第6話 ピエロ3

 エルノに案内された部屋は、階段を上がって、廊下奥の広い客室だった。

「好きに使ってね」

 という言葉を残して、エルノは、再び下へ降りていった。

 扉をすぐ後ろにして、リード、レタール、シロメの三人は、ただただ、立ち尽くしていた。

 彼らの視線は、部屋に中央に、並ぶようにして置かれたベッドに注がれている。

 その数―――――――二つ。

 この部屋を使う人数―――――――三人。

 通りに面した大きな窓と、裏の庭を臨む小さなテラスから、明るい光が差し込む部屋は、シンと静まり返っていた。

 初めに口を開いたのは、リードだった。

「俺、窓側」

「じゃあ、俺、テラス側」

 レタールも、即座に、もう一つのベッドを確保。

 一人出遅れたシロメは、冷静に口を開き、クルリと背を向けた。

「俺は、下のソファを借りる。問題解決だな」

「待てっ」

 部屋を出ようとするシロメの襟首を、リードががっしりと掴む。

「離せよ、エセ魔導士!」

 肩越しに振り返ったシロメは、体中から不快のオーラを放っていた。

 それを正面に受けるリードも、同じだけ不機嫌な眼差しを、シロメへ向ける。

「お前、ユキに戻るって選択肢はないのか」

「なんだ、淋しいのか?クソガキ」

 鼻で笑われた。

 リードに向き直り、シロメは腕組みをして、目の前の彼を見下すように、少し顔を上げている。

 リードの怒りは、更に膨れた。

 口元を引きつらせ、一度は離したシロメの襟元を、再び、がっしりと掴む。

「お前こそ、夜、一人になってどうするつもりだよ?」

「ベッドが二つしかないんだから、一人は、床か下のソファだろ?!」

 シロメは、分かりやすく動揺している。

 毛を逆立てて威嚇する猫のごとく、リードを睨んでくるが、迫力はゼロ。

「なら……」

 リードは、勝ち誇ったようにニヤリと笑った。

「俺が下で寝てやるよ。お前は、ここでベッド使え。いやならユキに戻ってろ。ややこしい」

 吐き捨てるように言葉を投げると、シロメは、悔しそうに小さく唸った。

 シロメが、一人で下のソファを使うといった理由なんて、リードにもレタールにもバレバレだ。

 逢いたいと、強く想うヒトに、逢う事のできる桜の木。

 リードの曾祖父、初代リード=シークとの生活を、ずっと待っていたシロメが行かないはずがない。

 誰よりも、強い思いを抱えているはずだ。

 反論の言葉なくリードを睨み続けていたシロメは、最後の反撃とばかりに、辺りに突風を放つ。

 腕を盾に、目を閉じて突風をやり過ごしていたリードとレタールが、再び目を開けると、生意気な妖魔は姿を消していた。

 ため息をつくリードの横で、レタールが柔らかな笑みを浮かべてしゃがみこんだ。

「ユキちゃん、ユキちゃん」

 不思議そうに辺りを見回していたユキが、レタールのところで、視線を止める。

「リードといっしょに寝たい人~?」

「あーいっ!!」

 小さな体いっぱいに喜びを表わして、ユキは、両手を高く高く上げた。

「ユキちゃん、かわいい~!」

 シロメの時とのギャップがおかしいのか、レタールは、ユキの頭をくしゃくしゃと撫でながら、少しだけ笑いを堪えている。

「ユキで遊ぶな、レタール……」

「分かってる、わかってる」

 ユキの相手をしながら答えるレタールの声は、どこまでも軽い。

「しっかし、伝説の妖魔相手に、あそこまでケンカ腰でいられるヒトなんて、どこ探してもいないよねぇ?さすがは、リード=シーク」

 しゃがんだまま、レタールは、リードを見上げた。

 誉めているのか、茶化しているのか分からない。

「伝説の妖魔だって分かってて、ユキで遊ぶ、お前の神経がわかんねェよ。俺としては……」

 自分の確保したベッドへと手の中の荷物を放り投げ、リードは、まだ入り口でユキと遊ぶレタールを、呆れた様子で見下ろした。

「お祭行く人~?」

「あーいっ」

 妙にテンションの高いユキの姿とは対照的に、リードのテンションは、めいいっぱい下がっていた。





 手首に、ぞうさん風船をつけてもらって、この上なく機嫌のいいユキと、そんなユキの姿をにこやかに見つめるレタールとエルノ、そして、一人憮然とした顔のリード。

