第5話 ピエロ2

 彼の家まで、人の少ない通りを行くが、それでも、あちこちで彼を捜す子どもたちに見つかり、その度に、道化師は取り囲まれていた。

 道化師を演じている間は口をきかないものの、子どもの相手は、ずいぶん手馴れたものだった。

 公園から、細い路地を行くこと二十分。

 彼の家は、中央広場から放射状に伸びる通りを少し入ったところに建っていた。

 くすんだクリーム色のペンキが塗られた、小さな二階建ての家。細い路地に、木製の扉を向けている。

 裏には、小さいが、庭もあるようだ。

 リードとユキとレタールの三人は、通された、玄関を入ってすぐのリビングで、化粧を落としに行った道化師の男を待っていた。

 三人掛けのソファに、ユキを真ん中にして座る。

 通りに面した窓からは、心地よい日の光が差し込み、部屋一杯に広がっていた。

 そのせいか、リビングは、春のようにぽかぽかと暖かい。

 ずっと背もたれに身を預けるようにして、ソファの後ろにある本棚を見つめていたユキも、少しばかり眠そうな顔をしている。

「おまたせ~」

 扉のないこの部屋の入り口から、道化師の声と共に、紅茶の香りが三人に届いた。

 笑顔で振り返ったユキが、表情を強張らせて、隣にいるリードにしがみつく。

 白塗りとカラフル模様をきれいに落としたため、おいしそうな紅茶を運ぶ、赤茶の髪の彼が、一体誰なのか分からないらしい。

 変わらないのは、その灰色の瞳だけ。

 テーブルには、紅茶とミルクピッチャー、シュガーポット、そして、ユキの瞳を釘付けにしている、動物型のクッキーが置かれた。

「さぁ、どうぞ」

 人のよさそうな笑顔を浮かべると、耳が完全に隠れるほどに伸びた赤茶の髪が、サラリと揺れる。

 ユキの顔が、パッと輝いた。

 リードは、呆れたようにユキを見下ろした。

「いただきますっ」

 ラグの上に降りて、ユキは、さっそく動物クッキーを手に取った。

 レタールは、ユキの紅茶に、ミルクと砂糖を加えている。

「本当に来てくれるなんて、思わなかったよ。ありがと、レタール」

 リードに引っかかるのは、彼の、このいやにうれしそうな笑顔。

「どういたしまして」

「それにしても……魔導士って、もっと、こう……厳しいっていうか、怖いっていうか、威厳あって、近づきがたいもんだと思ってたんだけど……」

 道化師だった彼は、リードをちらりと見て、涼しげな顔を笑顔に崩した。

 ミルクティーを持つ手を口元で止めて、リードが、訝しげに目の前の赤茶髪の彼を見やる。

「案外、親しみやすいもんなんだねぇ?」

 続けられた彼の言葉を喜んでいいのか、悲しんでいいのか、怒っていいのか。

 リードは、眉間にしわを寄せたまま、無言でミルクティーをのどへ流した。

「リードは特別だよ。他のマスターやミドルは、もっと魔導士っぽいもん」

 明らかにけなされている。

「ぽいっていうな。俺は、れっきとした高等魔導士だ」

「ねー?人選、間違ってなかったでしょ?俺」

 赤茶の髪の彼は、リードへ申し訳なさそうな笑顔を向けた。

「お休みなのに、わざわざありがとう。それなりの報酬は、出すつもりだから」

