/9 自殺の理由 / 意識変性
【遠見】という
それは遠隔視、未来視の総称であり、通常は視ることのできない空間的、時間的に断絶された事象を捉える知覚能力を意味する。
その方法が透視能力ではなく、演算による
『知りえぬことを、知覚すること』
洋の東西を問わず、古来より村落の
他者が得られぬ情報を得るというアドバンテージこそが彼らの権力の条件であり、同時に彼らには大きな責任が課せられていたのは言うまでもない。そして、それを背負うことで彼らは時に村落の長よりも強い決定権を有していたのだ。
しかし、時代は流れ。かつて閉鎖されていた社会は
情報は不可視の波に乗り、今や遠すぎる外部など存在しない。誰もが知りえぬ外側を視る目を手にしたのだ。
文明の発展に伴い遠見たちの異能は特別なものではなくなっていった。権威は失墜し、彼らは忌むべき旧体制に成り果てたのだ。
結果として異能者たちの多くは糾弾されるか、その社会から追放されることとなる。
そうして産まれ育った土地から離れ、血を薄めていく中でその異能もまた消えていく。
それが、かつて村落社会を支えていた【遠見】――賢者たちの末路である。
遠瞳家もまた、そういった歴史をもつ家系であった。
創始は江戸初期。山神の血を分けた異能の系譜であり――そして、その異能は今代の当主・
***
「とまぁ、そんなところだよ」
穀雨玉兎はそう締め括った。
あの蝶が遠瞳家に逃げ込んでから数刻。妙理は経過報告のために『葛ノ葉』に戻ってきていた。蝶にはあれ以降動きはなく、一度その場を離れても問題ないと判断してのことだ。
妙理はいつかと同じようにソファに座り、口を挟むことなく玉兎の語りを聞いていた。
――遠瞳家のもつ異能。【遠見】の力。
与えられた情報に対して妙理は特段、反応を示さない。
その家系とあの蝶をつなぐ情報を妙理が持たない以上、返すべき言葉もなかった。なぜ玉兎がその家系を知っているのか――などという問いは式神の口から出ることもない。意義がなかった。
無反応の式神に対して、主は楽しげな笑みのまま続きを口にする。この日の玉兎のスーツは派手な黄色だった。
「6人目の火事の後に、あの蝶は
そう言って、デスクの上に乗せられた分厚い資料を持ち上げてみせた。そこには今年に入ってから死亡した大学関係者とその親族などが詳細に記されていた。分厚さから推定するに、二十人以上はあるだろうか。
資料を軽くめくりながら、玉兎は続きを口にする。
「今回の連続自殺が発生したのが三月から。そして、遠瞳詩梳の娘――
――まぁ黒だね、と半笑いにうそぶく。
「遠瞳家の【遠見】は脱魂――
自己の
その主体はあらゆる物体を透過し、知覚することで本来知りうるはずのない
「何らかの理由で生前の遠瞳晴歌は遠見を行い続けたんだろうさ。魂を肉体から離脱させ続けた。だが、そういった技法は使用者をあちら側へと惹きつける。生死の
遠くを視ることで、近くを見ることができなくなるという例は多くてね。――死してなお、その魂が残留しているとしたらそれが理由だろうさ」
霊というのは一種の現象である。
たとえ肉体的、物理的に肉体が死したとしても――ソレが『ソレ』であるという認識は成立する。元より『ソレ』と認識されていた情報の核心、連続性を保証する
霊とはつまるところ、そういった存在要因の集積であり、あらゆる【基盤】において、この存在要因は【魂】と呼称される。
故に霊は恨み、妬み、激情や妄執――ただ強い感情があれば残るというものではない。まっとうな
その点、江戸初期から続くという遠瞳家の血は資質として十分。
だが――そこで妙理は玉兎の語りにある矛盾点を指摘する。
「遠瞳家の異能は遠瞳晴歌の母、詩梳の代には途切れていたという話でした」
前提として、そもそも【遠見】は途絶えている。一番初めに玉兎が語っていたことだ。故に、晴歌は蝶に成りえないはず――その指摘に玉兎は肩を竦めて返した。
「稀にあるんだよ。……先祖返り、隔世遺伝というヤツさ。眠っていた血が外的要因で目を覚ますことがある。特に遠瞳家はまだ能力が絶えて数世代しか経っていない。――
