第6話 大事

 ビガラスへ戻り、中心街のメインストリートを行くリードの腕の中、抱っこされたユキは、この上なくご機嫌だった。満面の笑みを浮べて、リードの首に抱きついている。

 ワケのわからないユキのオリジナルソングと、好奇心のままに訊いてくる質問の数々に、そろそろウンザリする反面、リードはホッとしていたりする。

「昨日の涙は、何だったんだ?一体……」

 胸中複雑なリードがボヤけば、隣でレタールも苦笑いを浮かべていた。

「まぁ、引きずられるよりいいんじゃない?」

 今朝、珍しく先に起きていたユキに、文字通り、叩き起こされた。宿の下までは、ご機嫌に一人で歩いていったユキが、通りに出た途端、今度は抱っこ攻撃。昨日の余韻で、リードには、今、ユキの涙が一番痛い。だから、ついつい甘やかしてしまうのだが。

「なぁ、ユキ、そろそろ歩いてみたらどうだ?」

 おかげで、レッドスパングルからビガラスまで、ずっと、抱っこして歩くはめになった。

「い~やっ」

「あぁ、そう……」

 何度訊いても、同じように元気よく否定するユキに、リードもそろそろ諦めかけていた。もう、二、三分も歩けば、魔導士の事務局に着く。

 ライトレーク国の都・ビガラスの、中央公所の隣に建つ事務局は、建てられて数百年になる、歴史ある建物だった。荘厳な雰囲気は、建物全体から感じる。堂々とした建て構えの玄関は通りに面していて、前庭などはなく、人がやっと五人通れるくらいの狭い階段を、数段上った先にあった。

