/ Letter

 

 奏多ちゃんから手紙がきた。

それはここから少しだけ離れた山の向こう側の町から届いた。


 しばらくは帰ってこれないけれど、なんとか元気にやれているという話だ。

 ――あの誘拐事件の後、奏多ちゃんはそのまま例の市立病院に入院することになったのだ。

 奏多ちゃんが見つけられた時、ひどい心神喪失に陥っていた。それはすぐに回復するようなものではなくて――結局、それからすぐに都会の薬物に詳しい病院に移動することになったのだ。

 奏多ちゃんは知らずとはいえ、違法の――正確にはまだ規制されていないモノらしいけど――クスリを使っていたのだ。精神的な療養だけじゃなくて、クスリの毒を抜く期間も必要だという話だった。

 ともかくしばらくの間、奏多ちゃんはこの町には帰れない。


『いつか会いに行きたいです』

 

 手書きの文字はそう結ばれていた。

 読み終えて、それを机の上にゆっくりと置いた。

 そのまま窓を開けて、外の景色に目を向ける。

 

 ――あたしたちはみんな、とどまってはいられない。

 

 どんなことがあっても、逆に何も起きなくても。

 だから……いつかきっと。

 少し変われたあたしたちがまた会えるといいな、と。

 

 遥かとおい群青の空を見て、そんな風に思うのだった。


          ***

 

 3月の中頃から始まった春の連続自殺。

 その騒ぎは、ある名家の女の子が失踪した事件を最後に落ち着きを見せた。

 あれからもうすぐ一ヶ月。5月も半ばに入る頃には、大学構内にも以前のような活気が戻りつつあった。

 あたしも、いつか霧子たちと約束したようにバレーの大会に向けて練習に参加するようになった。

 

 ――日常が帰ってきた。

 

 そんな風にも言えるかもしれない。薄モヤが晴れたように、大学には暖かな空気が戻ってきていた。

 いつもと何もかわらない日々。戻ってきたのは当たり前で普遍の日常。だけど大きく変わったこともある。

 

 なにせあの事件の後、あたしは――

 

***

 

「玉兎さーん! これ、手前の部屋でいいですかー!」

 ダンボールを両手に抱えたまま、事務室に向かって声を張り上げる。

 廊下を挟んだ向かい側――事務室でふんぞり返っている我らが雇い主(ボス)に指示を仰ぐためだ。

 大丈夫だよー、と少し遅れて気の抜けた返事が聞こえてきた。

「わかりましたー」

 返事をして、また作業を再開する。

 そう。あの事件の後、あたしは引越し業者に――――じゃなくて、この骨董屋『葛ノ葉』のアルバイトに入ったのだ。

 持っていたダンボール箱をそっと部屋に置いていく。

 これでようやく半分。運ぶ物はまだまだ沢山あった。

 ――っていうか。

「玉兎さん、今まで何やってたんですか! 引っ越して二ヶ月も経つんですよねっ!?」

 事務室に戻って、奥のデスクで書類をパラパラめくっている玉兎さんを糾弾する。あまりにも無茶苦茶な話だったので、つい声を荒らげてしまった。

 あたしがバイトに入るまでほとんど荷物が手付かずだったとか、わりと意味がわからない。

「ずっと忙しくて片付ける暇もなかったんだ。本当に助かったよ。巡ちゃん」

 すごくアヤしい。

 いかにも真剣な感じで言っているのが嘘っぽい。

 あたしは部屋の隅に立ったままの暁月さん――妙理の方を見る。

 ――ホント?

「仕事の有無に関わらず、穀雨玉兎が引越し作業を行っていたのは初日だけです」

「やっぱり」

 妙理の暴露に対して玉兎さんはやれやれと溜息を吐いて、やたらと堂々とこちらを見据えた。

「バレてしまったのなら仕方ない。そういうことさ」

「いや、どういうことですか」

 つまり、やる気があんまりなかったとか、そういうことですか。

「いいから手伝ってくださいよ……女の子に重い物もたせないでください。ほら、そこのダンボールとか」

「うーん。男女参画社会の樹立は遠いね」

 むずかしいそうな単語を口にしながら玉兎さんはしぶしぶ立ち上がる。それでも結局、古本の詰まった重い箱を一人で持ち上げて運んでくれた。ちなみに――この日のスーツは珍しく普通に黒だった。