 三人は、町の中央広場にいた。

 最初に着いた駅から、一本、他より広い道を通った先にある、円形の広場。

 中央の噴水を囲う形で、同じく円形に、出店が並んでいる。

 日が傾くにつれ、数を増していく人の波。

 祭の賑わいは、どうやら、まだまだこれかららしい。

 ユキの手首にくくりつけた風船は、迷子防止の目印だ。

 転ぶんじゃないかという、危なげな足取りで駆けていくユキを追いかけながら、リードは、そっと辺りを観察していた。

「んだよ、くそぅ」

 リードの機嫌は、まだ、浮上してこないらしい。

 小さく愚痴をこぼすリードに気づき、レタールは、おかしそうに笑った。

「何?リード。お目当ての女の子が見つからない?」

 リードの不機嫌の原因を一つ、言い当ててやれば、珍しく素直にそれを認めた。

「あぁ。なんだよ!何で、みんなヤローがくっついてんだよ?!」

 祭の為に、普段よりがんばって着飾った女性たち―――――と、彼女たちの隣に、これまた、ふだんよりおしゃれに気を遣ったと思われる男たち。

「まぁ、祭り目指して相手を見つけるって、よくあることだから」

「レタール、お前、嬉しそうだな……」

「え~?そんな事ないよぉ」

 ニヤケた顔で否定されても、説得力はゼロ。

 レタールは、楽しげな笑みに、わざとらしい程の残念そうな表情を貼り付けた。

「レッドズパングルの時みたいに、ユキちゃんと邪魔に入れないから、物足りなくってさぁ」

「あぁ、そうか。そんなに楽しいか……」

 レッドスパングル――――リードの脳裏にもしっかり刻み込まれている。

 もう少しで落ちそうだった、あの瞬間、見事なタイミングで足に抱きついたユキと、ユキをよこしたレタールを。

「りーど、おいで……」

 リードの機嫌などまるで気にする様子もなく、ユキは、弾んだ背中を向けて、小さな手でリードのズボンの裾を引っ張っていく。


―まぁ、ユキがいたんじゃ、ハナからひっかけらんねェか……―


 最近、女性よりもユキ優先になりつつある自分に、リードは、訳のわからない危機感を覚えていた。

 これじゃ、本当に父親だ。

「りーど、これ。これやりたい!」

 連れて行かれた先は、一軒の露店だった。

 噴水へ向けて建てられた、オレンジのテントの下にあるのは、高さ二十センチほどの長方形の台と、その奥に並べられた、商品の数々。

 それは、一つずつ、紐がくくりつけられていた。

 無数の紐は、台の中ほどに開けられた、一つの穴に集められ、手前のもう一つの穴から扇状にこちらへ垂らされていた。

「ユキ……」

 目を輝かせて奥の品を見つめる、ユキの肩に手を置いて、リードは、しゃがみこんだ。

「これはくじ引きだぞ?お前のお目当ての、あのぞうのぬいぐるみが取れるとは限らないんだぞ?」

 ユキの瞳を釘付けにしているのは、ユキの体の半分ほどのサイズのぞうのぬいぐるみで、目玉商品の一つだった。

「ぞうさん!」

「やるのか……」

 子どもの少ないお小遣いでも、手軽に参加できるこのゲーム。

 ユキが、引き当てるものなんて、小さな掌サイズのおもちゃがせいぜいだろう。

 仕方なくリードは、ズボンの後ろポケットから財布を取り出し、コインを一枚、店主に支払った。

「ホレ、どれ引くんだ?」

「えっとねぇ、えっとねぇ……」

 大きなぞうさんが、手に入るか否かの、大切な選択の時間。

 ユキの大きな瞳が、いつになく真剣に、幾つもの紐を見つめていた。

 行ったり来たりする瞳が、ぴたりと止まる。

「ユキちゃん」

 エルノが、ユキの上から覗き込んでいた。

 不思議そうに、ユキが、空を見るように顔を上げた。

 エルノはニッコリ笑って、ユキの手を取ると、一本の紐の前へと導いた。

「ぞうさんは、これ」

 顔を戻したユキが、勢いよく、教えられた紐を引っ張れば、倒れてきたのは、確かに狙っていたぞうのぬいぐるみ。

 そこにいたもの全員が、目を丸くして、言葉もなく、ぞうのぬいぐるみを見つめていた。

「ぞうさん!」

 喜びをありったけ込めて叫んだユキの声で、店主も、リードとレタールも、我に返った。

「偶然か……?」

