第9話 逢瀬の森3

 眩しい光に目を閉じて、もう一度開けると、そこは、町にほど近い、森への入り口。

 後ろに両手をついて座った体勢のまま、ボンヤリと森を見上げる。

「おかえり、ユキちゃん」

 上から聞こえた、妙に明るい声に、シロメは、不快そうに口を尖らせた。

「俺は、シロメだ」

「その髪」

 同じ調子で指摘するレタールに、シロメは、言葉につまり、俯いた。

 夜の闇の中でも輝く銀の髪は、まだ、黒いままだ。

 あの人に合わせるように、変化させた髪の色。

「……………悪いかよ……」

「似合ってんじゃない?っていうか、俺たちは、そっちのが見慣れてるし」

 似合う、似合わないを聞いたんじゃない。

 勝手に森へ逢いに来たこと言ったのに、レタールは、それに触れるつもりはないらしい。

 シロメは、二代目を見たときから湧き上がっている罪悪感に、途惑っていた。

 二代目もレタールも、逢瀬の森に、罠だと分かって入っていった自分を責めはしない。

 ここへ来ることは、あんなに反対してたのに。

「あいつ……」

 シロメは、二代目がまだ中にいる森を見上げた。

「ん?」

「殴ってたぞ……?」

 胡座をかいて、じっと見つめる。

「魔導士なのに……拳で思いっきり、殴り倒してた……」

 困惑したシロメの姿を見下ろして、レタールは、軽く笑みをこぼした。

「かなりキてたからねぇ、リード。そっか、殴ったか…」

「召喚術でも使えば、簡単なのに……」

「そういう問題じゃないんだよ、今回は」

「妖魔は、妖魔だ……」

「けど……君の気持ちを利用してる」

 レタールの声が、突然、真剣な色へと変わった。

 怒りを滲ませた彼の声音に、シロメは、何も返せなかった。

「それが、許せないんだよ」

「正義とかいうやつか?」

 レタールは、軽く笑った。

「いや。リードが、そういうものに振り回されて戦うと思う?」

「思わない」

 きっぱりと即答したシロメに、レタールは、今度は、声を立てて笑った。

「でしょ?リードはねぇ、今まで、町のためにとか誰かのためにとか、そういう理由で魔導士やってたわけじゃないんだ。ましてや、平和のためでも、正義のためでもない。ただ、偉大なる曾祖父・リード=シークに恥じないよう、その名に、相応しくあるように、誰にも、彼こそリード=シークだと認めてもらえるように、そのために戦ってたんだ。自分の為に。……それが今は、シロメ、君のために戦ってる。分かる?これは、キミのためなんだよ」

