/1 四番目
多くの出来事がそうであるように、あたしたちの出会いもまた唐突だった。
桜の名所として知られる川沿いの小公園。
短い命を終えた花びらが散っていく。ここに残されるのは川のせせらぎと近くの橋を横切っていく車の喧騒だけ。
午後8時の、少し肌寒い風に包まれた夜のことだった。
不意に聞こえた微かな声に振り返ると、彼女が佇んでいた。
舞い散る桜に溶け込むような白くあわい影。風に
直前までのいろいろな出来事を消し飛ばしてしまうくらいに、その姿は印象的だった。
服装以外はいつもと変わらない――何も知らないけれど、よく見たことのある彼女の
声をかける。けれど、彼女からの返答はない。
代わりに一歩、踏み出す。
そうして、呆けたままのあたしに何か言葉を告げた。
たぶん、あたしを殺すつもりだという意味なんだろうけど、その時のあたしは驚くこともしなかった。
不穏な響きを感じさせないほどに、彼女の声に意思のようなものが込められていなかったからかもしれない。
それに――町に不釣り合いな彼女の儚さが、とてもキレイだなんて思ってしまったから。
息を呑む間もないほどの一瞬で、彼女はあたしのすぐそばまで来ていた。
――あたしの胸に添えられた彼女の
鋭く、深く。心臓を打ち貫かれるような
そこでようやく視線が重なった。
少し見上げるようにして、彼女の吸い込まれそうな
出会いというのなら、この瞬間だ。
まるで別な世界に生きていたあたしたちが、初めてお互いを視界にいれたのが、この時だった。
一羽の蝶をめぐる偶然の集積。
この出会いに至るまでの出来事につながりがあったとしたら、その始まりはもう少し前に
***
あたしたちの学級に転入生が入ってきたことに気付いたのは、新学期が始まって2週間を過ぎた頃だった。
大学というところはいつのまにか人が増えたり減ったりするもので、そういった変化は意外とわかりにくいものだったりする。
その上、その転入生は講義にもあまりでていなかったし、でたとしても部屋の隅っこで誰とも話さないで静かにしていたから、すぐに気付くような人はいなかったのだ。
それでも、彼女はだんだんとみんなの目に止まるようになっていった。
理由は二つ。
一つは彼女がいつも黒一色のワンピースという珍妙なファッションセンスをしていたこと――もう一つは単純に、まわりから浮いてしまうくらいに彼女が美人だったからだ。
名前は
大学2年生になったあたしたちの前に現れた謎の転入生。
どんな人柄で、出身地はどこで、どんなものが好きなのか、そういった情報はまったくない。
そもそも講義にでないから見かける頻度も多くないのだ。つまりレアキャラ扱いのボーナスステージ。
ここ最近は講義終わりに暁月さんが見つかると獲物を前にした肉食獣のようにいろんな人が特攻するようになっていた。
お近づきになろうとする男性陣とかグループに入れてあげようっていう女性陣とか、あとは部員不足の運動サークルも熱烈な勧誘をしているみたい。
だけど遠目に見る限り、うまくいった試しはなさそうだった。
今日もさっそく2名撃沈。
うなだれ気味の友人たちがあたしの方まで戻ってくる。
背の高いのと小さいの。
二人並んで、ひとつ前の長机の上に座り込んだ。
ずいぶんと不服そうな顔だけど、こっちにしてみればあまりにも予想通りだったので、つい苦笑いを浮かべてしまった。
「転入生。やっぱりダメだったの?」
「あぁ、バッサリだよ。もう一刀両断さ――フン」
背の高い方。
「切られたねー。
かわいらしい声でヘンな合いの手をいれる小さな方。
そんな二人の勧誘なので、もしかしたら非はこの二人の方にあったのかもしれないと思わないこともない。
「で、実際はどんな感じ?」
「まずサークル活動に興味ありませんかーって聞いたんだよ。そしたら」
「そしたら?」
「特にありません――で終了。身支度。さようならグッパイ。って、素直かっ! まだバレーとも言ってねぇよ!?」
うがー、と吠える霧子。
これまたまったく想像した通りのオチで、やっぱりあたしは苦笑するしかない。
視線を移してみれば、当の暁月さんはすでに講義室を出た後だ。たぶん霧子たちが声をかけてから3分も経っていない。
あまりにあんまりな
