りする性格である上に、相手は、ユキにとって、得体の知れない姿をしているのだから。

「りーど、だっこぉ」

 空でも見るようにリードを見上げて、ユキは、精一杯腕を伸ばした。

 先ほどまでの勢いは、一体どこへ消えたのか、見上げるユキの眉は、しっかり下がっている。

「何でだよ」

 情けなさを感じつつ、独りごとのように呟いて、リードは、ユキを見下ろした。

「だっこぉ!」

 ユキは、更に必死に腕を伸ばしてくる。

「歩きなさい」

 無駄だと知りつつ、抱っこを拒否してみる。

「いや~ん。だっこ、だっこぉ!」

「風船ほしい人~?」

「あいっ」

 ユキは、やっぱり手を挙げた。

「風船のとこまで歩く人~?」

「あっ……だっこぉ」

 手を挙げかけたユキは、数秒の間のあと、両手をリードに伸ばす。

 小さく舌打ちして、リードは、ユキの前にしゃがみこんだ。

「何で、こういう時だけ、ひっかかんねェんだよ。自分でぞうさんがほしいって言うんだぞ?」

「あいっ」

 ますます父親じみてきた自分に、ため息が出た。

 風船と機材とを乗せたワゴンの横で、道化師は、変わらぬ笑顔を二人に向けていた。

 リードにしっかりしがみついているユキは、道化師の方すら見ていない。彼とは反対方向、お昼を食べていた噴水の方を、頑なに見つめていた。

「ホラ、ユキ。何がいいんだよ」

 リードが、小さな背中を軽く叩いて促せば、ユキは、渋々といったふうに、ようやく振り返った。

 視線が、道化師まで行くより早く、ワゴンにくくられたサンプルの風船たちが、ユキの目に止まった。

「あれっ」

 小さな手で指差すのは、そう言われれば、見えないこともない、鼻の長い動物。

「ぞうさん、ぞうさんっ」

 注文を受けた道化師は、浮かべた笑みをそのままに、無言で深々とお辞儀をした。

 ユキは、まだ、道化師を見ようとはしない。

 ぞうの姿をした風船はほしいが、白塗りにカラフルな模様を施したモノは、得体が知れないので怖いらしい。

 サンプルの風船をじっと見つめたままで、少しも動こうとしない。

 その間にも、ぞう(らしい)風船は、着々と出来上がっていた。

「へぇ~、器用だねぇ。相変わらず」

 いつの間にか、レタールが、隣でユキの見つめるサンプルの風船を、覗き込むようにして眺めていた。

 リードとユキの視線が、レタールへと移った―――その直後だった。

「……レタール?」

 突然聞こえた、第三者の声。

 ユキが、体をビクッと震わせて、リードの首にしっかりとしがみついた。

 原因は――――。

「……しゃべった……」

 声の主・道化師を、驚きの眼差しで見つめたまま固まっていたリードが、独りごとのように呟いた。

 隣で、レタールが吹き出す声が聞こえた。

「リード、よくできた人形じゃないんだから……」

 サンプルがくくりつけられたワゴンに片手をついて、レタールは、腹を抱えて笑い続けている。

 思わず呟いてしまった一言が、リードは、恥ずかしくて仕方ない。

 しかも、おそらく、いや、明らかに、ユキと同じことを考えている。

「……は、話し掛けてくるなんて、思わねェだろうがっ」

 苦し紛れの言い訳は、レタールの笑いを余計に誘う。

「ごめんねぇ……」

 細長い風船を、ぞうへと変えながら、道化師は、申し訳なさそうに笑った。

「ホントは、しゃべらないつもりだったんだけど……」

 最後に、鼻の先に紐をくくりつけて、リードに差し出す。

「お詫びの印に、これは、プレゼント」

「よかったねぇ、ユキちゃん。ぞうさん、プレゼントだってさ」

 まだ少し笑いの残る顔で、レタールが、すっかり道化師に背を向けてしまったユキを覗き込んだ。

「ぞうさん……?」

 小さく呟いて、ユキは、ようやく道化師を振り返った。

 得体の知れないものへの恐怖より、大好きなぞうさんの魅力が上回ったらしい。

「飛んでいかないように、腕につけてあげる」

 手を取り、出来上がった風船をくくりつける道化師を、ユキは、じっと見つめていた。

 先ほどまでの恐怖は、欠片も見当たらない。

 そこにあるのは、羨望の眼差し。

「ハイ、できた」

 道化師が、カラフルな顔を笑顔に崩す。

 ユキは、手首の真上で、ふわふわと揺れるぞう風船を、ことのほかうれしそうに眺めた後、再び、羨望の眼差しを道化師へと向けた。

「あっとっ!!」

 今までにないくらい喜んでいる。


――――面白くない。


 胸に、もやもやと広がる不快を、レタールにだけは悟られまいと、リードは、彼のいるのとは、反対側へ顔を背けると、気づかれないように、小さく小さく息をついた。

「へぇ~、これが噂のユキちゃんかぁ~。かわいいねぇ?」

 道化師への警戒が解けたのか、ユキは、頭を撫でられてご機嫌な様子。

「でしょ?でしょ?ウチでも、人気あるんだよねぇ~」

 いやに親しげに相槌を打つレタールに、リードは、不快を怪訝に変えて、二人を見つめた。

 疑問は、二つ――――。

「ちょっと待て、レタール。噂って何だ?つーか、何でそのピエロと、そんなに仲がいいんだ?」

 ここは、初めて訪れた場所―――――の、ハズ。

 リードの体中に広がる、嫌な予感。

「や~、噴水のとこからじゃ、わかんなかったよ。どうしたの?その格好」

 リードの疑問を他所に、二人の会話は進んでいく。

「……おいっ」

 リードがいくらつっこもうとも。

「え?商店街のおじさんに頼まれちゃってサ。何年か前から、ちゃんと化粧もして、祭の日には、この町に貢献してんの。立派でしょ?」

「エルは、昔っから器用だったもんねぇ?」

「だから、聞け!」

 リードが、無理やりに2人の会話を中断させた。

「わぁ、ホントだ。おもしろ~い」

 誰に何を聞かされたのか、カラフル顔の道化師は、リードの怒鳴る姿を見て喜んでいる。

「リードの面白さは、こんなもんじゃないからね」

「人で遊ぶな……」

「エル、まだ、これ終んない?」

 怒るだけ無駄だと悟り、リードは、しばらく黙っていることに決めた。

「ん~?手紙来てたから、レタールが来たら店じまいにしようって決めたんだ。今日は、もう終るよ」

 答えながら、道化師は、手際よく商売道具を片付けていく。

「とりあえず、ウチに行こうか。お祭の露店もたくさんでてるから、後で見に行こうね」

 道化師が、上機嫌なユキの頭をひと撫でして、優しく笑った。

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