 森で見た、二代目の怒りの理由。

 シロメには、わけがわからなかった。

 自分が、どうあの妖魔に利用されていようと、たとえ、リードとの思い出や約束を、妖魔の利益のために使われようと、自分の問題だと。

「なんで……?」

 彼が、あそこまで怒る必要があるのだろう。

「シロメが、リード=シークを大好きだから、じゃない?」

 だから、シロメはこの森に入り、彼を探した。

 罠だと知っていても。

「あいつと、何の関係がある?」

 現われた妖魔に、記憶を弄ばれたと知った。

 きっと、それも、入る前から分かっていたのかもしれない。

 それだって、自分の問題で、自分が妖魔を叩きのめせばいいことだ。

「何って……」

 レタールは、何を今更、とでも言いたげに笑った。

「家族でしょ」

 彼の口から出たその単語に、シロメは、僅かに目を見開いて、森を見つめた。

 森の中で、妖魔を殴り倒している魔導士を。

 やがて、森からもレタールからも目を逸らしたシロメは、照れくさいのを隠すように毒ついた。

「リードくさいこと、してんじゃねぇよ……エロ魔導士……」





 空が、ゆっくりと白み始め、森の中もだいぶ明るい。

「何だよ、あのスタミナ。反則だろ……」

 後ろには、桜の木。

 数メートル先の妖魔に、鋭い視線を向けたまま、リードは、切れた口の端をグイッと拭った。

 息は荒いまま、なかなか平常時のように戻らない。

 妖魔の方は、同じく息を乱しているものの、リードほど、体力消耗はしてないらしい。

「どうした、降参か?」

 妖魔が、ニヤリと笑った。

 夕方、リードがシロメに言ったセリフだ。

「くっそ、ムカツク!」

 妖魔の足が、軽く地を蹴った。

 間合いが、一気に縮まる。

 気がつけば、リードは、後ろの桜の木に押し付けられていた。

 苦しげなリードの顔を見て、妖魔の笑みは、更に深くなった。

「せっかくだから、聞いといてやろう。もう一つ、言いたかった事ってってなんだ?」

「あぁ……」

 苦しげな表情に、リードは、強気な笑みを重ねた。

 力なく下げていた右手で、小さく魔方陣を描く。

 召喚したのは、小さな風の精霊。

 右手に纏わせて、肩ごと振りかぶり、自分を桜の木に縫い付ける妖魔の腹へ、思いっきりぶつけた。

 リードの体を押さえつけていた手から、力が抜けた。

 後ろへと吹き飛ばされた妖魔に近づきながら、リードは、言葉を続けた。

「お前のおかげで、こっちは、貯めに貯めた有給のほとんどを消化されたんだぞ。ナンパはできねェし、ユキのテンションは高いし、シロメは好き勝手やってくれるし。しかも、有休なのに、何が楽しくて仕事しなきゃなんないんだ!」

 リードは、握り締めた拳を顔の高さに掲げ、怒りのオーラを体中から放出させて、妖魔を見下ろした。

「リード=シークをなめるなよ……」

 握り締めていた拳を開き、杖を出す。

「さぁて……夜が開ける前に、カタつけるとしようか」

 リードが見つめる先で、妖魔が、ゆっくりと立ち上がった。

 杖を手にしたリードを睨みつけ、身構える。

 辺りの空気は、ピンと張り詰めていた。

 リードが、杖の先で魔方陣を描く。

「精霊召喚!」

 宙に描かれた魔方陣が、青く輝きを放つ。

「ゲイル!捕えよ!」

 現われた風の精霊が、抵抗する隙を与える間もなく、赤茶の髪の妖魔を縛り上げた。

「ここで吸い上げた力のおかげで、体力は十分らしいが、スピードはいまいちだな。ホラ、どうした?降参か?」

 先ほどのセリフを、そのまま返してやれば、妖魔は、悔しげにリードを睨みつけた。

「本当なら、ここで叩きのめしてやりたいところなんだけど。そう簡単に死なせねェからな」

 風の精霊に縛られた状態のまま、リードは、妖魔の二の腕に手をかけた。

 この妖魔は、シロメの想いを利用した。

 相手が妖魔とわかっていたからなのか、面白がってからかって遊んでいた。

 とてもじゃないが、許す気にはなれない。

 文字通り、殴り倒してやりたいところだ。



 しかし――――――。



 気になることがある。

 この森への入り口が、いやに鬱蒼と生い茂っていたこと。

 そして、あの桜のまやかしを体験した者の中で、唯一、エルノだけが、疲労感を伴わず、勘が鋭くなるという効果を得たこと。

 エルノは、その理由に気づいている。



『その子、捕まえたら、ここへ連れて来てくれないかな……』


 