だけど、そういうことならアプローチに問題アリだ。暁月さんは誰に声をかけられても最後まで話を聞くタイプのようなので、今回の場合は最初に質問したのがマズかった。
彼女は何か聞かれれば、大抵スパッと即答してくれる。その代わりに答えたら義務は果たしたと言わんばかりに即退出。そういう流れがお約束なのだ。だいたいの場合、それで話かけた方の心が折れる。
来るものは拒まない。……拒まないだけだけど。
ある意味、わかりやすい人なのかもしれないなぁ、というのがチラチラ観察していたあたしの見解だ。
「なにかと忙しいんじゃないかなぁ。まだ引っ越してきたばっかりだろうし」
4月から編入学ってことは、こっちに来てから一ヶ月も経ってないくらいだと思われる。少し物ぐさな人なら日用品が揃ってなくてもおかしくない。――彼女の場合は確実にそれ以前の問題だけど、無難な意見ということでひとつ。
ぶーぶーと一頻り文句を言い続ける霧子たち。不意にその目がギラリと輝いた。
「というわけで禀。ターゲット変更だ」
「あいあいさー」
てきとうな合いの手をいれて、禀が身を乗り出してくる。ターゲット、
「巡っちー。今日の練習つきあってよー。一緒にカラダ動かそうぜー」
「やっぱりこっちきたかー」
とまぁ、これもいつものパターン。
こんな風に誘われるのは実はあたしが二人の所属するバレーサークルの準部員だったりするからだ。
正式に部員になるのはお断りしたんだけど、向こうの人手不足もあって時々こうしてお呼びがかかる。
大会前の練習試合とか、時期が悪くて人が足りない時の人数合わせの要員だ。
なんにせよ、部費を半分しか払ってないのにサークルに参加させてもらえるのはかなりありがたい。高校時代にちょっとバレーをやっていたので、あたしとしてもいい気分転換になっている。
けど残念ですが、本日は先約があるのです。
「今日はごめん。バイト入っててさー」
「そいや一条。前になんか言ってたな。なんだっけ」
「家庭教師。これから中学生に勉強教えに行くワケですよ」
始めてから3週間も経ってないので霧子たちが覚えてないのもしょうがない。あまりバイト先の話もしてなかったし。
「そんなワケで月金は基本、予定入ってる感じなので、また今度で。お願いね」
「バイトならしゃーないか。だけどアレだ。大会近くなったら週末の予定抑えさせてもらうからな」
「からなー」
「りょーかいです」
それくらいならこっちからお願いしたいくらいなので、二つ返事でオッケーだ。
そんなやりとりをした後、霧子と禀はささっと講義室を出ていった。さっそく練習に向かったようだ。
――まるでいつも通りの会話だったし、いつも通りの流れだった。
連休を跨ぐ前の、去年の日常を無理矢理に焼き回したみたいな。
あんなことがあった後でも、あたしたちの日常がいっきに壊れたりはしないようだ。
ガラン、とした講義室に一人。
「……なんだかなぁ」
数百人は収容できそうな大講義室に、あたしだけが取り残されていた。
数ヶ月前まではあたしたちみたいなのがいつまでたってもおしゃべりしていたくらいなんだけど。最近はめっきり人が減ってしまった。
たしかに日常ではあるんだけど、何かがズレている。
本音を言えば、あたしはそのギャップに気持ちの整理が追いついてなかった。
普段通りにするのはどこか白々しい気もするし、だけど、それに深く思い悩むっていうのは嘘っぽい気もする。
だから、バイトがなかったとしてもサークル活動を素直に楽しめる心境じゃなかったと思う。
この違和感はきっと霧子たちも感じているもの。だけど、その上で努めて普段通りにしようとしているのもわかってる。
みんな、きっと同じ。
ここ数週間、学生や事務員、大学教員や教授たち。もちろん、あたし自身も含めて――この大学にいる全員がどこか胸にわだかまりのようなものを抱えているのだ。
ただ一人。
もともと違っていた暁月さんを除いて。
***
ある大学生が自殺した。
場所は大学の研究棟の一角で、深夜に4階の研究室から飛び降りたという話だ。
見つかったのは今日の明朝。今朝から現場の近くにはパトカーが止まっていたし、すでにそのあたりは封鎖されていた。
すぐに大学内はその話題でもちきりになった。
事件があったことはみんな気付いていたから、いろいろなところから情報が集まってきて、お昼を過ぎる頃には何があったのかは周知の事実となっていた。
