第10話 キミのため
早朝の町の通りは人も少なく、髪と同色とはいえ、三角の耳の突き出た妖魔を連れ歩くにはちょうどよかった。
「ただいまぁ」
玄関を開けて、レタールが、中へ声をかけると、すぐにエルノがリビングから顔を出した。ホッとしたような笑顔を浮かべて、三人+一人を迎え入れる。
「おかえり」
「約束通り、連れて来てやったぞ」
エルノの前に、今だ、縛られたままの妖魔を突き出す。
「へぇ~」
リードの視線の先で、エルノの顔が、興味津々に輝き始めた。
彼の次の言葉が、予想できる。
「これが、あの桜の正体?案外、かわいいんだねぇ」
妖魔相手に、嬉しそうに頭を撫でるエルノには、リードも呆れを通り越して尊敬すら感じる。
「リビングで待ってて。俺、コーヒーでも入れてくるから」
いやに嬉しそうな背中を見送って、言われた通り三人+一人は、リビングへ入った。
「おい、シロメ」
三人がけのソファの真ん中に捕まえた妖魔を座らせて、リードは、その隣に陣取った。
ソファの後ろで、壁いっぱいに並ぶ本棚を見つめていたシロメは、動きは止めるが、振り返りはしない。
「お前、いい加減ユキに戻ってろよ」
「断わる」
即答してきたシロメに、リードが、拳を握り締めて振り返ったところで、コーヒーのいい香りが、部屋を満たした。
「二人にもコーヒー入れてきちゃったけど、よかったかな?もし飲めないようなら、ココアか紅茶入れてくるけど」
エルノが、四人それぞれにコーヒーを差し出す。
「ハイ、シロメちゃん」
一人だけソファの背に軽く凭れかかる様に腰を下ろすシロメへ、エルノは、笑顔と一緒にコーヒーを手渡した。
「……ども」
照れた顔をして受け取ったコーヒーは、独特の芳ばしい香りが鼻腔をくすぐる、ブラック。シロメには、まだ、経験したことのない味だ。
カップの中の琥珀を、どうしたものかと見つめていると、リードが、もう一度、声をかけてきた。
「こっちで、座って飲めよ?シロメ」
振り返れば、目に入ったのは、テーブルの真ん中に置かれた、シュガーポットとミルクピッチャー。
こちらに後ろ頭を向ける、この男の言いなりと言うのが気に食わないが、仕方ない。
シロメは、カップ片手に、妖魔の隣に腰を下ろした。
「リード」
すでに一口飲んだらしいレタールは、リードが捕まえた妖魔を見つめていた。
「それ、そろそろ解いてやったら?コーヒー飲めないでしょ」
リードが、妖魔に目をやると、まだ警戒しているらしく、鋭く彼を睨んできた。
このままにしておこうかという考えが、頭を過ぎるが、そうすると、正面に座る二人から非難されそうだ。
「逃げんなよ?」
忠告するリードの言葉に、返事をしたのは、当の妖魔ではなく、この家の主・エルノだった。
「逃げないよ。ねぇ?」
妖魔に同意を求めるように、優しく微笑むと、少しの間のあと、縛られたままの彼は、小さく一度頷いた。
「わかったよ。……解除だ」
リードの言葉に反応して、風の精霊は、妖魔の体を離れた。自然へと還っていく風の精霊に、リードが言葉をかける。
シロメは、僅かに目を見開いて、リードを見つめていた。
当たり前のような軽い口調で―――――「ありがとう」と。
疲れたように息を吐いた彼は、シュガーポットから、砂糖の小さな欠片を一つカップに落し、ミルクピッチャーへと手を伸ばし、少しだけ注ぎ入れた。
普段、ブラックのみの彼のこの行動の理由へ、すぐに辿り着き、シロメは、散々、彼をなじり続けた自分の言葉に、少しだけ、後悔をしていた。
砂糖とミルクに手を伸ばせないでいたシロメが、それを、取りやすいように。
それから、捕えた妖魔に、これらをどうするのか、教えるために。
自分たちは、きっと、意地を張ってしまうから。
シロメは、シュガーポットから、一番大きそうな砂糖を二つ、カップに落し、入れられるだけミルクを注いだ。コーヒーが零れないように、慎重にかき回しながら、シロメは、ちらりと、カップを口へと運ぶリードを見やった。