 眉を寄せ、お目当てのぞうのぬいぐるみを受け取るユキを見下ろしたまま、リードは、レタールに訪ねた。

 あごに手をあてて、考える仕草をしていたレタールも、両腕でぬいぐるみを抱っこするユキを見下ろしていた。

「すごい、確信持ってなかった?」

「だよなぁ?」

 当のエルノは、ユキの隣にしゃがみこんで、優しく頭を撫でている。

「りーど、ぞうさんだよ!ぞうさん!」

「あぁ、よかったな」

 少々興奮気味のユキが掲げて見せるぬいぐるみを、ポンポンと叩いて、リードは、ニコニコとしたまま立ち上がったエルノを見つめていた。

「エルぅ~」

 レタールが、不思議そうに声をかけた。

「どうして、さっき、ぞうのぬいぐるみがあの紐だって分かったの?」

「俺が、ここで何年暮らしてると思ってんの?ここのくじのパターンくらい、知ってるよ」

「勘じゃなかったんだぁ」

 感心したように返すと、エルノは、得意げに「まぁね」と笑った。

 それが、リードの目には、どこかおかしく映っていた。

 それこそ、勘でしかないのだが。

 この町に着いた時から感じる妙な空気は、どこにいても、絶えることなく流れている。



 ―――――どこにいても。



 お祭の露店を、存分に楽しんで、広場を後にした三人が向かったのは、駅前の商店街。

 太陽は、西の空をオレンジに染めていた。

「ヘェ……こんなキレイなお姉さんなのに?俺なら、絶対ムリだなぁ……」

 八百屋のお姉さんの片手を優しく取り、唇へと近づけながら、リードは、話の感想を述べた。

「まぁ、ありがとう」

「なんなら、今夜あたり、どう?もっと、詳しく話し聞かせてほしいし」

 チラリと目を合わせれば、相手もその気になりつつある様子。

 リードは、心の中で、拳を握り締めた。

「ぱぱぁ、ユキもおでかけぇ!」

 レタールに抱っこされたユキが、リードの袖を、グイッと引っ張った。

 瞬間、現実に引き戻され、リードは、握る手はそのままに、軽くうな垂れた。

「っていうのは冗談で……もう少し詳しく、話してもらえますか?お姉さん」

「トマトも買ってくれるなら、喜んで」

 ちゃっかり者の彼女の話は、こうだ。

 夫には、幼いころから仲の良い友人がいた。

 しかし、その友人は、数年前、病がもとで亡くなってしまった。

 何も手を貸してやることができなかったと、夫は、ひどく落ち込んでいたらしい。

 それが、あの桜の木の話を聞き、そこへ行くようになってから、前のように元気を取り戻し、今は、意欲的に働いてくれているという。

 ただ、仕事をこなしてから、森まで行って帰ってくるせいか、夜は早々に床についてしまうようだ。

 奥さんを相手にすることもなく。

「まぁ、私も、昼の仕事と家事とで疲れてるから、ありがたいって言えば、ありがたいんだけどねぇ」

 彼女の明るい笑い声で話は締めくくられたが、リードの瞳には、深刻な色が差していた。





 エルノとレタールの手の込んだ夕食を終えて、風呂にも入り、後は寝るだけ。

 エルノは、台所で、まだ、後片付けやら朝の準備やらを鼻歌交じりでやっているし、レタールは、リードとユキと入れかわりに、今、風呂に入っている。

 バスタオルを巻いたユキを、先に二階に上げて、リードは、トイレを済ませていた。

 トイレは、バスルーム同様、キッチンダイニングから扉一つで繋がっている。

「なぁ……」

 部屋に上がる前に、リードは、背を向けたままのエルノに声をかけた。

「あ、何か呑む?残念ながら、アルコールはないケド」

 返ってくるセリフは、レタールとよく似ている。

「いーや。一つ、確かめたいことがあって」

「なにぃ?」

「エルノ、あんた、あの例の森、桜の木へ行ったことあるだろ?」

 ふきんを洗う手が止まった。

 口元には笑みを浮かべ、悲しげな顔をして、エルノはリードを振り返り、シンクに体を預けた。

「何で分かるの?」

「魔導士の勘だ。あの、ぞうのぬいぐるみ、あんたがあれを分かったのと同じだよ」

「バレてたか……」

「この町に着いてから、ずっと、同じ空気を感じてたんだ。幸せなのに、どこか哀しい空気。あんたからも、この家からも感じる。一つ訊く。あの森、そんな効能まであるのか?」