「待て。何の話だ?」

 訝しげな顔はそのままに、リードは、赤茶の髪の彼に疑問を投げた。

 それに答えたのは、ユキの向こうで、何食わぬ顔で笑うレタールだった。

「リード、魔導士に対して報酬って言ったら、妖魔退治しかないでしょ?」

 さも、当たり前のように答えたが。

「俺、今、休暇中だぞ?!」

「何言ってんの?たとえ休暇中とはいえ、偶然にも、出くわしちゃったんだから仕方ないでしょ?」

「ずいぶん嬉しそうだな、レタール」

 負けじと、笑みを浮かべるリードの口元が、引きつっている。

「いーの?放っておいて」

 レタールのセリフに、リードは、言葉を詰まらせた。被害があるなら、放っておくわけにはいかない。

 しかし、これは、事務局を通して依頼されたものじゃない。規則上、報酬はもらえない。

「話を聞かせてもらおうか」

 甚だ不本意ではあるが、ここまで来たら仕方ないだろう。

「わぁ~。そう言ってくれると思ってたよ、リード」

 レタールが、紅茶片手に喜んでいる。

 それを、横目に、苦々しく思いながら、リードは、手にしていたカップをソーサーへと戻した。

「紹介するね。彼は、エルノ=コットン。キングダムっていう、児童施設で、俺と一緒に育ったんだ。っていっても、三年ほどだけど」

「今は、キングダム近くの学校で、教師をしてるんだ。時々ピエロもやるけどね」

 二人の言葉で、リードは、ようやく思い出した。

 公園で感じた、デジャヴの原因。

「あぁそっか、ここはガキの頃にお前と来た町だ……」

「そう。ここ、オーキッドは、俺のもう一つの故郷」

 この町の名前は、オーキッド。

 小さくはないが、広い町でもない。

 ただ、この国の首都・ビガラスの郊外よりも、ずっとのんびりした町ではある。

 そして、リードにとっても、少し縁のある町だった。

「キングダムはどう?」

「ん?相変わらず。あ、でも、新しい先生も、だいぶ増えたかなぁ。キャロル先生とラスティ先生は、ご健在だよ。元気一杯。俺が顔出すより、レタールからの手紙待ってるんだから、あの二人」

 キングダムは、理由があって、家族とは暮らせない子どもたちを引き取り育てる施設。

 つまり、道化師をしていたエルノにも、今、共に暮らせる家族はいないということだ。

 リードと同じ、そして、かつてのレタールと同じ。

「オーランドから出たって?今、一人暮らし?」

「うん、もう、三年になるかなぁ。おじい様、まだ、俺が魔導士やること、半分諦めてなくってさぁ。一緒にいたら、顔を合わせるたびに言われそうだから」

 レタールは、三つの時にキングダムに来て、五つのとき、六才の誕生日前日に、オーランド家に引き取られていた。

 リードが、両親を亡くした九才の春、十才になろうという日。ただ深い悲しみに暮れていた彼を、連れ出したのが、レタールだった。

 リードが、魔導士見習になる直前の出来事。

 まだ子どもだったため、きちんと育てて見守ってくれる場所にいたほうがいい、という話にまとまろうとしていた時、レタールが、参考までにと、自分のいた施設・キングダムまで連れて来てくれたのだった。

