第7話 逢瀬の森

 エルノの勤める学校は、彼の家から徒歩五分の距離に、広い通りに向かって建っていた。

 今は、創国祭の休暇中。

 しかし、そこへ通う子どもたちの多くは、エルノやレタールも幼少を過ごした、キングダムという児童施設に入っており、遊びに出ていなければ、そこにいるはずだった。

 レタールは、ユキを連れ、キングダムに向かっていた。

 まだ、きっと遊びに出てはいないだろう。

 エルノの家から、学校の脇を通り、広い通りを横切ると、あとはまっすぐ。

 キングダムハ、森のすぐそばにあった。

「キャロル先生ー!」

 キングダムの広い庭の端の花壇で、水を撒いている女性に、レタールは、垣根越しに声をかけた。

 レタールに背を向けていた女性が、手を止めて振り返る。

 五十代くらいの、柔らかな、それでいて、しっかりした感じを受ける女性は、レタールを見つけると、笑顔で大きく手を振った。

 垣根の中央にある木の扉を押し開けて、庭に入り、ユキを抱っこすると、こちらへやってくるキャロルへ歩み寄る。

「まぁ、久しぶりねぇ。ずいぶん大きくなって」

 レタールの肩ほどの身の丈で、見上げる彼女は、本当に嬉しそうに笑っていた。

「先生は、相変わらずお元気そうで」

「この子は?レタールの子?結婚したの?」

 見上げられたユキは、小さく丸まって、レタールの胸にしがみついた。

「違いますよ」

 笑いを含んだ声で否定しながら、レタールは、思いっきり人見知りしているユキの背中を、優しく撫でてやった。

「ユキちゃんは、俺の友だちンとこの子なんです。今、一緒にエルノのとこに遊びに来てて。それで、久しぶりに先生に会いに来て見ようかなぁって。ユキちゃん、ほら、ごあいさつ」