 相手は、妖魔だと言うのに、彼の瞳に恐れは少しも見られなかった。

 彼が、妖魔を恐れない理由にも、妖魔の不可解な行動の理由にも、興味がある。

 まるで、大じい様とシロメの関係を見ているようで。

 森の外の光の中に、町の景色が見えてきた。

 ベールのような霧が、辺りに広がっている。  

 そして、そこに人影が二つ。

 鬱蒼と茂る緑を抜けると、空は、真っ白な雲をいっぱいに広げていた。

 草の野原で、レタールが、リードに手を振っている。

 隣で、少し不機嫌そうなシロメが、リードを睨みつけていた。

 二人の元まで行くと、リードは、無言のまま、捕まえた妖魔を突き出した。

「この子が、桜の木の正体?」

 風の精霊に捕まったままの妖魔を覗き込んで、レタールは、興味深げに観察を始めた。

 リードやレタールの方ほどの背は、ちょうど、シロメと同じくらい。

 捕まえられているとはいえ、相手が妖魔であることを忘れているのではないかと、リードは、呆れた様子でレタールを見やった。

 やがて、体を起こしたレタールは、穏かな笑みを妖魔へと向けていた。

「生意気そうで、かわいいねぇ」

 語尾に、ハートマークでも付きそうなレタールの口調に、リードは、盛大なため息をついた。

「形容の仕方、間違ってないか?」

「そう?見てよ、ホラ。大っきい目は、こっち睨んでるけど、赤茶の耳がふせてる。怖いお兄さんに苛められて、怯えてるんだよぉ」

「その、怖いお兄さんって、俺のことか?もしかして」

 怒りに顔を引きつらせて、レタールを見やれば、肯定する代わりに楽しそうに笑われた。

「てっきり、怒りに任せてボコボコにして連れて来るんだと思ってた。案外、外傷少ないんだねぇ?」

 悪気のない言葉が、リードの胸に深々と突き刺さる。

「あぁ、そんな悪趣味じゃねェよ、俺は」

 ボコボコにしなかったのではなく、できなかったとは、口が裂けてもいいたくない。

「オイ、妖魔」

 リードの声に、二人の妖魔が同時に振り返った。

「シロメじゃねェよ、耳の方だ」

「何だ?」

 妖魔は、敵対心丸出しで、威嚇するように睨んでくる。

 少し躊躇った後で、リードは、言葉を繋いだ。

「お前の能力に、散々、文句つけた後で悪いんだけど……」

 言い辛そうに言葉を切ると、リードは、シロメをまっすぐに見つめ、先を続けた。

「あいつに……シロメに、見せてやってくれないか?一度逢えば、あれがどんなもんか、身をもって分かるはずだからさ。さっきはムカついてて、俺が邪魔したから……」

 罠だと分かっていても、逢いたいと思っていて。

 ニセモノでも幻でも、一目、彼の姿を見たいと願っていて。

 彼に再会する、その為だけに、この九十年を生きてきた。

「逢わせてやってくれないか」

 リードの真剣な声音に、妖魔は、顔だけシロメに向けた。

 不機嫌な顔のまま、見下すように、少しだけ目を細める。

「何だ……。さっき、人間に逢いたくて、ベソかいてた妖魔か」

 今、シロメを挑発するには、十分すぎる文句。

 案の定、シロメは、頭に血を上らせている。

「エセ魔導士ごときに捕まるような雑魚が、偉そうな口、叩いてんじゃねぇ!」

「ハッ!今更、強がっても遅せぇよ。泣き虫妖魔」

「息の根止めてやるっ!!」

 リードが、二人の頭を掴んで引き離したのは、そのすぐ後だった。

「煽るな!」

 赤茶の妖魔を怒鳴りつけ。

「お前も、簡単に挑発されてんじゃねェよ」

 シロメを叱り付ける。

 悔しげに妖魔を睨みつけた後、シロメはフイッとそっぽを向いた。

 機嫌を損ね眉を釣り上げるシロメに呆れたように息をついて、リードは、赤茶毛の妖魔に向き直る。

「ひねくれてるけど、お前のこともわかってて森に入ったんだ。一度でいい。こいつにも、逢わせてやれないか?」

 妖魔は、シロメをしばらく黙って見つめた後で、仕方ないという顔をして口を開いた。

「わかっ……――――」

「いいっ!」

 語尾を消すように、シロメが声を上げた。

 リードもレタールも、妖魔も、一様に、驚いたような表情でシロメを見た。

 リードが、いい加減にしろと言いたそうに、腰に手を当ててシロメに向き直った。

「何、こんな時に意地張ってんだよ?生意気にも程があるぞ?」

 声音から、苛立ちが窺えた。

「意地なんか張ってねぇよ……」

 そっぽを向いたままのシロメは、拗ねたように答えた。

 リードには、訳のわからない、シロメの心境の変化。

「あ、もしかして、俺たちの前じゃ、恥ずかしいのか?でも、泣き顔なんて、今更だぞ?」

「ちげーよ!」

 そっぽを向いていたシロメは、今度は、足元を見つめていた。

「じゃ、何だよ。今だけの特別なんだぞ?あとで、逢いたいってごねても聞かねェからな?」

 あれだけ逢いたがっていたシロメが、今は「いい」と言う。

 理由に気づいてないのは、この場で、リードただ一人。

 俯いたままのシロメの頬が、桜の薄紅に染まる。

「いいよ……」

 嬉しそうに微笑むレタールと、表情なく見つめる妖魔――――二人の視線は、リードとシロメまで、届いてないらしかった。

「だから、何で?」

「だから……その…………お前が……いる、から……」

 小さく弱々しい声は、しっかりリードの耳まで届いていた。

「えっと……」

 照れたように俯いたままのシロメに釣られる様に、リードの頬も、桜色に染まった。

 何と返していいのか分からないまま、リードが黙っていると、シロメが更に続けた。

「ユキには、だぞ?!」

 妙な沈黙に耐えられなかったのか、顔を上げたシロメは、照れを隠すように声を上げた。

「それにっ!遠めに見たら、リードに、見えないこともないからなっ。中途半端に上手くできた作り物見せられるより、お前くらい似てない方がマシだ」

 照れ隠しの悪態は、しっかり、リードの癇に障っていた。

「俺は、出来損ないか?」

 怒りを押さえるだけ押さえて、つっこんでから、リードは、まだ体に残るくすぐったさを誤魔化すように、赤茶の妖魔の腕を掴み、一人先に歩き出した。

「帰るぞ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る