 一人でやっていくのか、児童施設で、大勢と共に暮らすのか――――決めるも何も考えられないでいたリードに、ヒントをくれた。

 おそらく、彼がいなければ、今の生活はないだろう。

 もしかしたら、ユキとも出会っていなかったかもしれない。

 二代目リード=シークとしての実感を、いつまでたっても、持てずにいたかもしれない。 魔導士ではなく、別の職業についていたかもしれない。

「で?俺は、何の用で呼ばれたわけ?」

 のんびりと続く、二人の現状報告の合間を縫って、リードが尋ねた。

 このまま待っていたら、妖魔の話になる前に、夕食になってしまいそうだ。

「あ、ごめん、ごめん。懐かしくてつい……」

 エルノが、苦笑いをしてリードへ視線を向けた。

「妖魔の事で困ってるんでしょ?」

 レタールの、実にアバウトな説明からでは内容はわからないが、ややこしいことになっていないことをリードは願った。

 今は、あくまで休暇中。

「うん……」

 エルノの声が、途端に曇った。

 二人から視線を逸らし、悩める表情を顔いっぱいに浮かべて、窓の向こうを見つめる。

「この町に湖があるの、レタール、覚えてる?」

「あ~……森を少し入っていったところにある、あれ?」

 森といっても、迷子になるほど、広くも複雑でもない。

 この町の人間なら、湖まで行って帰ってくるくらい、わけのない事だ。

「その湖の傍に、何年か前から桜の木がね?急成長してて……そりゃあ、立派な木になって、きれいな花もつけるらしいんだけど」

「ヘェ~……誰か植えたの?」

 興味津々にレタールが尋ねるも、エルノの、テーブルを見つめる表情は暗い。

「ううん。誰も知らないって。その木が花を咲かせるようになってからこの町の人たち、あの森に、よく入ってくようになってさ。訳を聞いてみたんだよ。……そしたら」

 続く言葉を、リードもレタールも、息を呑んで待っていた。

「……逢いたいって強く想う人に、その桜の木の下で、逢うことができるんだって……」

 リードもレタールも、一様に、目を丸くしてエルノを見つめた。

 言葉もなく、信じられないという顔をして。

「町の人たち、みんな、ホントに嬉しそうに教えてくれるんだ」

 柔らかい風が、部屋を吹きぬけた。

「……逢いたい、ヒトに……?」

 信じられないと言いたげな、ポツリと呟かれた声。

 リードとレタールとエルノ、三人の視線が、一つに集中した。

 リードとレタールの間に座るモノ。

 日の光を反射させて輝く、銀の髪。

 リードと同じ、深い青の瞳。

 襟の高い、赤の半そで服に、黒のズボン。

 正面に座るエルノが、ポカンと彼を見つめていた。

「……えっと?」

 さっきまで、そこにいたのは、今見る彼の半分もない背をした、幼児だったハズ。

「あ!の……えっと」

 慌てて、レタールが、言葉を繕おうとするが、適切な言い訳が見つからない。

「シロメだ。気にするな。話を続けてくれ」

 声はクールだが、リードの顔には、明らかに動揺の色が窺える。

 幸い、エルノは、あまり動揺していないようだった。

「うん……えっと、森へ行って帰ってくる人は、みんな、幸せそうな顔してるんだよ?でも、気になるでしょ?普通。桜の木だって、その、不思議な体験だって……」

「う~ん、確かにねぇ」

 レタールが、ソファに寄りかかるようにして、天井を見上げた。

「被害は?」

「物理的には、何も。みんなも、喜んでるみたいだし……」

 リードは、訝しげに眉を寄せた。

「じゃ、何か住民に変化は?」

「前より幸せそう、かな?」

「どうしろってんだ、俺に……」

 これで、原因が、本当に妖魔だとして、倒してしまったら、リードの方が恨まれそうだ。

「仕事の効率があがったとか、やる気がでてきた、とか…」

「じゃあ、いいじゃねェかよ。このままでも」

 面倒くささが、体全体から現われていた。

「ダメなんだよ!」

 エルノが、声を張り上げた。

「子どもたちが、学校抜け出したりサボったりで、授業にならないんだ!」

 リードは、一瞬、訳がわからず、ポカンとしていたが、すぐに理由に行き着いて、小さく「あぁ」と、納得したように呟いた。

 エルノは、続ける。

「この町には、キングダムがある。わけあって、家族と暮らせなくなった子どもたちがいる。その大半は病で亡くなったり、妖魔や賊なんかに殺されて、もう会えないんだよ?!これから先もあの森に入り浸られちゃ、学習面でもよくないし、教育のためにもよくない!」

 エルノの勢いに圧倒されて、リードは、心持ち身を引いた。

「……な、なるほど」

「それに…」

 エルノの声のトーンが落ちる。

「死んだって、また、あの森に行けば逢えるから……なんて、そんな乗り越え方、してほしくない……」

「なるほど……」

 リードの声にも、真剣さが篭る。

 そして、チラリと、隣で、甘い甘いミルクティーに口をつけるシロメを見やる。

「…こいつのためにも、良くねェしな……」

 小さくポツリと漏らせば、同じ深い青の瞳に、思いっきり睨まれた。

 負けてたまるかとばかりに、睨み返してやると、シロメはフイッとそっぽを向いてクールに構えた。

 その態度に、怒りのオーラを放つも、完全無視。

「報酬のことだけどな」

 怒りを押さえつつ、リードは、話を進めた。

「あ、できれば、分割にしてもらえると嬉しいんだけどな…てん」

 苦笑いを浮かべるエルノを見て、小さくため息をつく。

「気持ちは、こっちとしても大変ありがたいんだけど、受け取れない」

 何故かといえば―――――。

「俺は、国に仕える魔導士で、残念ながら、依頼者からの報酬制じゃなくて給料制なんだ。事務局にも報告義務があるし。勝手に金貰ったりって言うのは、禁止されてんの。んなことしたら、減給もんだ」

 つまり、今回は、完全なるボランティア。有休を取っている意味がわからない。

「それじゃ、その分、いっぱいおいしいもの作るよ」

 顔いっぱいに笑みを浮かべて、エルノが立ち上がる。

「部屋を案内するね。荷物を置いたら、夕食の買い物もあるし、お祭に行こうか」

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