 さて。残るはもう一人。

 先輩にもがんばってもらわないと。

「妙理も! 手伝ってよ」

 部屋の隅っこで、何をするでもなく立っている彼女。

さっきはあたしに力を貸してくれた妙理だけど、彼女だってさっきから動いてない。

 妙理はあたしの言葉をいつもの表情でアッサリと両断する。

「片付けの式は与えられていません」

「いや、それは何回か聞いたけどさ」

 だけど、あたしがここに来てしまった以上、そんな風には逃がしてやらないのだった。――妙理と話をする時はこっちも自分を貼り通すぐらいがちょうどいい。

 あたしがバイトに入って最初に学んだのは、そういう距離感の掴み方だったりする。

「そのあたり、お願いね。瀬戸物だっていうから気をつけてね」

 妙理の足下にあったダンボール群を指す。

 中には小さな瀬戸物が入っているのは確認済み。

 そんなに重くないけど、慎重な作業が要求される物なので妙理には合ってると思う。

 妙理は少しの間だけ停止(フリーズ)。

 そして、軽く部屋を出て行く玉兎さんの方を見る。

 反応がないのを確認した後――表情を変えないまま小さく頷いた。

「わかりました」

 そうして、やたらとテキパキした動きで妙理は荷物を抱えて、隣の部屋へ運び始めた。

 とまぁ、こんなように。

 あたしが促していかないと、この陰陽師さんたちは作業を進めてくれそうにもない。

 ずっと滞っていた作業がようやく動き始めたのは、あたしがここにバイトで入ったことが原因なのは間違いなかった。

 

 ――あたしは『葛ノ葉』で働くことになった。

 

 先日のあの事件で、奏多ちゃんはこの町を去ってしまった。あたしも家庭教師のバイトをやめた。

 あれだけの事件の後で、他の子に勉強を教える気持ちにもなれなかったからだ。

 それでバイト先がなくなったのがここで働こうと思った理由の一つだ。それに昔からこういうお店には興味があったし、ホンモノだって言うなら、なおさら興味はあった。

 だけどまぁ、一番の理由は別にある。

 荷物を運びこみながら、目の前を行く妙理の背中を見る。

 ――暁月妙理。

 あたしたちとはまるで別な世界に生きている彼女。

 もう一ヶ月も大学にいるのに、それでもまだ彼女は謎の転入生のままだ。

 すごくわかりやすいのに、何もかもがわからない不思議な人。

 あの事件の後、彼女の特別性を知ってしまったあたしは――やっぱり彼女のことが気にかかってしまった。

 それに拍車をかけたのは、いつもの日々がいつものままに戻ってきたことだ。

 あんなトンデモ世界の出来事があった後でも、あたしたちの世界は一変なんてしなかったのだ。

 ――考えてみれば、当たり前のこと。

 だって、そんな日々が『彼女たちの日常』で、それはこれまでずっと、あたしたちには見ることのできない遠い遠い世界の出来事だったんだから。

 あたしたちの日常には幽霊だとか悪霊だとか陰陽師だとか、そんなものが絡んでくるはずもなく――あたしにはあたしなりの日常が何事もなかったかのように続いていった。

 そんな中でも妙理はずっとかわらずに大学に来ていたのだ。

 いつものようにムッとして、何かを聞かれれば答えて、一人でご飯を食べて、一人でささっと帰っていく。

 彼女は時々、欠席もした。小さな怪我をしている時もあった。

 そんな時、彼女が何をしてきたのか今のあたしには半ばだけど想像できてしまうのだ。

 気にするな、というのが無理な話だと思う。

 ――こんなことは誰にも相談できないし、まして彼女が陰陽師だなんて、誰にも話すことなんてできない。

 別に口止めされたワケでもないけど、言っても誰も信じてくれないのはわかっていたから。結局は同じことだ。

 ならいっそ、こっちから飛び込んでやろう――なんて気持ちで『葛ノ葉』に乗り込んだのが一週間前。

 そして、


 ――あぁ、別に構わないよ。

 

 そんな軽いノリで、すんなりアルバイトとして雇ってもらうことに成功したのだった。

 玉兎さんはあの事件の時に感じたほど怖い人ではなかった。わりとテキトーを地でいく人だったみたいで。わりとテキトーに働かせてもらっている。

 皮肉屋で厭世家。だけど、人間嫌いってワケでもないし――やさしいところもそれなりにある人だった。

 ――確実に善人ではないと思うけど。

「よっこいせ――っと」

 とりあえず屏風の類の運び込みは終える、

 瀬戸物も後は数箱くらいだったはずなので、あたしが妙理を手伝えば、こっちの部屋の分はすぐに終わるはずだ。

 後は――と、あたしが考えていると廊下の玉兎さんが妙理を手招きしていた。

「あー。君。ちょっと来てよ。――せっかくだから頼みたいことがあるんだ」

「わかりました」

 そう言って、妙理はささっと廊下の方に移動する。

 わたしも……と駆け寄ろうとしたら、玉兎さんに片手で止められてしまった。

「2人で十分だよ。巡ちゃんは休んでていいから。冷房も、好きに使っていいよ」

 そんな風に言って、二人は事務室の方へ。

 あたし一人だけが残されてしまった。

「休めっていっても、こっちの部屋、何もないじゃないですか……」

 なんて小さく愚痴りつつ、言われた通りに休むことにした。

 置いてあった座布団に腰を下ろして、部屋を見渡す。

 けっこうサマにはなってきた――と思う。

 8畳くらいのスペースに、木目のついた背の低い机がふたつ。

 今は何も乗ってないけど、そこに瀬戸物を配置すればいい感じの見栄えになりそうだ。運び込んだ江戸時代風の掛け軸だって、飾ればそれなりに風情が出るはず。

 それに呪いの人形とか、年代物の地球儀なんかも奥の部屋に運びこんでいる最中だ。

 奥の部屋――開け放たれた襖の向こう側にはそういったアヤしい道具とか巻物とかを配置することにしている、とのこと。

 それがどこまでホンモノのオカルトアイテムかはわからないけど、太陽光の届かない薄暗い室内はたしかに雰囲気があった。

 開店はもうすぐにでもできそうに思われた。

 