 恐る恐る振り返るユキの頭に、キャロルは手を伸ばして、安心させるように微笑んだ。

「初めまして、ユキちゃん。キャロル=ルピナスよ」

「きゃ、おぅてんてい?」

「そう。よろしくね」

 ユキの緊張が解けたところで、レタールは、本題を切り出した。

「キャロル先生、子どもたち、まだいます?」

「えぇ。まだ、中にいるけど?」

「そこの森の桜の木の事で、子どもたちに話、聞きたいんですけど……いいですか?」

 少しばかり深刻な瞳を向けると、キャロルの顔は、なぜか、パッと輝いた。

「もしかして、レタール、ついに魔導士になったの?そうよねぇ。名門だもんねぇ」

 軽い誤解だ。

 レタールは、苦笑いを浮かべた。

「いや……魔導士は、俺じゃなくて、一緒に来てる友達のほうなんだけど。早急に調査したいって、俺が、こっち担当になっただけなんだ」

「あらぁ、そうなの?チーフでもあるおじい様に、しつこく言われて、ついに折れたのかと思ったわ」

「子どもたちの遊ぶ時間つぶしたくないんで、中、いいですか?」

 キャロルの残念そうな顔に、レタールは、もう一度、苦笑いを返した。

 二階建てのキングダムに入ると、子どもたちは、庭に面した食堂で、宿題を片付けていた。

 学校が創国祭で休みの分、宿題もきっちり出されているらしい。

 宿題を見ている先生のうち、入り口に一番近い場所にいた男性が、レタールを見つけて笑みを浮かべた。

 キャロルと同世代と思われる、がっしりした体格の、明るい雰囲気の先生だ。

「ラスティ先生、お久しぶりです」

 レタールが先に声をかけると、宿題をしていた子どもたちが、一斉に顔を上げた。

「レタール!久しぶりだなぁ。なんだ?結婚でもしたのか?」

 キャロルの時と同じ反応に、レタールは、おかしくて仕方なかった。

「違います。ユキちゃんは、友だちのとこの子。今、お仕事だから預かってるの」

「ホラ、あの桜の木のこと、子どもたちに訊きに来たんですって」

 キャロルが付け足せば。

「じゃあ、ついに魔導士になったのか?オーランドは名門だからなぁ」

 やはり、同じ言葉が返ってきた。

「ホントに、似た者夫婦なんだから……。魔導士はやってません。パペットランドやってるって、手紙に書いてるでしょ?」

 呆れたように答えると、やっぱり、キャロル夫人が、説明を付け足す。

「お友だちの手伝いなんですって」

「なぁんだ。ラーゲルさんに、しつこく言われて、ついに心を決めたのかと思ったのに」 

 残念そうに述べるラスティ氏に、レタールは、返す言葉もない。

 さっさと本題に入ってしまおうと、彼らの後ろで、興味深げに自分を見つめる子どもたちへ視線を移して、レタールは口を開いた。

「宿題の途中で悪いんだけど、あの桜の木のこと、教えてもらえるかな?」

 コの字に並んだ長テーブルの真ん中に、イスを一つ持っていき、ユキを膝に抱えて、レタールは、子どもたちの言葉を待った。

 宿題の手を止めて、子どもたちは、互いに目配せをしあったまま、なかなか口を開こうとはしない。

「ねぇ……」

 ようやく言葉を発したのは、一番年上と思われる男の子だった。

「あの桜の木、なくなっちゃうの?」

 答えを待つ子どもたちの、真剣な眼差し。

 なくさないで、と言っているのは、声にしなくても伝わってくる。

「さぁ?どうだろうねぇ?俺には、決定権ないからなぁ」

「なくなるなら言わない!」

 少年の強い口調に、レタールは、いつものように柔らかく微笑んだ。

「言っても言わなくても、なくなる時はなくなるよ?俺に決定権はないから、友人の魔導士が、なくすと言ってしまえば、それまでだから。けど、俺は、彼に対して影響力はある。だから、話を聞かせてもらって、君たちの気持ちを、彼に伝えることはできるよ?」

 子どもたちの顔つきが、変わり始めた。

「俺の友人だって、そこがどんなところで、どんなことが起こるのか分からないと、そのまま残すのか、なくしてしまうのか、決められないでしょ?少なくとも今は、なくす気、満々だから」