その外的要因とは即ち、極限の精神状態。薬物による精神の改変。あるいは何らかの儀式に組み込まれること。
玉兎はひとつひとつ例をあげて妙理に語る。
現状、遠瞳晴歌が自らの血統に自覚があったかはわからない。だが、こうして野に下った以上、晴歌は『能力の正しい使い方』を学んでいる訳ではない、というのが玉兎の予測であった。
「故に、その歪みがこういった不測の事態を招いている。力をもたない母親にしても、娘の異常に気付いていなかっただろうからね」
それともう一つ――と玉兎は最後の根拠を口にした。
「貰った資料には遠瞳晴歌の学生生活についても記されていた。失せ物探しのような【遠見】まがいのことをやっていたという話だよ。まぁ、状況証拠としては十分だろう?」
「そうですか」
――蝶の正体は遠瞳家長女の死後霊である。
主がそう判断したのなら、妙理は別段、そこに何の異論はなかった。いつものように微動だにせず、ただ話を聞くだけだった。
蝶の正体が
戦って排除するだけなら現状の情報量で十分足りている。実際に、妙理は件の蝶を後一歩のところまで追い込んでいるのだから。
しかし、笑みを浮かべた主は嬉々として――あるいは余計なこととわかっていて、あえて、その真相の続きを口にした。
「さぁ、では――何故これほど大量の自殺者が出たのか」
君にもわかるだろう、と玉兎は試すような視線を妙理へと向けた。
「……」
意味のない問いだ。
第一に、その思考がよぎる。
しかし、それでも妙理は訪ねられた通りにその答えを算出した。
8人の自殺者とその詳細。死体より立ち上った青い蝶。
そして先ほどの追跡劇で放たれた魔弾。その特性から、蝶の目的を割り出すことは容易であった。
「――蝶は新たな
「正しく。そういうことだろうね」
酷くあっさりとした調子で玉兎が言う。
青い蝶は死肉に群がっていたのではなく、生きた肉に潜り込もうとしていた。そして、その寄り代は尽くが死んでしまった。
妙理が自殺現場で目撃した蝶は死体から飛び立った直後の姿だったのだ。そう仮定すれば辻褄は合う。
「憑依の魔弾。それ自体がすでにして蝶の目的だった。喰らい、貪り、奪いとる。だが悲しいかな。それはすべて失敗に終わった」
その理由に暁月妙理は覚えがある。
実地で経験した記憶があった。
魂――存在の本質と定義される概念を外部から定着させることは本来、そう簡単にできるものではないのだ。
「君の実験でも明らかなように、魂の憑依というのは成功率が極めて低い。身体中の臓器をまるごと入れ替えるようなものだからね。
拒絶反応どころか、まず前提条件からして噛み合わない。無理やりに押し込めば意識をのっとるくらいなら可能だろうけど、よくて数時間、凄腕でも一日だろう。一生定着させるなんていう例は現代ではまず見られない」
魂の概念を上書きするには、近しい【基盤】に属する最適な器と最高の技が必須だとされている。
イタコや憑祈祷師などの術者はそれのみに特化することで降霊・憑依を可能としているのだ。そして、そのような術者であっても完全に中身を挿げ替えるなど不可能に近い。
「彼女は失敗し続けた。新しい肉体を得ようとしては失敗して、何度も何度も繰り返した。今回の連続自殺は、要はそれだけの話なんだ」
何故、大量に自殺者がいたのか。
その結論はすでに出ているに等しい。
妙理は冷めきった声で、
「――高密度の魂による外部干渉。その過負荷によって彼らは死亡した、ということですか」
妙理の思考は端的にその解を導いた。
元々精神の不安定だった人々の中に更に
「……やれやれ」
しかし、その
――まったく君はヒトに期待しすぎだと。
死者に関心のない式神を、それ故に微笑ましいとでも言うかのように。
「たしかに原因は彼女だ。けれど犯人は彼女じゃない」
そこまで言って、玉兎は手持ちの資料をデスクに放り投げる。
「――つまり死んだのは偶然だよ」
これは怪談などではなく、バカバカしい笑い話だと一蹴する。
笑い話であるが故に心底楽しそうに
「今回自殺した8人は皆、もともと自殺する理由をもっていたという話だったでしょ? 実際、その真似事ぐらいはやっていたんじゃないかな」
そう言われて、妙理はこれまでの自殺者の事を思い返す。該当する情報はたしかに存在した。