 扉の前で、一度立ち止まり、リードは、レタールを振り返った。

「ユキ、レタ先生と待ってろ」

 素直に離れたユキをレタールに預けて、リードは念を押す。

「今度は、ちゃんと見てろよ?」

「はいはい」

 いやに楽しそうなレタールの顔に訝しげな視線を送って、木で縁取られたガラス戸を押し開け、リードは中へ入った。

 広い玄関ロビーに、響く靴音――――二つ。

 怒りに眉を寄せて立ち止まり、振り返る。

「何でついて来んだよ?!」

「えぇ~。だぁって、リード、」

 とぼけた顔で答えながら、レタールは、チラリと後ろへ視線をやった。

「外にいたら、知らないおじさんに連れてかれちゃうでしょ?」

 リードも、同じように外へと視線を走らせた。確かに、数名の魔導士が、こちらを監視している。彼らの服装から確認できるのは――――。

「……中級魔導士か。ユキ狙い、だな」

「昨日も、家の近くで見張ってたよ?でも、まぁ、俺には、そうヘタに手は出せないハズだし?」

 何もわからないユキは、珍しそうに、きょろきょろしている。

「とりあえず、報告書提出した後で、ゆ~っくり、話を聞かせてもらおうかな」

 外へ威嚇の視線を送って、リードは、いくつか並ぶ窓口の一つへと歩き出した。報告書を提出する総務部の窓口は、右の一番奥にあった。

 吹き抜けになった天井からの光で明るい玄関ロビーを、ぐるりと囲む乳白色の壁。ちょうど、リードの腰の辺りの高さから、1メートル幅で、ガラスがはめ込まれている。

 いつものように、引き戸を開けて、そこにいる事務局員に報告書を提出する。

「ご苦労様でした。次の仕事は、四日後です」

 きちんと形式どおりにしゃべる職員から、次の依頼内容を受け取る。

 三つに折りたたまれたA4の用紙を、リードは、めんどくさくありませんようにと祈りながら見つめた。

「あぁ、それから」

 背を向け、依頼に目を通していたリードは、引きとめる職員の声に、半身を返して振り返った。

「チーフが、帰ったら謁見室へ来るように、と仰ってましたよ」

「何番?」

「三番の部屋です」

「サンキュ~」

 後ろに手を振って、リードは窓口を離れた。

 面倒なことになりそうだ。

 三番の謁見室は、三つあるうちで一番広く、一番重い部屋だった。魔導士のランクが上がったときと、資格を得たときに、証をもらう聖なる場所だ。

 大人しく待っている二人の下へと戻り、リードは、軽くため息をついた。

「チーフから、呼び出しくらったよ。ちょっと、行って来る」

 手を伸ばすユキの頭をひと撫でし、リードはめんどくさそうに腰に手を当てた。

「じい様?……大丈夫なの?一緒に行こうか?」

「平気だよ。俺は、初代・リード=シークの名を継ぐ者だからな。すぐ戻るから、ここで待っててくれ」

 二人に背を向けて、リードは、謁見室へと急いだ。少し行って、ふと、立ち止まる。何故か、後ろが気になって、リードは振り返った。

 目が、最初に、ユキを探していた。そんな自分に少し驚きながら、リードは、口を開いた。

「ユキ!大人しくしてろよ?!」

「あーいっ!」

 元気のよい返事に、自然と頬が緩んだ。それが妙に気恥ずかしくて、リードは、すばやく踵を返すと、奥へと続くローカへと消えていった。

「れたてんてぇ」

 抱っこされたままのユキが、レタールの服をひっぱる。

「ん?何?ユキちゃん」

「りーど、しからえるの?ゆき、おしごとじゃましたから?」

 眉を下げて心配そうに尋ねるユキを安心させるように、レタールは、明るく笑った。

「ユキちゃんのせいじゃないよ。リードが叱られるのは、お仕事中にナンパしてるから。真面目にやんなさいってサ」

「そっかぁ~」

「あっちで、座って待ってよっか。ジュース飲む?」

「あ~い!」

 納得したらしいユキを連れ、レタールは、リードの消えていったローカ横の自動販売機へと足を向けた。

 事務局の中でなら、チーフの孫である自分に、ヘタなことは出来ない――――そう、多寡をくくって。

「――――っ?!」

 声も出ないレタールの目が、驚きに見開かれる。

 自動販売機へ向かう途中で、突然現われた魔法陣と魔導士に、レタールは、足を止めるよりほかに、対処する術はなかった。






 紺色の両開きの扉の前に立ち、リードは、表情を引き締めた。

 この先に待つ魔導士の頂点に立つ人物が、何の用で自分を呼び出したのかは分かっている。おそらく、ユキのことだろう。それから、今回の仕事で姿を現した、シロメのこと。

 覚悟を決めて、リードは、扉を二回ノックした。

 何を言われようと、現状を譲る気はない。

 重々しい声が聞こえてから、ゆっくりと押し開けて中に入る。

 天窓から注がれる光が、部屋の中央を照らしている。室内は、十分に明るかった。一段高くなっている正面奥に、立派なつくりのイスが、三つ並んでいる。

 中央に、最高位魔導士。両横には、二人の高位魔導士。厳しい顔つきで、じっとリードを見据えていた。

 部屋の真ん中まで進み出て、リードは、まっすぐに力強く、最高位魔導士・ラーゲル=オーランドを見遣った。

「お呼びでしょうか、チーフ」

 自然と、声に敵意が混じる。

 ラーゲルは、静かに、リードを見つめていた。

「リード=シーク。お前が、ここ一ヶ月、連れ歩いている子ども、あれは、人の子でもなければ、従魔でもないな?」

 厳しい声音に臆することなく、リードは、淡々と返す。

「何を証拠に?」

「魔族の気配を漂わせているにもかかわらず、従魔である証がない。魔導士を見くびるな?リード=シークよ」

「証なら、普段見えないところに施してあります。庶民を、必要以上におびえさせないために。見た目だけなら、ただの幼児ですから」

 鬱陶しいという表情で、リードは、適当に返した。

「ふざけているのではないのだぞ?魔導士が、妖魔を連れ歩くなど、どういう了見だ。規律違反だと、わかっているだろう?」

「ですから、何を根拠に仰っているんです?」

 問いに問いで返す。

 ここで負けてしまっては、ユキは、封印か抹殺されてしまう。


――先代にもできなかったことを、必ず、果たしてみせる!


