孤独か、孤高か

 通読して、私が感じた事は、このひとこと紹介の通りでした。

 一人称で書かれている文体は、どこか日記のようも感じられてしまったらです。

 いい意味で想像する余地が残されており、しかし作中でよく出てくる「ぬるい」という言葉にも似た隙のようなものを感じられる事が多々ありました。

 それが大人の間合いであるともいえるのですが、やや突き放した印象を受け目事もあり、そこに私は日記という印象を受けたのかも知れません。

 本来、日記は他人が読む事を想定しておらず、自分だけに意味が通じればいいものですから、それを人が読む事を想定した文章にしたら…おそらくはこういう文章に近くなるのではないか…そんな妄想をしてしまいます。

 日記を人が読む事を想定して書く…現実にすれば孤独な作業です。

 ここで、ひとこと紹介で出した「孤独」に辿り着けました。

 大人の間合い、大人の会話、大人の関係…この物語の中に、どうしても私は孤独を感じます。少なくとも当初は。

 しかし一歩でいいから戻って読み返してみると、登場人物に引き込まれた状態ならば、孤独が孤高という言葉に変わっているはずです。

 ゆるさは孤独になれさせ孤高になる…孤高であるからこそ、この登場人物に決定的な破綻が訪れるようなラストでなく、そのまま…よく連呼される「ぬるさ」「ぬるい」というバランスで生きていくのだろう…と思いました。

 その距離感、関わり方を羨ましいと思う反面、自分がそうなっていない事に安堵も覚える…こういうのがあるのが、どこにでもありそうで、どこにもない唯一の物語である証明ではないでしょうか。

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