口にしたコーヒーが甘いのか、リードは、少しばかり顔をしかめている。
「……おいしい」
礼の代わりに、小さく呟くと、リードは何事かと訝しげにシロメを見つめた後で、不思議そうに口を開いた。
「お前さぁ、牛乳、嫌いなのに、何でコーヒーのミルクはたっぷり入れんの?」
「牛乳とは、味も匂いも違うだろうが、バカ魔導士」
「いちいち、形容詞つけんな」
一言多いシロメに文句をつけてから、リードは本題に入ろうとエルノに視線を向けた。
「で?エルノ。この妖魔に会って、どうしようっていうんだ?」
「うん……」
エルノは、手にしていたカップをソーサーへ戻し、同じ赤茶の髪をした妖魔を見つめた。
「この子……退治しないで、俺に預けてくれないかな」
聞いていた四人が、一様に目を丸くしてエルノを見やる。
「ダメだ」
少しの間のあと、厳しい口調でリードが答えた。
エルノが、困ったように笑う。
「やっぱり、反対されたか……」
「当たり前だろ?こいつは妖魔で、人に気持ちよく受け入れられるような存在じゃない」
九十年前と、変わらない現実。
だからこそ、シロメと初代リード=シークは、別れなければならなかった。
「それに……」
穏かな笑みを浮べ、レタールが、リードを見やる。
「人間を襲って、暴走するかもしれないし?」
「理由はもう一つ。自分で捕まえにいけないような奴と、どうやって一緒に暮らす気だ?」
レタールの言葉にもリードの言葉にも動揺することもなく、エルノは、柔らかに微笑んでいた。
それを聞かれることは、分かっていたように。
おそらく、今日に至るまでに、繰り返し悩んできたのだろう。
「確かに、俺は魔導士じゃないし、その知識もないからね。暴走したら、止められないだろうし、あの森から連れ帰ることすらできなかった」
エルノは、妖魔をじっと見つめた。
妖魔の方も、同じ色の髪をした人間を、不思議そうに見つめていた。
「幸せだった思い出に縋ってしまう。心の底に沈めた、小さな小さな想いに、簡単に引きずられてしまう。俺は、弱い人間だ。けど、この子が、人を襲ったりしないことは分かる。俺たちに、わざわざ、入ってくるなって警告する、優しい子だってことも。決心が付かなかったことは、認めるよ。でも、この子が、いなくなるのは嫌なんだ。一人で、淋しいって、ずっとあそこにいたこの子が、そのままで……」
桜の木で、人を呼び。
鬱蒼とした緑で、人を拒む。
誰かに傍にいてほしい。
しかし、自分の本能の餌食には、なってもらいたくはない。
「許してやれよ、エロ魔導士」
シロメが、エルノの援護に回った。
自分に対する呼称が、少々、癇に障るが、今はとりあえず話をすすめたい。
「俺を納得させるだけの、言い分があるってのか?」
「そいつの好物は、俺と違って人間じゃない。確かに、こいつは人の精気を吸い取って、寿命を縮める。でも、時々、少しだけ、昔の思い出の代わりに力を喰ってりゃ、暴走なんてしねェよ。そもそも、暴走するタイプじゃねぇけどな。あの現象が、桜の木だけのせいじゃない事くらい、この町の連中だって気づいてるだろう」
「なるほど?あんたは?どうなんだ」
リードが、再び、エルノと視線を合わせる。
「こいつのこと、ちゃんと守ってやれんのか?最初に言ったけど、妖魔が人に受け入れられるなんて稀なんだからな。責任、持てるのか?」
エルノは、自信に満ちた顔で笑った。
「もちろん」
「分かった。この町では、妖魔なんかには会わなかったことにしといてやるよ」
自分の隣に大人しく座るこの妖魔に、どうするのか聞いたところで、シロメと同じに素直には答えないだろう。
やれやれとコーヒーを口にするリードに、エルノが、ことさら嬉しそうな笑みを向けた。
「ありがとう、リード」
「どういたしまして」
形式だけの言葉を返して、リードは、甘いコーヒーをソーサーに戻した。