 鋭い視線が、ラーゲルを捉える。

 ラーゲルは、動じる様子もなく、静かに座っていた。

 そこへ響いた、ノックの音。

「入れ」

 ラーゲルの声を受けて、リードの左にある小さな扉が、音もなく開けられた。

 入ってきたのは、一人の中級魔導士の男と、彼に連れられるようにして後ろを歩く、手枷をつけられた一人の少年。

 赤い服に、黒のズボン。左手首につけた、ブレスレッド。光を浴びて輝きを放つ、銀色の髪と、深い青の瞳。

「お前……」

 ユキではなく、シロメだった。

 何故、シロメに戻っているのか。そして、何故、中級魔導士相手に、手枷などはめられたのか。

 シロメの両手を前で固定しているのは、力ある文字の刻まれた、鉄の枷。

 昨夜、あれだけの妖気を見せていたのに。高位クラスの魔導士でも命を取られかねないと、そう思わせただけの力を持っているのに。

「妖魔だな……?」

 威厳のある響きに、リードは、再び、鋭い視線を投げる。


 ――――バンッ。


 突然、リードが入ってきた後ろの扉が、大きな音を立てて開いた。

 皆の視線が、一斉に扉へと向けられる。

 そこに立っていたのは、息のあがった体を開いた扉に預けた、レタール=オーランドだった。額に脂汗を滲ませ、眼光鋭く、自分の祖父、ラーゲル=オーランドを睨みつけている。

「レタール!何があった?!」

 リードが駆け寄ると、レタールは、いつものように明るく笑った。

「あぁ、ちょ~っと、不測の事態に対処しきれなくって。ごめ~ん」

「それより、ケガは?」

「平気、平気。少し体がシビれてるくらいだから」

 確かに、見たところ、目立った外傷はなさそうだった。あるのは、右親指の付け根の、噛み付いて血の滲んだ痕だけ。しびれる体を動かそうと、自ら噛み付いた痕だろうことが見て取れる。

「リード=シーク」

 重々しいラーゲルの声に、リードは、体ごと振り返る。

 シロメにも、同じ術が効いているに違いない。

「……妖魔だな?あれを、どう説明する気だ?」

 最高位魔導士が、妖魔から、国と町の安全を守ろうとするのは分かる。それが、魔導士の使命だ。


――そこまでして、こいつを悪者にしたいのかよ。


 しかし、シロメもユキも、九十年間、人に危害を加えたことなどない。ユキにいたっては、悪戯をしたことすらないというのに。

「では、チーフ」

 リードの、声のトーンが下がった。

「昨夜のことは、一体、どう説明なさるんです?」

 再び、中央へと歩み出ながら、リードは続けた。

「昨夜、レッドスパングルで倒した魔族。あれは、妖魔ではなく、従魔でした。あなたの仰るとおり、従魔にはそれぞれ、契約を果した魔導士のオリジナルの証が付けられる。ラーゲル=オーランドのものでしたよ?何なら、今ここに、骸を出して差し上げましょうか?魔導士、個々の証は、確か、事務局に登録されてるはずです。従魔に人里を襲わせるなんて、規律違反、ですよね?チーフ」