 途端に、子どもたちから、一斉に不安と不満の声があがった。

『えー!!』

 予想以上の反応に、若干、顔を引きつらせ、レタールは、言葉を続けた。

「そんなに……いい所なの?」

 子どもたちは、堰を切ったように、興奮した様子で話し始めた。

「あそこに行くと、うれしいきもちになるんだ」

「しあわせなのぉ」

「そのあとは、他のやつにも優しくできるし」

「すっげーんだぞ!あれ!」

「ホントに、会えちゃうもん!」

「本物みたいなんだよぉ」

「いーっぱい甘えられるから、うれしいんだ」

「いればいるだけ、そばにいてくれるし」

「そうそう。時間制限なし!」

「おしゃべりもできるよ」

「頭撫でてもらった!」

「おれ、ひざまくら!」

「私、おんぶしてもらったよ!」

「俺も、おんぶ!」

「手ぇつないで散歩した!」

「ぼくねぇ、ひざにすわって、絵本よんでもらった」

 始まれば、終ることを知らない子どもたちの報告会の中に、引っかかる言葉。

 賑やかに話し続ける合間を縫って、レタールは、口をはさむ。

「何?あれ、触れるの?」

 思い出の中の映像が、幻の形で出てくるのだろうと考えていたレタールには、正直、驚愕の事実。

 子どもたちが、必死になって保護しようとするのも無理はない。

「触れた感じも、覚えてるままなんだ」

「同じ記憶もちゃんとあるし、話も、昔みたいにできるよ」

 楽しそうだ。

 これでは、ますますリードは、退治しにくいだろう。

「って言ってるけど……キャロル先生、ラスティ先生?」

「夜更かしはしなくなったなぁ」

 考える仕草のあとで、ラスティが、独りごとのように答えると、キャロルも「えぇ」と、同意してから答えた。

「イタズラも少なくなったしねぇ。よく食べるようになったし。難点って言えば、あれかしら?ほら、エルノの勤めてる学校……よくサボるのよ……」

 困ったように、頬に手を当てて、キャロルはため息をついた。

「あぁ、それ、エルからも聞いてるよ。学校サボるんじゃ、やっぱり、賛成できないな」

「行く!」

「行く!」」

即答した幾人かの年上組と、それに重なるように、子どもたちが、次々と答え始めた。

「勉強、ちゃんとやるから!」

「サボったりしない!」

「嫌いな授業だからって、抜けたりしないから!」

 相当、あの桜の木は、頼りにされているようだった。

 まるで、本物のような錯覚を起こす桜の木は、子どもたちの心に、深く深く染み込んでいるらしい。

 今、ここにリードがいたら、この子たちに何と言うだろう。

「だめだよ」

 この子たちの気持ちは、痛いほど分かるし、正直、話を聞いて心が揺れる。

「君たちの見てるのは、ホンモノじゃない。桜の木の作り出した幻に、いつまでも縋ってちゃ、前に進めないでしょ?」

 説得力のない言葉だと、レタールは、子どもたちの表情を見つめながら、ボンヤリと考えていた。



 美しい幻が心を喰らう―――――桜の木。





 昼前にキングダムを出たレタールは、ユキを連れて、約束していた噴水の広場で、エルノと合流した。

 リードは、一人で、まだ調査を続けているらしい。

 三人で祭を楽しんで、夕食の買い物をして帰ってみると、先に戻っていたリードがリビングのソファでぐったりと仰向けに寝転んでいた。

「りーど、おかえりぃ~」

 一日リードと離れていたユキが、ことさら嬉しそうに、弾むように彼の寝転ぶソファへ駆け寄っていく。

「おかえりじゃなくて、ただいまだろ、ユキ……」

 つっこむ声にも、元気がない。

 コーヒーを入れに行ったエルノを見送ってから、レタールも、あいている一人がけのソファへ腰を下ろした。

 リードに抱きつくユキを微笑ましく思いながら、今日の成果を尋ねる。

「お疲れさま。そっちは、どうだった?」

「あぁ、いろいろ分かった……」

 体をゆっくりと起こしながら、リードは、あの森での現象についての見解を説明し始めた。

「桜の木付近で現われる、その幻は、ずいぶん良くできた人形みたいだな」

「触ることもできるし、話もできるっていう?」

「あぁ。そんで、あの木へ逢いに行った人間は、総じて、疲労感を伴って返ってくる。精巧な幻を見たことへの代償だろうな」

「……リード、それって」

「妖魔だ」

 ため息と共に吐き出された、断定の言葉。

 彼の声に、迷いはなかった。

「じゃあ、やっぱり……退治?」

「当たり前だろ?どう考えても、ヒトの幸せのためのボランティア、じゃないからな」

 ソファの背にだらりと寄りかかって、リードは、まだ、ボーっと何を見るでもなく、視線を床へと落としていた。

「……けど、子どもたちは、かなり必要としてるみたいだったよ?あの桜」

「悪いが、俺が依頼を受けたのは、エルノであって、キングダムのガキどもじゃないんだ」

 窓は閉められているのに、リビングを、一陣の風が吹き渡った。

 ソファの背に体を預けたままで、リードが、顔を上げる。

 窓を背にして立っているのは、さっきまで、大人しく絵本を見ていたユキではなく、銀の髪が夕日で輝く、妖魔・シロメ。

「退治するのか?」

 少しだけ高い、聞き心地のよい声が、まっすぐリードに問うていた。

「そういう依頼だからな」

「何でだよ!町の人たちは、あれがあるから幸せなんだろ?!」

「あれがあるから、幸せなんじゃねェ。思い出す過去が、幸せなんだ」

 声を荒げるシロメに対し、リードは、あくまで冷静に返した。

「あの森にいるのが、妖魔だからか?だから、退治すんのか?!」

「あぁ、そうだ」