飛び降りたのは4年生の女性。何事もそつなくこなす優等生みたいな人だったらしい。
自殺した理由はわかってないけど、自分から死んでしまうような人ではなかったし、そんな兆候もなかった、もしかしたら恋人との関係がうまくいってなかったんじゃないか――というのが同じ研究室の人たちが語るところだとか。
そういうゴシップな話につい耳を傾けてしまう自分に少し幻滅しながらも、今日はそのことが気になってあまり講義に集中できなかった。
そうして結局、不安に煽られるようにして、その現場に足を運んでしまった。
――なんだかんだ考えながらも要するに野次馬根性が強いだけなんだろうな、と自嘲。
飛び降りのあった研究棟の入口近くは警官が二人立っていて、進入禁止になっている。そして、そこからそう離れていない一角が黄色のテープによって区切られていた。
その前には10かそこらの人だかり。あたしもその人たちと一緒になって内側をのぞきこむ。
首を伸ばしたところで、別にソレそのものがあるワケじゃない。
ご遺体はとっくに運ばれた後だし、人に見せられないような痕跡はすでに撤去されているはずだ。
けど、残っているものもあった。
隠しきれない、染み込んだ
薄く広がった鉄臭い染みは、忘れさせてなるものかと主張するみたいにコンクリートの地面にこびりついて――ここで人が死んでしまったという現実を思い知らせてくる。
「――うっ」
込み上げる嘔吐感から逃げるようにあたしは視線を逸らした。
自分から顔をだしておいてなんだけど、あたしはこういうのは苦手なのだ。見ただけで、その瞬間のことを想像してしまうから。
こんなことをいうのは亡くなった方に失礼かもしれないけど、やっぱり見ていて気持ちのいいものじゃない。
――自業自得。
何やってるんだろう、って自分で思ってしまうくらいに浅はかだった。遠目に見るだけ済ませておけばよかった。
けれど、それはダメだとすぐに思い直す。
ここには野次馬にきたのもあるけど、もうひとつの目的がまだ残っていた。
目を閉じて、呼吸を落ち着かせて、そこに落ちてしまった女性(ひと)のことを思う。
何が辛くて死んでしまったのかはわからないけど、それはきっと悲しいことだと思ったから。
「……」
無言で、ただ手を合わせた。
それはあたし自身の気持ちの整理をつけるためでもあった。
ここで人が亡くなったのは事実で、それが当人にとってどんな意味があったのかは想像することしかできない。
けど、あたしは同じ大学に通った学生として、死んでしまった人をまったく気にもとめないなんてできなかった。
自分勝手な自己満足。その人が抱えていた人生や残された人たちのことを考えて生きていけるほど、あたしの器は大きくない。そのうち、きっとここで人が亡くなったことも忘れてしまう。
だから、胸に
「……」
ほんの心ばかりの黙祷をおえて、あたしは顔をあげる。
そうして、ぽつぽつ、と踵を返して歩き始めた。
友人の
移り変わっていく見物人の流れの中で――今回は飛び降りか、という気のない声が聞こえた。
呆れたような、疲れたような。それはまるでこの場にいる人全員の総意みたいな口ぶりで。
少しだけ眉を寄せながら、あたしは足を早める。あまり聞いていたい話じゃなかった。
正門を抜けて大学の敷地から出る。そこでようやく一息つくことができた。
「……でも、うん。仕方ないよね」
――さっきみたいな言葉に反発したい気持ちはある。だけど、そう考えてしまう気持ちもわかってしまう自分がいた。
振り返って大学構内に目を向ければ、多くの人が行き交っていて、いつも通りにしか見えない風景が広がっている。
気にしても仕方ないから早く日常に戻りなさい、と急かすように。
今回の飛び降り事件が誰もが予想のつかないものだったなら、あるいはもう少しあの場所に集まる人は多かったのかもしれない。もっと真剣にその死を悼む人もいたのかもしれない。
だけど、きっと多くの人はこんな風に思ってしまったんだと思う。
あぁまたか、と。
先月から続く大学関係者の連続自殺。
彼女の死は彼女だけのものじゃなくて、その4番目として扱われてしまうのだ。
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