「ねぇ?エル。俺の人選、間違ってなかったでしょ?」
「うん。ありがとう、レタール」
エルノが、妖魔に向き直る。
嬉しそうに笑ったままで。
少し、途惑っている妖魔の少年を。
「名前は?」
「え?」
「なんて、呼べばいい?あ、俺は、エルノ=コットン。エルノでもエルでもいいから」
「…………カメオ……」
気恥ずかしさと途惑いとで、カメオという名の妖魔は、少しだけ俯いた。
「カメオか。これからよろしくね」
「よろしく……」
俯いたままのカメオに構わず、エルノは、言葉を続けた。
「二階の、階段上がって右に使ってない部屋があるから、そこを一人で使う?それとも、今、客室にしてる奥の広い部屋、二人で使おうか?」
「広い部屋がいい!」
顔を上げて即答したカメオの姿に、エルノは、また、嬉しそうに笑った。
「よし、じゃあ、後で買い物に行こう。カメオの物、そろえなきゃね」
「うん……!」
カメオの顔にも、嬉しそうな笑みが浮んだ。
「それじゃ、朝ごはんにしよう。おいで、カメオ。一緒に作ろう」
カメオが傍に来るのを待って、エルノはリビングを後にする。
同じ赤茶の髪を見送って、リードは、ソファの背にもたれかかり、深く息をついた。
「お疲れさま」
軽い笑いを含んだレタールの声が、少し上から聞こえた。
リードがそちらに視線をやれば、飲み終えたカップをトレーに載せて、レタールが立っていた。
「俺も、向こうを手伝ってくるよ。リードとシロメはゆっくり休んでて。いつもより、遥かに早起きだったからね」
レタールの気遣いに片手を上げて答え、リードは、頭を後ろへと倒した。
シロメも、大きな欠伸をしてボーっとしている。
微笑ましさに目を細め、レタールは、二人に背を向けた。
静かなリビングを、柔らかな風が吹き渡った。
それから、二十分経った頃。
カメオが、リビングに顔を出した。
台所からは、朝食のいい香りが、さっきからずっと届けられている。
「おい、朝ごは、ん……」
カメオの声が、ゆっくりと途切れる。
しばらくの間、眉を顰めてリビングを見つめていたカメオは、台所から呼ぶ、エルノの声に身を翻した。
リビングのソファの上―――――リードの膝枕で眠る幼い妖魔・ユキと、ソファにだらりと座ったまま、ユキの背中に片手を置いて眠りに就くリードの姿。
「エル~!シロメが縮んでる!」
外は、雨が降っていた。
夜の静けさの中で、シトシトと控えめに。
「ハイ、カメオ」
風呂上りのカメオに、エルノが、冷たい牛乳を差し出した。
真新しいパジャマを着て、シンクに立つエルノが、正面に見える席で、カメオは大人しく座っている。
十分くらい前に、自分たちと入れかわりに、リードが、ユキを連れて風呂に入った。
すぐそばのバスルームからは、賑やかな声が聞こえている。
「ありがとう……」
「ねェ、カメオ。俺からだけ、力を取らなかったのってさ、あれは、やっぱり……不覚にも、俺が泣いたから?」
コップの中の牛乳を半分ほど飲み干して、カメオは、口元をグイッと拭った。
「俺のとこに来るヒトは、みんな嬉しそうに笑うんだ。俺にとっては、唯一の救いだったのに。お前、ホントに哀しそうに泣くからさ……。だから、せめて俺から、エルに何かあげられないかと、思って……」
「ホント、優しい良い子だねぇ、カメオは」
「あのサ、エル。俺も、言ってもいいんだよな?エルが帰ってきたら、おかえりって……」
「あ、そっか……」
驚いたように、エルノの表情が止まる。
考えていなかった。扉を開けて、「ただいま」の声にこれからは「おかえり」と返してくれる存在がある。
エルノは、至極嬉しそうに微笑んだ。
「うん。おはようも、おやすみもいってきますもね」
ー第2章:ENDー and continue……
かわいい従魔の育て方 久下ハル @H-haru
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