「……二人目。中村ちえみはリストカットの常習者でしたが――」
他の人物については――と続けようとする妙理を遮るように、玉兎は口を挟んだ。
「そんなことを全員がやっていたんだ。――手首を切る。ロープをかける。高所での飛び降りを夢想する。
けれど勘違いしないでよ。もちろん、彼らには死ぬ気はなかった。生物は基本的には自ら死ぬようにはできていない。心的負荷(ストレス)をそういった行為で発散させていたにすぎない。それが日常であり、日課でしかなかったんだ」
それは死ぬために行うのではなく、死ねることを確認するための行為だったと玉兎は語る。
一歩踏み出せば先は奈落。そして、それが救いでもあった。死ぬつもりなど欠片もなかったとしても、奈落の底に救いがあることを夢想しなければ、彼らは日常を生きることも困難だったのだから。
「……」
その精神状態を妙理は理解することはできなかった。
反復した逃避行動はすでに逃避である意味を失う。そうでなくても、確率として手を滑らせて死ぬこともありうるだろう。まるで、対価と利益が釣り合っていない。
――
そう思考した時、妙理は玉兎の意図を理解した。
「彼らには死ぬ気はなかった」
妙理は確認するように、その言葉を口にする。
死ぬ気がなかった――それは、自殺する瞬間もまたそうだったのか。
死ぬつもりもなく、彼らは死んだ。
それは死ぬことで『自分』という本質を消し去るのではなく、ただ
本来それらは不可分で、死ねばすべてが終わるということなど誰にもわかる道理。だが、彼らは『自分』が残ると確信して、死を選んだ。
それが可能だという根拠を知ってしまっていたから。
「――魂は存在する。死後の世界は存在する。自殺者たちは青い蝶に、その生きた証拠を見たんだよ」
呆れ混じりの声で、玉兎はその矛盾した真実を口にした。
その目線は虚空へ。
8人の死者たちの心奥を覗き込むかのように。
「彼らにとってそれはどんなに救いだったことか。煩わしい現実から抜け出すのに、自己の
――だからこそ自殺者たちには迷いも覚悟もなかったのだ。
いつもの死の模倣から、半歩だけ大きく踏み込んだ。その半歩で、彼らは奈落へと落ちたのだ。
それが偶然だと玉兎が語った理由。
蝶は自殺教唆などしていない、彼らに負荷を与えていたとしても、そんなものは直接的な原因ではない。
死んだ者たちはいつもと同じことをしていただけ、なのだから。
「無論、純血でもなく、自らの【基盤】すら自覚していない彼らには魂の抽出など不可能だ。ただ人として、朽ちて死んだ。蝶にはなれず、蛹のまま死んでいったわけだよ」
それが連続自殺の全容。
一羽の蝶が招いた死の連鎖の正体。
身体を奪い取ろうとした魂と、身体など捨ててしまいたかった人間たちの噛み合わなかった思考の結末。
――語りを終え、玉兎が一息吐く。
そして、苦笑のままに『ほら、笑い話でしょ?』と妙理へと同意を求めた。
無論、妙理にはこの話の笑い所がわからなかった。そもそも、他人の話で笑うということがはわからないのだから応えようもない。
いつものように無感動な表情で玉兎を見るだけだ。
「まぁ、わからないならそれでいいけどね」
さて、と呟いて玉兎は長話ですっかりと冷めきっていた緑茶を啜る。
「残る疑問は――なぜあの8人だったのか。ということだが、まぁ、それは生前の交友関係か何かだろうと思うけどね。そこは突き詰めれば何か出てくるでしょ」
そして、片手で件の資料をペラペラとめくりながら、どうでもよさそうに呟いた。
「なんにせよ、蝶は遠瞳家に舞い戻った。蝶が翅を休めるなら、血縁者の身体に潜んでいるはずだ。憑依するにしても比較的反動が少ないしね」
次に狙われる人間を予測することにもう意味はない。本命の居場所がすでにわかっている。
蝶に動きが見られ次第、対処するだけのこと。
「引き続き遠瞳家の監視を頼むよ。まぁ最悪、逃がしたとしても、蝶はあのトマリギに戻るしかない。彼女の試みはいくらやっても成功する見込みはないからね」
故に、
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