 ――あれ。

 

 そこで、ふと、目に入るモノがあった。

 それはさっき玉兎さんが運んでくれた古本入りのダンボール。

 それが奥の部屋の入り口付近に無造作に置かれていた。手前(こっち)の部屋ではなく、向こうに。

「これ――そっちなんだ」

 少し意外だった。

 けっこう雑に扱ってる感じがしていたので、てっきり大した物じゃないと思ってた。

 途端に興味が出てきたあたしは、そのダンボールを開けてみる。

 外見は軽くは見てたんだけど、その本の中身をちょっと拝見。一番手前の一冊を抜き出してみる。

 和綴じ――って言うんだっけか。やたらと古い装丁の本が出てきた。ちょっとかび臭い上に、なかなかにボロい――もとい、すごいワビサビだった。和風バンザイ。

「むむ」

 だけど、その表紙の文字が読めない。

「――さすが、古本は字、字が――」

 ミミズのはったような……っていうと失礼すぎるかもしれないけど、とにかく現代人には到底理解できないウネウネだ。ぜんぶ繋がってるし。

 解読だけで一日とかかかっちゃいそうなレベル。

 ――まぁ、この方がなんかカッコいいのはわかるけど。

 読めない字はがんばっても仕方ないので、軽い気持ちでページをパラパラとめくって流し見る。

 ずっと同じような古代文字が続いていた。その中にヤケに目につくページがあった。

 白地のページの中央に、名前が書いてあった。

 

『菊理■神 ■■妙理』

 

 キクリ……カミ……聞いたことのない神様の名前と、その下に、汚れで読めない2文字。それからなぜか――彼女の名前があった。

 それが何を意味しているのか、はちょっとわからないんだけど……とにかく彼女の名前があって。

「えっと」

 その意味を判断しかねた。そもそも人の名前としてかいてあったのかどうかもわからなかった。

 

 それに――この本、いつの時代の本なんだろう?

 

 なんてことを考えていると、――一条巡いちじょうめぐる、と――あたしの名前を呼ぶ声がした。

「え」

 その澄んだ高音は確実に玉兎さんのものじゃない。あたしは慌てて本を元の位置に戻す。

 なんとなく見ちゃいけないものだったかも、と思ったからだ。

「……えっと」

 ふりかえると、やっぱり妙理がそこに立っていた。こっちの方をじっと見つめている。

「ど、どうかした?」

「――いえ」

 と、そこで妙理は目をわずかに伏せる。

 あたしが古本を読んでいたことに気付いてなかったみたい。どうやら心配事は杞憂だったようだ、――内心そっと胸を撫で下ろす。

――それにしても、珍しい。

 いつもトークでは抜き身で切りかかってくる同級生にしては、この反応は妙だった。

――もしかして、お腹、痛いとか。

「違います」

 即答された。

「……これは穀雨玉兎からの命令です」

 そう言って、妙理はまた押し黙る。なんだか言葉を選んでいるようだった。

「一条巡」

 彼女はまたあたしの名前を呼ぶ。

「えっと、はい」

 そういえば、あれからけっこうな時間一緒にいるけど、こうして名前で呼ばれるのは今日が始めてだった。

 前髪がかかって、妙理の顔が少しだけ影になった。

 

「これから……よろしくお願いします」

 

 彼女が口にしたのは、あんまりにも普通の言葉で――だからこそ彼女が口にすると不思議に聞こえる言葉だった。

 言われてみれば、アルバイトに入った後も、あたしたちはまともな挨拶もしてなかったのだ。

 不思議な話だった。

 暁月妙理は――やっぱり不思議な人だった。

 決して届かないはずなのに、なぜか、彼女を近くに感じてしまった。

 ――いつかの夜。あの夢の終わりと同じように。

 

「こちらこそ、よろしくね」

 

 だから。

 もう少しだけ彼女のことが知りたかったから――あたしは右の手を差し出した。

 

 ―― 一羽の蝶をめぐる偶然の集積。



 その物語の一端にあたしは巻き込まれた。

 出口のない迷路を迷い続けて、見失ってしまったモノもあったかもしれない。

 悲しい出来事も、信じられない出来事も、受け入れたくない出来事も、たくさん出会った。


 だけど、それでも。

 

 その結末に――こんな風にして、あたしたちの偶然ミチは重なったのだ。

 

 

                                  完/

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