 鬱陶しいとばかりに、リードの声にも苛立ちが篭る。

「妖魔だから、退治するんだ!ヒトの思い出をエサにして、力を喰ってる妖魔だから、退治しに行くんだよ!分かったか、クソガキ!」

「お前にだって、今はいない、逢いたいヒトくらいいるだろ?!」

 シロメの言葉を、リードは、鼻で笑い飛ばした。

「生憎、俺が今逢いたいのは、若くてきれいで、フリーのお嬢さんだ!」

「このっ、煩悩エロ魔導士!」

「お前だって気づいてんだろうが。あの森の桜が、危険だって事くらい」

「けど……!この町の人たちは、必要としてるだろ?!」

「必要だからってな!ヒトの命危険に晒していいわけねェだろ!」

「なくしたら、逢えなくなるじゃないか!」

 シロメの必死な姿が、レタールの目には、キングダムの子どもたちの姿と、ダブって見えていた。

 リードが、ダメだという気持ちも分かる。

 しかし、レタールは、シロメの反対しようとする気持ちも、十分理解できた。

「ニセモノだって、幻だって、逢いたいもんは逢いたいんだ!」

「駄々こねてんじゃねェ!だめだっつったらダメだ!」

 怒りと悔しさが、のど元までこみ上げたまま、シロメは、奥歯をギリッと強く噛みしめて、ソファに座ったままの二代目を睨みつけていた。

「なんだよ。降参か?」

 声に苛立ちろ含ませて、リードが、反論を促す。

 何か言いたそうに、怒りの視線を向けていたシロメが、何も言わずに身を翻した。

 荒々しい足取りで、部屋を出て行くシロメに目もくれず、リードは、ソファに身を沈めたまま、やれやれと息をついた。

 入れかわるように届いたのは、コーヒーの香り。

 エルノが、トレーに三人分のコーヒーと、ココアを一つ乗せて、リビングに戻ってきた。

 二階の扉が開く音と、乱暴に閉められる音が聞こえたのは、そのすぐ後。

 シロメは上にいるらしい。

「ちゃんと、理由話してあげればいいのに……」

 エルノの運んできたコーヒーに手を伸ばして、レタールは、半分呆れたようにリードを見やる。

「何言ったって、今は納得しないだろ。もう、逢いたくて仕方なくなってるみたいだからなぁ」

「逢えば、それだけ、今はいないということを実感する。精巧であればあるだけ」

 リードの言葉を繋いだのは、レタールの隣に腰かけるエルノだった。

「そして、いつまでも、いなくなった哀しみから立ち直ることができない。それでも、そこにいるから……。そんな生き方淋しいよ。何の為に、周りの人間はいるの?」

「あれは、ごまかすためのもんで、立ち直るためのもんじゃねェ」

 リードの眉間には、深い皺が寄っていた。

「つーか、なんだよ、あの森ぃ。周り見て歩くだけで、軽く三日はかかるぞ?よく、あんな鬱蒼としたとこ、入って行こうと思うよな……」

 午後、一人で様子を見てきた例の森を思い出して、リードは、ウンザリとした声を上げた。

 退治すると宣言していながら、面倒くささ全開だ。

「そんなに成長してたの?」

 驚いた様子で尋ねるレタールに、リードは、コーヒーへ手を伸ばしながら答えた。

「あぁ。まるで、入ってくんなって言われてるみたいだったぞ?」

 警告を発しているかのような、森の入り口。

 獲物を釣るのに、何故、わざわざ入りにくくする必要があるのだろう。

「魔導士立ち入り禁止だったんじゃない?」

 何とも楽しげに言ってくれる。

 リードは、レタールヘ、つっこむかわりに鋭い視線を投げた。

「……けど」

 レタールの横で、エルノがため息をついて天井を見上げた。

「大丈夫かなぁ、あの子……」

 シロメが上がっていった二階からは、物音がしてこない。

「さぁな。そろそろ、ユキに戻って降りてくんじゃねェの?」

 本当は心配しているのに、涼しい顔をして、リードはコーヒーを啜っている。

 エルノは誤魔化せても、レタールは、誤魔化されない。

「えー?じゃあ、シロメのまま戻ってない、にワイン一本」

「あぁ、望むところだ」

 楽しんでいるようにしか見えないレタールと、まんまと乗せられている、不機嫌オーラを放つリードの間で、エルノは、困ったように笑って二人を見つめていた。

 どちらか片方が上の様子を見てきたのでは、支障がある。

 エルノだけに見に行かせるのも、何かあったときに困る。

 扉の向こうにいるのは、気が立っているシロメかもしれない。

 二階の奥の客室の前で、三人は足を止めた。

 耳をすませて、中を窺う。

「ずいぶん、静かだね……」

 エルノが小声で言った。

「ユキちゃんの可能性は、低くなったねぇ、リード」

 レタールが、ニヤリと笑った。

「うるせェ。まだ分かんねェだろ。行くぞ」

 リードが、ゆっくりと音を立てないように、慎重に扉を押し開けた。

 夕日が斜めに差し込む部屋の中、聞こえてくるのは、微かな寝息。

 窓側のベッドにうつ伏せに横たわり、頭の下の枕を抱えるように眠るのは、少年・シロメ。

「俺の勝ち」

 得意げに笑うレタールに、小さく舌打ちをしてから、リードは、二人を入り口に残したまま、シロメの眠るベッドへと歩み寄った。

「不貞寝かよ……」

 ボヤいて見下ろす、シロメの寝顔。

 目の周りと、頬のあたりに、涙の痕が残っていた。


 胸が痛い。


「中途半端なニセモノに、逢わせるわけにはいかねェからな」

 それが、どんなに強い願いでも、こんな形で叶えさせてやるわけにはいかない。

 確かな決意を抱きつつ。

「起きろ、コラ!」

 リードは、枕を引っ剥がした。

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