 エルノは、静かに首を横に振った。

「あぁいうのが、何となく分かるようになったのは、どうやら、俺だけみたいだ」

 それから、小さく自嘲気味に笑った。

「人間弱いもんでさぁ、あんな謂れのある桜なんかが、すぐそばにあるとね……。勝てないよ、誘惑には……」

 昔を想う、エルノの表情。

 リードは、天井を見上げ、上にいるユキと、シロメの胸中を思っていた。

「いいのか?もし本当に妖魔の仕業だとして、退治したら、もう逢えなくなるんだぞ?」

 視線を戻せば、エルノは、元の通り、柔らかに笑っていた。

「いいんだよ。そのほうがいい。……あれは……良くないよ。見て来たからわかる」

「なら、いいんだけど」

「あ、でも、一つだけ」

 逢いたいと、強く願っているヒトに、逢うことのできる桜瀬の森。

 淡い色香でヒトを誘う、桜の木。



 ただ一つの約束を待つ、幼い妖魔には、甘すぎる香りだった。



 部屋の明かりを反射する窓から暗い外を見つめて、シロメは、昔を思い出していた。

 かつて、大好きなあの人と共に暮らしていた時のことを。

 今回のように、一度だけ、休暇を利用して二人で旅行したことを。

 風呂上りは、いつもバスタオル一枚でウロウロしていて、それを見つかるたびに怒られた。

 二人で旅行に出たあの時も、やはり、それは同じで。


『あ~!!も~!まぁた、いつまでもそんな恰好で!髪も拭いてないし!風邪引いたらどうすんの?!』


 窓の外をじっと見ていた自分に、リードは、自分の分のバスタオルをかぶせてくれて、とりあえずと、髪を拭いてくれた。

 シロメの瞳は、ずっと、窓の外の賑やかな明かりを映していた。


『何見てんの?さっきから』


 窓越しに見えるリードも、自分と同じ、外の明かりを見つめていた。

 それは、今回と同じ、創国祭の明かりで。


『あぁ、お祭かぁ……。創国祭だっけ。行ってみる?シロメ』

『いいの?!もう、お風呂入っちゃったよ?あとは、絵本読んで寝るだけなんでしょ?』

『いいの、いいの。今は、遊びに来てるんだから、特別、特別』

 自分よりもはしゃいでいたリードの姿も、くすぐったいくらいワクワクしたことも、鮮明に覚えている。

 思い出したら、胸が、心が苦しくて仕方ない。



 逢いたいと、強く想うヒトに、逢うことのできる桜の木。



 それが罠だということは、シロメにはよく分かっていた。

 妖魔の仕業だということも、すぐに気がついた。



 淡い色香で、ヒトを誘う桜の木。



「…………今日は……祭だから、特別……」

 少しだけ目を伏せて、シロメが呟いたのは、昔の言葉。

 ―――――が。

「な、わけねェだろ!」

 よく似た声が悪態をつくのと一緒に、頭に軽く鈍い痛みを感じた。

 頭を押さえて振り返れば、二代目が、カバンを整理しようとしているところだった。

 こちらも見ないで、言葉を続ける。

「バカなこと考えてないで、さっさとユキに戻ってパジャマ着ろよ。風邪引いても知らねェからな?」

 乱暴な言葉の片隅に、リードの姿が浮んだ。

 言葉なく、悔しげに、どこか哀しげに、シロメは少しだけ俯いて、風を起こした。


 バカなことだという事は、誰より、分かっているはずだった。


「ハッ……クチ!」

 小さなくしゃみが聞こえて、二代目は、安堵のため息をついた。

 ユキの状態であれば、勝手にあの森へは行かないだろう。

「ユキ、パジャマ。早く着ないと風邪引くぞ」

 駆け寄るユキにパジャマを手渡し、ベッドに腰掛けたまま、リードは、必死にボタンを止める幼い妖魔を見つめた。

 エルノの言葉を、思い出しながら。


 ―――――『勝てないよ、誘惑には』。



 ヒトを惹きつけてやまない―――――桜の木。


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