 ラーゲルは、返す言葉が見つからずに、口をつぐんでいる。

「おじい様、往生際、悪いんじゃない?……ちなみに、俺も目撃者なんだケド」

 苦しげに言葉を繋ぐレタールは、強気に笑っていた。

 苛立たしげに息を吐き、ラーゲルは、矛先をレタールへと向ける。

「レタール、お前だな?日誌帳を持ち出したのは」

「変なこと言わないでよ。俺は、持ち主に返しただけ」

「あれは、妖魔を封印したときの、貴重な資料だぞ?即刻、返せ」

 今まで、誰一人、口論でレタールに勝てた者などいない。どんな年長者にでも、臆さず、理路整然と論じるレタールには、相手を屈服させるだけの、知恵と知識があった。

「へぇ~。ただの白紙の紙の束でも、資料って言うんだ?まぁ、困るもんねぇ?リードなら、もしかしたら、読めちゃうかもしれないし?リード=シークに知れたら困る事実でも、あったワケ?」

「魔導士でないお前には、関係なかろう」

「俺にだって、知る権利はあるはずでしょ?ビガラスに暮らす、庶民の一人としてはサ。……ねぇ、おじい様、頼んでたやつ、見つかった?九十年前、妖魔・シロメが、ビガラスを襲ったって記録。それから……初代・リード=シークが、それを封じたって記録。チーフともあろう人が、ウソをつくのは、まずいんじゃない?おじい様?」

 レタールに言葉で追い詰められるたびに、ラーゲルの顔は、不快に歪んでいく。

「初代といい、二代目といい……」

 それでもラーゲルは、苛立つままに言葉を吐き出した。

「リード=シークに関わると、ろくなことがない。妖魔を飼いならし、一体、何をするつもりだったんだ?この世界を、混乱させるつもりなのか?二代目よ。事実を晒し、困るのは、お前だろう?曾祖父である、初代・リード=シークのような愚行に走らぬよう、高等魔導士・マスターとして、もう少し、自覚することだな」

 突然、妖気があふれた。

 ラーゲルの言葉に、レタールではなくリードでもなく、反応を示した者。

奥歯をギリッと強く噛みしめて、鋭い犬歯を露に、きつく睨みつける妖魔・シロメ。妖気の風が、シロメの周りを、天へ向かって止むことなく強く吹き荒れ続けている。

「魔族一匹じゃ、足りないと思ってたとこだ……」

 低く唸るような声が、謁見室を駆け抜ける。

 そして――――。

 パリンッ。

 高い音を立て、シロメを縛っていた鉄の手枷が、粉々に砕け散った。

「希望通り、暴れてやるよ。まずは……お前を喰ってやる……!!」

 鋭く睨む瞳と両手に、更に力を込める。

 室内に満ちる、恐怖と緊張。

 シロメが地を蹴ろうとした、その時――――。

「っ?!手を離せ!エセ魔導士!お前から喰うぞ?!」

 がっちりと掴まれた、左手。

「喰ってていいから、少し大人しくしてろ」

 自分の横で、ラーゲルを正面に捕らえて立つリードの姿があった。

 目を見開くシロメの頭に、大切な人の声がよみがえる。妖魔の本能におびえていた自分に、あの人がくれた言葉。



――『いいよ。腕の一、二本、喰っていい』



 シロメの体から、いつの間にか殺気は消えていた。吹き荒れた妖気の風も、すっかり消えている。リードを凝視したまま、動く様子はない。

 漂う戸惑いの沈黙を破ったのは、一人、変わることなく、ラーゲルを鋭く見据えるリードだった。

「チーフ、こいつは、俺が、高等魔導士・マスターの名に恥じぬよう、責任を持って育てます。天才魔導士と謳われた、初代・リード=シークを継ぐものとして。万一、こいつが、人に危害を加えるようなことがあれば、確実にこの手で封印し、この命を持って、償わせてもらいます」

 凛とした声が、謁見室を満たした。淀んでいたものが一掃されたような、清浄な響き。

 一段高いイスの上で、冷や汗を浮かべ、動けないでいたラーゲルが、悔しげに口を開いた。

「その誓い、違えるでないぞ」

 鋭い視線のまま、それでも礼儀正しく一礼し、リードは、シロメの手を掴んだまま、レタールと共に謁見室を後にした。

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